ご主人様の枕ちゃん

綿入しずる

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Ⅱ‐回青の園

追加短編 筆跡

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紀年千三十一 第五の月 十四日
今日もまだ雨だ。ヌハス様の風邪は治ったそうでよかった。
帰ってきたご主人様から新しい物語の巻物を渡された。黒い布のケースに入ったとても立派な物だ。触るだけでも今までのより緊張する。
これは歴史だから色々なものの成り立ちが分かる、今までのよりは少し難解だが、より一層教養が身に着くのでそういう意味でもよく読み込むように……とのことだ。
この前言っていた、紀年、というものの始まりもどこかに書いてあるそうだ。自分で読んで、そのうち説明してみるようにとの課題もついてきたので、本当にしっかり読んでみないといけない。
折角なので今日からは紀年も書いてみることにした。……合ってるだろうか。
アーモンドの蜜がけの菓子も貰った。オレンジの味もするし甘くておいしい。頂き物だそうだ。


 また暑期ハアルが来て一ヵ月。書斎の席でも適当に作業をしているようになったが、勉強の時間も貰える。今日は字の練習で、詩の一節とかことわざ、そしてその説明が書かれた手本を読んではひたすら写した。綺麗に書くのにはまだ苦心する。けど少しは上手くなったかなと思う。色んな言葉も知れて楽しい。今日は順調に終えて休んでいる暇もあった。
 しかし主人が手洗いに立った際に、書けた物を覗きに来たハリュールはじっと、いつもよりもかなり長く俺の字を見ていた。何か書き損じがあったかと思うが、見せる前にもよく確かめたのにはそれらしい箇所は見つからず――顔を上げるとハリュールは笑った。
「いや、問題ない。お前の字、旦那様の字に似てきたな。上手くなった」
「……そう、ですか? ありがとうございます」
「後は休憩でいい。今日は来客の予定があるから早めに入浴なさる」
 褒められた。勿論それはとても嬉しく浮かれた気分にさせたけど、先に言われたことのほうがもっと気になる。
 ――ご主人様の字に似てる。
 風呂に入って、客に会う主人を見送って、部屋に灯りを点けるのを眺め、今日は一人で食事をして、その後もまだそれを考えていた。
 似てるかな。似てるところもまあある気はするけど、そもそも同じ形なんだし。ずっと手本にしていたから似たのかな。どこが似てるだろう。
 ハリュールはあんな風に言ったけど。ベッドの上に上がり、砂色の紙――主人が初めにくれた文字の一覧と己の日記を見比べてみる。今日の分も書き上げたが、字が似ていると言われたとは自分で書くには恐れ多かったので、褒められた、とだけ短く書いた。
 インクで大きく書かれた主人の字。鉛筆で書いた自分の字。行き来して似ているところを見つけては、でもやっぱり同じ字を書いてるんだしなあと思う。他の人の字はどうだったか。脇に積んである物語の巻物も、多分字の上手い人が書いてるんだろう。比べてみよう、と広げたところで、主人が戻ってきた物音がして慌てて迎えに立つ。
 出迎え、上着を脱ぐのを手伝う。すぐ着替えるのに寝間着の用意されたベッドのほうへと向かって――片付けが間に合わず色々出しっぱなしにしてしまったのを見つけられた。
「すみませ」
「なんだ、こんな物もう見ずとも書けるだろう」
 服を畳んでいた俺より先に歩み寄った主人が一番上の一枚、主人の書いた紙を持ち上げて言うのにどきりとする。
 確かに、字を間違えることはほぼ無くなった。あの文字の順番も馴染んで諳んじられて、同じように並べて書いてみろと言われたら何も見なくても書ける。でも。
「書けますが、要ります」
 もう要らないだろう、邪魔くさいと言われて取り上げられたらそれで終わりだ。つい勢いづいた。主人は俺の顔を眺めて、また紙を一瞥してベッドの上に戻した。
「……まあお前にやった物だ。好きにしろ」
 何度も頷いた。場所を空けるのに急いで丸めて日記の束と一緒に決められた場所に置き、伽の巻物も綺麗に巻き直す。振り返ると主人はまだ眺めていた。
「しかし、やはり増えたな……何か作らせるか……」
 俺の頭に手を置いて呟く。数回瞬いた後にはもう何か決めた様子で動き出し、髪を解いた紐を託されるのを受け取った。

 その翌日、主人の書き物机の横には書斎でも使っている書類入れの籠が一つ増えた。
 主人は手早く、第八の月、第九の月……と書いた紙の札を用意して――すべて横に千三十、千三十一と大きな数字を書き添えるのは、今年が何年目か、という意味らしい。そんな途方もない年数何を数えているのかと聞けば、千年前に色々あって話し合いで決めて数え始めたそうだ。ちょっと複雑でよく分からなかった。今度詳しく教えてくれるという――ともかくその札を、毎月ごとに日記を束ねる紐につけてから籠に入れた。もう十束もある。今月、第五の月が書きかけで十一束目だ。でも籠にはまだまだ入りそうな余裕があったので、俺はこの先もこれを書き続けることになりそうだ。
 それだけでも、本当にすごくて体が冷えるほど感動したけれど――
「……どうかしたか」
「――こんなに書いたんだと思ったら嬉しくて」
 やっぱりちょっと、自分で言うのは気後れして誤魔化した。こっちも本心だし、主人も微笑んでとても機嫌よさそうに頬を撫でてきたのでより嬉しかった。
「上々だ。この調子で励むといい」
「はい」
 さらに三日後にはもう一つ、これは小さめで膝に乗るくらいの、蓋付きの箱も用意された。主人の他の持ち物のように宝石なんかはついていなかったが、模様が彫ってあってつやつやに磨かれた綺麗な箱だ。今月分の日記と鉛筆はその中に入れておくようにと新しく決められた。あの巻紙もちゃんと中に入ったので安心した。そうして入れておくとこの先も無くさずいられると思える。それを棚の、元と同じ場所に置きなおすとすっきりと片付いて主人も満足した様子だった。
 籠に入れたこれまでの分も、読み返したいときがあるだろう、触れていい、と許されたので、俺は一人のときたまに主人の机に近づくようになった。他にも箱やランプなど、色々な物があるのを触れずに眺めて――自分の日記も、中身よりまず沢山並んでいるのを眺めて満足していた。
 束を解いてみなくてもその量と、ついた札が嬉しかった。第何の月、の綴りで並ぶ主人の字は、確かに俺が毎日日記の頭に書き始めるのと、曲がり具合や点の形が似ている気がしたからだ。
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