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Ⅱ‐回青の園
奴隷部屋ⅱ
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第九の月 三日
屋敷のアラグラルと顔合わせをさせてもらった。きれいなヤツが多い。力も強いヤツが多い。
アスル、ファロ、ビリム、ジザ、サーク、ザフラ、ナワ、ファキハ。男が五人、女が三人。皆、花とか葉っぱとかそういう名前なのは、この家のアラグラルがもらう名前だかららしい。
ごろりと寝返りを打って天井を見る。多分、他の奴は皆寝た。小さくいびきが聞こえるのは誰だろう。
日記を確かめなくてもまだ十分覚えている、七日前。奴隷仲間との初対面は今日のこれとそんなに変わらない。ビリムもファロも、アスルさんもこんなものだった。仕事をしている厨房や厩舎に連れていかれて、顔合わせをした。
そのときには女奴隷たちとも会った。偶然、前にも見たあの綺麗な子が最初だった。もう一人同じ年頃の子が横に居て――ザフラと、ナワ。二人は姉妹だという。
顔はあんまり似てない。言ってしまえばナワは平凡な顔で、言ってしまえば多分、俺のほうと似ていた。虫食いがぽつぽつと顔に散っているところが。
活気のある厨房のすぐ隣、うっすら肉やスパイスの臭いがする部屋の隅の、書斎の物とは違う木組みの簡素な椅子に座り食料庫を冷やしていた二人と話すのは覚束ないけど苦ではなかった。彼女たちは見た目、年頃どおりの少女で、俺にも友好的だったから。
自己紹介が終ってもザフラのほうがじいっと俺の顔を見てくるのでちょっとたじろいだが、そのわけはすぐに分かった。
「あんた、また睨んでると思われてるよ」
「あっ違うの」
ナワが小突くと彼女は瞬いて首を振った。ふんわりと雲のような巻き毛が揺れていた。
「ごめんね、私目が悪いからさ、ほんとに虫食いだったなって思ってじっと見ちゃったの。聞いてたから、気になっちゃって」
「私も虫食いだし、悪い意味じゃないの。気になったってだけ」
前に主人の部屋で擦れ違ったときもそうだったのかもしれない。なんて思い出す間に、ナワがまたザフラを助けるように言葉を足す。それが二人の会話の仕方らしい。
「……今は星つきって言うらしいよ」
俺はともかく、女の子なら顔の虫食いは気になるだろう。そう思って、主人に教えられたことを伝えてみた。響きだけだけど少しはましかななんて。ナワはぱちと瞬いて、元からあんまり気にしていないのかもしれない軽さで笑った。
「なにそれ、ちょっと綺麗ね」
二人とも、十一歳だという。まだ妖精の力が漲っていたし、年相応の器用さも持っていた。屋敷に来たのは二年前。二人とも揃って買い上げてもらったのを甚く感謝していた。一人より二人がいい、っていうのはちょっと分かる。俺にはそういう人は居なかったけど、居たら違っただろう。
「ねえ、名前、旦那様につけてもらったの?」
「いや、元から」
花と、種。揃いの名前の二人に訊かれて、俺は首を振った。
主人は俺に名前をつけようとはしなかったな、と買い上げられたあの日を思い出す。適当な呼び名を振るのでもなく名無しのままでもなく、俺は名前を訊かれたんだった。
ハツカ。親がつけたのか、最初の頃の主人がつけたのか、それとも他の誰かが呼ぶのに困って適当に。分からないけど、物心ついたときから俺はハツカだった。たまに別の名前で呼ばれることがあっても結局はこれに戻った。意味は知らない。
「へえ。でも仕事にぴったり」
ん? と聞き返すと、二人も不思議そうに首を傾げた。そうすると似ていた。
「枕は旦那様と一緒に寝ているんでしょ?」
――俺は枕と呼ばれているらしいと、そこで初めて知った。
「名前、枕じゃないんだって」
「ハツカだって」
タラブ様が交替を連れて戻ってきたところで、ザフラとナワが口々に言うのを、俺は微妙な顔で眺めた。
どうも使用人のほとんどが俺をそんな風に呼んでいるらしい。なんで、と思うが、主人がつけなかっただけで誰かが勝手につけた名前なのは間違いがない。
主人からは聞いたことがないから、主人ではないと思いたい。なんとなく。
「なんだ違うのか。仕事内容に合わせたのかと思ってた」
「ねー」
男連中も俺を枕だと思っていたようだ。仕事内容に、とは二人が言うのと意味が違う気がしたが。
「枕ちゃんじゃなくてハツカちゃんか、ま、よろしく」
「よろしく」
交替に連れてこられたのがジザだった。一番初めのからかいは、ザフラとナワが連れられて行って、二人で残ったところで始まった。
「女の真似事してるっていうからどんな顔かと思ったけど……うん」
残った冷気を引き継ぐようにして食料庫や厨房を冷やして適温に保つのは、慣れていれば難しいことじゃない。特に構えることもなく椅子に座りながら、ジザはしげしげと俺の顔を眺めてそう評した。
ジザは俺より若くて、いわゆる女顔で、夜会で見た白奴隷のことも思い出す感じの美人だった。質素な貫頭衣でもこれだから、化粧とかして着飾ればもっと見栄えがするだろう。手足が長くてすらりとしている。
俺と立場が逆ならしっくりくる、と思う。ジザ本人もそう思っているのかもしれなかった。
厨房の白奴隷用の椅子にはカーテンはない。彼の姿ははっきりと見え――品定めするかの視線もはっきりと感じた。立っている俺の顔から下へと目が動くのを。
「体のほうがスゴいとか?」
「……ご主人様の趣味が悪いだけだよ」
下世話なからかいに、ついぼやく声になった。本心だけど、謙遜みたいにとられたような感じがした。
「抱かれてるのは本当なんだ。マジでそれでいい生活してんのかあ」
「まあ……気づいたらそうなってた」
俺は曖昧な反応しかできない。
なにせ、奴隷仲間と働くこと自体は普通でも、こういう立場になったのは初めてだ。たまにそういう奴を見かけることはあっても遠巻きにしていただけで、どんな風に振る舞ってこの手の会話をやり過ごしていたのかは知らない。もっとよく見ておけばよかったんだろうか。
「菓子とか酒とか、なんか貰う? 余ったら持ってきてよ」
「うん――許してもらえたらそうする」
「ダメでも袖とかに隠してさ」
そして、そうかこういう場合もあるか、と自分の置かれた立場の面倒臭さを改めて理解した。
主人の気に入りの奴隷からのおこぼれに期待しているらしいが、隠して、なんて難しすぎるし恐ろしくてできない。今度菓子でももらったら包んでとっておいてもいいか聞くしかない
駄目だったら、そのうち興味を失くしてくれればいいが、何も旨味が無いと思って突き放されるのだと困る。普通になってくれないと今後の仕事が面倒だ。
「こんなとこ寄越して、って不満だったりしない?」
少し沈黙があって、ジザは縮こまることなく足を組んで首を傾げた。この場所ではそのくらいの振る舞いは許されるようだ。
ちらと辺りを見渡す。奥の部屋で人の気配と賑やかな声と絶えない物音。食べ物の匂い。料理をしはじめている。火を使って暑いから俺たちを使う。こっち側は肉や野菜が積まれている。傷まないようにこれらも冷やしておく。
部屋を、人や物を冷やす。覚えのある仕事だ。規模とか雰囲気はお屋敷らしく差があるけど、今の俺の立場よりずっと馴染みはある。
「正直こういう仕事のほうが慣れてるから」
「前はこういうのやってた?」
「うん。氷室とか、部屋の冷房とか。普通の白奴隷だよ」
延々、そういう仕事を言いつけられるままにこなして生きていくのだと思っていた。ほんの数月前までは。
「でも今は宝石つきの枕ちゃんか。強運だ」
これくらいはよくある軽口だ。意地悪とも思わない。思わないけど気にしないわけでもない。
「……ん。そう、なんか、運がよかっただけ」
ジザやファロとそんな話になってしまうとちょっと疲れる。だからいっそ、こっちでも女の真似事だと揶揄されてもザフラたちと一緒だと気も楽かなと思った。んだけど――
「ん……」
皆が動き始めた気配で目が覚めた。
どうにかちょっとは眠れたらしい。気づけば朝だ。主人の部屋と違って明るくもないが、監督役が他の奴隷部屋に声をかけて回っているのが聞こえる。皆でのろのろと動いて便所に行き顔を拭き、着替えて朝食を貰いに行く。入れ替わりに、ジザとサークが部屋に入るのが見えた。
今日はまずビリムと厩舎だ。ビリムは他の奴と逆にあんな感じで――あんまり話しかけてこない。それもまた気にならないと言えば嘘になるが、ファロとかにからかわれるよりはいいんじゃないかと考えることにする。
薄焼きのパンをミルクで流し込んで、水も一杯貰って奴隷の朝食は終わり。作法も気にしなくていいが、前とは違ってパンをちぎって口に運ぶ癖がついていた。
そうして準備を済ませてほんの少しだけ待ち、見知らぬ監督役に名前を呼ばれて動き出すのはビリムのほうが早い。厩舎に行くのは初めてだから、もしはぐれたら大変だ。俺は慌てて、さっさと先に行ってしまう監督役と彼の背を追いかけた。
屋敷のアラグラルと顔合わせをさせてもらった。きれいなヤツが多い。力も強いヤツが多い。
アスル、ファロ、ビリム、ジザ、サーク、ザフラ、ナワ、ファキハ。男が五人、女が三人。皆、花とか葉っぱとかそういう名前なのは、この家のアラグラルがもらう名前だかららしい。
ごろりと寝返りを打って天井を見る。多分、他の奴は皆寝た。小さくいびきが聞こえるのは誰だろう。
日記を確かめなくてもまだ十分覚えている、七日前。奴隷仲間との初対面は今日のこれとそんなに変わらない。ビリムもファロも、アスルさんもこんなものだった。仕事をしている厨房や厩舎に連れていかれて、顔合わせをした。
そのときには女奴隷たちとも会った。偶然、前にも見たあの綺麗な子が最初だった。もう一人同じ年頃の子が横に居て――ザフラと、ナワ。二人は姉妹だという。
顔はあんまり似てない。言ってしまえばナワは平凡な顔で、言ってしまえば多分、俺のほうと似ていた。虫食いがぽつぽつと顔に散っているところが。
活気のある厨房のすぐ隣、うっすら肉やスパイスの臭いがする部屋の隅の、書斎の物とは違う木組みの簡素な椅子に座り食料庫を冷やしていた二人と話すのは覚束ないけど苦ではなかった。彼女たちは見た目、年頃どおりの少女で、俺にも友好的だったから。
自己紹介が終ってもザフラのほうがじいっと俺の顔を見てくるのでちょっとたじろいだが、そのわけはすぐに分かった。
「あんた、また睨んでると思われてるよ」
「あっ違うの」
ナワが小突くと彼女は瞬いて首を振った。ふんわりと雲のような巻き毛が揺れていた。
「ごめんね、私目が悪いからさ、ほんとに虫食いだったなって思ってじっと見ちゃったの。聞いてたから、気になっちゃって」
「私も虫食いだし、悪い意味じゃないの。気になったってだけ」
前に主人の部屋で擦れ違ったときもそうだったのかもしれない。なんて思い出す間に、ナワがまたザフラを助けるように言葉を足す。それが二人の会話の仕方らしい。
「……今は星つきって言うらしいよ」
俺はともかく、女の子なら顔の虫食いは気になるだろう。そう思って、主人に教えられたことを伝えてみた。響きだけだけど少しはましかななんて。ナワはぱちと瞬いて、元からあんまり気にしていないのかもしれない軽さで笑った。
「なにそれ、ちょっと綺麗ね」
二人とも、十一歳だという。まだ妖精の力が漲っていたし、年相応の器用さも持っていた。屋敷に来たのは二年前。二人とも揃って買い上げてもらったのを甚く感謝していた。一人より二人がいい、っていうのはちょっと分かる。俺にはそういう人は居なかったけど、居たら違っただろう。
「ねえ、名前、旦那様につけてもらったの?」
「いや、元から」
花と、種。揃いの名前の二人に訊かれて、俺は首を振った。
主人は俺に名前をつけようとはしなかったな、と買い上げられたあの日を思い出す。適当な呼び名を振るのでもなく名無しのままでもなく、俺は名前を訊かれたんだった。
ハツカ。親がつけたのか、最初の頃の主人がつけたのか、それとも他の誰かが呼ぶのに困って適当に。分からないけど、物心ついたときから俺はハツカだった。たまに別の名前で呼ばれることがあっても結局はこれに戻った。意味は知らない。
「へえ。でも仕事にぴったり」
ん? と聞き返すと、二人も不思議そうに首を傾げた。そうすると似ていた。
「枕は旦那様と一緒に寝ているんでしょ?」
――俺は枕と呼ばれているらしいと、そこで初めて知った。
「名前、枕じゃないんだって」
「ハツカだって」
タラブ様が交替を連れて戻ってきたところで、ザフラとナワが口々に言うのを、俺は微妙な顔で眺めた。
どうも使用人のほとんどが俺をそんな風に呼んでいるらしい。なんで、と思うが、主人がつけなかっただけで誰かが勝手につけた名前なのは間違いがない。
主人からは聞いたことがないから、主人ではないと思いたい。なんとなく。
「なんだ違うのか。仕事内容に合わせたのかと思ってた」
「ねー」
男連中も俺を枕だと思っていたようだ。仕事内容に、とは二人が言うのと意味が違う気がしたが。
「枕ちゃんじゃなくてハツカちゃんか、ま、よろしく」
「よろしく」
交替に連れてこられたのがジザだった。一番初めのからかいは、ザフラとナワが連れられて行って、二人で残ったところで始まった。
「女の真似事してるっていうからどんな顔かと思ったけど……うん」
残った冷気を引き継ぐようにして食料庫や厨房を冷やして適温に保つのは、慣れていれば難しいことじゃない。特に構えることもなく椅子に座りながら、ジザはしげしげと俺の顔を眺めてそう評した。
ジザは俺より若くて、いわゆる女顔で、夜会で見た白奴隷のことも思い出す感じの美人だった。質素な貫頭衣でもこれだから、化粧とかして着飾ればもっと見栄えがするだろう。手足が長くてすらりとしている。
俺と立場が逆ならしっくりくる、と思う。ジザ本人もそう思っているのかもしれなかった。
厨房の白奴隷用の椅子にはカーテンはない。彼の姿ははっきりと見え――品定めするかの視線もはっきりと感じた。立っている俺の顔から下へと目が動くのを。
「体のほうがスゴいとか?」
「……ご主人様の趣味が悪いだけだよ」
下世話なからかいに、ついぼやく声になった。本心だけど、謙遜みたいにとられたような感じがした。
「抱かれてるのは本当なんだ。マジでそれでいい生活してんのかあ」
「まあ……気づいたらそうなってた」
俺は曖昧な反応しかできない。
なにせ、奴隷仲間と働くこと自体は普通でも、こういう立場になったのは初めてだ。たまにそういう奴を見かけることはあっても遠巻きにしていただけで、どんな風に振る舞ってこの手の会話をやり過ごしていたのかは知らない。もっとよく見ておけばよかったんだろうか。
「菓子とか酒とか、なんか貰う? 余ったら持ってきてよ」
「うん――許してもらえたらそうする」
「ダメでも袖とかに隠してさ」
そして、そうかこういう場合もあるか、と自分の置かれた立場の面倒臭さを改めて理解した。
主人の気に入りの奴隷からのおこぼれに期待しているらしいが、隠して、なんて難しすぎるし恐ろしくてできない。今度菓子でももらったら包んでとっておいてもいいか聞くしかない
駄目だったら、そのうち興味を失くしてくれればいいが、何も旨味が無いと思って突き放されるのだと困る。普通になってくれないと今後の仕事が面倒だ。
「こんなとこ寄越して、って不満だったりしない?」
少し沈黙があって、ジザは縮こまることなく足を組んで首を傾げた。この場所ではそのくらいの振る舞いは許されるようだ。
ちらと辺りを見渡す。奥の部屋で人の気配と賑やかな声と絶えない物音。食べ物の匂い。料理をしはじめている。火を使って暑いから俺たちを使う。こっち側は肉や野菜が積まれている。傷まないようにこれらも冷やしておく。
部屋を、人や物を冷やす。覚えのある仕事だ。規模とか雰囲気はお屋敷らしく差があるけど、今の俺の立場よりずっと馴染みはある。
「正直こういう仕事のほうが慣れてるから」
「前はこういうのやってた?」
「うん。氷室とか、部屋の冷房とか。普通の白奴隷だよ」
延々、そういう仕事を言いつけられるままにこなして生きていくのだと思っていた。ほんの数月前までは。
「でも今は宝石つきの枕ちゃんか。強運だ」
これくらいはよくある軽口だ。意地悪とも思わない。思わないけど気にしないわけでもない。
「……ん。そう、なんか、運がよかっただけ」
ジザやファロとそんな話になってしまうとちょっと疲れる。だからいっそ、こっちでも女の真似事だと揶揄されてもザフラたちと一緒だと気も楽かなと思った。んだけど――
「ん……」
皆が動き始めた気配で目が覚めた。
どうにかちょっとは眠れたらしい。気づけば朝だ。主人の部屋と違って明るくもないが、監督役が他の奴隷部屋に声をかけて回っているのが聞こえる。皆でのろのろと動いて便所に行き顔を拭き、着替えて朝食を貰いに行く。入れ替わりに、ジザとサークが部屋に入るのが見えた。
今日はまずビリムと厩舎だ。ビリムは他の奴と逆にあんな感じで――あんまり話しかけてこない。それもまた気にならないと言えば嘘になるが、ファロとかにからかわれるよりはいいんじゃないかと考えることにする。
薄焼きのパンをミルクで流し込んで、水も一杯貰って奴隷の朝食は終わり。作法も気にしなくていいが、前とは違ってパンをちぎって口に運ぶ癖がついていた。
そうして準備を済ませてほんの少しだけ待ち、見知らぬ監督役に名前を呼ばれて動き出すのはビリムのほうが早い。厩舎に行くのは初めてだから、もしはぐれたら大変だ。俺は慌てて、さっさと先に行ってしまう監督役と彼の背を追いかけた。
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