上 下
1 / 145
一章 邂逅編

1

しおりを挟む
 銀色のカードキーが、真っ黒なつややかな大理石の床にぽつんと一枚落ちていた。

 落ちているのは私が持っているものと同じ、このマンションの住居玄関用のカードキーだ。

 ここは低層高級マンションの入り口を入ってすぐ、各部屋ごとのメールボックスがあるエリア。
 このマンションは入り口に管理人も24時間駐在しているし、住人も少なく人の出入りはあまりない。
 カードキーが落ちていて無用心ではあるが、このエリアに来るまでに一度暗証番号を入力して入り口の自動ドアを開けなくてはいけないし、万が一泥棒が拾ったとしてもエレベーターでは別のカードキーが必要になるのでそこまで心配する必要はない。
 住居玄関用のカードキーは、カードがなければ普通の鍵でも開ける事が出来る。持っていればの話だが。

 問題はこのカードキーをどうするか、だ。


 私はとうとう現れたこのフラグに、眉間を寄せた。



 異世界転生なんて話は、小説で沢山読んだ。


 その中で好きだったのは乙女ゲームの主人公転生物語だったり、はたまた悪役令嬢が断罪エンドを回避するための奮闘記だったり、チート能力で異世界で無双するとかの定番だ。
 主人公が強くてハッピーエンドになるやつが大好きだった。

 だから私も気がついたら物語の中に転生していた、と気がついた時は一瞬だけ喜んだ。

 そう、一瞬だけ。

 なぜなら転生した先は、前世で人気のあったーーーホラー小説だったから。

 逆ハーレムどころか異世界ですらない。
 前世も今世も、変わらず現代の日本なのは馴染みやすかった点では良かったけれど。

 前世で人気があったそのホラー小説は、ホラーの割にはイケメン達が前面に出ていることも人気のひとつだったけれど、夜中には一人で小説を読めないほどの恐怖のストーリーが最大の人気の理由だったはずだ。かく言う私も一人で読むには怖くて、電車の中や常に人がいるところで読んでいたっけ。

 主人公が女の子なのに小説の中では恋愛のれの字もないので、それだけは少々残念な気持ちだったのは覚えている。登場主要人物にイケメンがいるのにもったいないと。


 けれど転生した今、私はそのイケメン達には会いたいとは思わない。

 前世でホラー作品はいわゆる娯楽だ。
ありえないと思っていたから楽しめた。

 この今世がホラー小説の世界というなら、世に在らざるものや呪いの類いが間違いなく存在する事を私は知っている。
現時点ではまだ見たことも体験したこともないが、出来ればそれは死ぬまで未体験でいたい。

 そう考えるから、私は小説の登場人物達と接点を持つ事が怖かった。

 私が転生した先は主役でも準主役でもない。脇役ですらない。
 小説の中で時々出て来る、町中佐保まちなかさほ、という女性が今の私だ。
 準主役の住む自宅兼事務所のマンションの同じ階に住む隣人という役どころ。
 わかりやすく言うとモブ。小説の成り行きに関わる事もなく、死亡フラグもないのが救いだ。サスペンスドラマなら「ああ、隣の人なら先週引っ越しましたよ?」と一言刑事に言うポジションになる。

 私はこのマンションに引っ越ししてきてまだ一週間という事もあり、幸いにも彼らとはまだ一度も顔を合わせていない。
 小説の中では、隣人の事務所に出入りする主人公たちとたまにエレベーターで乗り合わせたりする程度なので、乗る前に周りに人がいないかどうか確認して乗れば、接点は作らずにいけるのではないか。そう考えていた。

 けれど、床に落ちているカードキーを見て、私は最初のフラグを思い出したのだ。

 そうだった。

 一番最初の出会いは、このカードキーを私が拾い、管理人に届ける事によって隣人達との最初の交流が始まるのだ。

 管理人から、カードキーを拾って届けたのが隣人の私だと知ると、律儀にも隣室の準主役が菓子折り持って挨拶に来るのだ。
 それが顔見知りになる第一歩だった。

 それを避けるなら管理人に届けなければいい。
 つまり拾わない。見なかった事にするのだ。

(だけど……カードキーが無いと後で困るよね?)
 カードキーを見つめて悩んでいたら、どうやら数分経過していたようだった。

「どうした、佐保」
 そう言った兄の篤がこちらに向かって来る足音がした。
 メールボックスに郵便物を取りに行った私がいつまでたってもエレベーターまで来ないから、しびれを切らして迎えに来たのだろう。
「なんでもない」
 私は慌ててカードキーを隣室のメールボックスにつっこんだ。受け取りエリアからでも郵便物が入れられる仕組みになっているのだ。
 これで私も隣人の準主役も困らない。

 よし、これで最初のフラグは折った。

 私は小さく息を吐いた。
 どうやら突然現れたフラグに緊張していたらしい。
 一度深呼吸し、何もなかったように兄の元へ歩いて行く。


 けれど、これが間違った選択だったと気がついたのは後々の事だったーーー。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

生贄にされた先は、エロエロ神世界

雑煮
恋愛
村の習慣で50年に一度の生贄にされた少女。だが、少女を待っていたのはしではなくどエロい使命だった。

悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~

一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、 快楽漬けの日々を過ごすことになる! そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

私は何人とヤれば解放されるんですか?

ヘロディア
恋愛
初恋の人を探して貴族に仕えることを選んだ主人公。しかし、彼女に与えられた仕事とは、貴族たちの夜中の相手だった…

18禁の乙女ゲームの悪役令嬢~恋愛フラグより抱かれるフラグが上ってどう言うことなの?

KUMA
恋愛
※最初王子とのHAPPY ENDの予定でしたが義兄弟達との快楽ENDに変更しました。※ ある日前世の記憶があるローズマリアはここが異世界ではない姉の中毒症とも言える2次元乙女ゲームの世界だと気付く。 しかも18禁のかなり高い確率で、エッチなフラグがたつと姉から嫌って程聞かされていた。 でもローズマリアは安心していた、攻略キャラクターは皆ヒロインのマリアンヌと肉体関係になると。 ローズマリアは婚約解消しようと…だが前世のローズマリアは天然タラシ(本人知らない) 攻略キャラは婚約者の王子 宰相の息子(執事に変装) 義兄(再婚)二人の騎士 実の弟(新ルートキャラ) 姉は乙女ゲーム(18禁)そしてローズマリアはBL(18禁)が好き過ぎる腐女子の処女男の子と恋愛よりBLのエッチを見るのが好きだから。 正直あんまり覚えていない、ローズマリアは婚約者意外の攻略キャラは知らずそこまで警戒しずに接した所新ルートを発掘!(婚約の顔はかろうじて) 悪役令嬢淫乱ルートになるとは知らない…

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

処理中です...