銀鎖

松本尚生

文字の大きさ
上 下
11 / 43
二、秋の終わり、そして、冬

2-3

しおりを挟む
「遼一、お父さんがね、今日は母屋へご飯食べに来なさいって」

 ある日、遼一が離れの玄関を開けるなり、母はそう遼一に声を掛けた。遼一の戻るのを待ち構えていたようだった。

 遼一はうんざりした。今更家族ゲームなんて、面倒この上ない。

 お屋敷へ来てから、毎週末の夜は、家族揃ってのディナーと決められた。サークル活動か何活動か、忙しい純香はいつも姿を現さなかった。

 週末だけでも面倒なのに、今日は一体何だろう。

「遼一! 聞こえたの?」
「……聞こえてるよ」

 遼一は母のいる居間には顔も出さず、自分の居室にあてがわれた階上の部屋へ重い鞄を引きずった。背後で「聞こえてるなら、返事くらいしなさいよ」と不満そうな母の声がした。

 離れの二階は遼一が使っている部屋と、広い納戸になっていた。遼一がここの生活で唯一気に入っているのが、居室にトイレとシャワーがあるところ。広い湯船に浸かって手足を伸ばしたいとさえ思わなければ至便だ。食事どき以外母の顔を見なくて済む。

 遼一は特段母を嫌ってはいなかったが、屋敷に乗り込んでからの母の張り切りぶりには嫌気がさしていた。

 いつになったら落ち着くのだろう。先妻のいなくなったこの屋敷に我が物顔で居座る限り、あのハイテンションは続くかもしれない。

 先妻さんが亡くなってまだ数ヶ月。今は離れ住まいに甘んじているが、1年もすればあの母のことだ、母屋に乗り込んでいくだろう。

 先妻さんに同情して何かと冷たいお手伝いさんたちも、ひとり替わりふたり替わりして、何年かすれば母の思うままになる。

 遼一は身震いした。とっととこの家から脱出しよう。二階の居室の快適さにほだされてはならない。

 遼一はそのときはっとした。もしこの屋敷が母の天下になったら。

 純香はどうなってしまうのだろう。

 父がついている限り、母が純香をいびることはないだろう。だが先妻憎しで多少の意地悪はしかねない。

 そんなことになったら、純香は今以上にこの家にいづらくなる。

 先日公園のベンチで見た純香の姿を思い出した。

 何を思っていたのか、コートのポケットに手を入れて、ただ無表情に池を眺めていた純香。

 存在感の薄いような、淋しげな姿だった。

 自分がいなくなったあと、彼女と、母がここに残るのか。

 純香も短大を卒業する。遼一は思い直した。

 ここに残って母と屋敷の覇権争いをするも、就職してここを出ていくも純香の自由だ。そうなったら、あの姉はきっと出ていく方を選ぶだろう。

 進学を機にこの街から脱出した遼一が、彼女と顔を合わせる機会は、もうずっとなくなるに違いない。

「遼一! 着替えたの? お父さん待ってるわよ」

 遼一の物思いを母の催促が遮った。遼一はうんざりして怒鳴り返した。

「今行くよ!」

 離れから母屋へ向かうだけなのに、その十数メートルのために靴を選ぶ母にイライラしながら、遼一は離れのドアを開けた。

 離れの玄関から目と鼻の先に母屋の勝手口がある。そこまでならつっかけでだって充分なのに、母は絶対に勝手口からは出入りしない。寒い中遠回りして、お手伝いさんが出迎える正面玄関から出入りする。

「家族なら勝手口から自由に出入りするもんじゃないの?」

 遼一はわざとそう母に聞いてみた。母の返事は、「離れにいるうちは『お客さま』よ」だった。

「家族」扱いされていない今、勝手口から出入りするのはご用聞きと同じ。父の世話係として召使いと同列になってしまうという訳だ。

 聞けばなるほどという気もした。そんなことまで用意周到に考える愛人稼業の怪しさに恐れ入った。

「今晩は純香ちゃんもいるんだって」

 母は遼一に目配せした。ガサツな男の自分には、母が何を伝えんとしているか想像もつかない。理解するのを放棄した。

 そうか。だから週末でもないのに、夕食に呼んでくれたんだ。いつもボイコットする純香が、何の心境の変化だろう。

 父は珍しく上機嫌だった。遼一と母が食堂に入ると、父はすでにワイングラスを空けていて、純香の前には陶器のカップが置かれていた。

 彼らが席に着くと、お手伝いさんたちが急いで純香のカップを下げ、テーブルに食器を並べ始めた。

 食事が始まっても純香はいつもながら無表情で、ほとんど言葉を発しなかった。遼一たちをにらみつけたりもしなかった。にらみつけるどころか、食事の間純香はずっと下を向いていた。

 遼一と目が合うことは一度もなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

ご飯中トイレに行ってはいけないと厳しく躾けられた中学生

こじらせた処女
BL
 志之(しの)は小さい頃、同じ園の友達の家でお漏らしをしてしまった。その出来事をきっかけに元々神経質な母の教育が常軌を逸して厳しくなってしまった。  特に、トイレに関するルールの中に、「ご飯中はトイレに行ってはいけない」というものがあった。端から見るとその異常さにはすぐに気づくのだが、その教育を半ば洗脳のような形で受けていた志之は、その異常さには気づかないまま、中学生になってしまった。  そんなある日、母方の祖母が病気をしてしまい、母は介護に向かわなくてはならなくなってしまう。父は単身赴任でおらず、その間未成年1人にするのは良くない。そう思った母親は就活も済ませ、暇になった大学生の兄、志貴(しき)を下宿先から呼び戻し、一緒に同居させる運びとなった。 志貴は高校生の時から寮生活を送っていたため、志之と兄弟関係にありながらも、長く一緒には居ない。そのため、2人の間にはどこかよそよそしさがあった。 同居生活が始まった、とある夕食中、志之はトイレを済ませるのを忘れたことに気がついて…?

その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました

海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。 しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。 偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。 御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。 これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。 【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】 【続編も8/17完結しました。】 「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785 ↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。

おいしいじかん

ストロングベリー
BL
愛重めの外国人バーテンダーと、IT系サラリーマンが織りなす甘くて優しい恋物語です。美味しい料理もいくつか登場します。しっとりしたBLが読みたい方に刺されば幸いです。

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

成り行き番の溺愛生活

アオ
BL
タイトルそのままです 成り行きで番になってしまったら溺愛生活が待っていたというありきたりな話です 始めて投稿するので変なところが多々あると思いますがそこは勘弁してください オメガバースで独自の設定があるかもです 27歳×16歳のカップルです この小説の世界では法律上大丈夫です  オメガバの世界だからね それでもよければ読んでくださるとうれしいです

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

処理中です...