上 下
10 / 38

十、旦那様の側近だそうで……

しおりを挟む
「エリク様、どうしたんですか?」

「お邪魔しまーす。ていうか失礼しますってちゃんと言ったよね」

 不遜な態度も意に介さず、ニナは青年と普通に会話している。

「ねえジェス君知らない? 聞きたいことがあって探してるんだけど」

「旦那様でしたらもうすぐこちらにいらっしゃいますよ」

「そう。なら僕もここで待たせてもらうね」

 彼がそう宣言すると、ニナから視線で助けを求められた気がする。助けというか、決定権は私にあるということだろう。

「もちろん構いませんわ」

「――は? ていうか君、誰?」

 まるで私の存在に今初めて気付いたような発言だ。ニナは明らかにほっとしていたけれど、了承したというのにあまりいい顔はされなかった。むしろ露骨に嫌な顔を現在進行でされている。

「初めまして。エスティーナと申します。ラージェス様の……」

 私って……なんなのかしら!? 妻と名乗っても許されるの?

 そんな躊躇いが私の答えを曖昧なものにしていた。

「ジェス君ってば、昼は大事な用事があるって聞いたけど……何、君が相手?」

 そもそもジェス君て、ラージェス様? 旦那様のこと、でいいのよね? ニナも旦那様と言っていたし。

 初めて顔を合わせたエリク様との会話は次から次へと疑問が飛び出すものだった。

「確かに私はラージェス様と食事の約束をしています。よろしければこちらで一緒に待ちませんか?」

「はっ――」

 今、笑いました? 微笑みではなく明らかに嘲笑の部類で。

「君、僕のこと知らないの? ふうん。なんだ、大したことないんだね」

「……失礼、しました」

 さっきから態度が大きい人ねえっ!
 でも平常心よ。こんなことにいちいち目くじらを立てていられないわ。怒るだけ労力の無駄というものよ。前世を思い出しなさい……取引先の堅物重役たちの方がよほどイライラさせてくれたんだから! エリク様なんて可愛いもよ! 

「僕はエリク。ジェス君の側近だよ。僕のことくらい憶えておきなよね」

 ――で? その勝ち誇ったような顔はなんなのかしら? 私は妻なのよって、張り合ったほうがいいのかしら? 

 エリク様は憶えておけとでも言うように、というか実際に言ったわね。腕組みしたエリク様はまるで私を威圧しているようだった。

「失礼しましたエリク様。以後お見知りおきを」

「そういうのいいから」

 エリク様は私の言葉を最後まで聞かずにぴしゃりと突っぱねる。

「言っとくけど、ジェス君にちょっかい出さないでよね。ジェス君てチャラそうに見えて純粋なんだからね」

 イデットさんの時にも感じたけれど、これは一体なんの牽制?

 返答に躊躇っているうちにまたしても豪快に扉が開く。今度こそ登場したのは正真正銘、旦那様だった。

「悪い待たせた! ……ん? どうしたエリク、早速俺の嫁に会いに来たのか?」

「僕は仕事の話があって……って俺の嫁って何どういうこと!?」

 エリク様は物凄い形相で旦那様に詰め寄った。

「は? 何、この人君の奥さんなの!? き、君、いつ結婚したのさ!?」

「三日前」

 私たちは三日前のあの日から結婚したことになっているらしい。

「はあ!? な、何それ! 無事に帰ってきたと思ったら親友に挨拶もなしに、何勝手に結婚決めてるのさ! 僕、側近だよ! だよね!?」

 どうやら旦那様の唐突ぶりに側近の自信を無しくているようで、もしも私が同じ立場だったらと思うと同情せずにはいられなかった。

「その件に関しては悪かったと思ってる。けど、ついてきてほしいと頼んだ俺に、日焼けだけは絶対にしたくないから船旅とか無理。本気で無理――と拒否したのはお前だ。なら仕方がないと、俺の代わりに視察を頼むという話になっただう? その間にちょっとした運命の出会いがあってな。そしてお前と顔を合わせるのはあれ以来、今日が初めてだ」

「そうだけど……そうだけどさあ!」

 盛大に機嫌を損ねたらしく、エリク様はぷくりと頬を膨らませた。ちょっと可愛いけれど、多分ここで私が口を挟んだら大事件になると思うので何も言わない。火に油は注がないが一番だ。

「僕、簡単には許さないからね」

「限定ケーキでどうだ?」

 お菓子でつるんですか!?

「……一番高いやつだからね」

 つられた!?
 少しは悩んでいたようだけど、わりとあっさりつられましたね!?
 それにしても旦那様ったら……怖ろしい人だわ。限定ケーキを切り札に持っているなんて、今度取引をもちかける事があるのなら私も気をつけないといけないわ。限定ケーキが相手なら仕方がないこともあるわよね……だって限定ケーキですもの!

「ちょっとお嫁さん!」

「……え? ……あ! わ、私のこと!」

 エリク様の不意打ちに反応が遅れてしまう。あまりにも自分が誰かの妻だという認識が今の私には足りていないらしい。

「君以外に誰がいるのさ。まさか僕? 確かに僕は可愛いし、女の子の格好だって完璧に似合っちゃうと思うけど、君しかいないでしょ!」

 旦那様との仲直りの条件が成立したようで、いつの間にか矛先が私に向いていた。エリク様は腰に手を当て私を睨んでいる。

「僕が最初に言ったこと、忘れていいから」

「最初……?」

 最初に言ったこと……もしかして、大したことないとか、旦那様にちょっかいを出すなという牽制の話?

「ていうか忘れて! じゃあね! 夫婦仲良くごゆっくり!」

 エリク様は相変わらず不満げに口を曲げながら部屋を出て行こうとする。

「おいエリク! 仕事の話はいいのか?」

「そんなの後でいいよ! お嫁さんと仲良くごはん食べてれば!?」

 言葉はつんけんしているけれど、心遣いは優しさに溢れていた。きっといい人なのだろう。こんなにも食事の心配をしてくれるのだから。
 そうして暴風のようなエリク様が去った部屋で、私と旦那様は何とも言えない雰囲気の中、視線を交わした。

「……賑やかな方、でしたわね」

「俺がいない間、何か言われなかったか!?」

「特には、取り立てて報告するようなことはありませんでしたわ」

 忘れてほしいと言っていたしね。これ以上目をつけられても困るし、黙って忘れてあげましょう。

「すまない。エリクは、根は良い奴なんだが……どうも言葉使いと、あの性格で誤解されやすくてな」

「あら、旦那様が謝罪されるようなことは何もありませんでしたのよ。私はエリク様のような方、好きですもの」

「そりゃあ良かった……っていや良くないだろ!?」

「どっちなのですか……」

「おまっ、ああいう奴が好みなのか!?」

「微笑ましくっていいですわよね」

 感情を隠そうとしない。言いたいことを、良いことも悪いことも含めて素直に打ち明けてくれる。可愛くて見ていて微笑ましいと思える人――という意味だ。

「そ、そうか、微笑ましいか……それは良かった。取り乱して悪かったな。それに待たせた」

 旦那様は言葉を並べながら自分自身に向けて落ち着け……と何度か繰り返し囁いていた。

「いいえ、ちっとも。この時間さえ、私には尊いものでした」

 これから運ばれてくる食事を想像をしただけで幸せが止まらない。つい、うっとりとしたため息が零れてしまうほどだ。

「当たり前のように誘ってしまったし、お前も平然と要求するものだから疑問に思うこともなかったが……飯は食うんだな」

「確かに人魚は食べなくても平気ですけれど、私はもう人間、食事もしますわ。加えて私はこの国の一員となったのですから、早くこの国の味に慣れたいのです。もちろん食事だけではなく、習慣や文化にも」

「そうか……。俺はいい奥さんを見つけたんだな」

 旦那様は優しく笑ってくれた。

「はい。私はいい旦那様に見つけてもらいました」

 そして私も、旦那様に褒められて悪い気はしなかった。だからこれは私の本心だ。この人となら、形ばかりの夫婦だろうと過ごしていけると思えた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

闇黒の悪役令嬢は溺愛される

葵川真衣
恋愛
公爵令嬢リアは十歳のときに、転生していることを知る。 今は二度目の人生だ。 十六歳の舞踏会、皇太子ジークハルトから、婚約破棄を突き付けられる。 記憶を得たリアは前世同様、世界を旅する決意をする。 前世の仲間と、冒険の日々を送ろう! 婚約破棄された後、すぐ帝都を出られるように、リアは旅の支度をし、舞踏会に向かった。 だが、その夜、前世と異なる出来事が起きて──!? 悪役令嬢、溺愛物語。 ☆本編完結しました。ありがとうございました。番外編等、不定期更新です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

旦那様は大変忙しいお方なのです

あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。 しかし、その当人が結婚式に現れません。 侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」 呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。 相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。 我慢の限界が――来ました。 そちらがその気ならこちらにも考えがあります。 さあ。腕が鳴りますよ! ※視点がころころ変わります。 ※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

処理中です...