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23. 犬猿の仲

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 耳が痛くなるほどの静けさがあたりを覆う。
 蝉の声も、遠い葉っぱのこすれる木々の騒めきも何も聞こえない。
 ただ蓮の小さな息遣いだけが聞こえた。それから自分の心臓の鼓動も。

 蓮は紗世を見ない。いつも怖いくらいこちらに向けられている視線が、いまは地面に向けられたままだ。
 紗世は静かに聞いた。

「蓮、教えて。私の役目はなんだったの?」

 蓮がぴくりと反応する。顔は上げずに、地面を見ながら小さい声で答えた。

「無いよ、役目なんか……」
「教えて、知っておきたいの」
「なんで? なんで知りたいの」

 蓮が顔を上げる。その目は揺らいで不安げだ。

「嫌だよ。教えたら、アンタどうせ覚悟を決めるんだろ。同じ状況になったら、今度こそ死ぬんだろ。アンタはそういう人だ。他人には生きろって言うくせに、自分が死ぬことはなんとも思わないで! 僕がどんなに逃げようって言ったって、聞いてくれなかった!」

 話しながら興奮してきたのか、蓮の声がどんどん大きくなる。
 紗世は慌てて、落ち着かせようと蓮の名前を呼び、腕に手を伸ばそうとした。
 そんなつもりじゃないのだ。ただ内容を知っていた方が、今後の対策が立てやすいと思ったから聞いただけで、他意は無かった。

「蓮、私はただ……」
「嫌だ、絶対に言わない!」

 蓮が叩きつけるような声で叫んだ。
 それはとても大きな声だったので、周囲の木に止まっていた何羽かの鳥が驚いて飛び立った。
 その羽ばたきの音が、紗世を少し冷静にさせる。

 死ぬはずだった自分。死ななければ果たせなかった役目。
 それを私は果たさなかった。
 そのことで、何か問題が起きたりしないだろうか。

 蓮は、大声を出したことを後悔するようにまた俯いて、地面に視線を落とした。
 紗世はなんとなく、蓮に伸ばした手を下ろす。蓮はぴりぴりして、触れるのが躊躇われた。
 冷たい冷気があたりを包む。
 この子は分かりやすいな、と紗世は思った。

「自分と誰かの命を天秤に掛けた時、自分以外に傾く人は多いよ」

 不意に、それまで静かだった夏樹がぽつりと言った。
 その言葉に、蓮がキッと顔を上げる。

「君だって、そうなんじゃないのか?」
「……なにが?」
「君だって、紗世さんが死ぬより自分が死んだ方がマシだって、思っているんだろ」

 ぐっと蓮が口ごもり、ひるんだ。反論しようと口を開いたが、何も言えず唇を戦慄かせる。
 紗世は、逃げた夜に蓮の言った言葉を思い出した。
『姉さんのためなら死んでもいいって、いつも思ってた』
 誰もかれも、献身的で、嫌になるね。

「うるさいな、分かったような口をきくなよ! アンタには関係ないんだから!」

 イライラと蓮が吐き捨てた。周囲の冷気が強くなる。
 すると呼応するように夏樹の周りにも、赤いチラチラとした光が集まり始めた。

「すまないけど、その冷たい風を止めてくれないか。君のそれに引きずられて、俺の中から何かが出てくる。俺はまだ自分でコントロールできないんだ。」
「だったら別行動すればいいだろ、ついてくるなよ!」

 蓮の声と共に、いよいよ周囲が凍り始めた。空気がキラキラと輝き、一気に温度が下がっていく。紗世は慌てて蓮の腕を掴んだ。冷たい。でも昨日よりはマシだ。おそらく防衛のための力が無意識のうちに紗世の体に流れているのだろう。
 そして同じように夏樹の周囲がゆらゆらと揺れだす。陽炎のように周囲の景色がぼやけていく。
 二人の間に、ビキビキと亀裂が走ったような音が何度も飛び交った。力がぶつかっている。正反対の力が。

「ちょっと、やめて二人とも……喧嘩しないで」

 紗世は蓮の腕を引っ張った。夏樹がコントロールできない以上、蓮を止めなくてはと思ったのだ。
 けれど蓮は紗世を見なかった。苛立ちのこもった目で夏樹を見据えて、ギリギリのところで壁を展開している。
 冷気と炎がぶつかり、三人の足元には泥のぬかるみが出来つつあった。

「アンタはなんなの? 姉さんを知ってるの?」
「知らないよ。会ったことはない」

 蓮が眉をひそめた。疑わしそうに鼻を鳴らす。

「姉さんを知らないなんて変だな。この辺じゃ一番の美人なのに」
「俺はこの山へ初めて来たんだよ、昨日も言ったろう」
「そうだっけ?」
「ねえ、蓮、やめて!」

 紗世は声を荒げて蓮の腕をもう一度引っ張った。蓮がやっとこちらを見る。
 ホッとして再度静止の言葉を掛けようとしたとき、ずぶり、と紗世は妙な感触を感じた。
 足だ。いま、足が沈んだ。
 妙な違和感。けれど蓮がしぶしぶながらこちらを見ているので、紗世はとりあえず声をかけることにする。

「蓮、お願いだから喧嘩しないで。固まって行動した方がいいんだから」
「だけど姉さん、こいつと僕の相性最悪だよ。相殺する」
「お互いと戦おうとしてるからでしょ。共闘すれば大丈夫よ、ちゃんと連携だってできるから……」

 少なくとも、朱莉と秀悟は共闘していた。
 だから二人だって問題ないはずだ。

「ね、とにかくやめて。蓮がやめないと、夏樹さん制御できないんだから」
「そんなの信じられない。本当はできるんだろ。じゃなきゃ、こんな風にギリギリの均衡状態に持って行けるはずない」

 また蓮の意識が夏樹へと向かう。力は際限なくぶつかり続け、足元のぬかるみは広くなる。
 もう! と紗世は腹を立て、蓮の腕を叩こうとした。

 ずぶり。

 あれ? と紗世は足元を見る。そして自分の足が泥のぬかるみに捕らわれているのを見た。
 そしてぐずぐずに溶けた泥が、紗世の足を這い上がってきているのを。

 泥じゃない。手だ。

 そのことに気付いたときにはもう、地面は無かった。
 泥は暖かく柔らかな液体へと変わり、紗世はもがく間もなく、泥の中へと落下していった。

 そうだ、さっき思ったではないか。名前ありキャラクター同士の仲が悪いというのは良くないと。
 物語が進むにつれて、二人の仲が良くなるにせよ、悪くなるにせよ。
 それ以外のキャラというものは、友情イベント中は離脱させられてしまうものなのだ。
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