ご主人様の枕ちゃん

綿入しずる

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Ⅱ‐回青の園

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(三人称・主人視点)



第十の月 三日
急に暑くなったから、きっともうすぐバラドになる。書さいでの仕事がなくなってしまう。でも縄をあんだりするのもなれてきたから、ぎりぎりどうにかなったという感じだろうか。
今日はお客様が見えていて、ご主人様と長く話していたらしい。しさつに一緒に行かれる方だから、覚えておくようにと言われた。今度、もう少し近くで見えたら顔も覚えられると思う。
ご主人様に、たとえばバラドの間ずっと風呂につながれていたらどうだときかれた。必要なときだけ湯を冷まして、後は待っているだけの仕事はどうか、と。
前の仕事と似たようなものなので、大丈夫ですと答えた。浴室なら部屋の中だから、外に放っておかれるより全然いい。きっと食事ももらえるだろうし。そう答えたら、もっと正直に言えと言われたので、ただ勉強できなそうなのはざんねんだと思うのと、待っているなら本当はここ……離れがいいと伝えた。布団がほしいとかではなくて、部屋のすみでもいいから離れのほうが、やっぱりなれていて安心するから。ご主人様はそのつもりだと聞いてうれしかった。
夜に、ミントとはちみつを入れた温かいミルクをもらった。うすい緑色がきれいでおいしかった。ご主人様も昔からお好きだそうだ。


 寒期バラドに入る前、九の居残りと呼ばれる暑さの戻る三日ほどの期間がある。第十の月に入ってなお汗ばむほどに日が照って感じられたその日、リーシャット邸に客人があった。主人アルフと政策を共にしている高官の一人で今度の視察にも同行する貴族の男、ターウス・ジエムだった。仕事の話がてら、アルフに人を紹介したいとやってきた。
 リーシャットの屋敷の中でも庭に面して景色よく風通しよく設えられた一室、その男は己を連れてきた高官の隣、大臣アルフと向かう長椅子に怖じず腰掛け微笑した。
 年はアルフと同じく三十の半ば。笑みは絶やさないが強面で大振りな造作をしており、特に目元はつり上がって隙がない。国の要職にある男たちにも劣らずたっぷりと布を使った外衣と金細工の装飾品で着飾っている。そして細帯を締めた腰にはその仕事を示すように、鞭が一本。持ち手は鈍く光る鉄で作られよく使いこまれた色をしていた。
 奴隷調教師である。名をカルミジ。妖精憑きネ・モの特別奴隷を専門に扱う商人にして職人だった。
「アダーブ様のご紹介で奴隷を斡旋してもらったんだ。どうせ買うなら質のよい物がいいからね」
 書状の受け渡しなど仕事の話は慣れた調子でさっさと終え世間話の調子で、訪った際にも告げた事の流れを繰り返す見知った同僚に、アルフは調教師へと目を移した。目が合うとにこやかに笑むのは商売人の顔だ。
「リーシャット様のお陰で特別奴隷がまた流行りまして、私めも多くの方にお声掛けを頂いております。特に身分ある方は商売女よりもお持ちの奴隷のほうが何かと安心ですし……」
 この言葉も繰り返されたものだ。最初には自己紹介がついていて、貴族向けの商店が立ち並ぶ一等地に自身の店を構えている、宮廷の宴に奴隷を卸したり、王族に奴隷を提供したりしたこともある、と華々しい経歴ぶりだった。
 南へ買い付けの予定があり、視察に向かう道中に同行する手筈になっているのだとも、アルフは最初に聞いていた。貴族気に入りの商人などがそうするのは然程珍しいことではない。貴族の側は旅の最中の暇潰しにあれこれと用意させて話し相手もさせ、商人の側は商談を進め人脈も得ることができる。双方に得のある話だ。
「確かに、手頃な相手を探すよりも慣れた相手を用意しておいたほうが手間は少ないな。秘書が余計に気を揉むこともない」
 そこもアルフには納得出来る。彼ほどの貴族ともなれば代々懇意にしている娼館もあるものだが、どうしても部外者、外の人間だ。屋敷や部屋に招き入れるには気になることも多い。また、そこに好みの女がいるとも限らない。執事や秘書や、主人の為に相手を用意する者たちは頭を悩ませることも多いのだ。愛人や、主人好みの奴隷を家に何人も囲う利点はそこにある。
 旅先でも、その問題は付きまとう。仕事で出向くとはいえ、合間合間にはどうしても暇が生じるものだ。
 今回、つまりはそういう話だった。
「向こうでは手前が躾けた奴隷をいくらかご用意しましょう。お気に召しましたら是非買い上げなど」
「それは興味深い。貴殿の腕前がどのようなものか是非試してみよう」
 商機にも食らいつくよりは余裕のある調子で述べるカルミジに、アルフも軽い調子で笑って応じ茶を啜った。
 凄腕の調教師と名高い男の躾ぶりには興味があるのは事実だ。ただ、試用するとして精々酒の相手くらいのものだろう。かつては宴などで用意された奴隷の奉仕も社交辞令としてそれなりに受けていたアルフだったが、今はその気も失せていた。
 触れて、撫でて、抱いて、愛でたい奴隷はただ一人。
「新しい奴隷のご案内は勿論、既にお持ちの奴隷の調教も承りますよ。雌も雄も問いませんし、夜だけでは御座いません。どこに置いても勝手の良い奴隷に」
 アルフの口振りと聞こえてくる噂でそこにも気づいている調教師は、売り物の話を続けることなく会話の向きを変えた。
 彼が視線で示した先には、冷房の為の白奴隷アラグラルの席にザフラが腰掛けている。薄紫のカーテンは開けられており、目隠しではなくむしろ彼女を目立たせる装飾となっていた。
 彼女は客間の冷房であると同時に飾られた人形でもあった。奴隷の装束ではなく滑らかに体を覆う裾の長い一枚着と白く華奢なレースの羽織で着飾られ、召使の用意した茶を冷やした後は静かに座って庭を見つめている。
 主人たちが話す声は部屋の隅にも十分届いていて、今ザフラにも分かる内容になってしまったが、幼い彼女は努めて興味がないように振る舞っていた。長い睫毛が時折、動揺したように震えるのは些細なものだった。
「よい奴隷をお持ちです。ご自身や使役の者で磨きをかけていらっしゃるでしょうが、一度専門の者に任せてみると、変わりますよ」
「それこそ、翡翠の環はおらんのか? ああした寵の者こそ手をかける甲斐がありそうだが」
 美しい白奴隷を眺めるターウスのほうも、関心はそちらにあるようだった。今となっては大分落ち着いてはいるが、一時期は上流階級の中でも一番の話題だった。
 リーシャット大臣の寵愛を受け見事な玉の首輪を与えられた、泉を凍てつかせる一等級の白奴隷。宴に姿を見せたハツカについての噂は今や尾ひれもついて、案外に美人であった、いや逆に醜かったなどと囁かれる。
「あれは客間には置かないようにしている。華に欠けるのでな」
 実際のところ、氷精憑きネ・モ・ヒエムの特徴である白色の毛色肌色とアルフが見初めた翡翠色の双眸を除けば、ハツカの見目は凡庸の域を出ない。この屋敷に来て磨きはかかったが観賞用として置くには地味であることは、アルフには客観視できていた。
 そして何より――
「アルフ殿は見せびらかすより仕舞いこむ性質だな。七の宴以来見た者はないと聞く」
 笑ったターウスの指摘のとおり、あまりハツカを衆目に晒したくないのだ。アルフの独占欲と庇護欲は平素の言動からは想像もつかないほどに強い。夜会への反応からして、当人がああいう場や人目につくのを好んでいないだろうということもある。アルフは彼には甘いのだ。
 恥じらったり困ったりして主人を求める様はそれはそれで満ち足りるものだったが、そういった楽しみ方は短時間で飽きが来る。アルフが離れに引っ込むように、此処が自らの縄張りだとでも言うように、主人の寝所で落ち着いている姿を見ているほうが好みだった。
「そういう主人の方も多いですよ。部屋に備え付けにしてしまうのです。白奴隷は浴室が多いですね。寒期でも使えますから」
「ほう?」
「白は暑期ハアルには不可欠だが、これからの時期は維持費が悩ましいものな。使えるに越したことはない」
 じき急激に冷え込むに違いない気候とその間の奴隷の扱いについての話題で、三人はそれからも暫し歓談を続けた。調教師カルミジは他にも火精ラーブ幻精ソニム光精ルクラの妖精憑きの話を提供して二人を楽しませた。
 そうして茶や水煙草も嗜み楽しんで夕刻まで過ごした客人の、見送りの際。
 渡り廊下を行く彼らの視界に、対岸の回廊の端を歩く使用人と白奴隷の姿が目に入った。ザフラほど着飾らせてはいないが質素な貫頭衣ではなく、瞳や首輪に合わせた翠色の帯が彼らの目を引いた。
「おや、翡翠の環ではないか?」
「――あれが、かの」
 気づいたターウスの声にカルミジはさっと顔を上げて、その色を見つけた。彼にとっては見慣れた氷精憑きの色、主人からの寵愛ぶりを見せる着衣の色形。そして遠目ながら値踏みするように、その目を凝らした。
「貴殿には物足りなく映るやも知れんが」
 アルフが呟くと瞬き一つで笑みが上る。
「いいえ。市で安く買いあげたと聞いておりますが、とてもそうは見えませぬな。姿勢もよい」

 ハツカたちもまた離れたところに居る主人と客人の姿に気づき足を止めた。その場で頭を下げて見送る姿勢をとる。
 ハツカはまだ主人と交流する者の顔や名前など覚えてはいない。ただ主人の隣の男は、宴の際に主人と話していたのを見たか、覚えがある気がした。
 ――何故か、その更に隣の男にも。
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