上 下
11 / 75

氷点下の世界から灼熱地獄へようこそ

しおりを挟む
 二日目の米張りで自分が筋肉痛なことに気づいた。米を持ち上げる腕が重い。トンボをひく肩が痛い。亀の井に手直してもらいながらなんとか甑を仕上げると、今度は怒涛どとうの洗い物が待っていた。

「ゴン、これ洗っとけ」

 白衣姿の山古志が、台車に二メートルはある長い櫂とバケツと雑巾を持ってきた。

「いいか、櫂の下の部分を地面につけるんじゃないぞ、『追い回し』なんだから洗い物位取りに来てほしいぜ」

 そういって山古志は蔵の奥に戻っていった。

「さーて、やりますか」

 亀の井がゴム手袋を手にやってきた。バケツなどを手際よく洗っていく。

「こういう長い櫂はさ、下にざる置いたりするとうまく洗えるんだ」
「なるほど。ところで追い回しってなんですか?」
「僕やゴンくんみたいな雑用係のこと。昔は飯炊きから風呂炊きまでやらされてたんだって。今はこうやってお手伝いする程度だから」

 洗い終わったら熱湯をぶっかけ、消毒する。

「あ、でもゴンくんは宿舎住まいだから風呂掃除と風呂炊きはしなきゃね。大丈夫、改装して自動だから」

 今度は稲里がガタコトと汚れたダルをもってやってきた。追い回しに休息はない。
 
 亀の井について雑用をこなし、明日の用意をしたところで二階から末廣が下りてきて、

「切り返し始めるよ。来れる人からきて」

 と言ってまた二階に上がっていった。昨日から度々聞く、切り返しとはなんだろう。そこに稲里が来た。

「ボイラーも終わったよ。和、はいこれ」

 渡されたのは日本手ぬぐいと白い短パンだった。

「手洗ったら室に上がるぞ、和。タオルも持っていけ」

 稲里に連れられて麹室と書かれた部屋に入る。そこで稲里ががばっと作業着を脱ぎ始めた。さっき俺に渡した短パンと頭に日本手ぬぐいをしただけの格好になった。引き締まった体操選手みたいな体形をしている。

「早く着替えろよ、和。大丈夫ここはそんなに寒くないから」

 そういう問題じゃないと思いながらも、俺も慌てて服を脱ぐと思ったよりも寒くなかった。

「和、手出して。アルコール消毒」

 シュッとアルコールが手にかかり、一瞬病院のような香りがした。

「よし、もう余計なものには触るなよ。ここから先は清潔第一なんだからな」

 潤が木のドアを開けるとそこは灼熱しゃくねつの世界だった。熱風が顔に吹きかかる。

「よう、ゴン。灼熱地獄へようこそ」

 にんまりと山古志がこちらを楽し気に見た。上半身裸なので見事な上腕筋や腹筋が見て取れた。

「なんだ、ゴン。鶏ガラじゃねぇか。ちったあ鍛えろよ。ここにいたらさらに減っちまうぞ」
「ここは一体?」
麹室こうじむろだ。温度四十三度、湿度三十五パーセント。そしてこいつが麹様だ」

 でかい作業台の上に何重にも布で包まれた大きな塊を指した。

「朝、蒸した麹米に麹を振りかけて、よく混ぜ合わせて保温して寝かせたものだ。これを今からほぐす作業をやる。それが切り返しだ」

 布の中から八十キログラムはあろうかというでかい白むすびが出てきた。

「最初は香取さんか潤のやり方見てろ。杜氏さんが潤は筋がいいって褒めてたからな」

 と山古志が顎でしゃくった。いや、そんなことないですよと稲里が高温のせいではなく赤くなった。
 顔程大きな米の塊を稲里が俺に手渡すと、自分も同じような分を削り取り、手で伸ばすように解していった。上半身を使い両手で米の山をなでる度少しずつ指の先に細かくなった米の山が出来ている。俺も見様見真似みようみまねでやってみたが、米がだまになるだけで全く進まない。

 悪戦苦闘あくせんくとうしていると汗がにじんでくるのを感じた。気分的にはサウナよりも暑い。
 ちらっと他の人を見るとさらさらになった麹の小高い山がいくつも作られている。こうして約一時間後、熱地獄は終わった。麹を大きな一山に形成し、広げた布で包み直し、その上に毛布を掛け再び寝かすのだ。

「暑かっただろう?」

 稲里が声をかけてきた。

「最初はこの気温差にやられるんだ。外気温マイナス十℃なのに中は四十度超え。しっかり汗拭いて、水分補給しろよ」

 着替えながらそう言う稲里には、全く疲労感が感じられない。ああと力なく答え、着替え終わってから出しっぱなしの井戸水を備え付けのコップで一杯飲んだ。

「なんだこれ、旨い」

 水がこんなに旨いのは陸上で夏の練習終わり以来だ。その時とはまた違う喉に染み渡る冷たい水。ミネラルウォーターなんて目じゃない。白湯も旨かったが、室から出た後だとこんなにも冷たさと甘さが引き立つとは。

「旨いだろう?」

 急に横から声がして驚くと杜氏がいた。

「室作業の後の水は格別だ。これが酒の源の味だ。覚えておきなさい。これが命の水なのだから……けれど不思議だ。いつもと少しだけ味が違う」

 俺は杜氏の言葉で昼間の会話とあの夜を思い出した。
 そんな俺を後目にくるりと踵を返すと蔵に戻っていった。狐につままれたような気がした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

元外科医の俺が異世界で何が出来るだろうか?~現代医療の技術で異世界チート無双~

冒険者ギルド酒場 チューイ
ファンタジー
魔法は奇跡の力。そんな魔法と現在医療の知識と技術を持った俺が異世界でチートする。神奈川県の大和市にある冒険者ギルド酒場の冒険者タカミの話を小説にしてみました。  俺の名前は、加山タカミ。48歳独身。現在、救命救急の医師として現役バリバリ最前線で馬車馬のごとく働いている。俺の両親は、俺が幼いころバスの転落事故で俺をかばって亡くなった。その時の無念を糧に猛勉強して医師になった。俺を育ててくれた、ばーちゃんとじーちゃんも既に亡くなってしまっている。つまり、俺は天涯孤独なわけだ。職場でも患者第一主義で同僚との付き合いは仕事以外にほとんどなかった。しかし、医師としての技量は他の医師と比較しても評価は高い。別に自分以外の人が嫌いというわけでもない。つまり、ボッチ時間が長かったのである意味コミ障気味になっている。今日も相変わらず忙しい日常を過ごしている。 そんなある日、俺は一人の少女を庇って事故にあう。そして、気が付いてみれば・・・ 「俺、死んでるじゃん・・・」 目の前に現れたのは結構”チャラ”そうな自称 創造神。彼とのやり取りで俺は異世界に転生する事になった。 新たな家族と仲間と出会い、翻弄しながら異世界での生活を始める。しかし、医療水準の低い異世界。俺の新たな運命が始まった。  元外科医の加山タカミが持つ医療知識と技術で本来持つ宿命を異世界で発揮する。自分の宿命とは何か翻弄しながら異世界でチート無双する様子の物語。冒険者ギルド酒場 大和支部の冒険者の英雄譚。

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

ルイス
恋愛
「アーチェ、君は明るいのは良いんだけれど、お淑やかさが足りないと思うんだ。貴族令嬢であれば、もっと気品を持ってだね。例えば、ニーナのような……」 「はあ……なるほどね」 伯爵令嬢のアーチェと伯爵令息のウォーレスは幼馴染であり婚約関係でもあった。 彼らにはもう一人、ニーナという幼馴染が居た。 アーチェはウォーレスが性格面でニーナと比べ過ぎることに辟易し、婚約解消を申し出る。 ウォーレスも納得し、婚約解消は無事に成立したはずだったが……。 ウォーレスはニーナのことを大切にしながらも、アーチェのことも忘れられないと言って来る始末だった……。

婚約者の浮気現場に踏み込んでみたら、大変なことになった。

和泉鷹央
恋愛
 アイリスは国母候補として長年にわたる教育を受けてきた、王太子アズライルの許嫁。  自分を正室として考えてくれるなら、十歳年上の殿下の浮気にも目を瞑ろう。  だって、殿下にはすでに非公式ながら側妃ダイアナがいるのだし。  しかし、素知らぬふりをして見逃せるのも、結婚式前夜までだった。  結婚式前夜には互いに床を共にするという習慣があるのに――彼は深夜になっても戻ってこない。  炎の女神の司祭という側面を持つアイリスの怒りが、静かに爆発する‥‥‥  2021年9月2日。  完結しました。  応援、ありがとうございます。  他の投稿サイトにも掲載しています。

猜疑心の塊の俺が、異世界転生して無双するとかマジあり得ない

エルマー・ボストン
ファンタジー
何のやる気も無い高校2年生、 稲葉 裕仁(いなば ゆうじ)は、 ある日、空から降ってきた謎の物体の直撃に遭い、死んだ。 そして訪れた、唐突な異世界転生。 神々の気まぐれに巻き込まれ、上手いこと乗せられつつも、嫌々ながら勇者だの大賢者だのハイパーナイトマスターだのの称号を手に入れ、転生した世界 「ムウ」の平和、そして自身の未来のため、奮闘していくこととなる。

処理中です...