姫と道化師

三塚 章

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三章

奇妙な神殿にて

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 ルイドバードは、ファネットの手を引き廊下を駆けていた。
 なんの飾りもない廊下には、閉まっている扉や、開いている扉が並んでいる。
(なんとかしてファネットだけは守らなければ……)
 金属をこすり合わせた不愉快な音を立てて、ヒョウはルイドバードに向かってきた。散々痛めつけられたせいで、ヒョウの歩き方は不自然だったが、その目は獲物を見据えている。普通の動物だったら、とっくに死んでいるか、少なくとも襲いかかるのをあきらめている所だ。おそらくは、敵を殺すか自分が動けなくなるほど壊れるまで戦い続けるように作られているのだろう。そう考えると、少し憐れみが湧いてくる。
 ヒョウがうなり声をあげた。まるで猛った牛馬のように、頭をルイドバードのみぞおちに食らわせようと突進する。
ルイドバードは優雅に体を回転させ、その攻撃を避ける。ろくに体勢も整わないまま、剣を振り下ろす。
ヒョウは振り下ろされた銀光を避けて跳んだ。
調度真横に開いた扉があり、ヒョウのスキをつきルイドバードはその中に視線をやった。
 部屋の中は、がらんとして何もなかった。奥半分が海に没している。ここなら遅い掛かってくる者もないようだ。
「ファネット、この中へ!」
彼女の細い腕を取り、半ば強引に押し入れる。
 開いたままの引き戸を閉める。金属の戸は重く、かなり力を入れなければ動かなかった。でもそのおかげで、頭のいい猫のようにヒョウが戸を開けて中に入り込む、ということはないだろう。
 ヒョウは再び襲いかかってきたが、さすがにもう勢いはなかった。ルイドバードは剣を構える。金属の隙間を縫うように切っ先を差し込んだ。澄んだ音がして、背中の継ぎ目から押し出された石のような物が床の上で跳ね回る。あたりに赤い光がばらまかれた。
 のけぞり、けいれんするとヒョウは動かなくなった。
 それに比例して、床に転がった宝石は光を弱まっていく。
「これは」
 ルイドバードがそれを手に取ったころには、宝石は輝きを失い、赤すぎて黒く見えるただの石に代わっていた。かすかに血の臭いがする。
「ロルオンの武器と同じ動力源か」
 リティシアの血を基に作られた宝石。
「そうだ、リティシア様とラティラス……!」
 ファネットを連れて加勢にいくよりは、あの部屋で待たせていた方が安全だろう。ルイドバードは石を投げ捨て、走り出した。

 リティシアはヒョウに追われ、手近な部屋へ飛び込んだ。そこは部屋のほとんどを白い石のようなテーブルで占められていた。テーブルの正面に、円形の台座のような物がある。円すいを根本で水平に切ったような台座が、なんのために置かれている物がリティシアには分からなかった。
 リティシアはテーブルの裏に身を隠した。足はなく、四角く削った白い石をそのまま置いたようなテーブルなので、向こう側が見えない代わりに、相手もリティシアの姿が見えることはないはずだ。どういうわけかイスがないので隠れるのに都合がいい。
 何者かが部屋に入ってきた気配がする。リティシアは思わずツバを飲み込んだ。なにか、重量のある物が飛び上がる音がした。硬い物を爪が掻く音。そしてテーブルの上にヒョウのシルエットが浮かびあがる。
 リティシアはとっさに真横に転がった。
ヒョウは今までリティシアがしゃがみこんでいた場所に着地した。
「くっ!」
 ヒョウは後ろ足で立ち上がり、前足で横薙ぎに首筋を狙ってきた。
 剣を掲げ、楯にする。飛びかかられた勢いをこらえきれずに、真横の壁に叩きつけられる。自分が構えていた剣の刃にこすれ、頬に赤い筋が入った。首からは逸れた物の、爪は肩をかすめていった。
 リティシアは壁に手をつき、体勢を整える。
両手で剣を構えと、手の平が気持ち悪く汗ばんでいた。頬から流れた血の筋が首を這う。恐怖と、傷の痛みで息が苦しい。持ちなれているはずの剣が重い。情けなく剣先が震えている。
 獣は跳躍した。人間の急所を知っているのか、腹を狙って低く。
 この足では飛びかかってくる勢いに耐えきれないだろう。剣を構え、体を支えようと両肩を壁につける。
 その瞬間、カチッという音がして、肩に小さな痛みが走った。
 床から飛び出したイスが、ちょうどその真上を跳んでいたヒョウの顎をしたたかに打ちつけた。
 ヒョウは悲鳴もあげず床に転がった。
「ええ……」
 自分を助けてくれた物の意外さに、リティシアは思わずそんな声を出した。なんというか、この瞬間が酷く真が抜けて見えた。
 振り返って壁を見ると、ちょうど痛みを感じた位置に円い突起があった。どうやらこれを押せばイスが出てくる仕組みらしい。
 ヒョウは驚きが抜けきらず、立ち上がろうとして足をすべらせた。
 足が許す速さで、リティシアは敵にむかって駆けた。
 体重をかけ、半ば倒れこむようにして、前足の間に剣を突き立てる。胴体を貫通した切っ先が、床に触れる。
 苦しげに身悶えて、獣は動かなくなった。
 リティシアは大きくため息をついた。この戦いぶりを見たら、師匠のベイナーは誉めてくれたに違いない。
「ご無事ですか、リティシア様!」
 扉が開いて、ルイドバードが現れた。
「遅かったな」
 リティシアは顎でヒョウの死骸を指した。
「……おみそれしました」
「そんなことよりラティラスとファネットは?」
「ファネットは安全な所に避難を。ラティラスは姿が見えません。どこまで逃げたのか。とにかく、傷の手当てを」
「ああ」
 とりあえず目の前の危険が無くなって気が抜けたのが、少しめまいがした。せっかくなのでイスに腰掛けて休もうとしたリティシアは、円形の台座に足を取られ、よろめいた。
 ルイドバードが体を支えてくれた。
 ふわりと台座から光の柱が立ち昇った。淡い碧色の光の中に、いつの間にか女が立っていた。
 リティシアはとっさに剣を構える。
 少女は恐怖で泣きそうな顔をしているが、視線はリティシアからはずれている。リティシアの剣に怯えているようではないようだ。
長い髪を編み上げ、真っ白なワンピースを着ている。ひどく焦った表情で、強い口調でしきりに何かを訴えていた。しかし、聞いたことのない言語だった。
(これは……幽霊か?)
「す、すまない。何を言っているのかわからない」
 申し訳なさそうに言うルイドバードを尻目に、リティシアは女に向かい無造作に手を伸ばした。血のついた華奢な手は、あっさりと女の体をすり抜ける。
 隣で驚いたルイドバードが息を飲む音がした。
 小さく波うって、少女の姿は消えた。代わりに、星空が映し出される。
 星空を、鉄でできた長方形の船のような物が飛んでいた。表面に宝石のような明かりをたくさんつけたそれは、煙をたなびかせながら闇の中を進んでいった。その先には、竜も息を吹きかける天使も描かれていない地図が貼りつけられたような、大きな球。
 そこで、光の柱も、船の像も、すべて消え去り、台座だけが取り残された。
 二人はしばらく呆然としていた。
ルイドバードが口を開く。
「今、突拍子もない事を思いついたのですが」
「聞こう」
「ひょっとしたら、その箱はあなたの祖先である女神がこの世界に建て降り立ったという神殿だったのでは?」
「そうかも知れない。だからと言って、やる事は変わらない。フィダールの手のうちを暴くだけだ」
 言いながら、リティシアは何か役に立つものはないかと近くにあるクローゼット大の扉を開けた。
 そこには釣り竿や網、弓矢、ボードゲームらしき物が収められている。無機質な壁と物に囲まれている中で、見慣れた物があるのは少し心強くなる感じがした。
「なんだ、物置か。なんだか、ほっとするな……あ、これ、これを持っていこう」
 どこかウキウキした口調でリティシアが弓矢を手に取った。
「失礼だが、弓矢の経験が?」
「小さい時に、一時期凝ってた。武器は多い方がいいだろう?」
 しれっと答えるリティシア姫の様子がどこかラティラスに似ている気がして、ルイドバードは苦笑する。
「さて、アイツはどこまで逃げたのだろう。喰われていなければいいが」
 本心の恐怖を押し隠し、冗談めかしてリティシアが言った時。 
『うわあああ』
 聞き慣れたラティラスの悲鳴が聞こえ、二人は顔を見合わせた。けれどそれは一瞬で、すぐに部屋を飛び出して声のする方へ走り出す。
「どこだ、ラティラス!」
 リティシアの呼び掛けにも応えがないのを見ると、かなり離れた所にいるらしい。
(間に合えばいいが)
 ラティラスの位置を知る手がかりは悲鳴だけだ。たどりつく前にそれが途切れなければいいとリティシアもルイドバードも願っていた。
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