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第五章 どうしようもなく、好きな人。

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「奥さん?」

「そう。僕の義理のお姉ちゃん」

「その子は?」

「貴兄とさや姉の子ども」

「ああ・・・」

 呆けた顔のまま沙也加さんを見上げれば、にっこりと微笑んで「義弟です」と匠くんを指差した。そうか、そうなんだ。確かに匠くんが浮気相手にバレたりとか、そんなヘマをするとは思えない。もっと用意周到にやってのけそうだ。

「びっくりさせてしまってごめんなさい。今日は忘れものを取りに来ただけなんです」

 そう言ってスタスタとデスクへと向かい、引き出しからペンのようなものを取り出してポケットにしまった。これまでデスクに座ったことなんてなかったから、中に何か入っているかなんて知らなかった。それなのに沙也加さんはそれを知っていた。それが意味することを、空気が読めない私の勘が告げている。

「ここ、沙也加さんの部屋だったんですか?」

「いえ、ここに住んでいたことはありませんよ! 自宅を改築するときに置き場所のなくなった家具を匠くんが引き取ってくれたんです。主人が長期不在の時だけ泊りには来ていました。主人が心配症で、ひとりにさせないためにって」

「とても愛されているんですね」

「えっと、自惚れでなければ・・・?」

「羨ましいです」

「そんな・・・。私、先程は失礼な態度をとってしまってすみません。びっくりしちゃって。この子が生まれる前まで、私も亜子さんのようにパーマをかけて、同じくらいの長さだったんです。背丈も似ているし、自分がいるかと思って驚いてしまいました」

 にこやかに話す沙也加さんを見れば、確かに同じような体型に失礼だけれど平凡な顔立ちをしている。私と同じ、よくいる顔。
 浮いていたピースがはまっていく。そうか、そういうことなんだ。

「おい」

 低い声が室内に響いた。部屋にいた全員が、声のした入り口を振り返る。

「貴兄」

 貴兄と呼ばれた男性の鋭い視線が私に刺さったが、その容姿に私の目は釘付けになっていた。しっとりとした黒髪にはパーマがかかっていて、センターわけの前髪の間からは整った顔に印象的なキャットアイがきらりと覗いている。身長は恐らく百八十センチメートル以上あると思う。そのへんのモデルよりも素敵な身体に長い脚は、オーダーメイドの高そうなスーツに覆われている。

「遅い」

 目が合っていた時間はほんの一秒程。興味なさげに視線はすぐに外され、沙也加さんへと愛しみの瞳を向けた。きっとこの人が、匠くんの兄弟の貴臣さん。

「ごめんなさい。用事は終わりました」

「行くぞ」

 無駄の無い動きで部屋を後にする貴臣さんの後ろに、沙也加さんが続いて出て行った。

「亜子ちゃん、ごめんね。貴兄はあんまり愛想がよくなくて。紹介するよ。行こう」

 駆け寄ってきた匠くんに手を引かれ、玄関で身なりを整えていた三人を追う。
 ごめん、匠くん。私の気持ちは全然追いつけていないよ。

「貴兄! 待って」

 改めて玄関先で向かい合うと、貴臣さんの視線に縮こまってしまう。隣に立つ沙也加さんは心配そうにその様子を見ている。

「この人は亜子さん。僕の大切な人」

「___くだらん間違いはするなよ」

 そう一言言って、貴臣さんは出て行ってしまった。その意味は私にはよくわからないけれど、匠くんの表情を見れば大いに意味があることは明白だった。

「亜子さん。匠くんはとても思いやりのある、心から自慢できる義弟です。___お幸せに」


 匠くんと二人、玄関に残されていた。その横顔には隠しきれていない、報われない恋心が見えている。

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