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2、はい、俺、営業向いてません!
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「係長って、社長のご親戚だったりするんですか?」
「へ? 違うよ。大体この会社もうからないから、社長の親戚連中、誰ひとりとして加わりたがらないもん」
(へー。そうなんだ……)
「もうからないんですね……」
「ああ、うん。だからそこから変えないとさ。って! 仕事の話はもう止め! せっかくのご飯がまずくなっちゃう」
行人は翔太の手からメニューを受け取った。
「加藤くん、何か食べたいものはあった?」
「いえ、俺、こういう店初めてなんで、メニュー見てもよく分からなくて」
行人はまた手を止め、しばらくじっと下を向いた。
(何なんだよ。黙祷か)
今日が最後かと思うと、翔太はいつもの引っ込み思案でいるのがもったいない気がしてきた。いつも自分を押しとどめているブレーキを解除してみようか。
「あ、でも、係長。俺、これ食べてみたいです」
「ん? どれ?」
行人はメニューを翔太の方に向けて傾けた。
「この、杭州風豚の角煮ってヤツ」
「ああ。東坡肉ね。OK。じゃ、これ頼もう。他には?」
「あとはとくに」
「じゃ、俺が適当に頼んじゃうね。飲みものは?」
仕事でと同じように、行人はテキパキと注文を済ませる。行人のセンスは信頼できる。バランスよく、おいしいものを、味にメリハリを利かせて、最高においしい組み合わせを選んでいく。
(このひとと一緒にいれば、こんな風に、いい感じに選んだ最適な組み合わせを楽しめるんだろうな。食べものも、生活も)
翔太は思った。
では、行人は普段、どんな生活をしているのだろうか。
行人は晩飯に翔太を誘って、いろいろ自分のことを話してくれたが、どれも記憶の中の昔話だった。今現在、行人がどんな生活をしているのか、翔太は全く知らない。住んでいる街は、原田との会話からわずかにうかがい知ることができたが、どんな家で、誰と住んでいるのか、家族とか、ひとり暮らしなのか、誰かと同棲でもしているのか。
翔太はハッとした。こんなカッコよくて、よく気の付くひとが、ひとりだなんてあり得ない。放っておかないだろう、女のひとが。そしてもしかして、それ以外も。
(まあ、社長には、もててるよね、このひとは)
まさか、社長が。
翔太は首を振った。今日はとかく悪い方へと考えが転がる。
「加藤くん、どうした?」
「いえ、なんでも」
翔太は愛想笑いをしてごまかした。
行人が頼むというので、お茶と一緒に、紹興酒を頼んでみた。澄んだ茶色い液体の入った小さなグラスで、ふたりは乾杯した。
「お疲れー」
「お疲れさまです」
紹興酒は意外においしかった。翔太はずっと酒は飲まずにきたが、飲まず嫌いだったのかもしれない。
「本式の乾杯は、小さなグラスで、注がれた酒を一気に飲みきって、文字通り『杯を干す』ところまでなんだよ」
「わあ、そりゃ大変そうですね」
「だね。だから中国で営業成績を上げるには、お酒が飲めないとダメだって。俺たちは日本に生まれてラッキーだったな」
行人はそう言って笑った。
(あれ? 俺が営業に向いてないって結論に、なる? この文脈で)
翔太は首をかしげた。が、今日こそは係長の重責からこのひとを解放してあげないといけない。翔太は覚悟を決めていた。
料理が運ばれてきた。スパイシーな香りが鼻腔と胃袋を刺激する。
頼んだ皿にひと通り箸をつけた頃、翔太は勇気を出して口を開いた。
「係長。俺に何か話があるんですよね」
膝の上で握った拳が震える。行人も食べるのを止め、翔太の方を真っ直ぐに見た。
「加藤くん……」
「係長がこの間から、俺をメシに誘ってくれたのも、何か大事なことを話そうとしてなんでしょ」
行人は唇を引き締めた。やはり翔太の推測は当たっていたようだ。
「お願いします。言ってください。俺、何を言われても平気なんで」
嘘だ。平気じゃない。でも、このひとはそうでも言ってやらないと、いつまでも言いたいことを翔太に言えない。
会社を辞めたら、もうこのひとに会うことはない。このキレイな顔や、細い指を見ることはない。翔太の好きな声を聞くことも。涙が出そうになった。翔太の鼻の奥がつんと痛んだ、そのとき。
行人は、深い息をゆっくりと吐いた。呼吸を整えたあと、ゆっくり言った。
「加藤くん。俺、マイノリティなんだ」
え?
「気付かれてたかな。俺、そんなに隠してなかったし。そしてね、もしかして、加藤くんもそうじゃないかと思って」
退職勧告じゃないの?
(係長……? 何を……)
黙ったままの翔太をチラと見て、行人は再び口を開いた。
「何のことか分からなかったり、これ以上続きは聞きたくないと思ったら、ここで席を立って欲しい。もう俺は二度とこの話題を持ち出さない」
え……。それって。それって……
翔太の拳が小刻みに震えた。もしかして、自分はとんでもなく見当違いの覚悟をしていたのだろうか。
しばらく待って、行人は再び大きく息を吐いた。彼は彼で大いに緊張しているようだ。
「立ち上がらないね。じゃあ、続けるよ。加藤くんが毎日可愛くて可愛くて、俺、どうしていいか分からない。でも、職場でそんな気持ち出せないから、ムリに押し隠そうとしてきみに冷たく当たってしまう。余計に厳しくしたり、視線を合わせられなかったり。そんなことしても、きみに嫌われるだけなのに。でも俺、他にどうしようもなくて」
(「可愛い」? 俺が?)
翔太は信じられない。自分の容姿は、そんな表現とは無縁なレベルで、だから。
「へ? 違うよ。大体この会社もうからないから、社長の親戚連中、誰ひとりとして加わりたがらないもん」
(へー。そうなんだ……)
「もうからないんですね……」
「ああ、うん。だからそこから変えないとさ。って! 仕事の話はもう止め! せっかくのご飯がまずくなっちゃう」
行人は翔太の手からメニューを受け取った。
「加藤くん、何か食べたいものはあった?」
「いえ、俺、こういう店初めてなんで、メニュー見てもよく分からなくて」
行人はまた手を止め、しばらくじっと下を向いた。
(何なんだよ。黙祷か)
今日が最後かと思うと、翔太はいつもの引っ込み思案でいるのがもったいない気がしてきた。いつも自分を押しとどめているブレーキを解除してみようか。
「あ、でも、係長。俺、これ食べてみたいです」
「ん? どれ?」
行人はメニューを翔太の方に向けて傾けた。
「この、杭州風豚の角煮ってヤツ」
「ああ。東坡肉ね。OK。じゃ、これ頼もう。他には?」
「あとはとくに」
「じゃ、俺が適当に頼んじゃうね。飲みものは?」
仕事でと同じように、行人はテキパキと注文を済ませる。行人のセンスは信頼できる。バランスよく、おいしいものを、味にメリハリを利かせて、最高においしい組み合わせを選んでいく。
(このひとと一緒にいれば、こんな風に、いい感じに選んだ最適な組み合わせを楽しめるんだろうな。食べものも、生活も)
翔太は思った。
では、行人は普段、どんな生活をしているのだろうか。
行人は晩飯に翔太を誘って、いろいろ自分のことを話してくれたが、どれも記憶の中の昔話だった。今現在、行人がどんな生活をしているのか、翔太は全く知らない。住んでいる街は、原田との会話からわずかにうかがい知ることができたが、どんな家で、誰と住んでいるのか、家族とか、ひとり暮らしなのか、誰かと同棲でもしているのか。
翔太はハッとした。こんなカッコよくて、よく気の付くひとが、ひとりだなんてあり得ない。放っておかないだろう、女のひとが。そしてもしかして、それ以外も。
(まあ、社長には、もててるよね、このひとは)
まさか、社長が。
翔太は首を振った。今日はとかく悪い方へと考えが転がる。
「加藤くん、どうした?」
「いえ、なんでも」
翔太は愛想笑いをしてごまかした。
行人が頼むというので、お茶と一緒に、紹興酒を頼んでみた。澄んだ茶色い液体の入った小さなグラスで、ふたりは乾杯した。
「お疲れー」
「お疲れさまです」
紹興酒は意外においしかった。翔太はずっと酒は飲まずにきたが、飲まず嫌いだったのかもしれない。
「本式の乾杯は、小さなグラスで、注がれた酒を一気に飲みきって、文字通り『杯を干す』ところまでなんだよ」
「わあ、そりゃ大変そうですね」
「だね。だから中国で営業成績を上げるには、お酒が飲めないとダメだって。俺たちは日本に生まれてラッキーだったな」
行人はそう言って笑った。
(あれ? 俺が営業に向いてないって結論に、なる? この文脈で)
翔太は首をかしげた。が、今日こそは係長の重責からこのひとを解放してあげないといけない。翔太は覚悟を決めていた。
料理が運ばれてきた。スパイシーな香りが鼻腔と胃袋を刺激する。
頼んだ皿にひと通り箸をつけた頃、翔太は勇気を出して口を開いた。
「係長。俺に何か話があるんですよね」
膝の上で握った拳が震える。行人も食べるのを止め、翔太の方を真っ直ぐに見た。
「加藤くん……」
「係長がこの間から、俺をメシに誘ってくれたのも、何か大事なことを話そうとしてなんでしょ」
行人は唇を引き締めた。やはり翔太の推測は当たっていたようだ。
「お願いします。言ってください。俺、何を言われても平気なんで」
嘘だ。平気じゃない。でも、このひとはそうでも言ってやらないと、いつまでも言いたいことを翔太に言えない。
会社を辞めたら、もうこのひとに会うことはない。このキレイな顔や、細い指を見ることはない。翔太の好きな声を聞くことも。涙が出そうになった。翔太の鼻の奥がつんと痛んだ、そのとき。
行人は、深い息をゆっくりと吐いた。呼吸を整えたあと、ゆっくり言った。
「加藤くん。俺、マイノリティなんだ」
え?
「気付かれてたかな。俺、そんなに隠してなかったし。そしてね、もしかして、加藤くんもそうじゃないかと思って」
退職勧告じゃないの?
(係長……? 何を……)
黙ったままの翔太をチラと見て、行人は再び口を開いた。
「何のことか分からなかったり、これ以上続きは聞きたくないと思ったら、ここで席を立って欲しい。もう俺は二度とこの話題を持ち出さない」
え……。それって。それって……
翔太の拳が小刻みに震えた。もしかして、自分はとんでもなく見当違いの覚悟をしていたのだろうか。
しばらく待って、行人は再び大きく息を吐いた。彼は彼で大いに緊張しているようだ。
「立ち上がらないね。じゃあ、続けるよ。加藤くんが毎日可愛くて可愛くて、俺、どうしていいか分からない。でも、職場でそんな気持ち出せないから、ムリに押し隠そうとしてきみに冷たく当たってしまう。余計に厳しくしたり、視線を合わせられなかったり。そんなことしても、きみに嫌われるだけなのに。でも俺、他にどうしようもなくて」
(「可愛い」? 俺が?)
翔太は信じられない。自分の容姿は、そんな表現とは無縁なレベルで、だから。
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