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第2章 帝国騒乱 編

14.辺境貴族の矜持

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「・・・理由をお聞きしてもよろしいでしょうか」

 俺の返答を聞いたルクセリアは、取り乱すこともなく理由を訊ねてきた。

「私が提案した条件では不十分だったでしょうか? それとも・・・その、やはり私に不満が・・・」

「いや、それはない」

 俺はきっぱりと答えた。目の前の女神のごとき皇女との婚姻に不満などあるはずがない。

「正直に言おう。君の提案は本当に、ほんっとうに、魅力的だった。ランペルージ王国なんぞに義理も恩もないし、このまま流されちまえばよかったと心底、思っている」

「では・・・どうしてでしょう?」

 ルクセリアが真剣なまなざしで聞いてくる。俺もまた、まっすぐに彼女の瞳を見返した。

「王家への義理や恩、主君を裏切ることへの不名誉、帝国につくことで得ることができる利益。そんなものはどうでもいいんだよ。これは・・・国境を守ってきた辺境貴族としての矜持きょうじの問題だ」

「矜持・・・?」

 予想外の返答に、ルクセリアがまばたきを繰り返す。俺は頷いて、

「ランペルージ王国が建国してから五十年。それ以前の同盟時代を合わせておよそ百五十年。我がマクスウェル家はただの一度として、東方国境に敵を通したことはない。ただの一度もだ」

 俺は念を押すように繰り返す。
 東方国境を百五十年にわたって守り続けてきた。それはマクスウェル家の誇りだった。

「祖先が守り続けてきた東の大地を、敵に踏ませるわけにはいかない。一兵たりとも帝国兵を東方国境からは通さない」

「それは・・・忠義とは違うのでしょうか?」

「違うな。俺は王家のことなんてどうでもいいんだ。王家を守るためじゃない、国を護るためでもない。俺は祖先の誇りと、俺自身の矜持のために戦っている」

 それは、偽らざる本音であった。
 俺はいつの日か、ランペルージ王家を倒してマクスウェル家を独立させたいと考えている。しかし、そこに帝国の助力は必要ない。あくまでも、マクスウェル家の力で独立させなければ意味がない。

「つまらん意地と笑ってくれていいんだぜ? だが、いくら笑われたとしても、俺は決して自分の矜持を曲げはしない。どれだけ財を積まれても、どれだけいい女に口説かれても」

 俺は自嘲するように笑った。
 たとえ千の言葉を使って語ったとしても、きっと俺の考えは目の前の皇女には理解できないだろう。

「誇りを捨てた手で女を抱くなんて、できやしない。誇りを持ち続けなければ、男は男でいられないんだから」

「・・・・・・」

 俺の言葉に、ルクセリアはしばし黙り込む。
 しかし、俺を見つめる視線はぶれることはなく、まっすぐ見つめ続けてくる。

「・・・・・・」

 俺もまた視線を逸らすことはなく、まっすぐとルクセリアの瞳を見返した。

 二人が見つめ合う時間が、数十秒から数分続いた。
 やがて、沈黙に終わりが来た。先に口を開いたのはルクセリアだった。

「・・・申し訳ありません。考えてみたのですが、やはり私には貴方がおっしゃっていることが理解できませんでした」

「だろうな。俺も君の立場なら、理解できなかったと思うよ」

「しかし・・・貴方がゆるぎない意志を持って私の提案を拒んでいることは、理解できました。今日のところは、これでお暇させていただきます」

「悪いな。わざわざ帝国から来てくれたのに。良ければ、帝国あてに君に非がないことを文書にさせてもらうが?」

 俺は頭を下げて謝罪した。どんな形であれ、女に恥をかかせてしまったのだ。泥をかぶるのは男であるべきだ。
 ルクセリアは微笑み、首を振った。

「いいえ、大丈夫です。兄上には私のほうから説明しておきます」

「そうか」

「今回は残念な結果になってしまいましたが、別の機会がありましたら、貴方とはゆっくり話がしてみたいものです」

「俺もだよ。そのときは、最高級の茶葉で紅茶を淹れさせてもらおう」

 俺が提案すると、ルクセリアは口元を抑えて笑った。それは初めて見る、目の前の皇女の偽らざる笑顔だった。

「ふふふ、それは楽しみですね。それでは、失礼します・・・」

 ルクセリアは席から立って、スカートの端を両手でつまんで丁寧にお辞儀をする。俺もまた、立ち上がって頭を下げた。

 ルクセリアが部屋から出て行くのを見送り、扉が閉まったのを見計らってソファに座り込んだ。

「ふー・・・・・・」

「なかなかの英断だったと思うぞ。ディン」

 会談中、ずっと黙っていた親父が俺にねぎらいの言葉をかける。

「忠義よりも、利益よりも、国境守護を司る貴族としての誇りを選ぶ。辺境伯家の跡継ぎとして、ふさわしい選択だった。この結果として帝国とふたたび戦うことになったとしても、私はお前の選択を誇りに思うぞ!」

「・・・そんなことはいいんだよ」

「む?」

 俺がぼそりと答えると、親父は怪訝そうな顔をする。

 親父のねぎらいはありがたいが、正直言って、そんなものはどうでもいい。

「うが~~~~~~~~~! もったいなかった! もったいなかった、もったいなかったーーーーーーーー!!」

「んっ、ディンギル様・・・!?」

「おお!?」

 叫んで、俺はメイドのサクヤへと抱きついた。突然の行動に、サクヤと親父は驚きの声を上げる。

「あれは滅多にいない、いい女だった! もう誇りとかどうでもいいから、抱いておけばよかった!
 ああ~~~~~、あああああああ! なんだよ、先祖の誇りって! 男の矜持とかどうでもいいだろ!? 俺ってば何であんなこと言っちまったんだあああああああっ!!」

 俺の心の中は後悔でいっぱいだった。
 よくよく考えてみれば、こんなところで格好つける必要はなかった。

「いっそのこと、一回抱いてから提案を断るって手もあったな・・・」

「何を最低なことを言っとるんだ。お前は・・・」

 親父が呆れたように言った。俺はその言葉を聞き流して、サクヤの胸に顔を押しつける。

「ううううううう~~~~」

「よしよし、頑張りましたね。ディンギル様」

 サクヤがよしよしと、俺の頭を撫でる。
 細身で小柄なサクヤの胸はやや母性に乏しいが、それでも女の胸である。こうして顔を埋めていると、やはり落ち着く。

「ん・・・もう。悪戯をしてはいけませんよ」

「うう・・・・・・」

 サクヤの腰を抱いてメイド服越しに脚と尻を撫でまわす。無表情なサクヤがわずかに頬を染める。

「はあ・・・感心して損をしたぞ」

 親父がソファから腰を上げて、部屋から出て行く。部屋には俺とサクヤの二人きりになった。

「うう、サクヤ・・・お前にお願いがあるんだが・・・」

「はい、なんなりと。夜のお世話でしょうか?」

「それは・・・今夜はいい」

「え?」

 予想外の返答にサクヤが首を傾げる。女好きの俺のことだから、ベッドで慰めて欲しいというと思っていたのだろう。

「『鋼牙』の腕利きを何人か、それとシャナを連れて、ルクセリアが泊まっている宿を張っておいてくれ」

「はあ、それは構いませんが・・・理由をお聞きしても?」

 訪ねてくるサクヤの声に、俺はメイド服の胸元から顔を上げて答える。

「護衛のためだ。俺の予想が正しければ、ルクセリアは今晩あたり殺されるから」
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