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「おーい。帰ってこーい」

 目の前で手をふられ、ハッと我に返る。

「ごめん。また飛んでた」

「もう慣れたけど。朝比奈ってこんなボーッとした奴だったっけ」

「まあ、わりと」

 璃空は困ったように、笑った。

 今だ自分は、夢から覚めきっていないのかもしれない。あれほど覚悟はしていたつもりだったのに。

 本当に「つもり」だったらしい。

「悩みでもあるのか?」

「いや。今だに現実を直視できてないだけだよ」

 なんのこっちゃと前原が首を捻る。

「つか、単純にバイトし過ぎじゃね? 授業がない土日なんか、朝から夕方までコンビニ。そっから深夜まで居酒屋。いくら金ないからって、そのうち倒れるぞ」

「うーん。今は忙しい方が、心が落ち着くからなあ」

 また前原が首を傾げる。璃空は笑い、辿り着いたスーパーのカゴを手に取った。

 さて、今日は何を作ろうか。思考を巡らせる。一昨日は豚鍋。昨日は肉じゃが。前原は不味いと言って残すことはないが、肉が入ってないとうるさいのだ。

「今日、何食べたい?」

「肉」

 何度このやり取りをしたことか。

「そればっかだなあ……じゃあ、魚にしよう」

「話し聞いてた?」

「話しはね」

 ぶうぶう言う前原を無視し、璃空は魚売り場に向かう。聞かなければいいのだが、つい聞いてしまう。癖のようになっているのかもしれない。

 献立を考えるのが面倒だったわけではない。ただ、優斗の好きなものを作りたかっただけだ。特に土日は、優斗に出来立ての料理を食べてもらえる。

 だから必ず、リクエストを聞くようにしていた。

(……いい加減しつこいよな)

 優斗はもう、傍にはいない。
 違う人の元に行ってしまったから。
 ちゃんと分かっている。

 璃空は鋭い眼差しを前原に向けた。

「前原。おれを殴ってくれ」

「は?」

「いいから、殴れ。何か自分に腹立ってきた」

「え? 朝比奈ってマゾなの?」

「マゾマゾ。だから殴れ」

 璃空はやけくそになっている。

「こんな人混みで殴ったら、オレが変な目で見られるんだけど」

「かもな」

「えー……ドSじゃん」

 前原は結局、殴ってはくれなかった。何だか不完全燃焼な気分だ。

 璃空はアパートの敷地内に自転車を止め、前かごからスーパーのレジ袋を取り出すと、ぼそっと呟いた。

「当分肉抜きにしてやる」

「ちょ、横暴!」

 ひでえと喚きながら、前原が階段を登る。後ろを、璃空が続く。あと一歩で二階に着く。


 そこで、前原がふいに足を止めた。
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