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第18話 新たな旅路
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気を失う前に呟いた言葉、ヒスイに聞こえたかな?ちゃんと届いたかな?
目が覚めたらもう一度伝えよう。
あなたを愛していると…
目が…覚めたら…大好きをたくさん伝えよう…
なんて、感傷的な気分に浸っていたのに…
「なんで!どうして私はここにいるの!?」
私はふわふわと漂いながら叫んだけれど、声は空にかき消されて辺りに溶けた。
「あら~、また来たの?」
「来たくて来たんじゃない!!」
「あら?あらあら?」
「なっなに?」
女神様は漂っている私に顔を近付けると困った表情で魂だけの私に触れた。
「劣化してる…」
「どういうことですか?」
「アンジュちゃん、ちょっと無茶しすぎたみたいねぇ。魂の劣化が始まってしまったわ」
……えっ?なに?魂の劣化って
すごく嫌な予感しかしない。
体はないけど、悪寒がして寒くてしょうがない。
「転生させても普通に生きていく分には問題ないはずだったんだけど…負荷が掛かりすぎたわね」
「…どうなるんですか?」
「もう、休まないと…」
「休むって!?」
……いや!!
「少し眠りなさい。次に目が覚める時は新しく生まれ変わっているから安心して?」
……そんな、の…
「そんな!嫌ですよ!!シャルトはまだ産まれたばかりで!!それに!!それに…」
……ヒスイに…まだちゃんと…
「泣かないで…アンジュちゃん。魂の劣化が早くなる」
無理に決まってる…泣くのを止められるわけがない。
悲しくて悔しくて…辛くて…
「もうお眠りなさい…次に目が覚める時は全部忘れているから…」
こんなのってない…勝手に転生させておいて…子供産めとか言って、これから…これからだったのに…まだ何も、ヒスイにしてあげてない。
……私はたくさんもらっていたのに…
どんどん眠くなっていく…意識が混濁していく。
考える事をやめたら私が消えてしまう。
分かっているのに抗えない。
ごめんなさいヒスイ…
もう一度廻り逢えたら…きっと…絶対に言うから。
ごめんねシャルト…
まだ一月半ほどのあなたを…もう抱いてあげられない…
女神なんか大嫌い…だけど…ヒスイと出会えたことは感謝してる。
……忘れたくない…眠りたくない、諦めたくない!!
ヒスイ…あなた…と…生きたかった…
私の意識はここて完全にシャットアウトされた。
女神様は私だった魂をそっと手に包み込むと、眠りに落ちた魂を導いた。
魂を失った私の体はヒスイの腕の中で眠ったように抱きしめられていた。
私が好きだった彼の翡翠色の瞳からは絶えず涙が流れている。
「すまないアンジュ…すまない」
なぜ自分はもっと彼女を労ることが出来なかったのだろう。
いつもそうだ、アンジュのことになると冷静でいられない。
俺を見てほしい…そう思うのに彼女を怯えさせてばかりで…
アンジュが俺だけに笑いかけてくれたことがあっただろうか?
もう一度笑顔が見たい…
「アンジュ…」
ヒスイが私の名前を呟いた時だった…魂を失った体はその役割を終えたとばかりに、光の粒子となって消えていく。
所詮は仮初めの体。
本来存在しないもの、女神によって創られた器。
「ばかな!!…アンジュ!!消えるな!!…消えないでくれ!!」
さらさらと落ちる砂時計のように、光の粒子はヒスイの腕から消えていく。
ヒスイが自身の魔力を注ごうとも、女神の力には敵わない。
為す術もなく…私だった体は空へと帰った。
……そして、五年の月日が流れた。
「シャルトさまぁ~!シャルト様どこにいらっしゃるのですか~!」
「な~に?シアンまた逃げられたの?」
「ラシャナ姫様!?シャルト様をご存じありませんか!!」
ラシャナは知らないわと手をヒラヒラと扇いだ。
「変なとこ、おね~さまに似たわねぇ」
「本当ですよ!アンジュ様も変に行動力がおありで困ったものです!」
ラシャナとシアンは懐かしそうにその姿を思い出していた。
「シアン…シャルト探さなくていいの?」
シアンはハッと顔を上げるとラシャナに失礼します!!っと大慌てでシャルトの名を叫びながら去っていく。
シアンの姿がなくなると、ラシャナはクスリと笑って振り返った。
「もう大丈夫よ?シャルト」
「助かった~!礼を言うよラシャナ姉ちゃん!」
「シアンもまだまだねぇ~そうだ!シャルト、せっかくだから遊ばない?」
「遊ぶ!勉強しなくていい!?」
「ないしょよ~?」
ラシャナはクスクスと笑いながら、シャルトの手を握って私室へと入っていく。
シャルトがソファーに座ったのを確認して、引き出しから小箱を取り出した。
「良いもの見せてあげるわ」
「なんだそれ?」
ラシャナはシャルトの横に腰掛けると、膝の上の小箱をそっと開ける。
中には真っ白な風切り羽根が大切に保管してあった。
「アンジュねぇさまの羽よ」
「かあさまの!?」
シャルトがその羽に触れると、自分を包み込んでくれるような暖かな魔力を感じた。
「あったかい…」
「うん、不思議なの。普通、亡くなったらその人の羽も魔力を失うのに、おねぇさまのはずっと魔力を帯びているの。それだけじゃないのよ!今でこそ私、元気な体で大人になれたけど…おねぇさまがいなくなってからは体調がずっと優れなくて寝たきりだった。でも、ずっとこの羽が癒してくれたから大人になれたの!おかしいでしょ?最初は残ってた魔力が反応してるだけだって言われてたのに、もう五年よ?五年間変わらず魔力を帯びているの!!」
「…うっうん」
ラシャナの迫力に押されて、シャルトは曖昧な返事を返したけど、そんなことは気にもならないのか、まだ話したりないとばかりに喋り続けた。
「それでね!お兄様はおねぇさまが居なくなった時の事を話そうとしないのよ!ただ、一言だけ消えた…と仰ったわ!お兄様の方が消えてしまいそうな声で。それでね!私思うの!おねぇさまは何処かで生きていらっしゃるんじゃないか?って!」
「かあさまが!?」
「そう!でも、それだとおかしいのよね。産まれたばかりのシャルトを放って何処かに行くような方じゃないもの。それに、お兄様のあの変わりよう…本当に心を無くしたみたいに、氷のように冷たい表情をなさるようになって…」
「とうさまは優しいぞ?」
「それはあなただけによ!そう!それもビックリしたわ!お兄様がシャルトをあんなに可愛がるなんて…いえ、可愛いいのは当然なんだけど、まさか自分の胸から乳が出るようにならないかなんて、考え出すほどだものね…」
「えぇぇー!!そっそれで…でたのか?僕はそれを飲んだのか!?」
自分の知らない父親の新事実!!
しかも、できれば激しく遠慮したいし、そんなことになってて欲しくない…
「まさか!私達が止めたわよ!シアンなんかそりゃあもうすごい剣幕でシャルトを取り上げてたわ!」
シャルトはほぅ~と息を吐いて安堵した。
「よかった…」
「うん…嫌よね。話が逸れたけど、おねぇさまは生きていらっしゃると思うの。でも何か事情があって帰って来れないんじゃないかしら?」
「…そう…なのか?」
……かあさまが生きてる?
だったらどんなにいいか…会えるものなら会いたい。
シャルトはまだ五歳…まだまだ母親に甘えたい歳だ。
シアンは母親代わりなのかもしれないが、母親ではない。
母親は自分に敬語など使わないし、線引きしたりもしない。
臣下である以上仕方ないことかもしれないが、シャルトにはそれが寂しかった。
「ラシャナ、シャルトに余計なことを吹き込むな」
いつから居たのか、突然現れたヒスイに二人はビクリと肩を震わせた。
「お兄様!余計な事とはなんですか!私はおねぇさまが生きているかもしれないと!」
「それが余計だ!アンジュは死んだ!!もういない!!俺が殺した!!」
「お兄様…そんなふうに…」
「とうさま…」
「すまない、取り乱した。……シャルト、シアンが探していた。早く部屋に戻りなさい」
「…はい」
シャルトが部屋を出たのを確認すると、ヒスイは冷たい表情でどこでもない場所に視線を移し、ラシャナに「シャルトを惑わすな…」と呟いて、マントを翻し辺りに溶けて消えた。
「なによ…お兄様はバカなんだから」
ヒスイが去ったのを気配で確認してから、ラシャナはシャルトの後を追い、その姿を見つけると呼び止めた。
「シャルト!」
「ラシャナ姉ちゃん…」
「お兄様はああ言ったけど、お兄様はおねぇさまを殺してなんかいないし、おねぇさまは絶対に生きているわ!私は諦めないわよ!絶対に探しだしてみせるんだから!それでお兄様を気持ち悪いくらいの笑顔にするんだから!」
「それは…僕も見てみたい!」
「でしょ!だから、シャルトは信じてあげてね?シャルトのお母様のこと!私も幼い頃にお母様を亡くしているから、シャルトの気持ちはすごくよく分かるの!覚えてないって辛いのよね~」
「…ラシャナ姉ちゃん。ありがとう!」
どこかスッキリした様子のシャルトを見送って、ラシャナはふぅ~と溜め息を溢した。
「お兄様は、分かってないのよ…私にとってもおねぇさまはお母様なんだから…」
姉というよりも母親。
ラシャナは大人になってから、自分が姉のように慕っていた相手に、母親を見いだしていたのを自覚していた。
ラシャナに母親の記憶はない。
物心つく頃にはもう塔の中が全てで、時おり訪れる兄達を羨み、待つしかない生活。
それも兄達が大人になるにつれ、来る回数が減り、それと並行するようにラシャナの体は弱っていった。
何度も生死の境をさ迷い、生きたいと願いつつ苦痛と恐怖でおかしくなりそうだった。
いない母親に助けを求めて泣いて、眠る…そんな生活に、突然光が舞い降りた。
二番目の兄の嫁だというその人は、私が長く苦しんだ体を健康体にしてくれた。
ほとんど毎日私のところに入り浸り、楽しい話をたくさんしてくれた。
初めて与えられた幸福。
幸せな時間。
ラシャナにとって無償の愛をくれる母親のような存在。
「お兄様はなんで…諦められるのよ…。今でもあんなに忘れられずに苦しんでいるのに…本当に、お兄様はバカよ…」
ラシャナは窓から外を眺めると、そのまま大空を飛び立った。
「おねぇさま…私、飛べるようになったのよ?」
一方、あれだけ幼い頃は溺愛していたラシャナに、冷たい物言いをするくらい、ふて腐れている人物が一人。
「アンジュはもういないんだ…」
まるで自分に言い聞かすように何度も呟いてきた言葉。
五年たった今でも彼の心が求めてやまないのは、たった一つの笑顔と…最後の言葉。
ヒスイにはその言葉が、自分の作り出した幻想ではないかと思うようになっていた。
……アンジュが…俺に愛を囁くなどありはしない
それでも彼の耳には今も聞こえる気がした。
愛している…と。
そんなヒスイに、元老院や他の重臣達は早く次の妃を娶れと催促してくる。
勝手に見合いだ何だと、何処からか女性を連れて来ては無理矢理会わせようとしていた。
まぁヒスイは、その冷たい眼光で一掃していたのだけれど。
「殊勝なことだな…」
半ば呆れたような嘲笑をもらし、また自分の元に連れてこられるのであろう女性を、窓から覗き見ていた。
そこには一人のご老体が、美しい女性を引き連れ案内している。
「はぁ…面倒な。しばらく隠れるか…」
ヒスイは自室からも姿を消し、次の見合い話から逃げたのだった。
明るい…
明るい日差しに、明るい母の笑い声。
なのに…自分はなぜ、こんなにも悲しく虚しいのか…
見渡す草原には牛や羊がのんびりと草を食べ、私はぼんやりとその風景を眺めている。
「アンジー!お昼ご飯にしましょう!」
振り向くと明るい表情で笑っている母が、手を振って私を呼んでいる。
「は~い!」
私はこの感情を押し込み、笑って母の元へと走る。
草原で母とピクニック、美味しいサンドイッチにかぶりつき、嬉しそうに微笑む年老いた母の姿に…私はまた泣きそうになる。
……今までごめんなさい。たくさん心配かけてごめんなさい。
年老いた母を想っているはずなのに…心は別の誰かに謝っている気がする。
それが何かも…誰かも分からない…
目が覚めたらもう一度伝えよう。
あなたを愛していると…
目が…覚めたら…大好きをたくさん伝えよう…
なんて、感傷的な気分に浸っていたのに…
「なんで!どうして私はここにいるの!?」
私はふわふわと漂いながら叫んだけれど、声は空にかき消されて辺りに溶けた。
「あら~、また来たの?」
「来たくて来たんじゃない!!」
「あら?あらあら?」
「なっなに?」
女神様は漂っている私に顔を近付けると困った表情で魂だけの私に触れた。
「劣化してる…」
「どういうことですか?」
「アンジュちゃん、ちょっと無茶しすぎたみたいねぇ。魂の劣化が始まってしまったわ」
……えっ?なに?魂の劣化って
すごく嫌な予感しかしない。
体はないけど、悪寒がして寒くてしょうがない。
「転生させても普通に生きていく分には問題ないはずだったんだけど…負荷が掛かりすぎたわね」
「…どうなるんですか?」
「もう、休まないと…」
「休むって!?」
……いや!!
「少し眠りなさい。次に目が覚める時は新しく生まれ変わっているから安心して?」
……そんな、の…
「そんな!嫌ですよ!!シャルトはまだ産まれたばかりで!!それに!!それに…」
……ヒスイに…まだちゃんと…
「泣かないで…アンジュちゃん。魂の劣化が早くなる」
無理に決まってる…泣くのを止められるわけがない。
悲しくて悔しくて…辛くて…
「もうお眠りなさい…次に目が覚める時は全部忘れているから…」
こんなのってない…勝手に転生させておいて…子供産めとか言って、これから…これからだったのに…まだ何も、ヒスイにしてあげてない。
……私はたくさんもらっていたのに…
どんどん眠くなっていく…意識が混濁していく。
考える事をやめたら私が消えてしまう。
分かっているのに抗えない。
ごめんなさいヒスイ…
もう一度廻り逢えたら…きっと…絶対に言うから。
ごめんねシャルト…
まだ一月半ほどのあなたを…もう抱いてあげられない…
女神なんか大嫌い…だけど…ヒスイと出会えたことは感謝してる。
……忘れたくない…眠りたくない、諦めたくない!!
ヒスイ…あなた…と…生きたかった…
私の意識はここて完全にシャットアウトされた。
女神様は私だった魂をそっと手に包み込むと、眠りに落ちた魂を導いた。
魂を失った私の体はヒスイの腕の中で眠ったように抱きしめられていた。
私が好きだった彼の翡翠色の瞳からは絶えず涙が流れている。
「すまないアンジュ…すまない」
なぜ自分はもっと彼女を労ることが出来なかったのだろう。
いつもそうだ、アンジュのことになると冷静でいられない。
俺を見てほしい…そう思うのに彼女を怯えさせてばかりで…
アンジュが俺だけに笑いかけてくれたことがあっただろうか?
もう一度笑顔が見たい…
「アンジュ…」
ヒスイが私の名前を呟いた時だった…魂を失った体はその役割を終えたとばかりに、光の粒子となって消えていく。
所詮は仮初めの体。
本来存在しないもの、女神によって創られた器。
「ばかな!!…アンジュ!!消えるな!!…消えないでくれ!!」
さらさらと落ちる砂時計のように、光の粒子はヒスイの腕から消えていく。
ヒスイが自身の魔力を注ごうとも、女神の力には敵わない。
為す術もなく…私だった体は空へと帰った。
……そして、五年の月日が流れた。
「シャルトさまぁ~!シャルト様どこにいらっしゃるのですか~!」
「な~に?シアンまた逃げられたの?」
「ラシャナ姫様!?シャルト様をご存じありませんか!!」
ラシャナは知らないわと手をヒラヒラと扇いだ。
「変なとこ、おね~さまに似たわねぇ」
「本当ですよ!アンジュ様も変に行動力がおありで困ったものです!」
ラシャナとシアンは懐かしそうにその姿を思い出していた。
「シアン…シャルト探さなくていいの?」
シアンはハッと顔を上げるとラシャナに失礼します!!っと大慌てでシャルトの名を叫びながら去っていく。
シアンの姿がなくなると、ラシャナはクスリと笑って振り返った。
「もう大丈夫よ?シャルト」
「助かった~!礼を言うよラシャナ姉ちゃん!」
「シアンもまだまだねぇ~そうだ!シャルト、せっかくだから遊ばない?」
「遊ぶ!勉強しなくていい!?」
「ないしょよ~?」
ラシャナはクスクスと笑いながら、シャルトの手を握って私室へと入っていく。
シャルトがソファーに座ったのを確認して、引き出しから小箱を取り出した。
「良いもの見せてあげるわ」
「なんだそれ?」
ラシャナはシャルトの横に腰掛けると、膝の上の小箱をそっと開ける。
中には真っ白な風切り羽根が大切に保管してあった。
「アンジュねぇさまの羽よ」
「かあさまの!?」
シャルトがその羽に触れると、自分を包み込んでくれるような暖かな魔力を感じた。
「あったかい…」
「うん、不思議なの。普通、亡くなったらその人の羽も魔力を失うのに、おねぇさまのはずっと魔力を帯びているの。それだけじゃないのよ!今でこそ私、元気な体で大人になれたけど…おねぇさまがいなくなってからは体調がずっと優れなくて寝たきりだった。でも、ずっとこの羽が癒してくれたから大人になれたの!おかしいでしょ?最初は残ってた魔力が反応してるだけだって言われてたのに、もう五年よ?五年間変わらず魔力を帯びているの!!」
「…うっうん」
ラシャナの迫力に押されて、シャルトは曖昧な返事を返したけど、そんなことは気にもならないのか、まだ話したりないとばかりに喋り続けた。
「それでね!お兄様はおねぇさまが居なくなった時の事を話そうとしないのよ!ただ、一言だけ消えた…と仰ったわ!お兄様の方が消えてしまいそうな声で。それでね!私思うの!おねぇさまは何処かで生きていらっしゃるんじゃないか?って!」
「かあさまが!?」
「そう!でも、それだとおかしいのよね。産まれたばかりのシャルトを放って何処かに行くような方じゃないもの。それに、お兄様のあの変わりよう…本当に心を無くしたみたいに、氷のように冷たい表情をなさるようになって…」
「とうさまは優しいぞ?」
「それはあなただけによ!そう!それもビックリしたわ!お兄様がシャルトをあんなに可愛がるなんて…いえ、可愛いいのは当然なんだけど、まさか自分の胸から乳が出るようにならないかなんて、考え出すほどだものね…」
「えぇぇー!!そっそれで…でたのか?僕はそれを飲んだのか!?」
自分の知らない父親の新事実!!
しかも、できれば激しく遠慮したいし、そんなことになってて欲しくない…
「まさか!私達が止めたわよ!シアンなんかそりゃあもうすごい剣幕でシャルトを取り上げてたわ!」
シャルトはほぅ~と息を吐いて安堵した。
「よかった…」
「うん…嫌よね。話が逸れたけど、おねぇさまは生きていらっしゃると思うの。でも何か事情があって帰って来れないんじゃないかしら?」
「…そう…なのか?」
……かあさまが生きてる?
だったらどんなにいいか…会えるものなら会いたい。
シャルトはまだ五歳…まだまだ母親に甘えたい歳だ。
シアンは母親代わりなのかもしれないが、母親ではない。
母親は自分に敬語など使わないし、線引きしたりもしない。
臣下である以上仕方ないことかもしれないが、シャルトにはそれが寂しかった。
「ラシャナ、シャルトに余計なことを吹き込むな」
いつから居たのか、突然現れたヒスイに二人はビクリと肩を震わせた。
「お兄様!余計な事とはなんですか!私はおねぇさまが生きているかもしれないと!」
「それが余計だ!アンジュは死んだ!!もういない!!俺が殺した!!」
「お兄様…そんなふうに…」
「とうさま…」
「すまない、取り乱した。……シャルト、シアンが探していた。早く部屋に戻りなさい」
「…はい」
シャルトが部屋を出たのを確認すると、ヒスイは冷たい表情でどこでもない場所に視線を移し、ラシャナに「シャルトを惑わすな…」と呟いて、マントを翻し辺りに溶けて消えた。
「なによ…お兄様はバカなんだから」
ヒスイが去ったのを気配で確認してから、ラシャナはシャルトの後を追い、その姿を見つけると呼び止めた。
「シャルト!」
「ラシャナ姉ちゃん…」
「お兄様はああ言ったけど、お兄様はおねぇさまを殺してなんかいないし、おねぇさまは絶対に生きているわ!私は諦めないわよ!絶対に探しだしてみせるんだから!それでお兄様を気持ち悪いくらいの笑顔にするんだから!」
「それは…僕も見てみたい!」
「でしょ!だから、シャルトは信じてあげてね?シャルトのお母様のこと!私も幼い頃にお母様を亡くしているから、シャルトの気持ちはすごくよく分かるの!覚えてないって辛いのよね~」
「…ラシャナ姉ちゃん。ありがとう!」
どこかスッキリした様子のシャルトを見送って、ラシャナはふぅ~と溜め息を溢した。
「お兄様は、分かってないのよ…私にとってもおねぇさまはお母様なんだから…」
姉というよりも母親。
ラシャナは大人になってから、自分が姉のように慕っていた相手に、母親を見いだしていたのを自覚していた。
ラシャナに母親の記憶はない。
物心つく頃にはもう塔の中が全てで、時おり訪れる兄達を羨み、待つしかない生活。
それも兄達が大人になるにつれ、来る回数が減り、それと並行するようにラシャナの体は弱っていった。
何度も生死の境をさ迷い、生きたいと願いつつ苦痛と恐怖でおかしくなりそうだった。
いない母親に助けを求めて泣いて、眠る…そんな生活に、突然光が舞い降りた。
二番目の兄の嫁だというその人は、私が長く苦しんだ体を健康体にしてくれた。
ほとんど毎日私のところに入り浸り、楽しい話をたくさんしてくれた。
初めて与えられた幸福。
幸せな時間。
ラシャナにとって無償の愛をくれる母親のような存在。
「お兄様はなんで…諦められるのよ…。今でもあんなに忘れられずに苦しんでいるのに…本当に、お兄様はバカよ…」
ラシャナは窓から外を眺めると、そのまま大空を飛び立った。
「おねぇさま…私、飛べるようになったのよ?」
一方、あれだけ幼い頃は溺愛していたラシャナに、冷たい物言いをするくらい、ふて腐れている人物が一人。
「アンジュはもういないんだ…」
まるで自分に言い聞かすように何度も呟いてきた言葉。
五年たった今でも彼の心が求めてやまないのは、たった一つの笑顔と…最後の言葉。
ヒスイにはその言葉が、自分の作り出した幻想ではないかと思うようになっていた。
……アンジュが…俺に愛を囁くなどありはしない
それでも彼の耳には今も聞こえる気がした。
愛している…と。
そんなヒスイに、元老院や他の重臣達は早く次の妃を娶れと催促してくる。
勝手に見合いだ何だと、何処からか女性を連れて来ては無理矢理会わせようとしていた。
まぁヒスイは、その冷たい眼光で一掃していたのだけれど。
「殊勝なことだな…」
半ば呆れたような嘲笑をもらし、また自分の元に連れてこられるのであろう女性を、窓から覗き見ていた。
そこには一人のご老体が、美しい女性を引き連れ案内している。
「はぁ…面倒な。しばらく隠れるか…」
ヒスイは自室からも姿を消し、次の見合い話から逃げたのだった。
明るい…
明るい日差しに、明るい母の笑い声。
なのに…自分はなぜ、こんなにも悲しく虚しいのか…
見渡す草原には牛や羊がのんびりと草を食べ、私はぼんやりとその風景を眺めている。
「アンジー!お昼ご飯にしましょう!」
振り向くと明るい表情で笑っている母が、手を振って私を呼んでいる。
「は~い!」
私はこの感情を押し込み、笑って母の元へと走る。
草原で母とピクニック、美味しいサンドイッチにかぶりつき、嬉しそうに微笑む年老いた母の姿に…私はまた泣きそうになる。
……今までごめんなさい。たくさん心配かけてごめんなさい。
年老いた母を想っているはずなのに…心は別の誰かに謝っている気がする。
それが何かも…誰かも分からない…
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