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二章 恋愛編

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 更衣室で囲まれること二回目。



「つ……付き合ってます」



 昨日は言っていいのかどうかわからなかったけど、今日は言える。というか言った。

 火曜日も朝から囲まれていて逃げ回るとヒートアップしそうだし、一賀課長は噛み跡隠さないしで、結果的にはもう隠しても無駄だと観念した。……もちろん私としては隠しておきたかったわけだけど。

 靴に画鋲入れられたり、足ひっかけられて転ばされたり、非常階段に呼び出しくらったり、怪文書のファックスが届いたり、更衣室のロッカーが悲惨な事になったりするという少女漫画とドラマで仕入れた嫌がらせ行為のいくつかのパターンを想像してしまい、ちょっと怖い。

 ちなみに篤のファンによる私に対する嫌がらせは、パーティーでの足ひっかけと(さりげなく篤がガードするので今のところ転んではいない)、遠くからこちらを見てクスクスというやつくらいだ。あとは個別にこっそり嫌味を吐いたり小突いたり睨んだり。
 あの人たち、育ちがいいから結局あまりエグい事は出来ないらしい。お嬢様って詰めが甘い。代わりにしつこいけど。

「いつから付き合ってるの?」
「つ、つい最近です」

 いつから付き合っているのかは正直私にもよくわからないのでアバウトに答えたところで、丁度始業五分前のチャイムが鳴った。それを合図に、更衣室で取り囲んだ人たちは解散した。というかこれ以上何かを聞く元気がないようにも見える。
 ホッとして解散……もとい更衣室から出ていく様子を眺めていると、更衣室に残った既婚者の方々の一人が私に聞く。

「町中さん、首どうしたの? 昨日は無かったわよねそれ」

 私の首すじに貼られた大きな絆創膏を見ている。

 一賀課長が昨晩噛んだ場所に貼られた絆創膏だ。
 よりにもよって正面からも見える首すじを噛まれていたので、絆創膏を貼るしかなかった。
 キスマークなんて可愛いものではなく、本気の噛み跡だ。さすがに噛み跡を剥き出しで会社を歩く勇気は私には無かった。

「……虫刺されです」
「こんな時期に?」
「こんな時期に」
「ま、ずいぶん、エッチなところを刺されたのね~」

 思わずゲホッと咳こむ。

「意外に課長ったら……ねえ」

 既婚者軍団は目配せしてクスクスしている。
 ……いじめられてはいないけど、これはこれで辛いです……。




 作り笑いでやりすごしながら更衣室を出ると、入り口で誰かにぶつかりそうになった。

「ご、ごめんなさい」
「平気よ。町中さんこそ大丈夫?」

 そう聞くのは昨日助けてくれた品質管理部の彼女だ。

「今日は何もされてない?」

 どうやら今日も様子を見に来てくれたらしい。優しい。

「今日は……その、付き合ってるって言ったら、すぐに終わりました」

 そう言うと、彼女はたじろいだ様子で私を見た。

「……ホントに……付き合ってたの?」
「え? あ、その……はい」

 一賀課長が顔を撫でていたところを見ていた割にはビックリしているけど、確かにそれだけで付き合ってるのかどうかの判断って微妙かもしれない。会話を聞いているわけじゃないし。しかも相手はモブの私ですからね……。

「町中さんって、もっとこう、なんでもしてくれる王子様みたいなのが好きなのかと思ってたわ。生活の面倒見てくれるような……」

 なにその具体的な王子様像。

「あ! ちょっと町中さん、社員旅行についてなんだけどー」

 ふいに数メートル先の廊下の角から声をかけられた。
 声の主は総務部の先輩こと井上先輩だ。井上先輩は歓送迎会で営業事業部の幽霊の存在を私にバラした人である。
 この人が余計な事を言わなければ……なんて、最初の頃はちょっとだけ思ったけど、この人が言わなくても一賀課長が後で教えて結果的には今と同じ事になっていたと思う。

 ちなみに、女性社員の先輩が多数いる総務部の中でと呼ばれるのは彼女だけである。なぜなら最年長である彼女が『お局と呼ばれるくらいなら先輩にして!』と飲み会で絶叫したとかなんとかで、それ以来先輩と呼ばれるようになったらしい……とは総務部の関くん談である。


 品質管理部の彼女は井上先輩がこちらに来たところで、じゃあ、と背を向けて行ってしまう。

「今いたの、もしかして品質管理部の百瀬ももせさん?」

 井上先輩がそう言う。
 百瀬さんーーー申し訳ないけれど、今知った名前に、私は曖昧な笑みを浮かべた。

「品質管理部の、だっけ。去年入社の」
「ご令嬢?」
「彼女、縁故入社らしくてしかもどこかの社長令嬢って噂でねー。まあ仕事は普通に出来るどころかすごく熱心で、残業も土曜出勤もやるらしいけど、そうすると品質管理部の人間が上の上のお偉いサンから注意されるらしくて。本人はちっとも悪くないんだけど、影でって言われてるらしいの。知らない?」
「いえ……」
「まあ、町中さんは新入社員だもんね。そんなゴシップ誰も教えないか!」

 ええ、そうですね。誰も教えない営業事業部の幽霊話を教えてくれたのも貴女くらいでしたからね……。

 
 百瀬さんが目撃した一賀課長と私の事を言いふらさなかったのは、育ちのいいお嬢様だったからだろうか。それなら言いふらさなかった理由に納得する。

 それにしても本人が頑張って仕事しているのに、家の人が会社に口に出すなんて百瀬さんの邪魔をしているとしか思えない。でも家の人は百瀬さんがどんな風に働いているのか知らないから、彼女の為を思って口を出しているのかもしれないし、こればかりはお互いが話し合いをするしかないだろう。

(それでも……歩み寄りは難しいかもしれないな)

 お嬢様が働くなんて、珍しいのだ。

 篤についてパーティーを回るとわかる。ほとんどプー……いえ、つまり家事見習いだ。もう親が決めた結婚相手がいて相手の家に入るのが決まっているからこそ、だけど。
 働くかどうかはどの程度の『お嬢様』かにもよるけど、家の人が会社の上の上から口出し出来るなら、百瀬さんは結構いいところのお嬢様なのではないだろうか。

「あ、それで聞きたいのは旦那の事なんだけどね」
「旦那?」
「一賀課長の事よ?」

 さらっと言って、井上先輩は脇に挟んだバインダーを開いて私に一枚の書類を渡した。

 「……あの、旦那じゃないです。断じて違います」
「町中さんのその浮かれないとこ好きよ。で、旦那の事なんだけど」
が、なんですか」
「旦那の旅行中の連絡先確認しておいてくれる? ほら、旅行中は会社用の携帯は使わないから」

 まったく聞き耳を持たない井上先輩は、一賀課長の事をずっと旦那呼ばわりで、私の精神をゴリゴリと削ったのだった。

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