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日本酒を世界へ 常盤の旅立ち
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八月になると暑さもピークに達してきた。そんなある日、常盤が退職するという話が聞こえてきた。
「え、何で? 常盤さんがどうして?」
「しっ、声が大きい、和。なんか呑み歩きフェスタの時から悩んでたらしくて。穂高さんには相談してたみたいだけど」
稲里が、しょんぼりと神河酒造と書かれた前掛けを引っ張った。
「ちょっと常盤さん飲みに誘ってみようぜ」
「じゃあ言い出しっぺの和が誘えよ」
えーっと不平を漏らしたが、気になるし誘ってみるかとその昼休み店に行った。
「常盤さんいますか?」
「はい、徳明君こんにちは。今日はどうしたの?」
店から顔を出して常盤が尋ねた。
「今週末ですけど、常盤さん良かったら呑みませんか? 稲里も一緒に」
常盤はそれで何かを察した様子だった。
「良いよ、お店決まったらメッセージしてね」
そう言って店に戻っていった。
店から出てすぐ稲里に
「常盤さんOKだって。店決めておいて」
とメッセージを入れておいた。
数秒後には既読が付き、了解のスタンプが押された。
金曜の夜、甑倒しの日、ラーメンを食べに来た店に集まった。今日の常盤は夏らしく七分丈のブラウスに青いチェックの膝丈スカートだった。
「いらっしゃい。常盤ちゃんも一緒かい?」
店主のおっさんが妙に愛想よく声を掛けた。
「うん、そうなの。とりあえず生三つね」
あいよ店主が答えた。
「何食べようかな? 餃子と唐揚げともつ煮込みかな。稲里君と徳明君は?」
常盤はメニューを稲里に渡した。
「俺腹減ってるんで、ソースとんかつ丼」
「とんかつ丼って卵とじじゃないのか?」
「この辺りじゃとんかつ丼はソースだよ。じゃあとんかつ丼二つ。あとフライドポテト」
注文お願いしますーと常盤が声を掛けるとすぐに店員がやってきた。
「まずは乾杯」
三つのジョッキが打ち鳴らされる。
「徳明君、先月真澄ちゃんのかるたで東京行ったんだって?」
「はい。競技かるたって初めて見ましたけど、すごい迫力でした」
真澄ちゃん出られた事喜んでたよと常盤は突き出しを摘まんだ。
「へぇ、良く事故らないで帰ってこれたな」
にやにやと稲里が茶化した。
あの初めての休みだったドライブの日、恐々駐車場を発進する俺を稲里はちゃんと見ていたのだ。
「こっち来てから、買い物やドライブでいろいろ走ってたから、あの頃よりも進歩したんだよ」
俺はムキになって反論した。
「それじゃあ今度はフォークリフトの運転覚えなきゃだな」
「あの米運ぶ奴?」
「そう、原材料の管理も大事な仕事だぞ」
そこで注文した品物がどんどんと届いた。
「たまにはチューハイ呑みたいな。ピーチマッコリ頼もうかな」
「俺もソルティドック呑みたい気分です」
「じゃあ俺ウーロンハイで」
稲里がまとめて注文した。
「ソースカツ丼旨いですね」
「そうだろう。卵とじもいいけど、衣のサクっと感が残ってるのが美味いんだ」
ふふと常盤が笑って
「二人っていいコンビだよね」
と交互に指差した。
「和は口数が足りない上に、とんちんかんなこと言うし、抜けてるところがあるから、俺が面倒見てやってるんですよ。弟みたいなもんです」
やれやれと言わんばかりに稲里が頭を振った。
「誕生日は俺の方が早いだろ」
「たった数カ月、同学年を歳の差とは言わない。これは精神年齢の問題なんだ」
ちょっと待てと俺は稲里に言った。
「精神年齢なら間違いなく潤の方が下だろ。すぐに顔に出るし、しょげるし、落ち着きがないし」
「本当に仲良くなったねぇ。徳明君が続けられるか心配だったから。稲里君といれば安心だね。何しろ拾ってこられたんだからねぇ」
常盤さんと俺は意を決して訊ねた。
「退職するって本当ですか?」
「うん、本当だよ」
さらりと常盤は答えた。
「海外行って日本酒の営業をする」
グローバルな話になってきた。
「この前の呑み歩きフェスタで、海外の人にお酒紹介した時になんかおやっと思ってね。穂高さんにも相談してみたんだ」
あの人あの場では言わなかったけど、結構いろんな国に行ってるみたいでと唐揚げを一つ口に放り込んだ。
「日本酒の国内での消費は低下しているのに、海外では需要が伸びてる今、わたくし常盤、神河酒造の日本酒を始め、美味しい日本酒を世界に広めたいと思った所存であります」
「なんでミリタリー風口調なんですか」
俺は一応突っ込みを入れた。
ほんとはね、と指を組みながら常盤が言った。
「海外留学したかったの。でも実は人見知りで日本を離れる勇気も無かったし、大学卒業して、都会怖くなっちゃって、こっちに戻ってきたの。営業もやってみたかったけど、自信なくて」
でもとピーチマッコリを握りしめる。
「私は神河酒造でお酒と長年過ごしてきて、好きな本のために英語も学んだ。私にだってできることが、私にしか出来ないことがある」
そして、ぐいぐいと半分まで飲んだ。
「『他人をより面白い人間にするために、私は酒を飲む』ヘミングウェイが言った言葉よ。世界のだれかをほんの少しでも愉快なものにしたいのよ」
こうして常盤は八月末に旅立っていった。
海外に日本酒を輸出している酒問屋に就職したらしい。海外勤務として早速海外を飛び回っているとメッセージが来た。
時々見える飛行機雲を見ると常盤を思い出す。
「模索中」だと言ってコーヒーを飲んでいた彼女は自分の道を見つけたのだ。俺はまだ自分の行く道が見えずにいるが、常盤の未来が明るいものであるように心の中で祈っている。
「え、何で? 常盤さんがどうして?」
「しっ、声が大きい、和。なんか呑み歩きフェスタの時から悩んでたらしくて。穂高さんには相談してたみたいだけど」
稲里が、しょんぼりと神河酒造と書かれた前掛けを引っ張った。
「ちょっと常盤さん飲みに誘ってみようぜ」
「じゃあ言い出しっぺの和が誘えよ」
えーっと不平を漏らしたが、気になるし誘ってみるかとその昼休み店に行った。
「常盤さんいますか?」
「はい、徳明君こんにちは。今日はどうしたの?」
店から顔を出して常盤が尋ねた。
「今週末ですけど、常盤さん良かったら呑みませんか? 稲里も一緒に」
常盤はそれで何かを察した様子だった。
「良いよ、お店決まったらメッセージしてね」
そう言って店に戻っていった。
店から出てすぐ稲里に
「常盤さんOKだって。店決めておいて」
とメッセージを入れておいた。
数秒後には既読が付き、了解のスタンプが押された。
金曜の夜、甑倒しの日、ラーメンを食べに来た店に集まった。今日の常盤は夏らしく七分丈のブラウスに青いチェックの膝丈スカートだった。
「いらっしゃい。常盤ちゃんも一緒かい?」
店主のおっさんが妙に愛想よく声を掛けた。
「うん、そうなの。とりあえず生三つね」
あいよ店主が答えた。
「何食べようかな? 餃子と唐揚げともつ煮込みかな。稲里君と徳明君は?」
常盤はメニューを稲里に渡した。
「俺腹減ってるんで、ソースとんかつ丼」
「とんかつ丼って卵とじじゃないのか?」
「この辺りじゃとんかつ丼はソースだよ。じゃあとんかつ丼二つ。あとフライドポテト」
注文お願いしますーと常盤が声を掛けるとすぐに店員がやってきた。
「まずは乾杯」
三つのジョッキが打ち鳴らされる。
「徳明君、先月真澄ちゃんのかるたで東京行ったんだって?」
「はい。競技かるたって初めて見ましたけど、すごい迫力でした」
真澄ちゃん出られた事喜んでたよと常盤は突き出しを摘まんだ。
「へぇ、良く事故らないで帰ってこれたな」
にやにやと稲里が茶化した。
あの初めての休みだったドライブの日、恐々駐車場を発進する俺を稲里はちゃんと見ていたのだ。
「こっち来てから、買い物やドライブでいろいろ走ってたから、あの頃よりも進歩したんだよ」
俺はムキになって反論した。
「それじゃあ今度はフォークリフトの運転覚えなきゃだな」
「あの米運ぶ奴?」
「そう、原材料の管理も大事な仕事だぞ」
そこで注文した品物がどんどんと届いた。
「たまにはチューハイ呑みたいな。ピーチマッコリ頼もうかな」
「俺もソルティドック呑みたい気分です」
「じゃあ俺ウーロンハイで」
稲里がまとめて注文した。
「ソースカツ丼旨いですね」
「そうだろう。卵とじもいいけど、衣のサクっと感が残ってるのが美味いんだ」
ふふと常盤が笑って
「二人っていいコンビだよね」
と交互に指差した。
「和は口数が足りない上に、とんちんかんなこと言うし、抜けてるところがあるから、俺が面倒見てやってるんですよ。弟みたいなもんです」
やれやれと言わんばかりに稲里が頭を振った。
「誕生日は俺の方が早いだろ」
「たった数カ月、同学年を歳の差とは言わない。これは精神年齢の問題なんだ」
ちょっと待てと俺は稲里に言った。
「精神年齢なら間違いなく潤の方が下だろ。すぐに顔に出るし、しょげるし、落ち着きがないし」
「本当に仲良くなったねぇ。徳明君が続けられるか心配だったから。稲里君といれば安心だね。何しろ拾ってこられたんだからねぇ」
常盤さんと俺は意を決して訊ねた。
「退職するって本当ですか?」
「うん、本当だよ」
さらりと常盤は答えた。
「海外行って日本酒の営業をする」
グローバルな話になってきた。
「この前の呑み歩きフェスタで、海外の人にお酒紹介した時になんかおやっと思ってね。穂高さんにも相談してみたんだ」
あの人あの場では言わなかったけど、結構いろんな国に行ってるみたいでと唐揚げを一つ口に放り込んだ。
「日本酒の国内での消費は低下しているのに、海外では需要が伸びてる今、わたくし常盤、神河酒造の日本酒を始め、美味しい日本酒を世界に広めたいと思った所存であります」
「なんでミリタリー風口調なんですか」
俺は一応突っ込みを入れた。
ほんとはね、と指を組みながら常盤が言った。
「海外留学したかったの。でも実は人見知りで日本を離れる勇気も無かったし、大学卒業して、都会怖くなっちゃって、こっちに戻ってきたの。営業もやってみたかったけど、自信なくて」
でもとピーチマッコリを握りしめる。
「私は神河酒造でお酒と長年過ごしてきて、好きな本のために英語も学んだ。私にだってできることが、私にしか出来ないことがある」
そして、ぐいぐいと半分まで飲んだ。
「『他人をより面白い人間にするために、私は酒を飲む』ヘミングウェイが言った言葉よ。世界のだれかをほんの少しでも愉快なものにしたいのよ」
こうして常盤は八月末に旅立っていった。
海外に日本酒を輸出している酒問屋に就職したらしい。海外勤務として早速海外を飛び回っているとメッセージが来た。
時々見える飛行機雲を見ると常盤を思い出す。
「模索中」だと言ってコーヒーを飲んでいた彼女は自分の道を見つけたのだ。俺はまだ自分の行く道が見えずにいるが、常盤の未来が明るいものであるように心の中で祈っている。
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