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「挨拶が遅れてしまったわね。わたくしフィリアというの、よろしくね。本当に若い頃から『賢者の瞳』の大ファンなのよ」

「勿体ないお言葉です。これからもご愛顧いただけるよう、誠心誠意努めてまいります」

「あら、そんなに固くならないでちょうだい。まさかこんなに素敵な方が代表だなんて驚いたわ。でもさすが、とても綺麗なお肌! ああ、もちろん肌だけじゃなくて瞳も髪も、何を取っても魅力的な方だわ」

「恐縮です」

 出会い頭に何から何まで褒められてはさすがに戸惑う。さて何と言ったものか、考え込めば軽快な足音が響く。どう考えても彼らのものではないだろう。逆に彼らだとしたら驚きだ。

「お母様ー! ねえ、お母様!」

 ノックも無しにドアが開く。同時に顔を出した少女はメレの顔を見るなりしまったという表情で固まった。

「こらカティナ、お客様の前ではしたない!」

 おっとりとした印象のフィリアだが、しっかりと口調を強め娘を窘めた。

「あの、ごめんなさい。来客中だと思わなくて……」

 申し訳なさそうにフィリアに謝り、少女はメレに向き直る。

「初めまして、カティナ・イヴァンです。失礼をお詫びさせてください」

 少々お転婆ではあるが令嬢としての意識を持ち併せている。改めてメレは二人を前に良い家族だと思った。本当に、あの男のような息子がいることさえ除けば。

「気になさらないでください。約束も取り付けずに訪問したのはわたくしです。急ぎの案件がおありでしたら、お暇しますので遠慮なさらずに」

 顧客の意見を聞ける機会ではあるが、それをはるかに上回るほどにはイヴァン家から退散したいと思っているところだ。

「カティナ、この方は『賢者の瞳』のオーナーで、メレディアナ・ブラン様よ」

 さらりとメレの情報がもたらされカティナの目の色が変わる。

「わ、私、ファンです!」

 兄と同じ色の瞳だ。けれど彼と違って無邪気という印象を受ける。フィリアとは違うのでおそらく父譲りなのだろう。髪の色はフィリアと同じ金色で、大きくつぶらな瞳にレースがふんだんにあしらわれたドレス。緩く後ろで髪を結んでいるピンクのリボンは見るからに十代前半か。
 なるほど若い世代にも評判は良好――そっと脳内メモに書き留めた。

「どうか今後ともご愛顧のほど、よろしくお願い致します」

 無難な微笑を浮かべ、メレは優しく声をかけておいた。
「そうだ! 良ければメレディアナ様も召し上がってくださいませんか?」

 どうしてそうなったのか、まるっきり脈絡のない返しに戸惑った。

「私お菓子作りが趣味なんです。ねえお母様、お兄様を見なかった?」

「オルフェなら席を外しているわよ」

 それを聞くなりカティナはムッと頬を膨らませた。

「もう! 久しぶりに私の作ったケーキが食べたいなんて言うからせっかく作ってあげたのよ。それなのにどこかへフラフラと行ってしまうなんて、冷めてしまうわ! だから食べ手を探しているんです」

「カティナ、いきなり失礼よ」

「いえ、構いません」

 あれほど警戒していたはずが自分でも驚くほどすんなり了承していた。 
 断れなかったのだ。目の前でキラキラと瞳を輝かせる少女相手には。

「やった! ありがとうございます!」

 飛び上がらんばかりに全身で喜びを表現する。
 どこで見ていたのか、なんてタイミングのいいことにオルフェがケーキを運んできた。生クリームでコーティングされたケーキには小ぶりの苺がたっぷり飾られている。

「……ありがとうございます」

 カティナの歓喜に対して、メレは引きつった棒読みである。

(まさか妹を使って毒殺を企てたりしないでしょうね?)

 そんな意図を込めて視線を送れば「なんなら毒見しましょうか」と耳打ちされた。
 メレの杞憂など知りもしないフィリアは既に食べ始めている。

「カティナったら、また腕を上げたわね。とても美味しいわ」

「やった! お母様、ありがとう」

 冷静に考えてみれば母親も食べるつもりでいたのだ。毒が入っているわけもない。普通に美味しいケーキだった。

「わたくしも美味しくいただいております」

 けれどカティナは浮かない顔をしている。

「でも私、もっと上手くなりたくて……」

「僭越ながら、もっと空気を入れるように混ぜたほうがよろしいのではありませんか?」

 クリームで誤魔化されてはいるがスポンジの膨らみが足りないように思う。そう考えて自然と言葉を発していたのだ。
 メレの発言に驚いたのか、親子揃って目が丸くなっている。やがて立ち直ったカティナは嬉々として叫んだ。

「メレディアナ様、博識なのですね!」

「いえ、それほどのことでは……。わたくしも嗜む程度ですが作ることがありますので」

「まあ! 他には、他に直すところはありますか!? 遠慮なくおっしゃってください。ああ、なんて頼もしいのかしら!」

 メレが親身になって答えれば、親子は真剣に聞き入ってくれた。
 彼女たちとの会話に裏は感じられず、おかげでメレはついうっかり楽しい一時を過ごしてしまったのである。
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