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氷点下の世界から灼熱地獄へようこそ
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二日目の米張りで自分が筋肉痛なことに気づいた。米を持ち上げる腕が重い。トンボをひく肩が痛い。亀の井に手直してもらいながらなんとか甑を仕上げると、今度は怒涛の洗い物が待っていた。
「ゴン、これ洗っとけ」
白衣姿の山古志が、台車に二メートルはある長い櫂とバケツと雑巾を持ってきた。
「いいか、櫂の下の部分を地面につけるんじゃないぞ、『追い回し』なんだから洗い物位取りに来てほしいぜ」
そういって山古志は蔵の奥に戻っていった。
「さーて、やりますか」
亀の井がゴム手袋を手にやってきた。バケツなどを手際よく洗っていく。
「こういう長い櫂はさ、下にざる置いたりするとうまく洗えるんだ」
「なるほど。ところで追い回しってなんですか?」
「僕やゴンくんみたいな雑用係のこと。昔は飯炊きから風呂炊きまでやらされてたんだって。今はこうやってお手伝いする程度だから」
洗い終わったら熱湯をぶっかけ、消毒する。
「あ、でもゴンくんは宿舎住まいだから風呂掃除と風呂炊きはしなきゃね。大丈夫、改装して自動だから」
今度は稲里がガタコトと汚れたダルをもってやってきた。追い回しに休息はない。
亀の井について雑用をこなし、明日の用意をしたところで二階から末廣が下りてきて、
「切り返し始めるよ。来れる人からきて」
と言ってまた二階に上がっていった。昨日から度々聞く、切り返しとはなんだろう。そこに稲里が来た。
「ボイラーも終わったよ。和、はいこれ」
渡されたのは日本手ぬぐいと白い短パンだった。
「手洗ったら室に上がるぞ、和。タオルも持っていけ」
稲里に連れられて麹室と書かれた部屋に入る。そこで稲里ががばっと作業着を脱ぎ始めた。さっき俺に渡した短パンと頭に日本手ぬぐいをしただけの格好になった。引き締まった体操選手みたいな体形をしている。
「早く着替えろよ、和。大丈夫ここはそんなに寒くないから」
そういう問題じゃないと思いながらも、俺も慌てて服を脱ぐと思ったよりも寒くなかった。
「和、手出して。アルコール消毒」
シュッとアルコールが手にかかり、一瞬病院のような香りがした。
「よし、もう余計なものには触るなよ。ここから先は清潔第一なんだからな」
潤が木のドアを開けるとそこは灼熱の世界だった。熱風が顔に吹きかかる。
「よう、ゴン。灼熱地獄へようこそ」
にんまりと山古志がこちらを楽し気に見た。上半身裸なので見事な上腕筋や腹筋が見て取れた。
「なんだ、ゴン。鶏ガラじゃねぇか。ちったあ鍛えろよ。ここにいたらさらに減っちまうぞ」
「ここは一体?」
「麹室だ。温度四十三度、湿度三十五パーセント。そしてこいつが麹様だ」
でかい作業台の上に何重にも布で包まれた大きな塊を指した。
「朝、蒸した麹米に麹を振りかけて、よく混ぜ合わせて保温して寝かせたものだ。これを今からほぐす作業をやる。それが切り返しだ」
布の中から八十キログラムはあろうかというでかい白むすびが出てきた。
「最初は香取さんか潤のやり方見てろ。杜氏さんが潤は筋がいいって褒めてたからな」
と山古志が顎でしゃくった。いや、そんなことないですよと稲里が高温のせいではなく赤くなった。
顔程大きな米の塊を稲里が俺に手渡すと、自分も同じような分を削り取り、手で伸ばすように解していった。上半身を使い両手で米の山をなでる度少しずつ指の先に細かくなった米の山が出来ている。俺も見様見真似でやってみたが、米がだまになるだけで全く進まない。
悪戦苦闘していると汗がにじんでくるのを感じた。気分的にはサウナよりも暑い。
ちらっと他の人を見るとさらさらになった麹の小高い山がいくつも作られている。こうして約一時間後、熱地獄は終わった。麹を大きな一山に形成し、広げた布で包み直し、その上に毛布を掛け再び寝かすのだ。
「暑かっただろう?」
稲里が声をかけてきた。
「最初はこの気温差にやられるんだ。外気温マイナス十℃なのに中は四十度超え。しっかり汗拭いて、水分補給しろよ」
着替えながらそう言う稲里には、全く疲労感が感じられない。ああと力なく答え、着替え終わってから出しっぱなしの井戸水を備え付けのコップで一杯飲んだ。
「なんだこれ、旨い」
水がこんなに旨いのは陸上で夏の練習終わり以来だ。その時とはまた違う喉に染み渡る冷たい水。ミネラルウォーターなんて目じゃない。白湯も旨かったが、室から出た後だとこんなにも冷たさと甘さが引き立つとは。
「旨いだろう?」
急に横から声がして驚くと杜氏がいた。
「室作業の後の水は格別だ。これが酒の源の味だ。覚えておきなさい。これが命の水なのだから……けれど不思議だ。いつもと少しだけ味が違う」
俺は杜氏の言葉で昼間の会話とあの夜を思い出した。
そんな俺を後目にくるりと踵を返すと蔵に戻っていった。狐につままれたような気がした。
「ゴン、これ洗っとけ」
白衣姿の山古志が、台車に二メートルはある長い櫂とバケツと雑巾を持ってきた。
「いいか、櫂の下の部分を地面につけるんじゃないぞ、『追い回し』なんだから洗い物位取りに来てほしいぜ」
そういって山古志は蔵の奥に戻っていった。
「さーて、やりますか」
亀の井がゴム手袋を手にやってきた。バケツなどを手際よく洗っていく。
「こういう長い櫂はさ、下にざる置いたりするとうまく洗えるんだ」
「なるほど。ところで追い回しってなんですか?」
「僕やゴンくんみたいな雑用係のこと。昔は飯炊きから風呂炊きまでやらされてたんだって。今はこうやってお手伝いする程度だから」
洗い終わったら熱湯をぶっかけ、消毒する。
「あ、でもゴンくんは宿舎住まいだから風呂掃除と風呂炊きはしなきゃね。大丈夫、改装して自動だから」
今度は稲里がガタコトと汚れたダルをもってやってきた。追い回しに休息はない。
亀の井について雑用をこなし、明日の用意をしたところで二階から末廣が下りてきて、
「切り返し始めるよ。来れる人からきて」
と言ってまた二階に上がっていった。昨日から度々聞く、切り返しとはなんだろう。そこに稲里が来た。
「ボイラーも終わったよ。和、はいこれ」
渡されたのは日本手ぬぐいと白い短パンだった。
「手洗ったら室に上がるぞ、和。タオルも持っていけ」
稲里に連れられて麹室と書かれた部屋に入る。そこで稲里ががばっと作業着を脱ぎ始めた。さっき俺に渡した短パンと頭に日本手ぬぐいをしただけの格好になった。引き締まった体操選手みたいな体形をしている。
「早く着替えろよ、和。大丈夫ここはそんなに寒くないから」
そういう問題じゃないと思いながらも、俺も慌てて服を脱ぐと思ったよりも寒くなかった。
「和、手出して。アルコール消毒」
シュッとアルコールが手にかかり、一瞬病院のような香りがした。
「よし、もう余計なものには触るなよ。ここから先は清潔第一なんだからな」
潤が木のドアを開けるとそこは灼熱の世界だった。熱風が顔に吹きかかる。
「よう、ゴン。灼熱地獄へようこそ」
にんまりと山古志がこちらを楽し気に見た。上半身裸なので見事な上腕筋や腹筋が見て取れた。
「なんだ、ゴン。鶏ガラじゃねぇか。ちったあ鍛えろよ。ここにいたらさらに減っちまうぞ」
「ここは一体?」
「麹室だ。温度四十三度、湿度三十五パーセント。そしてこいつが麹様だ」
でかい作業台の上に何重にも布で包まれた大きな塊を指した。
「朝、蒸した麹米に麹を振りかけて、よく混ぜ合わせて保温して寝かせたものだ。これを今からほぐす作業をやる。それが切り返しだ」
布の中から八十キログラムはあろうかというでかい白むすびが出てきた。
「最初は香取さんか潤のやり方見てろ。杜氏さんが潤は筋がいいって褒めてたからな」
と山古志が顎でしゃくった。いや、そんなことないですよと稲里が高温のせいではなく赤くなった。
顔程大きな米の塊を稲里が俺に手渡すと、自分も同じような分を削り取り、手で伸ばすように解していった。上半身を使い両手で米の山をなでる度少しずつ指の先に細かくなった米の山が出来ている。俺も見様見真似でやってみたが、米がだまになるだけで全く進まない。
悪戦苦闘していると汗がにじんでくるのを感じた。気分的にはサウナよりも暑い。
ちらっと他の人を見るとさらさらになった麹の小高い山がいくつも作られている。こうして約一時間後、熱地獄は終わった。麹を大きな一山に形成し、広げた布で包み直し、その上に毛布を掛け再び寝かすのだ。
「暑かっただろう?」
稲里が声をかけてきた。
「最初はこの気温差にやられるんだ。外気温マイナス十℃なのに中は四十度超え。しっかり汗拭いて、水分補給しろよ」
着替えながらそう言う稲里には、全く疲労感が感じられない。ああと力なく答え、着替え終わってから出しっぱなしの井戸水を備え付けのコップで一杯飲んだ。
「なんだこれ、旨い」
水がこんなに旨いのは陸上で夏の練習終わり以来だ。その時とはまた違う喉に染み渡る冷たい水。ミネラルウォーターなんて目じゃない。白湯も旨かったが、室から出た後だとこんなにも冷たさと甘さが引き立つとは。
「旨いだろう?」
急に横から声がして驚くと杜氏がいた。
「室作業の後の水は格別だ。これが酒の源の味だ。覚えておきなさい。これが命の水なのだから……けれど不思議だ。いつもと少しだけ味が違う」
俺は杜氏の言葉で昼間の会話とあの夜を思い出した。
そんな俺を後目にくるりと踵を返すと蔵に戻っていった。狐につままれたような気がした。
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