Liebe

花月小鞠

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第二十七話「エリカ」

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ドアをノックする音で、エリーはハッとした。帰ってからどれほどの時間が経っていたのか、わからない。

「……いるか」

「は、はい」

声が掠れる。この部屋で目を覚ましたことを思い出してしまう。エリーは、扉をじっと見つめる。

「……すまない。アンナは帰った」

「え?」

「食事は出来ている。……一緒に、食べないか」

「……はい」

エリーは息を吐くようにして返事をした。扉の前から人の気配が消える。階段を下りる音がして、ウィリアムが去ったことを認識する。

暗い部屋の中、リヒトの輝きだけがエリーを照らしていた。相変わらず、心配そうな顔をしている。エリーはにっこりと微笑んで、部屋を出て行った。



「アンナさんはどうされたんですか?」

エリーは何事もなかったかのように尋ねる。

「……用事を思い出したらしい」

ウィリアムもまた、何事もなかったかのように答えた。食事の準備をして、アンナの作ったであろう夕食を二人で食べる。いつもより会話は少ない。

「おい」

「はい」

「すまないが、それを取ってくれないか」

「あ、これですか? どうぞ」

「ありがとう」

なんてことのない会話。

「あの、ウィリアムさん」

「なんだ」

「……」

黙り込むエリーに、ウィリアムは不思議そうな顔をする。しかしエリーはずっと気になっていたことがある。それは、ウィリアムが一度もエリーの名を呼んだことがないということだ。

「……いえ、あの、私、少し気分が悪いみたいで」

「大丈夫か」

「……ごめんなさい。部屋に戻りますね」

そう言ってエリーは早足で部屋に戻る。いつもより早い帰還に、リヒトは驚いたような顔でエリーを見る。

「……どうしよう」

エリーの手が震えている。リヒトはエリーを慰めるように、周りを飛び回る。エリーはおもむろに窓を開けた。

「……ちょっと、泉に行こうかな。どう? リヒト」

外はもうすっかり暗くなっている。普段なら、このような時間に外へ出ることはない。だから窓を開けたというのもあるだろう。玄関から出ていけば、ウィリアムに知られてしまう。リヒトは困ったような顔でエリーを見ている。

窓の縁に足を掛ける。リヒトは焦ったような顔をして、そして窓の外へ出た。エリーは息を吸って、そして窓から飛び降りる。同時にリヒトも力を入れるようにしてぎゅっとエリーに掴まる。すると、リヒトの光がエリーの身体を包み込むように広がった。エリーは、ふわりと地面に着地した。

「……リヒト、こんなこともできるの?」

驚いたように言うエリーに、リヒトは疲れたような笑みで頷いた。そしてもう飛んでいられないとでもいうように、エリーの頭に身を預けた。

「……ごめんね」

エリーは泉へと向かった。



泉に着くと、そこに妖精の姿はなく、静まり返っていた。思っていたよりも、ずっと暗い。泉に月が反射している程度の灯りだ。

気分を変えたくて泉にやってきたが、気分は沈む一方だ。落ち込んでいるエリーを、リヒトは頑張って慰めようとしている。その気持ちは十分に伝わっているが、エリーは今笑える自信がなかった。

ぼーっと泉を見つめる。ウィリアムはエリーが部屋にいないことに気が付いているだろうか。アンナとは何故あのような話をしていたのだろうか。ウィリアムには妹がいたのだろうか。そしてエリーは、その妹の代わりにされているのだろうか。


すると、突然視界が真っ暗になった。

「だーれだっ」

聞き覚えのある声がして、視界が復活する。隣に座って来たのは、シェルだ。

「……シェル」

「誰だ、はこっちの台詞だけどな。こんな時間にこんな場所で何やってんだよ」

シェルと目が合うと、エリーは顔を歪ませた。目に涙が溜まる。そんなエリーを見て、シェルは慌てたように目を白黒させる。

「お、おい。どうしたんだよ」

「……誰、なんでしょう。私」

「は?」

「本当に、誰なんでしょうね。私は」

「エリーだろ?」

「エリーって、誰ですか」

エリーの言葉に、シェルは困惑したように首を傾げた。

「何言ってんだよ。エリーはお前だろ」

「……シェル」

「なんだ?」

エリーは抱えていた想いを吐き出すように、少しずつ、声を出した。

「……ウィリアムさんには、妹がいるんですか?」

「妹?」

シェルは少し考えるようにして、そして思い出したように頷いた。

「そういえばいたな。オレ、あんま話したことねぇけど」

「私に似てますか?」

「んー、似てるかなぁ。顔は若干似てるかもな」

そしてシェルはハッとしたように言う。

「あ、名前は似てるな。確か、エリカだったっけ。ウィルの妹」

「……そうなんですか」

「親しい人はエリーって呼んでたみたいだな」

「……やっぱり。やっぱり、私」

エリーは震える手を抑えるようにして握る。

「妹の、代わり、なんでしょうか」

「ウィリアムがそう言ってたのか?」

「いえ……あの、アンナさんとウィリアムさんが言い合っているのを聞いてしまって……」

「あぁー」

シェルが唸って、笑った。

「そういえばアンナ、すげぇウィルの妹気に入ってたかも」

不安そうにシェルを見るエリー。シェルは笑って、エリーの頭をガシガシと撫でまわした。

「まぁそんな気にすんな。気になるようなら、アンナやウィルに直接聞いてみたらいいよ」

シェルはそう言って、エリーを真っ直ぐに見つめる。

「オレは、お前のこと誰かの代わりだなんて思ったことねぇ」

「……シェル」

「ウィリアムもそうだと思うぞ。代わりだとか、そんな器用なことできるタイプじゃねぇだろ」

そう言ってにかっと笑う。

「大事なんだろ? 信じてやれよ」

シェルの言葉に、エリーはふっと息を吐く。少しだけ、気持ちが楽になったような気がした。

「そう……ですね」

そう言って小さく微笑む。

「あの、シェル」

「なんだよ」

「……私、実は、ウィリアムさんにまだ一度も名前呼んでもらったことないんです」

「はぁ? そんなのオレだってねぇよ」

「え?」

「あいつそもそもそんな喋る方じゃねぇし、人の名前呼ぶこと自体がレアだろ。確率高いのはアンナとダニエルくらいじゃねぇか?」

そう言ってシェルは楽しそうに笑った。

「そんなことで不安に思ってんなら、呼んでもらえばいいだろ」

「そう、ですね」

そう言ってエリーも楽しそうに笑った。

「私、ちゃんとウィリアムさんとお話してみます」

「おー、そうしろ」

そう言ってシェルは立ち上がる。そしてエリーに向かって、手を伸ばした。

「送ってってやる。こんな時間だしな」

「いいんですか?」

「おー」

二人で泉を出て、静かな街を歩いていく。

「そういえば、どうしてこちらに?」

「親父のお使い。時間の概念とかねぇんだよ、親父」

「……大変ですね」

「まぁな」

街灯に照らされる道を、二人は楽しそうに話しながら進んでいった。
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