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第16話 新人本田茜
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4月1日木曜日。
年度始めの日だ。
今日も仕事が忙しいことは確定している。
自分の業務だけではなく、新人教育もしなければならない。
ガーネットがつくってくれた朝ごはんを食べて、僕は市役所へと向かった。
始業時刻の8時30分に、開高課長が「みんな、聞いてくれ」と課員に呼びかけた。
「内示では夏川カレンさんが管財課に来ることになっていたが、彼女は秘書課に配属されることになった。かわりに秘書課へ行く予定だった本田茜さんが管財課に配属される。これは昨日急遽決まったことだ。昨夜、職員課長から私に連絡があった。本田さんは新人だ。温かく迎えてあげてくれ」
人事異動が急遽変わった?
めずらしいことだよな、と僕は思った。
開高課長と矢口補佐が打ち合わせし、その終了後、補佐が僕を呼んだ。
「波野くん、夏川さんのメンター役をきみにやってもらう予定だったが、本田さんがうちの係に来ることになった。本田さんのメンターをよろしく頼むぞ」
「はい。本田さんも大学新卒なんですか?」
「ああ、そのとおりだ。夏川さんだろうと、本田さんだろうと、やることに変わりはない」
「はい。急遽配属先が変わるって、ときどきあることなんでしょうか?」
「めったにないことだな。私もこんなことは初めてだ。急に市長が決めたらしい」
僕は驚いた。市のトップが新人の人事を急に変えた。なにか理由があるはずだ。
「市長が新人の配属先を変えたってことですね。どうしてなんでしょう?」
「私にもわからん。だが、あまり気にするな。我々は粛々と新人を迎えるだけだ。波野くんは本田さんに経理事務と市営駐車場の管理業務を教えてやってくれ。それと、境界立会は一緒に行くこと。わかったな」
「はい。承知しました」
「9時から6階会議室で新人への辞令交付式が行われる。それが終わったら、本田さんは管財課へ来る予定だ。形式上は加賀さんから本田さんへ事務引継が行われるが、実際は加賀さんがやっていた課の庶務と市有建物の台帳管理、火災保険業務は波野くんがやってくれ。きみが担当していた業務を本田さんに引き継げ」
「わかりました」
加賀さんからの事務引継は昨日すでに終えている。
彼女は朝から異動先の生活保護課へ行っている。
僕は今日から新しい業務に取り組み、昨日までやっていた仕事を本田さんに教えなければならない。
今年度も忙しくなりそうだ。
午前10時頃、矢口補佐が職員課へ本田さんを迎えに行き、彼女を管財課へ連れてきた。
「皆さん、少し業務を中断してください。新たに管財係に配属された本田茜主事補です」と矢口補佐が本田さんを紹介した。
彼女は150センチ程度の小柄な女性で、整った中性的な顔立ちをしていた。ストレートの黒髪をポニーテールにしている。
容姿が本田浅葱さんに似ている。姓も同じだし、もしかしたら親戚だろうか。
プリンセスプライドの社長とのちがいは、本田茜さんが明らかに若々しいことだ。少し吊り目で、好奇心の強い猫のように瞳を輝かせている。
「本田茜です。大学を卒業したばかりで、仕事のことはなにもわかりませんが、一生懸命働いて、1日でも早く皆様のお役に立てるようになりたいと思っています。よろしくお願いいたします」
彼女はそう自己紹介して、腰を深々と折った。
礼儀正しい新人だ。僕は好感を持った。
矢口補佐と僕と本田さんとで打ち合わせをした。
「本田さん、河城市役所にはメンター制度というものがある。先輩職員がメンター、わかりやすく言えば師匠役となり、メンティである新人を指導するという制度だ。きみのメンターは波野主事だ。彼から仕事を教えてもらってくれ」
「波野数多です。わからないことがあったら、なんでも訊いてください。よろしくね」
本田さんはその猫のような目で僕をじっと見つめた。
やはり浅葱さんに似ている。似すぎていると言っても過言ではない。
「波野先輩、よろしくお願いいたします」
本田さんは新人らしく、少し緊張しているようだった。
僕は彼女に、浅葱さんと関係があるのかどうか訊きたかったが、いきなりそんなプライベートなことに立ち入るのは、はばかられた。
「明日と週明けの4月4日、本田さんは人材育成センターで新入職員研修を受けることになっている。波野くん、今日は本田さんに業務の概要を教えてあげてくれ。本格的に仕事を始めてもらうのは、4月5日からだ。いいな?」
「はい」
矢口補佐が指示し、僕と本田さんは声をそろえて答えた。
僕はまず、本田さんに管財係とは市の財産を管理する係であることを伝えた。
「市有財産には、行政財産と普通財産があるんだ。行政の目的を遂行するためにあるのが行政財産で、行政財産以外の一切の財産が普通財産だよ」と僕は言った。
本田さんは首を傾げた。
「よくわかりません」
「行政財産は、庁舎や学校、図書館、公民館、市営住宅、公園、消防署などの具体的な行政目的がある市有財産のことなんだ。わかるかな?」
「その説明でわかりました」
「行政財産の具体的な運用は担当課がやっているよ。たとえば公園なら、公園課が管理している。管財課は市有財産台帳で全体を把握したり、隣地との境界確認を行うときに、担当課とともに、現地立会を行ったりしている。まあ、そのあたりのことは、実地で教えるから、いまは頭の片隅にでも置いておいてくれればいいよ」
「はい」
「次に普通財産だけど、行政目的を終えて、売り払ったりする財産のことだよ。市有地の売却は管財係の重要な業務のひとつで、村中主査が担当している」
「はい。大切そうなお仕事ですね」
「そうさ。管財係は重要な部署なんだよ」
「市役所の部署は、すべて重要であると認識しています」
「あ、そうだね。そのとおりだよ、本田さん」
僕は本田さんに一本取られた、と思った。油断ならない新人だ。
その日、僕は本田さんとともに本庁舎の地下1階にある職員食堂で昼食を取った。
午後は引き続き、管財係の業務概要と彼女にやってもらう担当業務について教えた。
彼女は飲み込みが速く、質問は的確で、優秀な人材であるということがわかった。
そして綺麗な女性だ。
もしガーネットがいなかったら、惹かれていたかもしれない。
でも、どうせ僕は人間の女の子にはモテないのだ。
人間の恋人なんていらない。
ガーネットがいてくれれば、それでいい。
年度始めの日だ。
今日も仕事が忙しいことは確定している。
自分の業務だけではなく、新人教育もしなければならない。
ガーネットがつくってくれた朝ごはんを食べて、僕は市役所へと向かった。
始業時刻の8時30分に、開高課長が「みんな、聞いてくれ」と課員に呼びかけた。
「内示では夏川カレンさんが管財課に来ることになっていたが、彼女は秘書課に配属されることになった。かわりに秘書課へ行く予定だった本田茜さんが管財課に配属される。これは昨日急遽決まったことだ。昨夜、職員課長から私に連絡があった。本田さんは新人だ。温かく迎えてあげてくれ」
人事異動が急遽変わった?
めずらしいことだよな、と僕は思った。
開高課長と矢口補佐が打ち合わせし、その終了後、補佐が僕を呼んだ。
「波野くん、夏川さんのメンター役をきみにやってもらう予定だったが、本田さんがうちの係に来ることになった。本田さんのメンターをよろしく頼むぞ」
「はい。本田さんも大学新卒なんですか?」
「ああ、そのとおりだ。夏川さんだろうと、本田さんだろうと、やることに変わりはない」
「はい。急遽配属先が変わるって、ときどきあることなんでしょうか?」
「めったにないことだな。私もこんなことは初めてだ。急に市長が決めたらしい」
僕は驚いた。市のトップが新人の人事を急に変えた。なにか理由があるはずだ。
「市長が新人の配属先を変えたってことですね。どうしてなんでしょう?」
「私にもわからん。だが、あまり気にするな。我々は粛々と新人を迎えるだけだ。波野くんは本田さんに経理事務と市営駐車場の管理業務を教えてやってくれ。それと、境界立会は一緒に行くこと。わかったな」
「はい。承知しました」
「9時から6階会議室で新人への辞令交付式が行われる。それが終わったら、本田さんは管財課へ来る予定だ。形式上は加賀さんから本田さんへ事務引継が行われるが、実際は加賀さんがやっていた課の庶務と市有建物の台帳管理、火災保険業務は波野くんがやってくれ。きみが担当していた業務を本田さんに引き継げ」
「わかりました」
加賀さんからの事務引継は昨日すでに終えている。
彼女は朝から異動先の生活保護課へ行っている。
僕は今日から新しい業務に取り組み、昨日までやっていた仕事を本田さんに教えなければならない。
今年度も忙しくなりそうだ。
午前10時頃、矢口補佐が職員課へ本田さんを迎えに行き、彼女を管財課へ連れてきた。
「皆さん、少し業務を中断してください。新たに管財係に配属された本田茜主事補です」と矢口補佐が本田さんを紹介した。
彼女は150センチ程度の小柄な女性で、整った中性的な顔立ちをしていた。ストレートの黒髪をポニーテールにしている。
容姿が本田浅葱さんに似ている。姓も同じだし、もしかしたら親戚だろうか。
プリンセスプライドの社長とのちがいは、本田茜さんが明らかに若々しいことだ。少し吊り目で、好奇心の強い猫のように瞳を輝かせている。
「本田茜です。大学を卒業したばかりで、仕事のことはなにもわかりませんが、一生懸命働いて、1日でも早く皆様のお役に立てるようになりたいと思っています。よろしくお願いいたします」
彼女はそう自己紹介して、腰を深々と折った。
礼儀正しい新人だ。僕は好感を持った。
矢口補佐と僕と本田さんとで打ち合わせをした。
「本田さん、河城市役所にはメンター制度というものがある。先輩職員がメンター、わかりやすく言えば師匠役となり、メンティである新人を指導するという制度だ。きみのメンターは波野主事だ。彼から仕事を教えてもらってくれ」
「波野数多です。わからないことがあったら、なんでも訊いてください。よろしくね」
本田さんはその猫のような目で僕をじっと見つめた。
やはり浅葱さんに似ている。似すぎていると言っても過言ではない。
「波野先輩、よろしくお願いいたします」
本田さんは新人らしく、少し緊張しているようだった。
僕は彼女に、浅葱さんと関係があるのかどうか訊きたかったが、いきなりそんなプライベートなことに立ち入るのは、はばかられた。
「明日と週明けの4月4日、本田さんは人材育成センターで新入職員研修を受けることになっている。波野くん、今日は本田さんに業務の概要を教えてあげてくれ。本格的に仕事を始めてもらうのは、4月5日からだ。いいな?」
「はい」
矢口補佐が指示し、僕と本田さんは声をそろえて答えた。
僕はまず、本田さんに管財係とは市の財産を管理する係であることを伝えた。
「市有財産には、行政財産と普通財産があるんだ。行政の目的を遂行するためにあるのが行政財産で、行政財産以外の一切の財産が普通財産だよ」と僕は言った。
本田さんは首を傾げた。
「よくわかりません」
「行政財産は、庁舎や学校、図書館、公民館、市営住宅、公園、消防署などの具体的な行政目的がある市有財産のことなんだ。わかるかな?」
「その説明でわかりました」
「行政財産の具体的な運用は担当課がやっているよ。たとえば公園なら、公園課が管理している。管財課は市有財産台帳で全体を把握したり、隣地との境界確認を行うときに、担当課とともに、現地立会を行ったりしている。まあ、そのあたりのことは、実地で教えるから、いまは頭の片隅にでも置いておいてくれればいいよ」
「はい」
「次に普通財産だけど、行政目的を終えて、売り払ったりする財産のことだよ。市有地の売却は管財係の重要な業務のひとつで、村中主査が担当している」
「はい。大切そうなお仕事ですね」
「そうさ。管財係は重要な部署なんだよ」
「市役所の部署は、すべて重要であると認識しています」
「あ、そうだね。そのとおりだよ、本田さん」
僕は本田さんに一本取られた、と思った。油断ならない新人だ。
その日、僕は本田さんとともに本庁舎の地下1階にある職員食堂で昼食を取った。
午後は引き続き、管財係の業務概要と彼女にやってもらう担当業務について教えた。
彼女は飲み込みが速く、質問は的確で、優秀な人材であるということがわかった。
そして綺麗な女性だ。
もしガーネットがいなかったら、惹かれていたかもしれない。
でも、どうせ僕は人間の女の子にはモテないのだ。
人間の恋人なんていらない。
ガーネットがいてくれれば、それでいい。
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