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三十八、魔女の真実
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これは愚かな人魚の独り言。
人を愛することも、永遠を失うことの意味も、何一つ正しく理解していなかった私の秘め事。誰にも明かすつもりのない心。
愚かな女の話でも良いとおっしゃって下さるのなら、ぜひ聞いていってくださいな。
私には愛する人がいた。その人のためなら何を失っても構わないと本気で思えるほど、大切な人が。
私は反対する周囲を押し切って人間になり、彼と結婚をしたわ。
やがて愛した人との間に子どもが生まれて、私に似ていると言われた時は天にも昇る心地だった。
けれどある時、それは私の身勝手かもしれないと思ってしまったの。
きっかけは……さあ、なんだったかしら。他愛のない会話の、なんでもない一言だったかもしれないわ。
けれど私はふと、考えてしまったの。
あの人が愛してくれたのは人魚の私かもしれない――
愛していると言ってくれた。美しいと言ってくれた。それは老いることのない身体を持っていた私なのではない? 人とは違うところが良かったのではないかしら……。
今の私はあなたの瞳にどう映っているの?
それからは鏡を覗くことが怖かった。
もしも映っているのが老いた自分だったらと思うと、想像しただけで怖ろしかった。今日は良かったとしても明日は? その次の日はどうなるの?
不安におびえる私のそばではあの子が泣いている。
私の大切な子よ。子どもの成長は早いのね。生まれたばかりの頃は泣くことしか出来なかったのというのに、みるみる成長していくの。
その過程が嬉しくもあり、同時に人の生きる時間には限りがあることを思い知らされたわ。
私は何もわかっていなかったのね。永遠を手放すことの意味を……。
いつしか愛していると言ってくれた人の目を、まっすぐに見ることが出来なくなっていた。愛していたはずの我が子に触れることにさえ、躊躇いが生まれていた。
あの子が三歳になった頃、私は二人を置き去りに姿を消したわ。ええ、逃げたのよ。老いていく自分の姿を見られたくなかったの。
幻滅されることが怖かった。この以上長く留まっていたら、愛しているはずの我が子さえ恨んでしまいそうで、自分が怖ろしかったわ。
幾年かの時が経った頃、人の世界に居場所を失った私は数年ぶりに海の国に戻ったわ。そこでも誰かの視線に晒されることは怖かったけれどね。女神様を裏切ってまで愛を選んでおきながら、みっともなく逃げ帰った姿を晒せるはずがないでしょう?
私は海深くの住みかに移ったわ。誰にも見つからないように、たとえ見つかったとしても闇に姿を隠せるようにね。
いつしか私は人魚たちから海の魔女と呼ばれるようになっていた。
獰猛な生き物を従え、怪しげな薬を作っているんですって。そんな噂が回り巡って私の耳にまで届くのは早かったわ。間違ってもいないし、特に訂正することもないでしょう。
それでいい。みんな私を怖れて近寄らないで。私は誰にもこの姿を見られたくないのよ!
それからの私は薬の研究に没頭していたわね。いつからか、人間の町にも赴くようになったわ。
薬を作ろうとしてもね、どうしても海の世界では手に入らない材料があるのよ。薬の力に頼ればいつか本当の人魚に戻れるかもしれないと、そんな馬鹿げたことを考えていたの。
そして私は数年ぶりにあの子を見つけてしまった。
手放したはずの息子は随分と立派になっていて、私は思わず駆け寄りそうになったわ。とっさに衝動を殺して物陰に隠れたけれど、驚いた。私はまだあの子を愛していたのね。会いたいと望む心が残っていたことに安心したの。
それなのに合わせる顔がないというのはこのことね。いくら理由を重ねたとしても私が家族を捨てたという事実は変わらないのよ。今更何を言えたというのかしら……
町で話を聞くうちに、あの子がこの町を治めるようになったことを知った。あの子は私のことなんて覚えていないでしょうけれど、それからは顔を見られないようにローブで身体を覆ったわ。
またしばらく時が経って、今度はあの子が結婚したことを知った。
息子のお嫁さんですもの、どうしたって興味は尽きなかったわ。どんな人かと隠れて姿を見たけれど、なんてこと……あの人は駄目よ!
お相手は可愛いお嬢さんだった。息子の隣が良く似合う、金髪に青い瞳のね。
でもどうしてお嬢さんなの? どうして人魚を選んでしまったの!?
海の世界に暮らしていれば女神に愛されたという人魚姫の噂は耳に入るわ。海の王の愛娘、女神に愛された青い瞳。そんなお嬢さんが人間の生活に絶えられると思う?
あの子も私と同じ。すぐ嫌になってしまうに決まっているわ。そうしたらあの子は……また一人になってしまうのよ。
私には二人が幸せになる結末が見えなかった。
二人を酷い言葉で傷つけて悪者を演じたわ。息子を利用して、お嬢さんの真意を確かめようとした。
お嬢さんは、追って来たわね。私の予想より随分と早くて驚いたわ。
私がどれほど嬉しかったことか、お嬢さんにはわからないのでしょうね。
ええ、それでいいのよ。これが私が勝手にやったことですもの。むしろ憎んでくれていい。私はただ、あの子が幸せであればそれでいいの。
結局、弱かったのは私だけみたいね。
お嬢さん――エスティーナさんは強い人だった。エスティーナさんなら、最後まで息子の手を離さずにいてくれるでしょう。
見えなかったはずの未来を見せてくれてありがとう。私は遠く海の底から二人の幸せを祈っているわ。
さようなら。どうか、幸せにね……
人を愛することも、永遠を失うことの意味も、何一つ正しく理解していなかった私の秘め事。誰にも明かすつもりのない心。
愚かな女の話でも良いとおっしゃって下さるのなら、ぜひ聞いていってくださいな。
私には愛する人がいた。その人のためなら何を失っても構わないと本気で思えるほど、大切な人が。
私は反対する周囲を押し切って人間になり、彼と結婚をしたわ。
やがて愛した人との間に子どもが生まれて、私に似ていると言われた時は天にも昇る心地だった。
けれどある時、それは私の身勝手かもしれないと思ってしまったの。
きっかけは……さあ、なんだったかしら。他愛のない会話の、なんでもない一言だったかもしれないわ。
けれど私はふと、考えてしまったの。
あの人が愛してくれたのは人魚の私かもしれない――
愛していると言ってくれた。美しいと言ってくれた。それは老いることのない身体を持っていた私なのではない? 人とは違うところが良かったのではないかしら……。
今の私はあなたの瞳にどう映っているの?
それからは鏡を覗くことが怖かった。
もしも映っているのが老いた自分だったらと思うと、想像しただけで怖ろしかった。今日は良かったとしても明日は? その次の日はどうなるの?
不安におびえる私のそばではあの子が泣いている。
私の大切な子よ。子どもの成長は早いのね。生まれたばかりの頃は泣くことしか出来なかったのというのに、みるみる成長していくの。
その過程が嬉しくもあり、同時に人の生きる時間には限りがあることを思い知らされたわ。
私は何もわかっていなかったのね。永遠を手放すことの意味を……。
いつしか愛していると言ってくれた人の目を、まっすぐに見ることが出来なくなっていた。愛していたはずの我が子に触れることにさえ、躊躇いが生まれていた。
あの子が三歳になった頃、私は二人を置き去りに姿を消したわ。ええ、逃げたのよ。老いていく自分の姿を見られたくなかったの。
幻滅されることが怖かった。この以上長く留まっていたら、愛しているはずの我が子さえ恨んでしまいそうで、自分が怖ろしかったわ。
幾年かの時が経った頃、人の世界に居場所を失った私は数年ぶりに海の国に戻ったわ。そこでも誰かの視線に晒されることは怖かったけれどね。女神様を裏切ってまで愛を選んでおきながら、みっともなく逃げ帰った姿を晒せるはずがないでしょう?
私は海深くの住みかに移ったわ。誰にも見つからないように、たとえ見つかったとしても闇に姿を隠せるようにね。
いつしか私は人魚たちから海の魔女と呼ばれるようになっていた。
獰猛な生き物を従え、怪しげな薬を作っているんですって。そんな噂が回り巡って私の耳にまで届くのは早かったわ。間違ってもいないし、特に訂正することもないでしょう。
それでいい。みんな私を怖れて近寄らないで。私は誰にもこの姿を見られたくないのよ!
それからの私は薬の研究に没頭していたわね。いつからか、人間の町にも赴くようになったわ。
薬を作ろうとしてもね、どうしても海の世界では手に入らない材料があるのよ。薬の力に頼ればいつか本当の人魚に戻れるかもしれないと、そんな馬鹿げたことを考えていたの。
そして私は数年ぶりにあの子を見つけてしまった。
手放したはずの息子は随分と立派になっていて、私は思わず駆け寄りそうになったわ。とっさに衝動を殺して物陰に隠れたけれど、驚いた。私はまだあの子を愛していたのね。会いたいと望む心が残っていたことに安心したの。
それなのに合わせる顔がないというのはこのことね。いくら理由を重ねたとしても私が家族を捨てたという事実は変わらないのよ。今更何を言えたというのかしら……
町で話を聞くうちに、あの子がこの町を治めるようになったことを知った。あの子は私のことなんて覚えていないでしょうけれど、それからは顔を見られないようにローブで身体を覆ったわ。
またしばらく時が経って、今度はあの子が結婚したことを知った。
息子のお嫁さんですもの、どうしたって興味は尽きなかったわ。どんな人かと隠れて姿を見たけれど、なんてこと……あの人は駄目よ!
お相手は可愛いお嬢さんだった。息子の隣が良く似合う、金髪に青い瞳のね。
でもどうしてお嬢さんなの? どうして人魚を選んでしまったの!?
海の世界に暮らしていれば女神に愛されたという人魚姫の噂は耳に入るわ。海の王の愛娘、女神に愛された青い瞳。そんなお嬢さんが人間の生活に絶えられると思う?
あの子も私と同じ。すぐ嫌になってしまうに決まっているわ。そうしたらあの子は……また一人になってしまうのよ。
私には二人が幸せになる結末が見えなかった。
二人を酷い言葉で傷つけて悪者を演じたわ。息子を利用して、お嬢さんの真意を確かめようとした。
お嬢さんは、追って来たわね。私の予想より随分と早くて驚いたわ。
私がどれほど嬉しかったことか、お嬢さんにはわからないのでしょうね。
ええ、それでいいのよ。これが私が勝手にやったことですもの。むしろ憎んでくれていい。私はただ、あの子が幸せであればそれでいいの。
結局、弱かったのは私だけみたいね。
お嬢さん――エスティーナさんは強い人だった。エスティーナさんなら、最後まで息子の手を離さずにいてくれるでしょう。
見えなかったはずの未来を見せてくれてありがとう。私は遠く海の底から二人の幸せを祈っているわ。
さようなら。どうか、幸せにね……
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