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十一、初ごはん!

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 私たちが微笑み合い、和やかな会話を続けているうちに食事の準備は着々と整えられていく。私は旦那様に微笑みを向けながらも視線だけは運ばれてくる料理に夢中だった。その一方で旦那様は何故か終始私のことを見つめていた。

 せっかく料理が来るのよ。私よりも料理を眺めていた方が楽しいと思うけれど……

 私はついに目の前にまで迫り、手を伸ばせば届く距離にある懐かしの料理をじっくりと見つめた。それはもう愛しい人を見つめるような眼差し――よりも熱心かもしれない。
 白い丸皿にはこんがりと焼き色のついたタルトのような品が乗せられている。三角形に切り分けられたそれは、本来ホールケーキのほどの大きさがあった物の一部だと推測した。

 円形のタルト生地を器として、具材を入れて焼き上げたものね。大きさから見て、おそらく六等分といったところかしら。しかも、しかもよ! これ、焼きたてじゃない!?

 室内には焼きたて独特の香ばしさが漂っている。それもチーズの。

 なんてタイミングで給仕されてくるのかしら。絶対美味しいに決まっているじゃない!

 横から見ると中には具が入っているにも関わらず、断面は綺麗に切り揃えられていた。タルトやパイを切るのが不得意な私にとっては尊敬に値する仕事ぶりだ。もちろん崩れてしまっても美味しく食べられるけれど、やっぱり少し残念な気持ちにはなる。
 ふっくらとした料理の厚みを害さず、断面を滑らかに、かつ器を壊さずに入れられた包丁。一見してお菓子のような外見ではあるけれど、断面から除くのはベーコンだ。付け合わせには緑を中心とした野菜がたっぷりと盛り付けられている。

 私は前世でこれとよく似た料理を食べたことがあるけれど、この世界のものと同じなのかしら……
 いいえ。答え合わせならいつでも出来るでしょう、エスティーナ。貴女が今、本当にしなければならないことは一つよね?

「旦那様! せっかく料理人の方が作って下さったのですから、早く召し上がったほうがいいんですよね!?」

 せっかく焼き立てを用意してくれたんですもの。一刻も早く食べるのよ!

「そうだな。話は食べながらでも出来る。まずは食事だな」

 理解のある旦那様で良かったと思う。私は手を合わせ、懐かしい言葉を口にした。

「いただきます」

 これよこれ! これが言いたかったのよ!!

 食事をする前の大切な儀式。食材、作ってくれた人、全てに感謝を伝えるための言葉。きっと私はこの瞬間のためにテーブルマナーを勉強していたのね。

 いただきます!

 ナイフとフォークを受け止めたのは柔らかな生地。ただし底まで辿り着くと器の部分はやはりさっくりとしている。

 いただきます――

 もう一度、念入りに、私はこの奇跡に感謝する。そうして一口目を呑みこんだ瞬間、言葉を失った。

「エスティ?」

 食事前の賑やかさから一転、黙り込む私を旦那様は不審に感じている。

「旦那様……」

 私は静かに食器を下ろすと俯いていた。

「どうした?」

 優しい旦那様は食事の最中だというのに自らも手を止め、私を心配してくれる。

「聞きたいことが、あるのです」

「どうした? なんでも言ってくれ……」

 私の深刻な声音に併せてか、旦那様の声も固くなる。

「この料理の名は?」

「は?」

「ですから料理! この素晴らしい料理の名称ですわ!」

 口に含むとまず濃厚なチーズを感じる。柔らかな食感は卵と牛乳から作られたものだろうう。さらには表面を覆うチーズ。ベーコンにはそれ自体にもしっかりと味がついていて、塩気が心地良いほどだった。この三角形の中に美味しさが凝縮されている。

「キッシュだ」

「キッシュ……」

 それは前世でも食べたことのある馴染みの料理。カフェなどでは人気のメニューにもなっているし、専門のお店だって何度か目にしたことがある。けれどこれは、そんな生易しい感動とは違う。
 私はもう一度、料理に手を伸ばした。一口、二口、何度食べても私の結論は変わらない。

 美味しい……

 食べる度に味わい深くなる。おそらく冷めても美味しいけれど、電子レンジのないこの時代。焼きたてを食べられたことに感謝したい。
 そこで私は付け合わせの野菜にも手を伸ばす。しゃきしゃきとした歯ごたえに、広がる青臭さは新鮮そのものだ。ドレッシングをつけないからこそ、素材の持つ美味しさだけを味わえる。

 なんて懐かしい……

「エスティ!?」

 私の目からは自然と涙が流れていた。その涙に私よりも狼狽えたのは旦那様だ。

「お前、どっか調子が悪かったのか!? それとも不味かったか!?」

「不味いだなんて!」

 私はそっと指で涙を拭った。

「無理して食べることないぞ!?」

「いいえ。きちんと最後までいただきますわ。せっかく料理人の方が心を込めて作ってくれたのですから」

「本当に無理すんなよ? 残すことが心苦しいなら、俺がお前の分も食べてやるからな?」

 任せろと旦那様が手を差し伸べるので私はとっさに自分の皿を囲い込んだ。

「申し訳ありません旦那様」

 その瞬間の私の冷え冷えとした声といったら、我ながら大人げなかった。

「本来妻である私は夫に皿を託すべきなのかもしれませんが、こればかりは旦那様にも譲れませんわ。そして旦那様はきっとこう思っていらっしゃるはず。この女食い意地はりやがって! と。たとえ思われたって私には痛くも痒くもありませんわ!」

 私が一息に告げると旦那様が言葉を失った。やがて我に返ったその口から零れたのは盛大な笑い声だ。

「おまっ、それっ……!」

「何が可笑しいのですか?」

 理由はわからないけれど、二人しかいな部屋だ。私が笑われていることくらいはわかる。

「いや、なんか……想像してた人魚とだいぶ違うからさ」

 可笑しそうに笑う旦那様に私はからかわれているのだと口を尖らせる。ちょっと子どもっぽいだろうけど、止められなかった。

「なんですか、助けてもらった人魚とやらに憧れでも抱いていたのかしら? もっとお淑やかで食事も控えめだったり? 残念ながらそういうのは私のキャラではありませんっ!」

 どちらかというと私の姉がそういうキャラです。

「想像と違って悪かったですね! でもこれは渡しませんから!」

 そう、きっと王子様は私のような人魚姫を前にして呆れるのよ。

 けれど旦那様の反応は、私の想像とは違っていた。

「悪いなんて言ってないだろ。俺は可愛いと思うぞ。……ん? ならお前、どうして泣いたんだ?」

「これは感動のあまり流れた涙なのです」

「は?」

「私、とても幸せ者でしたから」

 ここにたどり着くまで、正直に言っていくつかの不安があった。

 だって世の中にはいくつもの世界が存在するわけでしょう? 私が前世で生まれ育った世界とこの世界は明らかに違うわけだし、きっと食文化も世界によって違うはずよね?

 昨日まで人魚でいた私にその全てを把握することは難しい。だから実際に食事をするまで、この世界が私の満足する食文化の世界なのか不安だった。
 けれどキッシュを食べて確信する。私は、私が求める幸せな世界に転生したことを。
 ナイフとフォークを使った食事の作法。キッシュを作り上げるための知識、そして美味しい食材。ここはおそらく、時代の差はあるけれど前世とそう変わらない食文化を築いている世界だ。

 私、とても素晴らしい世界に転生していたのね……

 懐かしい食事、その美味しさ、喜び、安堵、いろいろな感情が一度に襲ってきた。それは涙も溢れるというものだ。

「旦那様、いつかこの料理を作って下さった方に会うことは出来ますか? とても美味しかったので、直接感謝を伝えたいのです」

「早速紹介してやるよ。城中の奴らにな! みんなお前のことが気になって仕方がないらしい。この後時間もらっていいか?」

「もちろんですわ。そういえば、私の設定についてはイデットさんに聞かせてもらいました。しっかり話を合わせておきますね」

「勝手に悪かった。人魚だと知られたら危険だと思ってな」

 旦那様の判断は正しい。だから私は素直に感謝を告げた。

「他に何か困ったことや望みはあるか? 俺で叶えられることならなんでも言ってくれ。遠慮とかするなよ?」

「遠慮というか、申し訳ないくらいの好待遇ですもの」

「お前はもう立派なこの城の女主だからな。遠慮するようなことは一つもないだろ」

「旦那様ったら……そこまで警戒いただかなくても私たち約束を守りますわ。私には勿体ないほどの待遇だったと、仲間たちにもそう報告しますからご安心下さい。私たちは形だけの夫婦、旦那様がそこまで気を配る必要はないのですから」

 笑顔を添えて伝えると、何故か旦那様は盛大に立ち上がり、テーブルから身を乗り出した。
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