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プロローグ2

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 西暦2015年、とある都市の小さなライブハウスで、この国に住まう国民でさえも一握りしか知らない世界が展開されていた。
 ライブハウスのステージには露出度の高い派手な色の衣装を着た若い女性アイドルがひとり、狭い舞台を右から左に歌って踊りながら移動する。
 アイドルの下方で熱狂する大勢のファンたちもまた、彼女の引力に寄せられるように、手を振り上げつつ右へ左へ呼応する。
 今宵開催されている若手アイドル・伊藤小町いとうこまちのライブイベントは、いままさに、最高潮の盛り上がりに達していた。
 
「「「タイガッ! ファイアッ! サイバッ! ファイバッ! ダイバッ! バイパッ! ジャージャー!!」」」

 この国に住まう国民でさえも大半は理解不能な掛け声を発することで、ファン達は応援するアイドルのステージをさらに高みに導く。
 暑苦しいほどの熱意にステージ上のアイドルの気分も昂ぶり、ともに限界をも超えてしまおうとファンの心をさらに焚きつける。
 
「いっくよーっ!」
「「「しゃああぁッ!」」」
「わたしの名前はっ!」
「「「こまっちゃんッ!」」」
「目指す場所はっ!」
「「「日本一ッ!!」」」
「まだまだ低いぞっ!」
「「「世界一ッ!!!」」」
「いっちゃいますかっ!」
「「「宇宙一ッ!!!!!」」」
「みんなありがとーっ!」
「「「ふぉおおおおおおおぉぉぉ!!!!」」」

 この国に住まう国民の多くが静かに平穏に過ごす夜。都会の片隅にぽつんとある小さなライブハウスでは、世界のどこよりも熱く濃密な時間が流れていた。
 熱気は途中で冷めることもなく、大盛況のうちにライブイベントは幕を閉じた。
 今宵、アイドルやファンたち、スタッフも含める会場に集った者たち全員が、互いの結束がまた一段と強くなったことを実感した。

          *

 開演から終演まで盛り上がりっぱなしだったイベントも終わり、ファンたちは新たに刻まれた思い出に浸りながら笑顔で会場を去っていく。
 統制された動きで速やかに退場するファンたち。
 しかし、彼らと同じファンの一人でありながら、退場口ではなく関係者の控え室の前で待機している者がいた。
 天然パーマが特徴的な、目つきの悪い19歳の社会人・尾関和也おぜきかずや
 和也の手には一枚の紙が握られていた。興奮のあまり強く握りすぎてくしゃくしゃになっているが、それは“当選メール”を印刷した紙である。
 
 ――ありえんついてんぜ! 推しはじめてまだ半年だが、まさかこんな早く月一回の“お茶会”に当選するたぁな! くぅ~!
 
 控え室に続く扉は退場口から見える位置にある。和也は閉ざされた扉とは向き合わず、帰っていくファンたちの流れを、努めて無表情を装って眺めている。
 
 ――くっくっ、オタクどもめ。残念だが俺にとって今日のライブは前座に過ぎねぇ。確かに良いライブだった。ただなぁ、俺はこれからより上位の満足感を味わえるんだぜぇ? うらやましいだろぉなぁおい! 笑いがとまんねぇなぁおい!
 
 愉悦に浸る心情とは裏腹に、和也は地蔵のように硬い顔で帰宅するファンたちを見送っていた。
 和也の目に退場するファンたちの列の末尾が見えたとき、近くにいたスタッフが近寄ってきた。
 
「準備ができました。どうぞ、中にお入りください」
「わ、わかりました」

 さんざん心中で余裕をかましていた和也だが、どこか手の届かない世界の存在だと思っていた自分の推しアイドルと個室でお喋りできるとなれば、緊張せずにどっしり構えろというほうが無理な話である。
 普段は饒舌であっても、張り詰めて限界寸前の状態では返事の声もうわずるというものだ。
 そう。“お茶会”とは、伊藤小町の月一回の定例ライブ後に事前の抽選で当たった一名だけが招待される、伊藤小町と30分お喋りができるというスペシャルなイベントなのである。
 
 ――ついにこまっちゃんと……イトウ=コマチさんと、最前列以上の物理的距離感、心理的距離感で対面できるのか……!
 
 本来、愛称というのは距離感を埋めるために用いられるが、全員がそう呼んでは効果も薄れるというもの。
 ここはあえて正式名称で呼ぶことで逆に距離を縮めようという作戦を和也は思いつき、早速実践しようと考えた。
 ファンとアイドル。
 その関係で満足していると上辺では余裕をかましつつも、やはりどこかでコンマ数パーセントだとしても“期待”してしまうのが大多数のファンの心理である。
 和也もまた、そんなファンの一人であることを認めて、それでいて今回のチャンスで他のファンたちを出し抜くつもりでいた。
 
 ――イトウ=コマチさんと俺は住む世界が違う。同じ空気を吸っていても、互いに手の届かない世界にいる。だが、普段はそうかもしれねぇが、この扉の向こうはそうじゃねぇ。
 
 誰よりも尊敬して、誰よりも応援している伊藤小町との接近戦に挑む決意を固めて、和也は瞼を閉じてドアノブを回した。
 瞼を閉じたのは、不思議に思った伊藤小町に「どうしたんですか?」と訊いてもらうことで、最初の会話の糸口にしようという計算高い考えがあってのことだ。
 きっと強烈な印象を残すことができるだろう。二秒くらいで思いついた作戦だが、和也は自身は天才かもしれないと自画自賛した。
 
 ――しゃあッ! この先にある“異世界”を、俺の人生のターニングポイントにしちゃいますかぁ!
 
 伊藤小町と面と向かって会話できる世界を異世界と喩えた和也は、伊藤小町の満面のかわいらしい笑顔と伊藤小町のこれまでの活躍を思い出して、伊藤小町のことだけを考えながら、
 目の前にある扉を、ゆっくりとひらいた。
 
 
 確かにそれは、尾関和也の普遍的な人生のターニングポイントとなった。
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