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1. 敗走の夜

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 村の山道を、少年と少女が走っていた。
 少年は少女の手をしっかりと握って、どんどんと山を駆け下りて行く。
 時折、少年の口がぼそぼそと動いた。その度に小さな稲妻のような光が周囲を走り、道を照らす。光は前方を照らしていたが、あまり足元は照らさなかった。そのせいでひどく走りづらい。山道にはところどころ黒い物体が落ちていて、少年は必死にそれを避けながら走った。

「あっ」

 道が狭くなったところで、少女がつまずいて転んだ。少年は咄嗟に支えようとして、少女がつまずいた何かに、自分も足を取られて一緒に転んだ。少年は痛みに顔をしかめ、それでもすぐに少女に手を差し伸べた。

「ごめん、姉さん、大丈夫……」

 少年が跪いて少女を立ち上がらせようとする。少女は頷いて状態を起こし、それからハッと硬直した。自分の足を見る。

「ひっ……」

 着物を着た男が、少女の足を掴んでいた。泥と血にまみれた手がギリギリと、足首を掴む。男が顔を上げた。焦点の合わない目が少女を見る。いや、見てはいない。向けられただけだ。目に光はない。生きていない。
 死体だ。死体が動いて、少女を逃がすまいと覆いかぶさろうとしてくる。
 少年が舌打ちし、男の死体を蹴り飛ばした。男は離れない、もう一度蹴る。二度、三度。三度目の蹴りで男の頭がひしゃげて取れた。それでも死体は少女を捉えようと動き続ける。少年が渾身の力でもう一度蹴り飛ばした。死体はぐらりとのけ反り、腕がもげ、そのまま地面に崩れた。少女は半泣きになりながら、死んだ男の指を足から剥がそうとする。動かない。頭はおろか胴体さえもないのに。それでも死んだ指はしっかりと少女の足を掴んで離さない。少女は半狂乱になりながら指を掴む。

「やだ、やだやだやだ、痛い」
「姉さん、待って、僕が……」

 少女の足に手を伸ばしながらふと、少年は身を震わせた。

 嫌な予感がする。何かおぞましいものがいる。後ろを見たくない。
 でもこの人は僕が守らないと。ここには自分しかいないのだから。
 少年はゆっくりと振り返った。少女を背に庇い、目を凝らす。
 いま通って来た山道の向こうからゆっくりと、誰かーーー何かが歩いてくる。
 それが視認できた時、少年は思わず悲壮の声を上げた。

「父さん……!」

 それは父親だった。正確に言えば父親の死体だった。穴と言う穴から血を流して、片目は無くなり、首がグラグラとげそうになって、それでもゆっくりと近づいて来ていた。

「嘘だろ! アンタいつも、あんな偉そうなことばかり言って、こんなにあっさり死ぬなんて!」

 父親は答えない。動揺もしない。死んでいるから。
 ただ一歩一歩、ぽたぽたと血を落としながら歩くだけ。

「……まさか、僕たち以外、みんな死んだのか?」

 少年の息が荒くなる。哀しみはない。そんなことを感じている余裕はなかった。
 それより父親の死体が、その辺に落ちている死体と比べてきっと、明らかに強いだろうことを感じて、恐怖していた。
 少年の恐怖に呼応するかのように、死体が鳴いた。それは超音波のような耳障りな鳴き声で、あたり一面に響き渡った。
 途端にあちこちで、ズリズリと音がし始める。何かを引きずるような音だ。

「あ……」

 少女が声をあげる。足を掴んでいた指が離れたのだ。ポロと指が地面に落ち、そしてそのままズルズルと地を這っていく。
 指だけではない、さっき少年が蹴ったひしゃげた死体も、落ちた頭も、ズルズルと進んでいく。
 父親の死体へ向かって進んでいく。
 あたり一面に落ちていた無数の死体が、暗いおかげで見ずに済んでいた無数の死体が、ザリザリ、ズルズル、と音を立てながら父親の体を覆っていく。
 ツギハギだらけの、無数の人間の死体で構成された、巨大でグロテスクな怪物が、二人を見て、血反吐を吐きながら吠えた。

「……ッ、ね、えさん、逃げて。先まで走れば駐在所だから、新島さんが車を用意して待ってるから!」
「そんな、できないよ!」
「僕なら大丈夫だから! だから……」

 少年は必死に少女を背後へ隠して逃げろと促すが、少女は動かなかった。
 少女には何がなんだか分かっていないのだ。これが現実の出来事だとはとても思えない。だから足も動かない。
 死体は際限なく集まって来る。二人が見上げるほどに大きくなる。
 少年の手が鈍く光った。電池切れ間際の懐中電灯のように、おぼつかない光。心もとないその光を頼りに、それでも少年は怪物へ突っ込もうとした。その時。

「!!」

 ドオン!と遠方で音がした。続いて地鳴り。木々が揺れざわめき、無数の鳥がぎゃあぎゃあと騒ぎながら飛び立った。
 遠くの森が、バチンバチンと幾度も青く光る。次に赤。赤く明るい炎。そして焦げる匂い。
 怪物がおぞましい叫び声をあげて身をよじった。そのまま、少年たちを無視して、煌々と燃える赤光を目指し高速で移動して行く。
 後に残された少年が大きく息を吐いた。空を見上げる。森が燃えていた。

「……姉さん見てごらん、あれは兄さんがやってんだよ。もうほとんどガス欠なのに、死ぬ覚悟で闘ってる。屍達を自分のところにおびき寄せてるんだよ、姉さんを逃がすために」

 少年はゆっくりと、少女の腕を引いて体を起こさせた。そしてぱたぱたと少女の服の汚れを払う。

「僕も、そうだよ。兄さんに霊力全部取られちゃって、なんにも残ってない。一人でさっさと逃げることもできたんだよ。でも、そんなことはしない。何でか分かる?分かんないよね。姉さん、僕のことなんてどうでもいいもんな」

 少年は少女の両肩を掴み、ゆっくりとその顔を覗き込んだ。

「アンタのためなら死んでもいいって、いつも思ってた。たぶん兄さんもね。忘れないで。次は逃げてよ、約束して」

 
◇◆◇

 
 もう山道に死体はなかった。先ほどの怪物がすべて集めてしまったんだろう。少年はいくらかホッとしながら、少女の手を引いて山道を駆けた。光は、今度はきちんと足元を照らしていた。
 三叉路を抜ける。足が固い土を踏んだ。車で踏み固められた土だ。

「蓮! こっちだ!」
「新島さん!」

 ぼんやりと明るい派出所の前に、一台の車が停まっていた。運転席から身を乗り出して青年が手を振っている。
 少年は車まで走ると、後部座席のドアを開けて少女を押し込んだ。続いて自分も乗り込み、荒々しくドアを閉める。

「出して! 山を下りて!」

 少年の言葉に、青年はアクセルを踏む。車が音を立てて前進した。
 山を下りる道をひた走る。時々なにかを踏みつけ、車が跳ねた。何を踏んだのか、それは考えないようにする。

「紗世さん、門は開いてるのか? どの門を使えばいい?」

 バックミラー越しに問いかけられ、少女は言葉に詰まった。少年が代わりに答える。

「姉さん、記憶がないんだ」
「は?」
「よく分かんないけど記憶が無いんだよ、だから案内はできない。正門から出よう、一番近い」
「大丈夫なのかよ? 俺イヤだぜ、こんなところでリンチにあって死ぬのは……」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ、僕達くらいしか生き残ってないよ、もう」
「は?」
「村の中、死体だらけだ。スクープだよ、良かったね」

 少年の言葉に、青年が言い返そうとした、その時。
 ドン、と屋根で音がした。車が大きくバウンドする。続いてミシミシと屋根のしなる音と、金属を引っ掻く音が。

「上に乗られた!」

 少年が叫ぶと同時に、フロントガラスを女が覗き込んだ。
 女?
 車の屋根から中を覗き込む形で、逆さまになった女がこちらを見ていた。首が不自然に曲がった泥だらけの死体が、それでも意思を持ってフロントガラスに頭突きした。青年は思わずのけ反り、ブレーキを踏む。タイヤがぬかるみに悲鳴をあげ、そのままスリップした。
 あ、と思ったときはもう遅かった。車はそのまま山道を外れ、崖下へ真っ逆さまに落ちていった。
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