上 下
12 / 29

苦行バス

しおりを挟む
 5月7日、わたしはスィルケジのホテルをチェックアウトして、地下鉄を使ってオトガルへ行った。
 オトガルとは長距離バスターミナルのことだ。トルコはバス大国で、長距離移動をする場合、バスを使うことが多い。
 イスタンブールのオトガルには、たくさんのバスがひしめいていた。
 バス会社のカウンターが並んでいるところへ行って、「カッパドキアへ行きたい」と伝えた。
「ネヴシェヒル行きのバスが9時に出る」
 カッパドキア観光の起点の街のひとつだ。あと20分で出発。
「チケット買います」
 わたしはチケットを持って目当てのバスを探し出し、乗り込んだ。
 カッパドキアはトルコ中部にある世界遺産である。
 キノコみたいな岩が連綿とつづく奇岩地帯だ。
 数億年前に起きた火山の噴火により、火山灰と溶岩が積み重なった地層ができた。
 柔らかい部分は風雨によって浸食され、固い部分だけが残って、奇妙な風景が生まれた。
 奇岩は「妖精の煙突」とも呼ばれている。
 わたしは写真で見て、絶対にカッパドキアへ行きたいと熱望していたのである。
 バスの運転手は出発直後から、大音量でトルコポップスを流し出した。
 街道をひた走るエンジン音を超えるボリュームで、トルコ語の歌謡曲が延々と鼓膜を震わせる。
 最初は面白いなと思ったが、どの曲も同じに聴こえて、すぐに飽きて騒音でしかなくなった。
 ウンタラカンタラナンタラカンタラギョーン、としか聴こえない。
 車窓を見た。
 羊がいる草原がつづき、ときどき地方都市が出現する。
 単調な風景ですぐに飽きた。
 ネヴシェヒルまでは12時間以上かかるらしい。
 トルコポップスがうるさくて眠ることもできない。
 バス旅行は苦行となった。
 ときどきオトガルに停車し、トイレタイムが設けられる。
 それは助かる。
 昼飯時に到着したオトガルでドネルケバブサンドを買い食いした。
 やはり美味しい。ひとときのやすらぎ……。
 それからまた強制的にウンタラカンタラナンタラカンタラギョーンを聴かせらた。
 耐える。苦行バスに耐える。
 隣に座っているトルコ人男性が歌い出し、騒音が激化した。
 トルコの首都アンカラのオトガルには午後4時ごろに到着した。
 ここで1時間の休憩。少し早めの夕食タイム。
 2階がバスの発着所になっていて、1階にレストランがあった。
 トルコ風の水餃子マントゥを食べた。挽き肉を包んだ小さな餃子たちにニンニク入りのヨーグルトソースがかけられている。
 いろいろな餃子があるものだと感心した。もちろん美味しかった。
 元気を得て、バスの座席に戻った。
 耐えるぞ、と思っていたのだが、すぐに元気を失ってしまった。
 ウンタラカンタラナンタラカンタラギョーンを聴いているうちに、気分が悪くなってしまったのである。
 酔った。
 久しぶりに味わう車酔いだった。
 苦しい。
 わたしは網棚に乗せていたバックパックからビニール袋を取り出し、いつでも吐ける体制を整えた。
 隣にいる男性は歌うのをやめ、わたしを心配そうに見た。
 やさしげに話しかけてくれたが、トルコ語なので、なにを言っているのかわからない。
 わたしはなんとか車内で吐くのを耐え、次に停車したオトガルのトイレで盛大に戻した。
 吐いても、少しばかり楽になっただけだった。
 軽い酔いはずっとつづいた。
 目を瞑って背もたれに体重を預け、ひたすら苦行バスに耐えた。
 ネヴシェヒルは遠かった。
 発車から12時間後、午後9時になっても到着しなかった。
 クルシェヒルという街のオトガルのトイレで、わたしはまた吐いた。胃液しか出なかった。
 到着したのは、午後10時30分頃だった。
 わたしは転がり落ちるようにしてバスから脱出した。
 オトガルのそばにあったホテルまで懸命に歩き、受付で空室があるかどうかたずねた。
 空きはあった。ほっとして、チェックイン。
 シャワーも浴びず、ベッドに倒れ込んだ。
 疲れ切っていた。
 強い睡魔がやってきて、わたしを苦しみから解放した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

私と白い王子様

ふり
恋愛
 大学の春休み中のある日、夕季(ゆき)のもとに幼なじみの彗(けい)から電話がかかってくる。内容は「旅行に行こう」というもの。夕季は答えを先送りにした電話を切った。ここ数年は別々の大学に進学していて、疎遠になっていたからだ 夕季 https://x.gd/u7rDe 慧 https://x.gd/gOgB5 「『私と白い王子様』について」 https://x.gd/aN6qk

荷車尼僧の回顧録

石田空
大衆娯楽
戦国時代。 密偵と疑われて牢屋に閉じ込められた尼僧を気の毒に思った百合姫。 座敷牢に食事を持っていったら、尼僧に体を入れ替えられた挙句、尼僧になってしまった百合姫は処刑されてしまう。 しかし。 尼僧になった百合姫は何故か生きていた。 生きていることがばれたらまた処刑されてしまうかもしれないと逃げるしかなかった百合姫は、尼寺に辿り着き、僧に泣きつく。 「あなたはおそらく、八百比丘尼に体を奪われてしまったのでしょう。不死の体を持っていては、いずれ心も人からかけ離れていきます。人に戻るには人魚を探しなさい」 僧の連れてきてくれた人形職人に義体をつくってもらい、日頃は人形の姿で人らしく生き、有事の際には八百比丘尼の体で人助けをする。 旅の道連れを伴い、彼女は戦国時代を生きていく。 和風ファンタジー。 カクヨム、エブリスタにて先行掲載中です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

幻冬のルナパーク

葦家 ゆかり
恋愛
まるでルナパーク――月面世界にいるみたい。 玲は、人生初めての恋の真っただ中にいた。ただ恋する相手といるだけで、あらゆるものが煌めいて、心躍るような、そんな日々。 ただ、恋した相手は同性の絵海だった。 普通だと思っていた自分が、まさか同性を好きになるとは。 絵海は、同性から恋心を寄せられることをどう感じるだろう? そもそも恋って何? 玲は戸惑いながらも、絵海のことを諦められず思い切ってドイツ旅行に誘う。 旅の終わりに待ち受ける結末とは? 悩める恋心を精緻に描き出した物語。

処理中です...