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6、俺の知らない、上司の夜

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「年末年始、沖縄行かない?」
 唐突に、行人は言った。
 翔太は答えた。
「俺、沖縄って、行ったことないっす」
「俺もね、ずっと昔、家族で行ったきり。じゃ、決まりね」
 行人はそう言って笑った。
 翔太は南向きの窓際で、行人の車が来るのを待っていた。ふたりでどこか出かけるのは久しぶり。夏の旭川以来だった。
 行人はしばらく国道を走らせて、翔太の好きな肉の食える店へ車を入れた。今日の行人は、革のライダーズジャケットに下はビンテージっぽいデニム。洗いっぱなしの髪に赤い縁のメガネはいつもの休日だ。
 注文の品が来るのを待つ間に、行人は年末年始休暇の話題を持ち出したのだった。
「去年は近場の温泉に行ったね」
「個室露天風呂、楽しみにしてたんですけど、寒くてのんびり入ってられませんでした。あれは冬に行くところじゃありませんね」
「だから次はさ」
「暖かいところ、ですね」
 人気の行楽地では、宿がすぐ埋まってしまう。沖縄なら、早く決めて予約をしておかないと。
「ボーナスも出ますしね。てか、今年どのくらい出るんだろ」
 貧乏暮らしの長い翔太は、まず金の算段が先に来る。
「ボーナスね。査定、もう課長に出したよ」
 行人はテーブルに肘をついてのんびり言った。翔太は勢い込んで行人の手首をつかんだ。
「俺の評価は? 俺のこと、何てつけました?」
 行人はにっこり笑ってこう答えた。
「それは勤務時間内に話すよ。俺、休みに仕事はしないから」
 翔太はがっくりと「ですよねー」とうなだれた。
「何、ショウちゃん。心配なの」
 翔太はコップの水をひと口飲んだ。
「そりゃそうですよ」
「大丈夫。心配要らないよ。この俺が大事に大事に二年半育ててきたんだから。もう独り立ちしても、大丈夫」
 行人は目を伏せて優しく笑った。長い睫毛が揺れた。
「ユキさん……」
 独り立ちなんて。ずっと行人の下で厳しく小言を言われたり、ミスを叱責されたりしていたい。行人の愛情表現が、翔太は大好きだった。会社員である以上、いつかは行人の、今の上司の手から離れる日が来る。
 帰りには、ふたりでショッピングモールで服を買った。沖縄で着る水着と、ビーチサンダル。それから翔太は、行人にアドバイスしてもらって、私服を数着。行人も何か買っていたようだった。買いもの袋を提げてモール内を歩いていると、旅行代理店がテナントで入っていた。行人はさっそく沖縄旅行のパンフレットを数枚ピックアップした。
 再び車を走らせた。のどが乾いてきた。天気の好い日は、日差しで車内の温度が上がる。ふたりは国道沿いのカフェに入った。
 陽当たりのよい窓際のテーブルは、夏は暑いだろうが、この時期なら暖かくて丁度いい。行人はさっきピックアップしてきたパンフレットを取り出した。行人はマップが印刷された部分を開いて、沖縄の観光スポットを指でたどった。
「ほら、ショウちゃん、どこへ行ってみたい? お正月だから、お休みのところも多いかなあ」
 翔太は行人の手許をのぞき込んだが、初めてのところでもあり、よく分からなかった。
「うーん。俺、あくせく観光ポイントを回って歩くより、海辺でのんびりしてたいです」
 翔太がそう言うと、行人も嬉しそうに笑った。
「俺も」
 ふたりで向かい合ってパンフレットをのぞき込んでいると、ときおり髪が触れ合う。ひと目が気になって、翔太は離れなければと思うが、磁石のように離れがたい。
「宿なんだけど」
「はい」
「男ふたりで泊まるって言っても、特に驚かれないとこがあるらしいよ」
「へえ、そうなんですか」
「うん。普通のリゾートホテルでさ、口コミで『自然に受け付けてくれる』って広まって、結構評判がいいんだ」
 どこで聞いてくるのか、大した情報網だ。地方で随一の都会で育って、バンドをやっていたりして、行人はきっとモテたろう。翔太の前にも付き合ったひとが複数いたのは間違いない。もしかして、今も誰か、ときおり会って遊ぶくらいの誰かがいても。
 翔太が黙り込んだのを見て、行人はパンフレットを片付けた。
「ま、いろいろ検討して、もっとよさそうなところがなければ、って話」
 行人はカップを手に、外を眺めた。黄色く色付いた葉が風に舞って、日の光にキラキラ光る。秋の景色。それを眺めるメガネの行人。どちらも美しい光景だ。
 翔太は恐る恐る口を開いた。
「昨日の夜、どこへ行ったんですか?」
 不審がられないようなるべく平坦な口調を心がけたが、うまくいっているかどうか翔太には分からない。
「ああ、取引先とね。半分営業みたいなモンだったよ」
 行人は眩しさに目を細めてそう答えた。
「ユキさん、今年も受注高、大きいですもんね」
 翔太の聞きたいことを話させるには、どう持っていけばいいのだろう。
「今年は『Pro'sキッチン』があるからね。売れるものがあるときの数字は、作りやすいよ」
「そうっすね」
 ――撃沈。

 車に戻って翔太は言った。
「今日は?」
 行人はハンドルを握って、前を見たまま声だけで返事をした。
「んー?」
「今日こそは、『先約』なんてナシですよ。一緒にいて……くれますよね」
 行人は返事をしない。
 しないどころか、むっつり黙ったまま翔太の方を振り向きもしない。
 もう、このひとは、翔太に前ほど夢中じゃないのかもしれない。翔太が悲しくそう思ったとき。
「ショウちゃん! もう、運転中は止めてよね! 危ないでしょ」
 行人は語気も荒く翔太を叱りつけた。翔太は訳が分からない。
「え……何を」
「まだ自覚ないのか、このガキは!? 可愛すぎるって言ってんの! あんなカワイイこと言っといて、ポカンとしてるって何だよ。くっそー、カワイイな!」
「ユキ……さん?」
「俺、心臓丈夫だからいいけどさ。もし心臓弱かったら、俺、もう百遍くらい死んでるからね。全部、ぜーんぶ、ショウちゃんのせいだからね!」
 そんなことを言われても。
 ……少なくとも、行人は翔太のことをまだ好きでいてくれることは分かった。
 翔太の胸がじんわりと熱くなった。
「……ごめん……なさい」
 下を向いて翔太は謝った。行人はまた押し黙ってハンドルを切った。
 大きな公園の縁の道を少し入って、行人は車を急に止めた。
「ユキさん?」
 エンジンを切って、行人はがばと翔太を抱きしめた。
「ユ、ユキさん? 何? どうしたの」
 行人は怒ったように唸った。
「だから、カワイイんだって」
「ユキさん……」
「禁欲生活一週間の俺に、脳天をかち割るような攻撃をしたぞ、ショウちゃんは、今!」
「ええーーっ?」
 行人はうめくように言った。
「責任……取って」
 翔太は困った。
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