上 下
35 / 38

三十五、追いかけて追いついて

しおりを挟む
 なんとか一階へ降りるとニナは玄関からではなく窓からの脱出を提案する。そして自分はここに残ると言いだした。

「奥様行って下さい! みんなのことは私が上手く誤魔化しておきます。私なら奥様が部屋にいると上手く誤魔化すことが出来ますから」

「でも……」

「奥様、私は奥様を信じると決めました。だって奥様は温かくて優しい人なんです。きっと旦那様もそんな奥様のことが大好きなんですよ。私はここで待っていますから、必ずお二人で帰ってきて下さいね!」

「へえ、ニナにしてはよくわかってるじゃん」

「エリク!?」

「ほら行くよ。迷ってる時間、ないよね?」

 そうだ。迷っているうちにも旦那様は遠くへ行ってしまう。私は先に窓から外に出たエリクに続いて城を抜け出した。でも最初から、港にむかうつもりはない。

「ちょっと、そっちは崖だよ!?」

「知ってるわ。港に行くには時間が掛かるでしょう? ここからならすぐに追えるじゃない。ほら、あの船でしょう!?」

 見晴らしの良い高台だ。港から出港した一隻の船が良く見えた。青い海に白い帆の美しい船は悠々と進む。どこへ向かうのかはわからないけれど、風向きは良好、今から港に向かって船を出したところで追いつけはしない。

 船なら、ね。泳ぎなら誰にも負けない自信があるのよ!

 けれど私は大事なことを失念していた。
 エリクを置き去りにしそうな勢いで進んでいた私でしたが、道の終わりが見え始めると心臓が嫌な音を立て始めていることに気付いてしまったのです。ついには足が止まり、身体は震え始めていました。主に足が!

「何、どうしたの?」

「私、絶叫系が苦手だって忘れていたの……」

「なんて?」

 高いところは平気だった。オーシャンビューも堪能させてもらっているところだ。でも落ちるとなれば話は別よ!

 友達と行った遊園地でも、絶対にジェットコースターだけは遠慮したものねえ……
 って、遠い目をしたって駄目なんだから! 早く旦那様を追いかけるんでしょ!?

 エリクに啖呵を切っておきながら情けない姿を晒し続けるのはごめんよ。

「行く、行くわ。一刻を争うんですもの……そう、そうよね……だからエリク、お願いがあるの。目を瞑っているから背中を押してくれない!?」

 応援という意味でも、物理的にもお願いしたいわね。

「嫌だよそれ完全に僕が犯人じゃん!」

「駄目?」

「駄目に決まってるからね!?」

「大丈夫よ! 私は海に落ちても平気なの。事件は何も起きないわ!」

 言い争いながらも私は靴を脱いで準備を整えている。

「いや完全に絵が事件現場だよね!? 誰がどう見ても事件だから! 無理無理、僕絶対嫌だからね!? 僕がジェス君に殺されるよ!」

「そこまで言うのなら、仕方がないわね。私一人でも行きます。エリクは港に靴を届けてくれると助かるわ。心配しないで、ちゃんと旦那様と二人で帰るから!」

「いやこれ心配しかないよね!?」

「私、思うのよ。きっと、絶叫系も乗ってみたら楽しかったーーのかもしれないわ。私には隠された絶叫系の才能があったのかもしれない!」

「なんの話!?」

 きっと私は覚醒していなかっただけで、本当は大の絶叫好きだった。そう思うとなんだかいけそうな気がする。

 こわくないこわくない!

「こわくない!」

 エリクの静止を振り切り、助走をつける勇気はないからそっと地面を蹴る。

「エスティ!」

 あ――名前、初めて呼んでくれたのね。

 でも私はもう止まれない。
 恐怖のあまり声は出なかった。ただ歯を食いしばり目を瞑っているいちに身体は海に叩きつけられていた。

「はあ……はあっ!」

 きっと一生分の勇気を使い果たしたと思う。けど旦那様が遠くへ行ってしまうことの方がよほど怖ろしい。そう思えばこれくらい!

 ……二度はないけど! やっぱり私に絶叫系の才能はなかったようです。

 崖の上を見上げると、こわごわ顔を覗かせていたエリクに向けて手を振った。この海域が飛び込んでも大丈夫だということは人魚だった頃に調査済みだ。海に潜った私は旦那様の乗る船を目指して全力で泳ぐ。どこまでだって追いかけますよ、旦那様!
 泳ぎながらも考えていたのはあの女性についてだ。旦那様がおかしくなったのは、あの人が原因だろうかと疑ってしまう。

 洞窟で私たちの会話を聞いていたとして。私を罪人に仕立て上げて自分が王太子妃にでもなるつもりだったの?

 いくら考えても正解はわからない。それにまだ、何か決定的な部分がかけている気がする。でも考え事はここまでだ。
 人魚にかかれば帆船に追いつくことは容易い。船の元までたどり着くと、私は大声で旦那様の名を呼んだ。

「旦那様! ラージェス様、私ですエスティーナです!」

 しばらくして、旦那様が船から顔を覗かせる。でもそれは私に応えてくれた訳じゃない。自分の名前を呼ばれたから振り返っただけのことだと思う。だって旦那様は私の顔を見ても何も言ってはくれないから。そして隣にはあの女性がいる。あまり嬉しくはないけれど、女性の方は私に興味を示してくれた。

「……追いかけてきたわね。別に見ていても構わないけれど、邪魔だけはしないでいただける?」

「邪魔?」

 邪魔ですって? 私の邪魔をしているのは貴女でしょう!

「簡単なことですわ」

 私の憤りには目もくれず、女性は蛇のように旦那様にまとわりつく。まるで見せつけるように、その手に短剣を掲げた。

「旦那様!? 何をするの!?」

 私はとっさに叫んでいたけれど、旦那様は剣を突きつけられても眉一つ動かさない。

「何だなんて、お嬢さんだって教わったはずよ?」

 見覚えのある短剣がマリーナ姉さんとの会話を思い出させる。

 その短剣は旦那様をさすためのものだと言いたいの? なら、人間に戻るための行為を望む貴女は……そうね。金色の瞳に、私の声を封じたのがいい証拠。この人は私が人魚で、歌で人を操れると知っているのよ。

「貴女……あの時の占い師は貴女ね。その節はお世話になったと思っていたけれど、どういうつもりかしら。まさか人魚だとは思わなかったわ」

「あら、よくご存じなのね」

 嬉しそうに顔つきで、軽やかな声が響く。何が嬉しいというの? 私はちっとも嬉しくないわ。出来ることなら、貴女には違う形でもうお礼を伝えたかったのに。

「私もね、女神様に愛されたお嬢さんほどではないけれど、昔から不思議な薬を作るのは得意だったのよ。ほら、見てちょうだい! 凄いと思わない? 王子様には私こそが恩人だと思い込ませたの。お嬢さんのことなんて今頃忘れているのよ。それなのにこんな所まで追いかけてくるなんて、健気なお嬢さんなのね」

 不思議な薬を得意とする人魚は一人だけだ。

「随分とおしゃべりなのね。海の魔女」

 彼女はまた、正解とでも言いたげに笑う。

「言ったでしょう? お嬢さんは特別なのよ。私、これでもお嬢さんのことは気に入っているの」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

闇黒の悪役令嬢は溺愛される

葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。 今は二度目の人生だ。 十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。 記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。 前世の仲間と、冒険の日々を送ろう! 婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。 だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!? 悪役令嬢、溺愛物語。 ☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...