ホラーエンドは始まらない！

一章 邂逅編

16

　私は前世での小説の情報を総動員した。

　幽霊に気付かないようにするために、誰かと寝るなんてあったのだろうか？ いやない。
　そもそも気付かない方法、なんてのも聞いた事もない。
　それにあの小説は全年齢対象……じゃないな、R15くらい？ うん、でもそんな会話はなかったはず。

　誰かと寝るという事は、逆に処女だとそういったものにエンカウントしやすい、というルールでもこの世界にはあるの？ 作者何考えてんの？ あ、処女とは限らないのかな？ いやでも清いとか穢れない、とか言うし……いいや、後でそれは確認しよう。今こんな所で聞くことじゃない。

　それか、単に一賀課長のタチの悪い冗談という可能性もある。……と、考えたけれど、課長は冗談言うタイプではなかった。この人、柔軟だけど性質はかなり生真面目な気がする。
　ただ、課長みたいな人なら女に困ってるはずもないだろうし、私と寝ようと提案する理由がそれでいいのかという気もする。

　別に処女を大事にとっていたわけではない。女子校育ちで異性と接する機会が極端に少なかっただけで。
　一賀課長にキスが初めてだとバレているなら処女なのはとっくに分かってるだろうし、今、課長が私に言った事もただの解決案にすぎない。 
　幽霊に会って死にはしないし、一賀課長と寝たからといって死にはしない。
　ただ、どちらを選択するか、だけの話だ。


「お断りします」


　頭の中で理性的に考えて、じゃあ寝る方で、と結論を出したのに、なんと口から素直な気持ちが漏れてしまいましたよ。

　……とりあえずヤッとく？ みたいなのは嫌だという気持ちは誤魔化せなかった……。
　課長と寝るのが嫌とかそういう事ではなく、初めてだろうとそうでなかろうと、するなら好きな人とがいい。

　一賀課長は、胸ポケットから眼鏡を取り出して掛けた。苦笑している。その様子で、悪い冗談を言った訳ではないのは分かった。

「俺は君を異動させたい。君は異動した先で平穏無事で仕事したい。お互いに利益はあると思うんだけどね」
「……そう……ですけど……」

 　いきなり隣にあらわれた『芹沢七緒ホンモノ』を、私はガン見する。
　……いやいや、これは、ただ眼鏡をかけた一賀課長だから。それに同一人物だから。
　頭ではわかっているのに、まったく違う人間に見えてしまうのは、酔っているせいだと自分に言い訳した。

「……課長は、いつも眼鏡はかけていませんよね？」
「ああ、普段はコンタクト。でも長時間だと乾燥するから、今日はここに来る前に外してきた」
「そう、ですか」
「このくらいの距離なら、相手の顔は裸眼でも見えるしね」

　スーツを着た芹沢七緒が、私を見ている。そう思うだけで、フワフワした気持ちになった。あ、だめだ、頭の中が混乱しすぎてる。思わず顔が赤くなる。

「…………ねえ、そんなに見つめられると変な気になる。この間もそうだったけど、眼鏡を掛けた俺が好き？」
「な」

　何を言って、と続く予定だった言葉は、重ねられた唇に抑えられて発する事はなかった。
　カウンターの端に座っているし、一瞬の事だったから、周り誰も気がついてない、はずだ。
　私から離れた形の良い唇を、思わず目で追う。

「……もう一度聞くよ、俺と寝る？」