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高瀬純子
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中間試験直後の金曜日、みらいはぼーっとしていて、あまり授業に集中できなかった。他の生徒にも同じ傾向が見られた。
帰りのホームルームのとき、「なんだかみんなたるんでいるな。中間試験ひとつでそんなんじゃ、大学受験は乗り切れないぞ」と1年2組の担任教師、小川が言った。彼は顎髭を生やしていて、不良教師の雰囲気があるが、進学校の先生らしいことも話す。
「来週、中間試験の結果が出てくる。すべての集計が終わり、学年全体の順位や成績別クラスの変動がわかるのは、金曜日になる予定だ」
みらいはそれを聞いて緊張した。運命が決まる来週の金曜日。
試験はまあまあできたとの手応えは感じていたが、名門桜園学院でどんな順位なのかは、結果が出てみないとわからない。
放課後、樹子、みらい、ヨイチ、良彦はいつもように樹子の家へ向かった。
「遊ぼうぜ! しばらく勉強会は休みだ!」
「いいわね。音楽しましょう!」
「麻雀しよう!」
「音楽!」
「麻雀!」
恋人同士のヨイチと樹子が対立した。
「じゃあ、麻雀しながら、今後のおれたちの音楽活動について話し合おう」
「本当に真面目に話し合うんでしょうね?」
「もちろん!」
ヨイチがにっと笑った。
「わかったわ。麻雀しましょう」
「やったあ! 麻雀がんばるぞ!」
「僕はたいていのゲームが好きだよ。やろう」
みらいと良彦も乗り気だった。
彼らは今日も楽しく過ごしていた。
そのころ、みらいの母、高瀬純子は買い物から帰り、食品を冷蔵庫に入れていた。その後、洗濯物をベランダから取り込み、家族の服をていねいに折りたたんだ。
みらいのことを思い、ため息をついた。
彼女は娘とコミュニケーションが取れなくなっていることに悩んでいた。原因が自分にあることもわかっている。私は確かに虐待しているのかもしれない……。
純子の旧姓は伊藤。彼女の父は電電公社に勤める真面目な社員で、母は美しく気位の高い専業主婦だった。純子には弟がいて、姉弟は学業に努めるよう教育された。
純子は恵まれた容姿を持つ少女だったが、勉強はあまり得意ではなく、辛い思いをしていた。人づきあいが苦手で、友だちは少なかった。
純子が高校生のとき、大阪大学の学生が家庭教師になった。それがみらいの父、高瀬秀雄だ。
純子は大学受験に失敗し、秀雄は国家公務員上級試験に合格した。
秀雄は純子にプロポーズし、ふたりは結婚した。
純子の両親は、学業成就と立身出世は息子に期待することにして、娘の結婚を祝福した。
みらいが生まれたとき、秀雄は喜んだが、ぽつりと「男の子がほしかったな……」とつぶやいた。それは、純子の心に小さな棘となって突き刺さった。ふたり目は男の子を生みたい、と彼女は願った。
しかし2年後、純子は子宮がんを患った。命は助かったが、子宮は摘出され、彼女は二度と子どもを生めない身体になってしまった。
秀雄は純子をなぐさめたが、落胆を隠せなかった。国家のために働くことを生きがいにしている彼は、後継ぎとなるような息子がほしかったのだ。
秀雄は家庭より仕事を優先する人間だった。みらいの教育は純子に委ねられた。
手術の後遺症でホルモンバランスがくずれ、体調がすぐれない日も多かったが、純子は懸命に子育てと家事をした。けれど、誰からも褒められることも認められることもない。自分の存在が虚(むな)しく思えた。
彼女は娘を東京大学に進学させることで、生むことができなかった息子の穴を埋めることができると考えた。そんなことは秀雄はひと言も言っていないのだが、純子はいつしかそれを信念とするようになっていた。
公務員団地の知り合いにも教育熱心な親が多く、難関高校に合格したとか、東大に合格したなどという話が耳に入ってくる。
みらいを東大へ、という思いはしだいに強化されていった。
みらいは逆らわない子で、勉強は得意ではなかったが、純子に言われると、素直に勉強した。小学生のときは成績がよかったが、中学時代、成績が伸び悩むようになった。
みらいは必死に勉強したが、成績は一進一退した。みらいが中学2年生の頃から、純子はテストの結果に苛立ち、しだいに暴力をふるうようになってしまった。殴った後に後悔するのだが、やめられず、エスカレートしていった。
秀雄はほとんど家庭をかえりみなかった。彼は彼なりに妻と娘を愛していたが、仕事が忙しく、家庭サービスをする余裕がない。
純子にとって、生きがいは娘のしあわせだけだった。
いつのまにかその生きがいが、みらいを東京大学へ進学させることにすりかわっていた。
高校に入り、みらいは友だちに夢中になり、純子と話さなくなってしまった。純子は子宮がんになってから心を病んでいたが、その闇はますます深くなった。
なぜみらいだけ楽しそうなの?
みらいのことを誰よりも考えている私は、どうしてこんなに苦しいの?
純子はみらいの部屋に立ち入った。娘の机の上にカセットテープが置いてあった。「イエロー・マジック・オーケストラ」とケースに書いてあるテープを彼女は手に取った。
みらいはこれを楽しそうに聴いている。
娘が大切にしているものだと知っている。だからこそこれは、あってはならないものなのだ。
勉強の妨げになっている……。
4個のカセットテープを持ち、純子はガスコンロに向かった。
帰りのホームルームのとき、「なんだかみんなたるんでいるな。中間試験ひとつでそんなんじゃ、大学受験は乗り切れないぞ」と1年2組の担任教師、小川が言った。彼は顎髭を生やしていて、不良教師の雰囲気があるが、進学校の先生らしいことも話す。
「来週、中間試験の結果が出てくる。すべての集計が終わり、学年全体の順位や成績別クラスの変動がわかるのは、金曜日になる予定だ」
みらいはそれを聞いて緊張した。運命が決まる来週の金曜日。
試験はまあまあできたとの手応えは感じていたが、名門桜園学院でどんな順位なのかは、結果が出てみないとわからない。
放課後、樹子、みらい、ヨイチ、良彦はいつもように樹子の家へ向かった。
「遊ぼうぜ! しばらく勉強会は休みだ!」
「いいわね。音楽しましょう!」
「麻雀しよう!」
「音楽!」
「麻雀!」
恋人同士のヨイチと樹子が対立した。
「じゃあ、麻雀しながら、今後のおれたちの音楽活動について話し合おう」
「本当に真面目に話し合うんでしょうね?」
「もちろん!」
ヨイチがにっと笑った。
「わかったわ。麻雀しましょう」
「やったあ! 麻雀がんばるぞ!」
「僕はたいていのゲームが好きだよ。やろう」
みらいと良彦も乗り気だった。
彼らは今日も楽しく過ごしていた。
そのころ、みらいの母、高瀬純子は買い物から帰り、食品を冷蔵庫に入れていた。その後、洗濯物をベランダから取り込み、家族の服をていねいに折りたたんだ。
みらいのことを思い、ため息をついた。
彼女は娘とコミュニケーションが取れなくなっていることに悩んでいた。原因が自分にあることもわかっている。私は確かに虐待しているのかもしれない……。
純子の旧姓は伊藤。彼女の父は電電公社に勤める真面目な社員で、母は美しく気位の高い専業主婦だった。純子には弟がいて、姉弟は学業に努めるよう教育された。
純子は恵まれた容姿を持つ少女だったが、勉強はあまり得意ではなく、辛い思いをしていた。人づきあいが苦手で、友だちは少なかった。
純子が高校生のとき、大阪大学の学生が家庭教師になった。それがみらいの父、高瀬秀雄だ。
純子は大学受験に失敗し、秀雄は国家公務員上級試験に合格した。
秀雄は純子にプロポーズし、ふたりは結婚した。
純子の両親は、学業成就と立身出世は息子に期待することにして、娘の結婚を祝福した。
みらいが生まれたとき、秀雄は喜んだが、ぽつりと「男の子がほしかったな……」とつぶやいた。それは、純子の心に小さな棘となって突き刺さった。ふたり目は男の子を生みたい、と彼女は願った。
しかし2年後、純子は子宮がんを患った。命は助かったが、子宮は摘出され、彼女は二度と子どもを生めない身体になってしまった。
秀雄は純子をなぐさめたが、落胆を隠せなかった。国家のために働くことを生きがいにしている彼は、後継ぎとなるような息子がほしかったのだ。
秀雄は家庭より仕事を優先する人間だった。みらいの教育は純子に委ねられた。
手術の後遺症でホルモンバランスがくずれ、体調がすぐれない日も多かったが、純子は懸命に子育てと家事をした。けれど、誰からも褒められることも認められることもない。自分の存在が虚(むな)しく思えた。
彼女は娘を東京大学に進学させることで、生むことができなかった息子の穴を埋めることができると考えた。そんなことは秀雄はひと言も言っていないのだが、純子はいつしかそれを信念とするようになっていた。
公務員団地の知り合いにも教育熱心な親が多く、難関高校に合格したとか、東大に合格したなどという話が耳に入ってくる。
みらいを東大へ、という思いはしだいに強化されていった。
みらいは逆らわない子で、勉強は得意ではなかったが、純子に言われると、素直に勉強した。小学生のときは成績がよかったが、中学時代、成績が伸び悩むようになった。
みらいは必死に勉強したが、成績は一進一退した。みらいが中学2年生の頃から、純子はテストの結果に苛立ち、しだいに暴力をふるうようになってしまった。殴った後に後悔するのだが、やめられず、エスカレートしていった。
秀雄はほとんど家庭をかえりみなかった。彼は彼なりに妻と娘を愛していたが、仕事が忙しく、家庭サービスをする余裕がない。
純子にとって、生きがいは娘のしあわせだけだった。
いつのまにかその生きがいが、みらいを東京大学へ進学させることにすりかわっていた。
高校に入り、みらいは友だちに夢中になり、純子と話さなくなってしまった。純子は子宮がんになってから心を病んでいたが、その闇はますます深くなった。
なぜみらいだけ楽しそうなの?
みらいのことを誰よりも考えている私は、どうしてこんなに苦しいの?
純子はみらいの部屋に立ち入った。娘の机の上にカセットテープが置いてあった。「イエロー・マジック・オーケストラ」とケースに書いてあるテープを彼女は手に取った。
みらいはこれを楽しそうに聴いている。
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