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第5話 魔王と勇者の共同作業

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「ふわぁ~、僕としたことがちょっとだけのつもりが、どうやら爆睡しちゃったみたいですね」

 溶岩の川が流れる場所から少し進んだ先に、開けた空間がある。そこには色とりどりの球根植物――アルストロメリアが咲き誇っていた。

 アルストロメリアの全般的な花言葉には「やわらかな気配り」や「幸福な日々」といったものがある。

 色別の花言葉では、青は「冷静」――赤は「幸い」――黄色は「持続」――白は「凛々しさ」などがある。

 これらの由来は冒険者たちの証言が元になっていると言われている。如何なるダンジョンにおいても、アルストロメリアが咲き誇る場所には魔物が寄り付かなかった。

 その証言から、アルストロメリアの咲く場所は安全地帯――セーフティポイントとされていた。

 ヨハネスは剣の師範である剣聖マーベラスから、彼女の冒険譚をよく聞かされていた。
 その際、アルストロメリアが持つ不思議な力を知ったのだ。

「お師匠さまの自慢話をたくさん聞いていて良かったです。お陰でぐっすり眠れたです!」

 壁や天井に埋まった輝石が自然のスポットライトとして蒼白くアルストロメリアを照らし出すと、目を見張るほどの幻想的な空間を演出する。さしずめ横座りで瞼をこする金髪碧眼の少年は、花の妖精といったところだ。

「でも、これはちゃんと出口に向かって進んでいるんですかね?」

 きた道を振り返り小首をかしげるヨハネスは、しばし物思いにふける。

 もしもこの道が出口へと通じていなければ、吊り橋が落ちてしまった今、引き返すことはできないのだと。

 たとえ竜巻剣の固有スキル、トルネード斬りを発動したところで、端から端まで飛び越えることは不可能だという考えに至り、暗雲が立ち込める。

「仕方ありません。信じて進むしか道はなさそうですね」

 幸い、眠っている間に魔具のスロットルは全開していた。

「問題はどちらに行くかです」

 休息をとるセーフティポイントは十字路になっており、直進か、右か左か、ヨハネスにとってはまさに運命の分岐点となっていた。
 簡単に決められることではない。
 一歩間違えればさらなる迷宮の奥深くへと迷い込んでしまうのだ。

「よし、こういう時はこれです!」

 そう言ってヨハネスは腰から白銀の剣を抜き取り、剣の切っ先を地面に突き立てた。

「こうして剣を立て、柄頭が示した方向によって行き先を決めてしまえば、もう迷う心配もありません」

 名案だと微笑むヨハネスは知る由もない。
 その子供的思想に異議を唱え、嘆く二人がいることを。


『やめぬかぁぁああああああああああああああああああああッ!! そのような大事なことをバカみたいに運任せで決めるでないわァッ! 一体なにを考えておるのだ彼奴はッ!』
『1/3の確率で右に倒れなかったらあたしたち終わりじゃない!? あの娘だけがあたしを救える天使ちゃんなのにっ!!』
『静かにせんかァッ! 小娘が手を離したぞ!』
『ひぃぇっ!? 心のッ、心の準備がッ!?』

 勇者と魔王は思わず息を止め、その時に見入ってしまう。

 真っ直ぐ立てた剣の柄頭からヨハネスが手を離すその瞬間を。

 0.1メクトわずかに左に傾いた刹那、


『ぬうぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!』


 魔王が咆哮を放つ。

『なっ、何をしているのよ!?』

 魔王の奇行に驚く勇者。
 そんな勇者に魔王は絶え間なく叫ぶ。


『叫ぶのだぁぁああああああッ! 死ぬ気で叫び大気を震わせ方向を変えるのだァッ!!』


 そんなアホな……と言いかけた勇者であったが、こんな時に一人冷静になっている場合ではないと気持ちを切り替える。
 たとえここから少女の元まで大気を震わせることは叶わぬとしても、なにもせずにいられるほど大人ではない。

 なぜなら1000年。彼女は人間でありながら実に8.760.000時間もの長きに亘り、眠ることも叶わずここにいるのだ。
 彼女が勇者でなければ、とっくの昔に自我は崩壊していたことだろう。

 ゆえに、勇者は全身全霊で叫んだ。


『お願いっ――よぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!』


 かつて、あれほど歪み合っていた勇者と魔王が、共に一つの事象に尽力を注ぐ姿を誰が予想しただろうか。
 神話の時代ならば笑い話にすらならなかっただろう。

 だが、1000年という時をともに過ごし、互いに困難に立ち向かうことで、争い合っていたものたちの間にも友情は芽生えるのかも、かもしれない。

 そうして、運命の賽は投げられた。

 左に傾きつつあった剣身がガタガタ震えはじめ、ぐらついたのだ。

「じ、地震ですかっ!?」

 突然の地響きに驚いたヨハネスは、その場に屈んで両手で頭を押さえて丸くなる。

「地震の際は何よりも頭を守るのですよ、殿下」

 というヴァイオレットの教えをしっかり守っている。

『いっ、イケるわよ魔王!』
『ゼハハハ――この俺と勇者がともに吠えたのだ! 遥か彼方の大気の一つや二つ、震わせんでどうするッ!』

 果たしてこの地震は二人の雄叫びが引き起こしたものなのか、あるいはたまたま偶然起きたものなのかは分からない。わからないが、カタンッ! と倒れた剣の柄頭は、たしかに右側を示していた。

「どうやら神さまは右に行けと云っているようです」

 剣を鞘に収め、元気よく手を振って歩き出したヨハネスに、

『そうだチンケな小娘よッ! 魔王さまはお前に右側を進呈してやろう! ゼハハハ――』

 上機嫌の魔王が快活に笑う。

『ああ、なんて可憐な少女なのかしら。間違いなくあの娘はあたしの天使ちゃんよ。ぐふふ♡』

 一方の勇者は艶っぽい声で、映像のなかの少女に良からぬ思想を抱きはじめていた。
 それはかつて彼女が心酔して崇拝した女神、アストライアに向けられていたものと同様だった。

 もしもヨハネス・ランペルージュが自身の裁量で行く手を決めていたならば、きっと物語はまったく違った方向に転がっていたのかもしれない。

 だが、それを選んだのもヨハネス自身である。

 彼の数奇な運命と奇妙な出会いは、刻一刻と近付いていた。
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