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二章 恋愛編
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しおりを挟むそれは実際のところ、八重以外の青娥の人間はすべて知っている事実だった。
青娥では家長に兄弟がいる場合に後々家督争いで揉める可能性を考慮し、家長となる人間の兄弟は小さいうちに養子に出されるのが慣例で、それは珍しい話ではない。
だが『なりそこない』である八重に、それをわざわざ教える親戚の人間はいなかった。
家長の弟が自分の弟だと知れば、『なりそこない』のくせに態度が大きくなる可能性を親戚連中は不快に思ったのだろう。親戚連中の選民思想が根強いせいで、余計な事を八重に伝えない事だけは、道雄にとっては都合が良かった。
いずれ知られる事であっても、道雄は自分の意思とは関係ないところで八重に知られたくはなかったからだ。
「あれは消滅したがっているんだよ。だから八重には何もしないはずだ」
「消滅?」
「霊的なものに死という概念はおかしいけれど、自殺志願というのかな。彼らみたいなモノは肉体を持たないせいで終わりがないから。
まあ、僕みたいな気の利いた呪術師でなければ気づかないだろうね。封印していた頃からあれは全力で死にたがっていたから───長い年月、強い力をコントロールする事は楽じゃない」
「だから封印を解いてあげたわけ?」
「え、僕ってそんなに親切そうに見える?」
「いいやまったく。そんな話、今初めてしてる時点であんたホントに後先考えずにテキトーにやってんなって思ったくらいだよ。第一本当に気が利くなら、なんで消してやんねーんだよ」
「それなんだけどさ、あれに自分を殺す相手くらい自分で選びたいって言われたんだ。結構ひどいと思わない?」
「あいつ意外と賢いな」
「……素直な弟で嬉しいよ。まあだから、八重はあれにとっては丁度良い存在なんだろう。僕や歴代の家長たちですら手に余って封印し続けたあれを、八重は近づくだけでエネルギーを消耗させ続けるんだ。そうして、あれは少しづつ死んでゆく……羨ましいね」
晴海が言う『羨ましい』が、単純に八重の能力が羨ましいのか、それとも八重によって消滅を選ぶ事が出来るのが羨ましいのか、どちらなのかは道雄には分からない。だが言葉の意味は、限りなく後者のような気がした。
道雄は庭で犬となったものと遊ぶ八重を目で追った。
擬態する能力は相当な力が無くては出来ない。そして八重のそばで犬に擬態し続けるには今も相当の霊力が消費されているはずだ。晴海の言うとおり、目的が緩やかな自殺ならば八重自身は安全なのかもしれない。
だが心穏やかではいられない。
何よりも、八重が心を許す存在が、はしゃぐ相手が、自分以外にいるという事が道雄をイラつかせるのだ。
「……姉貴に絶対危害を加えないって確証は無いだろ」
「道雄は心配症だね。まあ封印を破った僕にも責任はあるから、なんとかするよ」
そう言うと晴海は指を鳴らす。
すると道雄と晴海の目の前に、やたらと装飾のついた白い蛇のようなものと、フワフワ具合が半端ではない黒い兎のようなものと、炎のような色と逆毛の赤毛の犬のようなものが現れた。
道雄と晴海の目線の高さに浮いたそれらは、機能性より美しさが特化した芸術品のようだった。まるで見てくれと言わんばかりだ。そしてその姿に、道雄は既視感を覚えた。
どこかで見た事がある。
どこかで───最近、この部屋で。
道雄は次の瞬間にはハッとして、部屋の額縁に入れられ壁にかかっているはずの絵を見た。
───いない。
絵の中に描かれていた動物が、いない。
「これって新しい手品か何か?」
「手品なんて僕は出来ないよ。だいたい、ただの絵を裏から叩いたところで、さすがの僕にだって出せない」
「じゃあ目の前にいるこいつらは? 間違いなくさっきまで絵だったやつだろ。つーか、……動いてるし……生きてるし……?」
それらは動いていた。
瞬きをしていた。
絵の中にいたものが絵の中にいないだけではなく、目の前で生きている。
それはたとえば、小学校の音楽室の壁に貼られた芸術家の絵画の目が動くだとかの学校の七不思議があるが、それとこれはまるでワケが違う。
「僕は彼らをこちらの世界に引き出しただけ。最初から彼らは絵の中で生きていたんだよ。生きていれば引き出すのは簡単だ。
そういえば昔、生きてる幽霊画の除霊した時は絵から幽霊を引き出したっけ……仕組みは少し似てる」
幽霊画の除霊。
その話は道雄も聞いた事があった。
何百年も昔───戦国時代より後の世、元は敵方の家に嫁入りする事になった娘が、嫁入り道具として持ち込んだ絵があった。それが件の幽霊画だったという。
どうやってその絵を手に入れたのか知らないが、その時点で絵の中の幽霊は生きており、娘の一族ではすでに呪われている絵と呼ばれていた。普段は倉に隔離されていたという。
だから絵を持っていくのは目的あってのこと、すなわち敵方の一族を呪い殺すためだ。娘は絵を婚家に隠して持ち込んだ。そして一カ月もしないうちにその家に住む人間はその娘もろとも亡くなったという。
そしてその絵は、結局そういったいわく付の絵として、そういったものを好む収集家の家の倉に長い時間眠る事となり、結局は晴海に除霊される事となるわけだが───自分も共に呪われて死んだその娘の気持ちなど、道雄にはわからない。命令されてしかたなくだったのかもしれないし、家の為には当たり前だと思って行動したのかもしれない。そういう時代だったのかもしれない。
けれどすべてを呪い殺す絵、という武器が悪なのではない。それはあくまでも、そういう機能がついているだけなのだ。扱う人の心次第でしかない。
「お前たち、僕の言葉はわかるね。
お前たちの仕事は八重とその身の回りの監視だ。何かあればすぐに僕に報告をするように。
期限は八重が死ぬまでだ。そうしたら自由にしてあげよう」
三匹は頷くと、姿を消した。
誰かを守る為の手段は様々ある。けしてひとつだけではない。自分を犠牲にする事も出来るし、晴海のように自分の力を行使して守る事も出来る。
けれど彼らの存在は八重には見えない。彼らと晴海が、彼女を守るために監視している事など知りもしない。
そう、きっと一生気付きもしないのだ。
一生。
───八重が死ぬまで。
まるでその言葉は、晴海が自分の一生を八重に捧げているように思えた。
けれど道雄は、まさか、という気持ちをすぐに打ち消す。八重にとっての家族である晴海の気持ちは、おそらく八重にとっては負担でしかないと思ったからだ。
「……あいつらも呪いの絵とかそういう系?」
「まさか、呪いの絵を八重の部屋になんかに置かないよ。客間にはあるけどね。
実はこれは青娥の人間が描いた絵なんだ。だから生が宿るというわけ。これ以上の説得力ある理由はないだろう?」
「……客間がなんだって?」
「僕、なにか言ったっけ」
「言った。客間に呪いの絵を置いてるって。なんでそんな危険なモノを、そんなところに置いておくわけ!」
その時は呆れながら道雄は晴海に説教したのだった。
だから───今の今まで、三国は本当に忘れていたのだ。
彼らの姿を見たのは一度きりだったし、彼らの術者名を聞いてピンと来るほど気にもしていなかった。
あの時は、犬に擬態した化け物にしか意識が行ってなかった。いや、そのあとすぐに客間に置かれた呪いの絵トラップを片付けていたので、彼らの事など思い出す暇もなかった。
白い蛇。
黒い兎。
赤い犬。
頭痛がする。
どこかで聞いた名と重なる。
『白蛇』
『黒兎』
『赤狗』
つい先日、芹沢と三国を激怒させて三国の部下になった三人組だ。そのうちの一人『白蛇』はまさに今、三国を乗せている車を運転している。
冷静に考えれば八重と道雄の二人だけがこの世界にたまたま転生した、なんて事の方が都合の良い話だ。
他の人間も転生している、という可能性をなぜ考えなかったのか。
『赤狗』には目という器用な能力がある。
主に遠くから見るだけの監視するだけの能力だが、その能力はこの世界の術者では珍しい能力らしい。通常は対象を監視するならば、自身ではなく、式を飛ばして監視するからだ。もしかしたらそれは、前世の世界の名残りなのではないか。
「……まさか人間に転生してるなんてこと考えもしないだろ……」
「それは俺もビックリです」
三国の小さな呟きに、運転席の『白蛇』から返事が返ってくる。三国はやっぱりと呻いた。
「おひさしぶりです、道雄様」
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