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第七十話【賞賛】後

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 人に感謝するというのは簡単な行為のようで、案外難しい行為なのかもしれない。
幼い頃は当たり前のように口にしていた“ありがとう”も大人になるにつれて口から出にくくなり、“どうも”の言葉だけで終わらせようとしていた。
 それは冬真だけでなく、多くの人に言えることで別段珍しいことではない。中には感謝の言葉を忌み嫌うように頑なに口にしない人も居る。
 そう考えれば、冬真は口にしてきた方だと思う。それはひとえに、伯父が当たり前のように口にし、それを翼が喜んでいたからだろう。
 感謝をすれば好きな人が喜んでくれる。そう昔からインプットされていたのだ。
 更に、王華学校でもSubに感謝することを大事なことと教えられ、結果的に力也がオーバーだというほどになった。
 よくケアの時にだけ感謝をしたり、褒めるDomが居るが、彼らからすれば冬真は簡単に感謝を口にしすぎなのだと言うだろう。
 だが、だからといって何が悪いというのだろう。確かに、力也に言っても流されてしまうことが多いし、言い過ぎだと言われたこともある。
 でも感謝されて不快に感じているわけではなく、多くは照れているだけらしい。
照れている力也は可愛いし、喜んでいる力也は愛らしい、感謝され自信を持った力也はかっこいいし、当たり前のように流す力也もかっこいい。
好きな人が喜んでくれて、その時しか見えない反応も見ることができるなんていいことずくめではないか。
なんと言っても感謝することはいくらでも思いつく、不満などとは比べものにならないほどに。

「うーん、やっぱ高いな」
「なにがですか?」

 撮影の合間に冬真は、スマホを片手に頭を抱えていた。最近時間の空いている時に、いい部屋がないかと思って探しているのだが、なかなかいい部屋が見つからない。

「引っ越しですか」
「はい、クレイムしたら一緒に住みたいなって考えてるんですけど、なかなか条件に合うとこがなくて」

 その説明に、冬真のマネージャーはスマホの条件を覗き込んだ。

「ああ、なるほどこれは難しそうですね。もう少し狭くてもいいんじゃないですか?」
「力也のトレーニング場所を確保したくて」
「二部屋あるなら、そこを使えばいいじゃないですか」
「そっちは力也の母さんが使うので」
「同居ですか」

 予想外の言葉に思わず聞き返してしまうが、あり得ない訳ではないと思い直した。

「なら広い方がいいですね。頑張って探してください」
「はい」

 どうやら力也の事務所とは違い、力を貸してくれる気はないらしい。このままでは、やはり力也が見つけてきそうだとため息をはいた。
 同居は母さんだけにしたいのだが。

「そういえば、聞きたかったんすけど。今回撮ったのって指定できるんすか?」
「指定とは?」
「いや、力也とカラオケに見に行こうって話になったんすけど、二人ともカラオケよくわかんなくて」
「ああ、そういうことなら、主にどんな曲に使われるか聞いておいた方がいいですよ。選ばれるのはランダムなので」
「聞いといてよかったです」

 PV指定できるのかと思っていったら大変な目に合うところだった。永遠に二人で探し続けるのも嫌なわけではないが、絶対時間がかかるし、力也は諦めなさそうだ。

「相手のご希望に添うようにするのって大変ですね」
「Domらしくない言葉ですが、その通りですね。面倒ですか?」
「全然、むしろ楽しいです」
「それはよかった」

 手間暇かけて、考えれば考えるほど、相手のことを考えられて楽しい気分になる。高くて手が出ない部屋を見るときも、つい暮らすときのことを考えてしまう。その所為でなかなか進まないが、自分の部屋を探していた時よりよほど楽しい。
 とりあえず、冬真の条件は力也のトレーニング場所が確保できて、防音性があり、母さんの分の部屋が確保でき、おいしい食べ物屋さんが近くにあり、スーパーも近くにある広めの部屋だ。バイクが置けるとこがあれば尚いい。そしてできれば曰くつきじゃないとこを・・・・・・頼みたい。

 撮影を終えた冬真は、今日映した映像を鞄に入れ、いつもの公園に向かった。
 カラオケで見ようと思ったのだが、それならコピーがあるからあげると言われたのだ。カラオケデートの口実がなくなるかと思ったが、力也の母が見たがるかもしれないと思い貰ってきた。

「内容失恋ものばっかりだけど大丈夫だよな」

 おそらく力也は気にはしないだろうが、力也の母はわからない、古傷に触れてしまったらどうしようかと悩みながら公園に着いた。
 ワクワクしながら、L●NEを開き、力也の名前を呼び出した。

 冬真が公園についた時より少し時は遡り、施設で力也は母相手に練習をしていた。

「母さん、冬真だよ。言える?」
「あー」
「と、う、ま」
「あ、あっ、あ」
「ダメか」

 預かった上着を手に、力也の母は声を出そうとしていた。しかし、昔は普通に話していたはずの彼女の口からは言葉がなかなか出てこない。

「やはりまだコマンドが聞いているのかも」
「コマンド?」
「例えばだけど、前の主人に話すななどのコマンドを言われて捨てられた場合、それがいつまでも解除されぬまま、サブドロップしてしまうと言葉を発することができなくなるんだよ」

 前の主人である力也の父は、母を保証人にして逃げた。自分の事について話されては困ると思い、最期の命令として言葉と行動の自由を奪ったのだろう。

「本来ならとっくに切れていてもいいんだけど、彼女の場合特に強く忠誠心が強かったんだろうね」
「そんな・・・・・・母さん、もういいんだよ。そんなの守らなくて」
「彼女の中ではまだ許しをもらえていないだろうね」

 もしそうならば、もう十年以上も母は主人からの許しを待ち続けていることになる。そんなことはあり得ないと普通ならば思うだろう、しかしそれがあり得るのがSubという生き物なのだ。

「どうにかならないんですか?」
「・・・・・・どうにか・・・・・・」

 力也の問いに、青木は上着を抱きしめたままの彼女の姿を見た。スピーカーから流れる冬真の声はいまだ流れ続けている。
 その彼女の表情をみて、青木は頷いた。

「賭けにでてみますか」

 それは本当に、何の確証もない大勝負だった。

 力也に連絡をしてから十分以上がたった。既読はついた物の、返事がない。

「青木先生忙しいのか?」

 仕事が忙しく、立ち会いができない可能性がある。

「もう一回送ってみるか」

 冬真はもう一度L●NEを開いた。忙しいだけならいいが、もし彼女の具合がよくないなら今日は諦めるしかないだろう。

「もしかして、俺の服がダメだったとか・・・・・・」

 グレアを染みこませすぎたか、力也を思って発したグレアが強すぎて拒否反応がでたのかもしれない。

「グレア合わなかったらどうしよう・・・・・・」

 力也に気に入られているなら母親にも大丈夫だと思っていたが、同じ人間ではないし、ランクもタイプも違う。どうしても合わない可能性もある。

「グレア合わない場合ってDomになれるんだっけか」

 学校で教えてもらったことを思い出そうとするが、グレアが合わなかった場合の対策方法など思い出せない。

「低ランクようのグレアならだせるけど・・・・・・」

 そもそも、服に染みこませたのだから効果はグレアも薄れている筈だし、青木が大丈夫だと判断したなら低ランクでも問題ない量の筈だ。
 それが合わないとなると根本的にダメと言うことになる。確かに力也の父親とは冬真は根本的に性質も性格も違う、グレアにもそれが現れるのだから合わない可能性はある。

「今更無理とか辛いんだけど」

 すっかり自分のSubにするつもりでいるのに、今更中止など耐えられる気がしない。

「グチグチ言ってても仕方ないよな」
【今日がダメそうなら、俺はまた今度でいい。待ってた方がいいなら待ってる】

 そうメッセージを入れれば、意外とすぐに力也からの連絡が来た。そこで待っていて欲しいという内容に息を吐く。
 これだけではどちらかもわからないが、とりあえず待っていればいいのだろう。
 
 そうして、更に十分以上待っていると、力也がこちらに向かって走ってくる姿が見えた。

「冬真!」
「力也・・・・・・っておい! なに走ってるんだ! まだ怪我治ってないだろ!」

 怪我をしているはずなのに、気にした様子もなく走ってきた力也に怒り慌てて、走り寄ろうとするがそれよりも力也の方が早かった。

「怒らない! 深呼吸!」

 心配して怒る冬真に、力也にそう言われ驚くもただならぬ様子に言われるままに深呼吸をする。

「吸って、吐いて、吸って、吐いて」

 言われるがまま、深呼吸を繰り返し、気分を落ち着けると力也は満足そうにうなずいた。

「よし、これなら大丈夫だろ」
「どうしたんだよ」
「とりあえず、落ち着いてこっち来てほしい」

 そう言われ、冬真が連れて行かれたのは人目につきにくい公園の隅の方だった。そこには一台のワゴン車が駐まっていた。

「青木先生連れてきました」
「冬真君、けして騒いではいけないよ。くれぐれも平常心で」
「わかりました」

 その時には、もう冬真はこれがどういうことかわかっていた。しかし、本当にそんなことがあるのだろうか? 期待と不安で高鳴る心音を止めようと、何度も息を吸い、大きく吐く。
 それでもなかなか落ち着かない。足が震え手が震える。
 そんな中、ワゴン車のドアが開いた。そして中から青木に連れられ一人の女性が降りてきた。

「小百合さん、冬真君ですよ。力也君のパートナーで、貴女が会いたいと思っていた人です」

 その言葉に、小百合の顔が上がり、冬真を捕らえた。

「小百合さん」

 冬真の姿を捕らえた小百合はゆっくりと青木の手を離れ、冬真の元へ向かおうとした。
ズルッ! しかし、その足はうまく歩けないのか、その場に倒れ込んでしまう。

「母さん!」
「小百合!」

 青木が動こうとする前に、走り出したのは力也と冬真だった。二人は小百合の前まで走り寄るとその場に膝をついた。

「大丈夫!?」
「怪我、怪我してない!?」

 心配そうに手を差し出す二人の姿を小百合はしっかりと見た。徐々にその瞳には縋るような瞳に変わり、ついには冬真だけを見つめた。
 助けて欲しい、そう訴える弱ったSub特有の瞳に、冬真は力也を手で遮った。

「大丈夫、任せろ」

 そう言うと、もう一度深呼吸をする。そして少しずつ乾いた土に水を注ぐようにゆっくりとグレアを発する。

「小百合、初めまして。俺が冬真だ、やっと会えて嬉しいよ」

 見上げる彼女の様子に、最大限気を配りながら、怯えていないのを確かめつづける。

「今日は貴女にお礼を言いたいと思っていたんだ。力也を産んで育ててくれてありがとう、貴女がいてくれたから俺は力也に会うことができた。本当に感謝している。この幸せな日々も、溢れるほどの幸福感も貴女がいてくれたからだ。本当にありがとう」
「冬真・・・・・・」
「それともう一つ、貴女にお礼を言いたい。小百合、生きてきてくれてありがとう。沢山沢山頑張って辛い思いをして、それでも生きてきてくれてこうして俺のとこまできてくれて本当に嬉しい。ありがとう」

 そっと手を伸ばす冬真の瞳からも、横で聞いている力也の瞳からも涙がこぼれる。

「母さん」

 よく見れば、小百合の瞳からもゆっくりと涙がこぼれ落ちた。

「本当によく頑張りました。Very Good Girl」【貴女はとても素晴らしい女性です】

 そう微笑み抱きしめた冬真から、優しい暖かいグレアが発せられ小百合の体を包み込む。彼女にとってはこんな優しいグレアは初めてだろう。泣きたいぐらいただ、ただ優しく親愛と感謝に溢れたそれは、彼女の中に押し入る訳ではなく、彼女を包みゆっくりと染みこんでいく。

「これからはご褒美の時間だよ。沢山沢山頑張った分よりも多く幸せにする。約束するよ」

 そう言うと、冬真は力也伸ばした片手で力也を引き寄せた。

「力也と俺と、一緒に生きて幸せになって欲しい。小百合、俺の物になってくれる?」
「母さん、また一緒に暮らそう? 俺また母さんと一緒に暮らしたい」

 そっと力也も小百合の背に触れれば、彼女は二人をじっとみた。

「おぅ、まぁ。いぃ、あ」

 ずっと言葉を発することのなかったその口が発したのは、間違いなく二人の名前だった。
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