ご主人様の枕ちゃん

綿入しずる

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Ⅰ‐翡翠の環

置き場所

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 椅子に座らされ髪を切られた。今朝のように適当に切り落とされるのではなく、理髪師が丁寧に鋏を入れた。美人でもない、どころか虫食いな俺の顔を見て不思議そうにはしたが、何も言わずに主人の希望どおりになるべく短くならぬようにと整えて櫛を入れた。その間に召使の一人が、手も足も、すべての爪を切り揃えてやすりをかけて、丁寧に丸くした。
 それだけが他人の手で行われ、他は全部主人の手がやった。召使に用意された服から下着と上下――首元が見える物を選んで着せるのも、模様が織られた綺麗な緑色の帯を締めるのも全部。靴を履かせるのも。赤子のように扱われるのは恥ずかしかったし、久しぶりの靴は大きさは合っていたが窮屈だ。
「いいな、これで横に置いていても文句は出ないだろう」
 俺を前に立たせて主人は満足気に目を細めた。胸のあたりがざわざわした。
 加護の光が強すぎる。タージャンだろうか、ジャルサだろうか。強い力の持ち主がこの人か祖先の誰かを好いた。幸福になれるようにと加護を与えた。
「……横に置きたいならもっと上等なのにすべきでした。伽に、使うのも」
 もっと強くてもっと綺麗な、よい妖精憑きネ・モにすればよかったのに。そのほうが似合う。
 つい、言葉が口を突く。召使たちが揃ってこっちを見た。本当なら奴隷が口答えなどいけないのに、この主人の声は言葉を引き出すようだ。
「お前はそればかりだな。私が気に入ったんだ、それでいいだろう」
「俺は……性奴隷として買われたんですか」
「そうとも言うのだろうな。白の仕事もしてもらう。なんでも、私の望んだことをやればいい」
 その感覚が正しいのか、主人から鞭や叱責は飛んでこない。むしろ会話を楽しむようだった。また手を引いて、歩けるようになった俺を連れて部屋を出ていく。召使たちはついてこなくて、また主人と二人きりだ。風呂のことを思い出して心配になる間にも、歩幅に気遣わず主人は先へ先へと進んだ。
 長い回廊の途中で、柱の間を抜けて外に出た。綺麗な庭は先程のものとは違って見える、多分中庭というやつだ。広すぎてそんな気もしないが、おそらく。
 広い庭の中にまた建物が見えた。屋敷と同じ石造りの、小さな建物。敷石を踏んで近づくと小さいといっても一つの家くらいの大きさだと分かった。扉を開けて中へと引きこまれると薄布が揺れた。
 いくつもある窓から注ぐ光を柔らかく調節する為に、何重にも薄いカーテンがかかっている。広い部屋にもかかわらず質の良さそうな、厚みのある敷物が床の半分以上を覆っていた。
 テーブルや椅子などの家具が揃って、大きな机もある。ついたてがある向こうの壁の窪みがベッドになっていて布団やクッションが詰まれている。入ってきた以外に出入り口が一つあり、淡く水の気配が分かる。そこはまた、さっきのものとは別の小さな風呂に続いているようだった。
 本当に、これだけで立派な家だ。此処で何日だって過ごして眠れるだろう。玻璃ガラス球のランプもいくつも吊るされていた。夜も明るくできる、裕福な人の贅沢な家。それがまた一つ別に、屋敷の只中にあった。
 行き止まりだ。四方囲まれた場所で、俺は再び手を離して向き直った主人を見上げた。金の瞳が既にこちらを見ていた。
「お前、名前はあるのか」
 名を聞かれたことなど今までほとんどなかった。胸に見える鍵が、こっちを見る金色の目が、俺の口を開かせる。
「ハツカと、いいます、ご主人様」
「私はアルフだ。覚えておけ。呼び方はそれでいい。悪くない」
 久しぶりの名乗りは案外すらりと声になった。名乗られるのも珍しい。主人――アルフ様は頷いて、続けた。
「ハツカ、お前は此処で暮らす……違うな、此処で生きる。此処は私の部屋だ。私が不在のときは此処で待っていろ」
 ここが俺の、今回の仕事場。俺はこの部屋の冷房――兼、主人の性の捌け口というところだろうか。
 建物自体は大きいし風通しもいいが、広さとしては問題がない。これくらいなら俺一人でも十分に冷やせる。やろうと思えば氷室のようにすることだってできるだろう。ずっとは、相当疲れるけど。
「はい、分かりました」
「いい子だ。たまには外にも出してやる。……何か欲しいものはあるか?」
 嫌と言っても通らないだろう。応じると頭に手が置かれた。一瞬は殴られるかと思って身構えてしまったが、違う。子供のように撫でられたらしかった。
 手の重み。風呂場で感じたほどの恐怖はなくて、ただ困惑する。
「……水を頂けませんか」
 問いかけにも少し悩んだが、緊張からか酷く喉が乾いていたので素直に言ってみる。と、主人はテーブルの上から玻璃の水差しと揃いのグラスを手に取り、水を注いで俺に差し出した。軽い所作だが、金の細工もついている透明な薄いグラスは多分高価な品だ。昔飲み物を冷やす為にと渡されたポットを割ってしまって折檻された記憶が甦る。
 中身だって、ミントとライムが入った香りのよい水だ。普通なら奴隷には与えられない。主人の為に用意された物に違いないが。
「なんだ、飲まんのか」
「いえ、ありがとうございます……」
 不審そうな顔に急いで礼を言ってしっかりと受け取ったグラスにそっと口につけた。含んだ水は冷たくて、とてもおいしい、すんなりと体に沁みる感じがした。止められなかったのでつい一杯飲みきると、主人はグラスを取り上げて自分も一杯飲んで、壁際へと向かった。ベッドに腰掛け、手招きする。
「寝るからこちらに来い。少し涼しくしろ」
 そこで俺はようやく、氷精ヒエムの力を使った。部屋に籠っている熱気を払って薄く冷気を満たす。カーテンが少し揺れるのを視界端にベッドへと近寄ると手を引っ張られ――ぎゅうと抱え込まれた。そのまま横になる。急なことに驚いて声も出なかった。
「軽いな、丁度いい」
 俺の体は主人の体の上でうつぶせになっていた。広い胸に押しつけられている。
 主人は俺が纏う冷たさを感じているだろうが、俺は主人の熱を感じた。体温、感触、匂いも。俺と違ってしっかりと肉のついた体は何か植物のような、少し甘くて少し苦い匂いがした。
「あの――」
 別にこんな風にしなくても、横に立って主人に冷気を送ればいいはずだった。扇でも持ってあおぎながら。むしろ目障りだから部屋の隅に居ろと命じられることも多い。それで十分だから今まではそうしていた。奴隷に触れたがる人間はあまりいないのだ。主人は変わり者だから別なのかもしれないが……
 ――ああ、そうか、性奴隷だから? 寝る、ってそういう意味か?
 後で広げてやる、と風呂場で言われたことが頭を過ぎった。
「起きていてもいいが騒ぐな」
 けれど、動いた手は尻ではなく再び頭に乗った。切りたての髪を混ぜて、耳を摘ままれたので顔を上げると今度は頬を掴まれた。
 細くなった金の目が近い。口に柔らかいものが触れる。飲んだ水と同じ味と香り。
 接吻された。
 唇と、鼻を辿り頬にも。
 離れた主人は笑って目を閉じ、驚いて固まる俺の頭を再び胸へと押しつけた。
 そういうこともするのか、そうか。性奴隷は他には何をするのだろう。などと考えて動けずにいる間も、主人の手は尻には伸びてこなかった。そのうちに呼吸が深く規則的になって、寝息になる。呼吸と共に腹が上下するのを己の腹で感じる。
 寝る、のが眠るの意味ならそれはそれでこの後どうしたらいいのか分からず、俺は主人を起こさぬようゆっくりと動いて、間近の顔を見遣った。目を閉じていると見やすくて、ようやくまじまじと顔を見ることができた。さっきの笑みも思い出す。
 奴隷の趣味は悪いし変わり者だけど、この人自体は顔も整っていて綺麗な人だ。俺みたいな顔の斑はなくて、肌にも髪にも潤った生気がある。
 加護つきだし、この土地も脈が通っているから王宮の近くだろう。成金の商人などではなく貴人だろうが、俺にはそれくらいしか知れない。やっぱり俺よりいい奴隷を買えただろうっていうのは、確かだけど。
 自分を―――主人の周りを冷やしながら、俺はぼんやりと主人と部屋の景色を眺めていた。綺麗なところだ。先程まで居た市場とは大違いで楽園のようだ。同じなのは動けないことくらいか。
 こんな場所でも相変わらずこれからの扱いのことを考えると気が重いが、しかたない。
 俺は奴隷だ。好き勝手にされるのは毎年のことと言えば毎年のことだ。今年もそのうち慣れるだろう。……そう思いたい。
 尻を広げられるのは怖いので、主人の気が変わってくれるといいのだが。
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