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二章 恋愛編
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しおりを挟むついに小説の登場人物の二人目が登場した。
私は動揺が顔に出ないように俯いた。
「……さあ……そういうのは私は詳しくなくて……」
「あ、そうだよね、君はどう見ても事務方だもんね。ごめんごめん」
私が俯いて言った様子が言いにくそうに答えたように見えたのか、慌てて彼は謝る。そして思い出したように自己紹介をしだした。
「あ、僕は平泉って言うんだけど、こう見てもここで長年事務してるからさ、分からない事があればなんでも聞いてね~」
「……平泉さんは、いつもここで仕事を?」
いつの間にか事務所らしき区画まで連れてこられていたので、あたりを見回しながら私は尋ねた。
役所のように廊下と部屋の間を仕切るようにカウンターがあり、カウンターの奥に事務机が四つ並んでいる。
「そうだよ。建物が古くて暖房がきかなくて冬だけ本気で困るんだよね、ここ。ホント給料が良く無かったらこんな訳の分からないとこで長年働かないよねえ」
「はあ……」
ものすごい早口で喋る愚痴に、何と言っていいのか分からず私は曖昧に頷いた。
「ところでさ、最近の芹沢さんってどうなの? つがいが出来て、しかも結婚したって言うじゃない。やっぱりあの人でも浮かれてる~?」
平泉さんは事務机の所まで行くと、その机に置いてあった書類を封筒に入れながら、興味津々の様子で私に聞いた。
どうやら彼は結婚した事は知っていたらしい。協会も会社組織的なものみたいだから七緒さん自ら報告したのかもしれない。
けれど、目の前にいる私がその芹沢七緒の嫁なんですが───とは今更ながら言い出せなくなってしまった。
どう見ても事務方に見える私が妻というのは……自己申告したところで平泉さんに信用してもらえない気がした。そもそも最初から「妻」と言ったのに、その時点で芹沢七緒の妻だと認識してもらえなかったのだ。
「……浮かれてはないし、いつも通りでしたよ」
協会に入るのをビビる私を見て笑顔を見せた七緒さんの顔を思い出し、思わず眉間に力が入る。そうだ、あの人は安定のいつも通りの鬼畜だ。浮かれてはいなかった。
「なーんだ、そうなの?
大抵、術者はつがいが見つかるだけで浮かれるじゃない? だからいつも真面目な芹沢さんが浮かれてるとこを期待してたのに残念……いや、待てよ、ひょっとしたら浮かれているのを周りに隠しているのかもしれないよ! 絶対そう!」
「は、はあ……」
気のない返事をすると、平泉さんがくわっと目を見開いてびっくりしたように私に問う。
「ちょっと~、君、テンション低いよ。ホントに芹沢の人間なの? つがいが見つかって嬉しくないの? 芹沢家の血統でつがいが見つかるなんて久しぶりなんだから、今頃お屋敷じゃお祭りでしょ」
───お屋敷?
───お祭り?
私はこの小説の世界の話を、本の内容を隅から隅まで把握している。何度も読み返したのだ、覚えていないはずがない。
だから、つがいの話なんて小説の中には出て来ていないのは間違いない。
いやほんと、つがいってなんなんだろう。
もちろんつがいの意味は分かる。動物的に言う夫婦だ。ちなみに七緒さんが言うつがいは、ニュアンスとしては夫婦になる事が決まってる雌雄、という感じだった。
けれどその『つがい』が芹沢家がお祭りになるような、そんなに何か重要なものなのだろうか?
私はカウンター越しに平泉さんを見た。
平泉さんなら関係者ではあるものの、生活上接点の無い、術者ではなくただの事務の人だ───これぐらいの距離感の人だと逆に聞きにくい話も根掘り葉掘り聞けそうな気がする。
「私、芹沢の家に入ったばかりでまだ良く知らないんですけど、つがいってどんな役割があるんですか?」
「つがいが役割? ……面白い聞き方するね」
心なしか平泉さんの声が低くなったようにも聞こえた。けれど平泉さんは変わらず人懐っこい笑みを浮かべていたので、何かまずいことを聞いているわけじゃない───と信じたい。
「何か役割があるはず……いえ、あるのかなって。私の想像でしかないんですけど」
もし小説の中に『つがい』の設定があったのならば、それはきっと物語上で何かしらの役割があるのではと考えた。
この世界を作った作者が、ただ男女をイチャイチャさせたくてのつがい設定だったらお手上げだ。けれど他の作品の傾向を見ても、作者がそんなハートフルな展開のためにつがいの設定を使う事は無いような気がした。
それにこの世界の元であるホラー小説では、基本、問題の解決というのがお話のゴールであって、ハッピーエンドはゴールではないのだ。つがいの設定があるのなら、きっと作者ならば何かヒリヒリするような展開で使うのではないだろうか。つがいが見つかって芹沢家の皆様がハッピー、で終わる方がおかしい───当事者の私が単純にハッピーな展開を信じていないのは、作者を崇拝しているからに他ならない。そしてあの作者なら絶対に読者の期待を裏切る展開を書く、という確信だ。
「うーん、どこから説明しようかな───術者にとってつがいが運命の相手っていう話は? ……あ、知ってる顔だね。まあでも、運命だからといって恋愛対象とは少し違うみたいなんだよね。
家族を形成させるベストパートナーと言った方がいいかもしれないな。つがいが出来ると術者自身の力が強化され、さらには生まれてくるの子供は術者の親から受け継ぐ力も安定するから」
「じゃあ……つがいというのは、能力を残す目的があるんですね」
前世の青娥家で必要とされていたのは『血統』だった。今世、術者に必要なのは『能力』だという。
それはおそらく普通の人間たちとは違う。生きて行く世界が違うと、やはり生殖本能も違うものになるのかもしれない。
「それから、つがいになった二人は寿命が同時期に来ることから、つがいになると魂魄がくっつくと言う人もいるね」
「くっつく?」
「片方が死ねば、片方も同時に死ぬ。病死でも事故死であってもね。命の炎は一緒って事かな」
同時に死ぬだなんて───それは知らない。それは聞いてない。
私が死ぬ瞬間、それは七緒さんが死ぬ瞬間でもあるという事だ。
一瞬だけ過去の死の記憶が蘇り、指先が冷たくなっていく感覚にゾッとする。
「もし術者のつがいが無力な人間だった場合、そのつがいは敵対する術者の格好の標的になるんだけど……芹沢さんのつがいはそこんとこ、どうなの?」
「それは……その」
───どうもこうもない。
私は普通の人間だ。守る術もない、ただの人間だ。
私は私自身を守ることが出来ないどころか、私の存在は七緒さんを危険に晒してしまう、という事実に血の気が引くのを感じた。冷たくなる手先をぎゅっと握りしめる。
「ま、芹沢さんのつがいがどんな人かはそのうちわかるか~。ちなみに君、対香は知ってる?」
「術者の人が、つがいに付ける個人の香りだと聞いてますけど……」
瑠璃いわく、私にもその対香とやらが付いているらしい。そしてそれは術者や瑠璃みたいな能力がある人間にはわかるという。
平泉さんは私についた香りに反応している様子はなかった。そもそもそれが判っていたら、私が芹沢七緒のつがいで、すなわち妻だと気づいていたはずだ。という事は、つまり彼自身も普通の人間なのだろう───給料が良くなければこんなとこいないと嘆いていたし。
「そう、その個人の香りね。対香はその香りそのものが、つがいをガードする簡易結界でもあり、香りで誰のつがいか周りに知らしめるマーキングでもある。
……けど僕、常々不思議だと思ってるんだけど、対香なんて付けて自分のつがいだと周りにアピールする必要ってあるのかな? どの術者の相手なのか、第三者にバレバレでしょ。ピンポイントで攻撃できちゃうじゃん。そっちのリスクが高い気がするんだよね……」
言われてみれば確かにそうかもしれない。
敵がいない種族ならともかく、術者なんて敵がいてこそ成り立つ仕事だ。確かに対香の機能は術者にとってデメリットの方が大きい。
「それがわかっているなら……つがいを見つけても、あえてつがいにならないっていう選択をする人はいないんですか?」
「うーん、それがいないんだよねえ。
───いや違うか。実はいるかもしれないけど、つがいになりませんでしたって報告する人はいないから、分からないっていうのが正しいかなぁ。
ただ、つがいに出会ったら本能で術者はつがいを拒否出来ないらしいから無理なんじゃない? 逆に言うと、僕はそっちの方が怖いよ」
「そうですか?」
「だってそんなの、恋愛じゃないでしょ。なんかもう絶対断れない見合いみたいじゃない?」
平泉さんは真面目な顔で嘆く。
いい歳した大人の男性が、恋愛じゃない、と断言するのに何と返せばいいのか、私にはまだまだ人生経験が足りなかった。思わずじっと平泉さんの嘆き(?)の顔を見てしまったせいか、彼はその視線に顔を赤くして手を振る。
「まあねっ、僕より協会長の武庫川さんはもっと詳しいし、色んなレアケースも知ってるから、興味があるなら今度会った時にでも聞いてみたらいいよ」
「そ、そうですね……」
平泉さんが言うのに、今度は私が無理矢理笑顔を作って頷く番だった。
武庫川さん───それはやはり、武庫川晴雨の事だろう。
会いたくない。
いつか会うことはわかってる。でもまだ今は会いたくはなかった。
「武庫川さんは君より歳上だけど、女性同士なら話も合うと思うよ」
「…………じょせいどうし?」
女性?
誰が?
まさか武庫川晴雨を女性と言った?
「そんなはず……」
「まあ術者では女性は珍しいよね。武庫川さんは正真正銘の女性だよ。武庫川九美子って名前でね」
私の動揺を、平泉さんは女性の術者がいるはずないという意味に捉えたようだった。
───武庫川九美子。
その名前には聞き覚えはない。
私が知っている武庫川は、武庫川晴雨という名前で、男性なのだ。
「あら、お客様?」
不意に、鈴を転がすような声───声だけで美女だと確信出来る女性の声が事務所の奥から聞こえてきた。
よく見ると事務所の奥にはつい立てが置いてあり、その奥には扉らしきものがわずかに見える。そのつい立ての横から、黒ニットのタイトなロングワンピースに長い黒髪、三十代前半くらいの女性があらわれた。
(わ……凄い美人……)
失礼な言い方だけれど、幸薄い系というか、でも魔性系というか。眼差しが慈愛に満ちていて表情が柔和。けれど少し寂しそうにも見える。儚さが強くイメージに残ってしまうような、そんな雰囲気がある女性だった。
そういえば私も自分で言うのもなんだけど、学生時代から儚い系と言われてきた。
主に人形みたいで、少し動いたら壊れそう、という意味らしい。褒め言葉なのかどうかすら今でもわからないけれど、明らかに物理的な儚い系扱いな気がする。当時はトイレに行こうとすると同性の同級生にすらギョッとされたっけ。人形じゃなくて人間なんだから排泄くらいする──────そうだ、トイレだ。すっかり忘れてた。
思い出したとたんに、額から変な汗が出てきた。
「……あの……スイマセン、お手洗いってどこにありますか?」
「この事務所を左に出て階段を上がってすぐよ」
女性が私にそう言って向かう方向に指をさす。
「あの! 私、ちょっと用事を思い出しましたので! お仕事の邪魔してすみません、もう失礼しますね。お話し色々参考になりましたっ」
私はそう挨拶すると慌てて教えられたトイレのルートを全力疾走していた。
───走り出してから平泉さんが渡そうとしていた書類を受け取りそこねていた事と、先程トイレの場所を教えてくれた女性に挨拶をするのを忘れていた事に気づいたのだった。
「見た目の割には騒がしい子だね」
男の言葉に、女は笑う。
「そう? 私は思っていた通りよ」
「写真だと美少女~って感じだけど、なんかボンヤリしてるし、篤くんの妹のわりにはお嬢様っぽさもない感じだし。それにスキありすぎ。芹沢七緒の妻って意識足りないんじゃない?」
「だから意地悪したの、二ノ宮? さっきトイレに辿り着けないように細工したわね?」
「九美子さんにはお見通しか」
その言葉に、女───武庫川九美子は、悪戯を見つけて笑いが抑えられない、というように口元を押さえながら答えた。
「あの子を見張ってたら、平泉に変装した二ノ宮があらわれたから、やっぱりって思ったわ。
貴方と七緒は仲良し従兄弟で、今までつがいがいなかった同士。けれどどちらかにつがいが出来たら? 七緒はそうでもないでしょうけど、貴方みたいな依存度が高いタイプは、きっと七緒のつがいに嫉妬丸出しにすると予想してたの。七緒につがいをくれとか言ってダダこねたり、つがいにちょっかい出して関係を掻き回してみたり。まるで中学生みたいにね」
「……うるさいよ。まるで見てきたみたいに言わないでくれないかな」
「あら、やっぱりくれって言ったのね」
「……」
「でも、あの子はだめ。貴方でも手出しはしないで」
「なんで? 七緒くんのつがいだから?」
九美子は微笑んで、佐保が去って行った方向に視線を向けた。彼女の口元は、嬉しくてたまらないとゆるみそうになるのを耐えているようだった。
「七緒のつがいだからじゃない。最初からあの子は私のもの───だから監視対象なのよ」
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