別れの曲

石田ノドカ

文字の大きさ
上 下
25 / 64
第2楽章 『appassionato』

2-7.臍の緒

しおりを挟む
 一さんが自宅にしているというマンションも、つい先刻までいたホテルのように立派だった。
 エントランスには水が流れ、照明も程よく抑えられている。随分と分厚い扉は、セキュリティもしっかりとしていそうだ。
 おかえりなさいませ、と出迎えるのは、警備員という風貌ではない。
 コンシェルジュ、なのかな。スーツにインカムを着けている姿は、さながらSPやボディガードのようである。
 最上階に辿り着いた。廊下は絨毯敷のようで、靴で歩いていることに気が引ける程の柔さだ。
 そのまま歩いて、一番奥の部屋へと通される。

「お、おじゃま、します……」

「好きに寛いで待っていてくれ。お茶くらいは用意しよう」

「は、はい…!」

 言われた通りに好き勝手しよう――という気にはなれないくらいに、そこは大人な空間だった。
 どうにも落ち着かない私は、キッチン横の四角い机、そこに並べてある椅子へと無難に腰を降ろした。

「お待たせ。玄米茶しかなかったけど、飲める?」

 私は頷き、それを受け取った。程よく温かくて湯気も立っている。
 ほんのり漂うその香りは、私が一番好きなものだ。

「さて、さっそく本題に入りたいところだけれど――」

 向かいの席に腰かけ、真面目な表情で入る一さん。私の背筋も、自然と伸びてしまう。

「どう話したものだろうね。僕は言葉をオブラートに包めない人間だから、きっと君に悪いイメージを持たれかねない」

「構いません。現実離れした経験なら、もういくらか体験していますから」

「そうかい――いや、うん、安心した。なら僕は、事実を事実のまま、君に伝えるとしよう。美那子からは、何も聞いていないんだったね?」

 私は小さく頷く。
 その反応を以って、一さんは一冊のアルバムを机上に置いた。
 訝し気にそれを眺める私に、一さんは中を確認するよう促す。私は言われた通りに表紙を捲った。

「これ――エコー写真、ですか?」

「ああ。白黒だけど、確かに君たち二人の影だ。八週間の頃だね。こっちが頭で、こっちが足元。まだ芋虫のようだ」

 扇状の写真の中に、確かに二つの影が見て取れる。
 一さんが比喩したように、芋虫のようにも見えるそれには、しかし確かに、どこか人のような形を思わせる部位が現れ始めている。

「この頃はまだ、どちらも元気なものだったが――陽和、最後のページを見てくれ」

 一さんが、少し表情を曇らせながら言う。
 気にかかったけれど、私は言われたままページを捲った。

「えっ、こ、これ……」

 言葉を失った。
 ただその一枚に釘付けになって、目が離せなくなった。
 姿形がより鮮明になった画像には、確かに二つの影が見て取れる。けれど、その大きさは大小異なる。
 少し小さい、大きいといった程度の話ではない。明らかに、片方は大きくなっていない――
 成長を、していないのだ。
 つい数秒前、八週間の頃だと紹介されて見た画像と、殆ど何も変わらない大きさなのである。

「こ、これって、つまり……」

「ああ。結論から言うと、その時既に『胎児死亡』だということだ分かった。それが、陽向だ」

「胎児、死亡……」

「読んで字の如く、だ。陽和は何となく知っているみたいだけどね。母親の胎内で既に死亡が確認されている状態のことを指す。母体の病気や栄養不足など、理由は様々あるけどね。美那子の場合は、そうではなかったんだ」

「いや、でも、どうして分からなかったんですか……? 赤ちゃんなら、お腹を蹴ったり、動き回ったりして――」

 言いかけて、気が付いてしまった。
 ――私の存在だ。
 一度俯き、再び上げた視線の先では、一さんが小さく頷いていた。

「個人の妊娠なら、発見が難しいとされる胎児期であっても、兆候や異常は見られたりするものだ。が、この場合は、君は元気に生きていた。双子というのは、例え二人同時にお腹を蹴ったって、母親にだって『二人が蹴ったんだ』と完全に分かるものじゃない。反対に、身籠っているのが一人だけだったとしても、その子が激しく動き回るような子であれば、まるで何人もいるかのように思えることだってあると聞く。だから、気付けなかった。君が、特別元気だったのかな」

「そ、そんな…!」

 私は思ってしまった。想像してしまった。
 自分という、今この場にいる存在それ自体が、彼の死に関わってしまっていたのか、と。

「この時すぐに緊急で分娩をして――陽和、君はいわゆる早産児というやつだったけど、随分と立派に大きく、そして魅力的な女の子に成長したね」

「わ、私のことはどうでもいいです…! それってやっぱり、陽向の死には、私が少なからず影響してるってことで――」

「亡くなっていたが、その時既に、随分と日数も経ってしまっていたらしい。そもそも、胎児期なんて自分の意思が介在しない世界だ。君のせいじゃない。よくあるとは言わないが、ない話でもないんだよ。事実、分娩に携わってくれた先生からも、過去に何度か立ち会ったことがあると苦しい話だって聞いた」

 一さんは苦しそうに言った。
 私に本来いた筈の兄弟――どうしていなくなったのか、どうして隠して来たのか。
 元々は聞かなくてもいいだろうと思っていた疑問が、強くなってきた。
 陽向の死――そんな決定的なことがあった筈なのに、それを一さんは知っているのに、どうして――

「その事実を知っている筈の一さんは――あなたは、どうして家を……母を置いて出ていってしまったんですか……?」

 事の顛末を知っていると言うのなら、少なくともその時までは一緒にいた筈だ。まだ、婚姻関係にあった筈なのだから。
 それだけ大変なことがあったのなら、傍にいて、母を、そして私を見守っていてくれてる筈だ。

「そうだね……どう言おうかな。君の兄弟については、もう躊躇うことは何もないけれど――こうなったら、いずれ話さなければならないことだったからね」

「どういうことですか? それじゃあまるで――」

「躊躇う理由が陽向じゃない、って? ああ、その通りだ。そしてそれは、本来僕の口から話すことではなかった。いや、話さないようにと、僕らで話し合って決めたことだ。が、もう話さない訳にはいかないね。君ももう十分に立派な子、いや大人だ。とてもしっかりしている」

「な、何を言ってるんですか……? 陽向が直接の理由じゃないって言うなら、それってお母さんに何か隠してることがあるってことですよね…! お母さんに、一体何があるって言うんですか…!?」

 興奮する私を、一さんは冷静に抑える。鼻息荒くも黙ったところで、一さんは小さく口を開いた。

「君の母は……美那子はね――――」



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...