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宴の始まりは挨拶から

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 夜、寮でスーツに着替えた。同じくスーツに着替えた稲里とともに歩き出した。こうやって見ると短く刈った髪にワックスをつけ、手足が長い稲里はスーツを着ると見栄えがする。作業着姿しか知らなかった稲里と同世代なのだと改めて実感した。
 稲里は歩いて十分ほどの肉屋に入った。隣が食事処になっており、そこにはすでに蔵人たちとほかの社員たちが集まっていた。
 上座から蔵元くらもと杜氏とうじかしら末廣すえひろ麹屋こうじやの香取、酛屋もとやの稲里、つくりの山古志やまこし船頭せんどうの東郷、窯屋かまやの亀の井、そして俺の順に座った。反対側を見ると男性が数人座っていた。先日見掛けた大納川以外に知っているものはおらず、ずっと下座の方に常盤と賄いを作ってくれるみっちゃんとせっちゃんが座っていた。食卓には鍋が置いてあり、どうやら稲里の言う通りすき焼きのようだ。
 全員が集まると神河酒造かみかわしゅぞうと書かれた法被はっぴを着た蔵元が立ち上がった。

「今年も無事甑倒こしきだおしを迎えることができました。社員の皆さんに大変ありがとうございました。特に本年の厳しい冬の最中一日の休みもなく、大変な酒造りを行ってきた杜氏並びに蔵人たちには感謝の念が尽きません。どうか皆さん拍手をお願いします」

 そこで蔵人たちを除く社員たちから拍手が起こった。照れくさくて俺は俯いた。

「また、ご挨拶が遅れましたが徳明和くんがこの春から正式に神河酒造店の一員となったことをここに報告します」

(え、俺?)

 驚いて蔵元を見返した。

「徳明くん、抱負ほうふをどうぞ」

 突然のことで頭が真っ白になりながらも、拍手に押され立ち上がる。

「徳明和と申します。今年秀永大学を卒業しました。酒造りに関して全くの素人ですが、精一杯精進しょうじんしていきたいと思いますので、どうかご指導ご鞭撻べんたつのほどよろしくお願いします」

 何とか言い終えるとぺこりと一礼して席に着いた。亀の井がぽんぽんと背中を叩いた。次に杜氏が立ち上がった。

「蔵元もおっしゃいましたが、本年も無事甑倒しを迎えられましたことを改めて感謝いたします。これもひとえに皆さんのお陰です。しかし、我々の酒造りはまだ完成されていません。より美味しい酒を追求するために一片の妥協もせず、酒造りに邁進まいしんしていきたいと思います。どうか引き続き皆さんの今後もご協力をたまわりますようよろしくお願いします」

 杜氏にとってはこれが終わりではなく、最高の酒を造る途中なのか。蔵元が言った通り杜氏は一日も蔵を離れることはなく、蔵のそこかしらで作業に没頭していた。あの驚異の集中力と情熱はどこから生まれているんだろう。
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