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純白の米は雪よりなお白い

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「ゴンくん、起きて」
 
 亀の井が体を揺らしている。

「もう時間ですか?」
 
慌てて起き上がると、亀の井は笑いながらこう言った。

「大丈夫、まだ時間あるよ。でも初めてだと時間かかるから」

 香取爺様を起こさないようにそっと部屋を出る。

「何がです?」
「米を張る」

 甑に布をひき、そこに米を入れていく。しかし、甑と床まで一・五メートル近くも高低差があり、下の者がそれを持ち上げ、上の者が不安定な足場でそれを受け取り、甑へと入れていく。

「いーち」
「いーち!」

 この作業は米袋を数えながら行う。万が一量が違っていたらすべての計算がご破算になってしまう(と亀の井が教えてくれた)。米を入れ終わると亀の井が俺を上に呼び、何となく見覚えのある木の棒を渡した。

「はい、これ」
「これって……あの野球部とかが使うやつ」
「そうそう、トンボ」

 なるほど。米を蒸したときの差を均一にするためにならすというわけか。この程度なら、と思った俺はやっぱり甘かった。足場は悪く、トンボは片手で持つには若干重く、遠くまで手を伸ばすと中腰になり、これがまた腰に来る。なんとか均し終わり亀の井を呼ぶと、

「あ、これじゃだめだね。右に傾いてるし、壁のところスカスカでしょ。ここから蒸気が逃げてここばっかりべたべたした炊き上がりになっちゃうんだ」

 そう言いながら、小柄な体に似合わずトンボを軽々と扱い手直ししていく。

「でも及第点だよ。僕が来た時に比べたらずっとマシだよ」

 時間になっちゃうから麹米は僕がやっちゃうねと言いながら数個あった米袋を甑に空ける、手早くトンボを動かす。少しだけシラス台地のような台形の小山が出来上がった。その見事な白さは旅行で行った和歌山の白砂を思わせた。

「なんか北海道物産展で売ってるチーズケーキに似てるよね」

 亀の井は帆布をかけながら、うっとり言った。甘いものが好きなのだろうか。

「ところで麹米こうじまいは別ってなんでです? というか麹って何ですか?」

 えっと亀の井のロープを巻く動きが一瞬止まった。

「ゴンくん。お酒飲む人だよね?」
「はい、人並みには飲みますけど」
「醤油とか味噌とかもちろん食べるよね?」
「今日のジャガイモの味噌汁美味しかったですね」

 うーん、と亀の井は腕を組んで悩んでしまった。

「僕の口から説明していいのかな。まだ四カ月しか働いてない僕よりもやっぱり、お、良いところに潤くん」

 ガラガラと台車にハイジが運んでる牛乳缶みたいな物を載せて、白衣姿の稲里が現れた。

「よし、縛れた。潤くん」

 ロープの固さを確認して潤を呼び止めた。

「麹って何なのか、教えてもらいたいんだけど」

 恐る恐る稲里の顔を見た。

「あー、なるほどね。じゃあこのダル洗ってほしいんだけど」

 その表情に落胆した色はなく俺はほっとした。米粒だらけの牛乳缶はダルというらしい。スポンジと洗剤を持ってきて、稲里は一緒に洗いだした。

「簡単に説明するとな、アルコールを造る酵母菌はデンプンを分解できないんだよ。そこでデンプンやタンパク質を分解する麹菌っていう黴菌を酒造りに利用したり、味噌や醤油の製造にも使われてるんだよ」
「へぇ、そうだったのか。酒作るのに二種類菌を使ってるんだな」

 洗剤を水で流しながら、俺は今まで口に入れてきたものが一体なんであるか初めて知った。

「ワインなんかは最初から糖だからそのまんま発酵できるんだけどね。そこの突起の部分と底は丁寧に洗って。これ直接タンクに入るやつだから」

 俺は取っ手のついた奇妙な容器を見下ろした。

「このダルってのは何に使うんだ?」
「これはもとの湯たんぽ兼氷枕。温度調整に使うんだ」

 なるほど。だから内側を洗うのではなく、外側を洗っていたのか。洗い終わると給湯器から熱湯を出し、ダルと荷台にぶっかけ潤は去っていった。

 そこに朝見た味噌汁の美人が現れた。

「徳明君、今時間あります?」

 (これから?)
 どうしようと思っているうちに亀の井がやってきた。

「どうしたんですか、蔵まで来て」
「蔵元がそのまんま連れてきたから日用品足りてないだろうって。今からドラックストアとスーパーに連れて行ってほしいと頼まれまして」
「あーそっか。今日瓶詰め作業があってあっちも忙しいもんね。こっちはあと切り返しだけだし、ゴンくんお言葉に甘えて行って来たら?」
「それじゃあ、すみませんがよろしくお願いします」

 じゃあ、駐車場で待ってるねと言い残し、美人は小走りで消えていった。

「良かったね、ゴンくん。いきなりマドンナとデートだなんて」

 そんな、デートなんてものじゃともごもごと言い訳しながら寮に一足先に戻らせてもらった。実のところ面接のために泊りの用意をして東京に出てきていたので、一泊程度ならなんとかなるのだが、一体こうなると誰が予想できただろうか。そんなことを考えながらしわくちゃのワイシャツとスラックスに着替えて美人の元に向かった。
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