上 下
18 / 43

18. 不穏な夜

しおりを挟む
 時刻は夜だ。今外に出るのは自殺行為に等しい。
 夕飯時に話した感じでは、夏樹は身を守る術をほとんど持っていない。ただその身に宿した霊力が彼を覆い、守っているに過ぎない。

「こんな時間に外に出るのは危ないですよ」
「わかってます、でも……」
「でも?」
「声が……」

 夏樹は額に手をやり、視線を彷徨わせた。

「声が聞こえるんです、ずっと、俺を呼んでる」

 ホラーゲームだからなぁ、と紗世は思った。
 プレイヤーキャラの助けたNPCが、夢遊病のような状態になって、夜のうちに家を出て行ってしまうのはよくあることだ。
 夏樹も絶対そうすると思った。だから寝ずに待っていたのだ。

 紗世はゆっくりと夏樹に近づいた。夏樹の手を取り、彼の目を覗き込む。
 夏樹は紗世よりずっと背が高い。けれどこの家の玄関は、室内側が一段高くなっている。そのおかげで、紗世と夏樹の目線の高さはぐっと近づく。
 夏樹が息を呑んだ。鼻先が触れあいそうな近さで、紗世は微笑んだ。

「まだ声は聞こえます?」
「え?……いや、今は、聞こえないです」

 ひそひそと小さな声で尋ねると、夏樹は顔を赤らめて首を振った。そうでしょう、と紗世は満足げに頷く。
 蓮にも言った。ジャパニーズホラーは、男女が良い感じになっている時は、お化けは出てこない。
 ほら、その証拠に。不穏な空気が消えていく。
 紗世が手を引くと、夏樹は引かれるままに靴を脱ぎ、玄関を一段上がった。そのままきちんとついてくる。

「夏樹さんの部屋はやめて、応接間のソファで寝るのが良いと思います」

 応接間はたぶん、セーフルームだから。声は聞こえないだろう。
 夏樹は、新島が昼の内に、蓮の為にと整えた部屋を使っていた。セーフルームではないから、何らかの……よくないイベントが起きようとしていたのだろう。
 紗世は夏樹を手を引いて応接間へ行くと、ソファへ彼を座らせた。

「さあ眠って。疲れてるはずですよ、ずっと眠れてなかった上に、今日は始発でここへ来たんでしょう?」

 あなたが眠るまで、ここに居ますから。
 紗世の言葉に、夏樹は大人しく横になる。すぐ寝るだろう、と紗世は思った。たぶん、夏樹はいま数日ぶりに、何も聞こえない静かな夜を迎えている。
 ウトウトと瞬きを繰り返しながら、夏樹がふと呟いた。

「紗世さん、俺は死ぬのかな」
「……どうして?」
「こんなの普通じゃないって思うから」
「そうね、おかしなことばかりだね」

 紗世はこの世界へ来て初めて、同じような感覚の意見を聞いた気がした。
 そう、普通じゃないね。自分に死亡フラグが立っているというのは。
 私もあなたも、まいっちゃうね。

「でも、大丈夫よ、きっと何とかなるわ」
「そうかな……」
「うん。さぁ、おやすみなさい」

 紗世はそっと夏樹の額に唇を寄せた。かすかに、熱い炎の匂いがする。
 目をつむり、寝息を立て始めた夏樹に微笑んで、紗世は応接間を後にした。

 ドアを開け、廊下に出る。ひどく暗い。けれども窓から差し込む月明りが、足元だけは照らしている。
 満月だろうか。紗世は窓の外を眺めた。想像より大きな月が空に浮かんでいる。紅い月が。

 その時、カタンと紗世のすぐ傍から音がした。紗世はビクリと体を震わせ、振り向く。
 蓮が立っていた。

「! あ、あぁ、蓮、いたの、びっくりした」

 蓮は何も言わずにじっと紗世を見つめ、手を差し出した。紗世は微笑んで手をつなぐ。

「私がいなくて心配したの? ごめんね、何も言わなくて。さ、部屋に戻……」

 紗世はふと言葉を止めた。蓮がひどく暗い顔をして、何も言わずにこちらを見ているからだ。
 どうしたの、と青ざめた頬に触れようと手を伸ばした時、蓮が小さな声で言った。

「姉さん、あいつ、誰なの?」
「あいつって? 夏樹さん? さあ、私もよく知らないの」
「嘘だ」

 ぴしゃりと短く跳ね付けられて、紗世は一瞬言葉に詰まる。

「嘘じゃないよ、私はあの人のこと知らないよ」
「姉さん、いつも覚えてないって言うのに、なんであいつのことは知らないって言うの? 覚えてないだけで、知ってたかもしれないじゃないか」

 紗世は目を見開く。

「僕のことすら思い出してないんだ、他にも思い出してないことが山とあるはずだろ。あいつのことだって、知ってるけど思い出してないだけかもしれないのに、なんで知らないなんて言い切れるの」

 おかしいよ、と暗い声で蓮はつぶやく。だんだんと、周囲の空気が冷たくなっていく。掴まれた手が痛い。
 紗世は何と答えていいか分からず、返答に詰まった。
 確かに、蓮の疑問は正しい。紗世はゲームの知識から、夏樹がこの山へ来たのは初めてだと知っている。だから、記憶を失う前の紗世が夏樹とは会っていないだろうと思っていた。
 けれどもしかしたら、知ってる可能性はあったかもしれない。なんせ自分は「玄野紗世」のことを何も知らないのだから。
 それなのに、「知らない」と言い切るのは尚早だったかもしれない。

「蓮、待って、冷たいよ……」

 掴まれた手の痛みが徐々に大きくなる。蓮の手が痛いほど冷たくなるにつれ、自分の手も冷たく硬くなり始める。
 蓮は何も言わない。

「蓮、あの人は、朱雀の依り代なのよ、それだけ知ってる。覚えてるの。他は知らない、本当に。名前も知らなかった」
「依り代?」
「そう……、朱雀の依り代は、本当はあの人だったの。でも山から離れていたから選ばれなかった。それで間違った人が依り代になって……」

 紗世の言葉に、蓮は小さく息を呑んだ。

「儀式が失敗した原因は、それなの?」
「たぶん……そうだと思う」
「なんでそんな大事なこと、教えてくれないの」
「ご、ごめんなさい、自分でもあまり確信が持てなくて……信じてもらえるか分からなかったし……」

 オロオロと紗世は言い訳をする。
 だって仕方ない。昨日の段階では、夢なんじゃないかと思っていたし、それに、何故知ってるのかと聞かれても答えられなかった。
 これが絶対に正しい知識かも分からない。何もかも不確かなのだから。

「僕ってそんなに頼りない?」

 蓮が静かに聞いた。
 いつの間にか、手の痛みは治まっていた。冷たさはもう感じない。
 代わりに感じるのは、耳が痛くなるほどの静けさ。
 蓮の手から力が抜ける。彼は自然と紗世の手を離した。

 ああ。

 蓮は怒っている。同時に傷ついてもいる。これはまずいサインだ。知っている。こういうイベント、よくあるもの。
 登場人物たちが喧嘩をして、どちらかが目を離した隙に、相手がいなくなる。この場合、消えるのは絶対に自分だ。紗世は自分たちの周りに不穏な空気が立ち込めるのを感じる。夏樹を捕まえ損ねて怒っている。何かの意思を感じる。

 紗世は焦って、蓮へ一歩近づいた。すぐ傍まで。蓮の体がビクリと跳ねる。近いよ、と蓮が呻くように言った。

「私から目を離さないで」
「……なに?」
「私を捕まえてて。離れないように」

 紗世の言葉に、蓮は一瞬泣きそうな顔をした。そしてもう一度紗世の腕を強く掴む。

「なんなの、分かんないよ、僕にどうしろって言うの」
「蓮が言ったんだよ。手を繋いで、ずっと隣にいてって」
「言ったけど……」

 姉さんずるいよ。
 小さな声で蓮は言った。それきり会話は続かなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄される生贄令嬢ですが、世界ってどうやって救うのでしょうか?

和泉
ファンタジー
魔法?ドラゴン?世界の終わり?私が世界を救うの?どうやって? 大学生の莉奈は飛行機事故で異世界へ。侯爵令嬢リリアーナに転生したが父親からの虐待、国外追放、婚約破棄、生贄と悲惨な目に。 綺麗な景色を見ること、働くこと、家族が欲しいというささやかな願いのはずなのに、どうしてこんなことに? 壮絶な運命の果てに彼女が選ぶ未来とパートナーの男性は?

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

喪女の夢のような契約婚。

紫倉 紫
恋愛
浅香凡子(なみこ)24歳。 彼氏なし歴=年齢の、筋金入りの喪女。 とある投稿サイトで連載されている『五十嵐室長はテクニシャン』の熱烈なファン。 蓮水監査部長 三十代前半? 凡子の勤める警備会社の親会社、総合商社の監査部長。凡子が抱く五十嵐室長のイメージにピッタリなため、目の保養に利用している相手。 泉堂隆也  蓮水の補佐役。 蓮水とはタイプの違う中性的なイケメン。  総合商社の本社ビルで受付を務める『浅香 凡子』は、筋金入りの喪女である。凡子は、とある投稿サイトで連載中の『五十嵐室長はテクニシャン』の熱狂的なファンだ。  凡子には毎週月曜日を楽しみにしている。月曜日には『五十嵐室長』のイメージにピッタリのエリートサラリーマン『蓮水監査部長』が、本社に出勤してくるからだ。  蓮水には、補佐的役割を持つ『泉堂隆也』という同僚がいる。泉堂も、蓮水とはタイプの違うイケメンだ。  凡子の受付仲間『瑠璃』は隠れ腐女子で、『蓮水×泉堂』をカップル推ししているため、蓮水の情報はいつも、瑠璃から入ってくる。  凡子は、蓮水のことを、五十嵐室長の化身と捉えていた。  ある日の昼休憩、蓮水の補佐、泉堂と、フレンチレストランで相席をすることになった。  その日から、人なつっこい泉堂は、何かと凡子を誘ってくるようになる。  瑠璃は『蓮水×泉堂』のファンだし、もう一人の同僚優香は、過去に泉堂から振られたことがある。泉堂と二人で会っていることを、同僚には絶対に知られたくない凡子は、泉堂を避けるようになった。  ところが、毎週月曜日にしか本社に出社してこなかった蓮水と泉堂が、毎日本社に来るようになった。  凡子は泉堂から「蓮水と三人でランチを食べよう」と誘われる。憧れの蓮水と食事をとるなんて絶対無理だと思い、断るつもりで待ち合わせの場所へ行った凡子だったが、そこには、蓮水が一人で居た。憧れの蓮水に「やっぱり行きません」とは言えず、凡子は仕方なく一緒に食事をすることになった。泉堂は、凡子が断りづらくなるように、わざと遅れてきたのだ。  三人での食事のあと、凡子は泉堂から連絡先を訊かれる。断ろうとしたが「教えてもらえないなら毎日受付にいく」と言われ、渋々、連絡先を教えた。  泉堂とメッセージのやり取りをしているうちに、二人が、四月の人事異動で、監査部から人事部に異動になったことを聞かされる。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

別れた婚約者が「俺のこと、まだ好きなんだろう?」と復縁せまってきて気持ち悪いんですが

リオール
恋愛
婚約破棄して別れたはずなのに、なぜか元婚約者に復縁迫られてるんですけど!? ※ご都合主義展開 ※全7話  

引退したオジサン勇者に子供ができました。いきなり「パパ」と言われても!?

リオール
ファンタジー
俺は魔王を倒し世界を救った最強の勇者。 誰もが俺に憧れ崇拝し、金はもちろん女にも困らない。これぞ最高の余生! まだまだ30代、人生これから。謳歌しなくて何が人生か! ──なんて思っていたのも今は昔。 40代とスッカリ年食ってオッサンになった俺は、すっかり田舎の農民になっていた。 このまま平穏に田畑を耕して生きていこうと思っていたのに……そんな俺の目論見を崩すかのように、いきなりやって来た女の子。 その子が俺のことを「パパ」と呼んで!? ちょっと待ってくれ、俺はまだ父親になるつもりはない。 頼むから付きまとうな、パパと呼ぶな、俺の人生を邪魔するな! これは魔王を倒した後、悠々自適にお気楽ライフを送っている勇者の人生が一変するお話。 その子供は、はたして勇者にとって救世主となるのか? そして本当に勇者の子供なのだろうか?

【完結】地味令嬢の願いが叶う刻

白雨 音
恋愛
男爵令嬢クラリスは、地味で平凡な娘だ。 幼い頃より、両親から溺愛される、美しい姉ディオールと後継ぎである弟フィリップを羨ましく思っていた。 家族から愛されたい、認められたいと努めるも、都合良く使われるだけで、 いつしか、「家を出て愛する人と家庭を持ちたい」と願うようになっていた。 ある夜、伯爵家のパーティに出席する事が認められたが、意地悪な姉に笑い者にされてしまう。 庭でパーティが終わるのを待つクラリスに、思い掛けず、素敵な出会いがあった。 レオナール=ヴェルレーヌ伯爵子息___一目で恋に落ちるも、分不相応と諦めるしか無かった。 だが、一月後、驚く事に彼の方からクラリスに縁談の打診が来た。 喜ぶクラリスだったが、姉は「自分の方が相応しい」と言い出して…  異世界恋愛:短編(全16話) ※魔法要素無し。  《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆ 

優秀な姉の添え物でしかない私を必要としてくれたのは、優しい勇者様でした ~病弱だった少女は異世界で恩返しの旅に出る~

日之影ソラ
ファンタジー
前世では病弱で、生涯のほとんどを病室で過ごした少女がいた。彼女は死を迎える直前、神様に願った。 もしも来世があるのなら、今度は私が誰かを支えられるような人間になりたい。見知らぬ誰かの優しさが、病に苦しむ自分を支えてくれたように。 そして彼女は貴族の令嬢ミモザとして生まれ変わった。非凡な姉と比べられ、常に見下されながらも、自分にやれることを精一杯取り組み、他人を支えることに人生をかけた。 誰かのために生きたい。その想いに嘘はない。けれど……本当にこれでいいのか? そんな疑問に答えをくれたのは、平和な時代に生まれた勇者様だった。

処理中です...