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序章 鈴一輪(すずいちりん)
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紺色の空に、黄色い月が浮かんでいた。秋と冬の境目の季節で、まだ七時だというのにもう辺りは暗かった。定食屋の木でできた飴色の看板も、隣の家の外に出されっぱなしの植木鉢も、灰色の石畳も、薄い闇に覆われている。
昼間は賑わう駅前通りも、夜中は人通りが少ない。その静けさのなかを、人影が二つ歩いていた。提灯を持って、前を歩いているのは十五才くらいの少年。護身用か、長い木でできた棍を持っている。その後を同い年くらいの女の子がついていく。
「きゃ……」
女の子が、何かに怯えるように立ち止まった。
「大丈夫? お客さん」
少年が振り返って声をかける。
「え、ええ。誰かが物陰にいたような気がしたのだけれど、気のせいだったみたい」
橙の着物に黒い薄手のコートを羽織り、紫の袴をはいた少女は、照れ臭そうに微笑んだ。
「お話には聞いてましたけど、本防(ほんぼう)の町は本当に迷路みたいですわね、空也(そらや)さん」
「ここは敵の侵入を防ぐためにわざとこうして造られたんです。この城と町をつくった殿様が、そうとう心配性だったみたいで。戦国時代でもない今じゃ、迷惑なだけですけどね。初めて本防に来た人は、よく迷子になるんですよ。ま、だからこそ、僕みたいな『送り提灯』がもうかるわけなんですけど」
にっこり笑って、提灯をかかげた男はまた歩きだした。明るい茶の髪に、年のわりに幼い顔をした少年だ。シャツの上に若草色の着物をきて、浅葱(あさぎ)の袴をはいている。さすが本業だけあって、暗くてまわりも見えない道を散歩するように気軽に歩いていた。
「道が細くて、参勤交代のときとか大変だったみたいですよ。何列にもなって歩けなかったから、町の外で家来が団子になってたって。あ、そうそう、この『辰巳屋』さんのおはぎ、最高です。ぜひ明日、暇があったら食べてください」
行き止まり、曲がり道、三叉路、十字路。ここ、本防の町はありとあらゆる道の宝庫だ。
送り提灯は、この町独特の職業で、ようは有料道案内。手紙であらかじめ詰め所に連絡して迎えにこさせるか、駅前で客を待っている者に声をかけるかすれば目的地まで案内してくれる。皆ちょっとした護身術を身につけているから、地元の者も防犯のために利用し、結構需要がある。もう少しして、ガス灯か何かがもっと一般的になったら、利用客は減るかも知れないけれど。
もう皆家でくつろぐ時間で、人通りはなかった。閉められた木戸やガラス窓から明かりがもれて道に光の筋を投げていた。
「さあ、お疲れ様でした。もうすぐつくよ」
空也が振り返って微笑んだとき、ちりっと小さな音がした。足に何かがコツンと当たった。
「あれ、なんか踏んだ」
あわてて片足をあげ、確認する。歯の低い下駄に変な所はない。石畳に視線を戻すと、丸い小さな物が地面に落ちていた。
それは少し大きめの鈴だった。厚めの金属でできていて、細かな模様が浮き彫りされている。本当はその模様に色が塗ってあったようだが、今ははげている。
「落とし物かな?」
拾い上げて、軽くふるとカラカラと濁った音がした。明るい所でみれば、名前か何か書いてあるかも知れない。それになんとなく捨てがたくて、空也はその鈴を懐にいれた。
「じゃ、行こう、絹香さん」
空也は微笑んで、また歩きだした。
もうすぐ、目的地につく。この仕事が終わって詰め所に提灯を帰したら、今日はもう家に帰れる。明日も明後日も、特別な用事はない。すべて順調、事もなし、のはずだった。その鈴を拾いさえしなかったら。
昼間は賑わう駅前通りも、夜中は人通りが少ない。その静けさのなかを、人影が二つ歩いていた。提灯を持って、前を歩いているのは十五才くらいの少年。護身用か、長い木でできた棍を持っている。その後を同い年くらいの女の子がついていく。
「きゃ……」
女の子が、何かに怯えるように立ち止まった。
「大丈夫? お客さん」
少年が振り返って声をかける。
「え、ええ。誰かが物陰にいたような気がしたのだけれど、気のせいだったみたい」
橙の着物に黒い薄手のコートを羽織り、紫の袴をはいた少女は、照れ臭そうに微笑んだ。
「お話には聞いてましたけど、本防(ほんぼう)の町は本当に迷路みたいですわね、空也(そらや)さん」
「ここは敵の侵入を防ぐためにわざとこうして造られたんです。この城と町をつくった殿様が、そうとう心配性だったみたいで。戦国時代でもない今じゃ、迷惑なだけですけどね。初めて本防に来た人は、よく迷子になるんですよ。ま、だからこそ、僕みたいな『送り提灯』がもうかるわけなんですけど」
にっこり笑って、提灯をかかげた男はまた歩きだした。明るい茶の髪に、年のわりに幼い顔をした少年だ。シャツの上に若草色の着物をきて、浅葱(あさぎ)の袴をはいている。さすが本業だけあって、暗くてまわりも見えない道を散歩するように気軽に歩いていた。
「道が細くて、参勤交代のときとか大変だったみたいですよ。何列にもなって歩けなかったから、町の外で家来が団子になってたって。あ、そうそう、この『辰巳屋』さんのおはぎ、最高です。ぜひ明日、暇があったら食べてください」
行き止まり、曲がり道、三叉路、十字路。ここ、本防の町はありとあらゆる道の宝庫だ。
送り提灯は、この町独特の職業で、ようは有料道案内。手紙であらかじめ詰め所に連絡して迎えにこさせるか、駅前で客を待っている者に声をかけるかすれば目的地まで案内してくれる。皆ちょっとした護身術を身につけているから、地元の者も防犯のために利用し、結構需要がある。もう少しして、ガス灯か何かがもっと一般的になったら、利用客は減るかも知れないけれど。
もう皆家でくつろぐ時間で、人通りはなかった。閉められた木戸やガラス窓から明かりがもれて道に光の筋を投げていた。
「さあ、お疲れ様でした。もうすぐつくよ」
空也が振り返って微笑んだとき、ちりっと小さな音がした。足に何かがコツンと当たった。
「あれ、なんか踏んだ」
あわてて片足をあげ、確認する。歯の低い下駄に変な所はない。石畳に視線を戻すと、丸い小さな物が地面に落ちていた。
それは少し大きめの鈴だった。厚めの金属でできていて、細かな模様が浮き彫りされている。本当はその模様に色が塗ってあったようだが、今ははげている。
「落とし物かな?」
拾い上げて、軽くふるとカラカラと濁った音がした。明るい所でみれば、名前か何か書いてあるかも知れない。それになんとなく捨てがたくて、空也はその鈴を懐にいれた。
「じゃ、行こう、絹香さん」
空也は微笑んで、また歩きだした。
もうすぐ、目的地につく。この仕事が終わって詰め所に提灯を帰したら、今日はもう家に帰れる。明日も明後日も、特別な用事はない。すべて順調、事もなし、のはずだった。その鈴を拾いさえしなかったら。
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