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神狩りの巫女 四
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「うーん、ちょっと長くなるけど聴きたい? 尊敬する巫女様がいたからよ。きりりとしていて、格好よかったの。柚木(ゆずき)様っていってね。ちょっと無愛想だったけど」
たぶん、その巫女と出会ったのは、今の木依と同じくらいの年だったはずだ。そして、その巫女の年令は、ちょうど今の鹿子と同じくらいだった。
美しい女性だった。一つに結び、膝の辺りまで伸ばした黒く艶やかな髪。雪のように白い肌に、切れ長の目と、桜色の唇がよく映えて。
一緒になって駆け回ったりして遊んでくれるような人ではなかったから、他の子供達には人気がなかったけど、鹿子はその巫女の大人っぽい立ち居振る舞いが好きで、彼女が村にいる間、生まれたばかりのひよこのようにその巫女について歩いていたのを覚えている。
鹿子は枕元に置かれた荷物に目をやった。必要最低限の物しか入れられないような小さな布袋。その中には唯一実用性に乏しいものが入っていた。それは小さな髪飾り。鹿子を産んですぐに亡くなってしまった、顔も声も知らない母の形見。
組ヒモに通された淡い水色の玉は、見るからに安物だった。都仕えをしている鹿子が今着ている衣のほうが高価に違いない。それでも母親にとってはぜいたくな宝物だったはずだ。
子供が大好きな大人によくするように、鹿子はその宝物を柚木に見せたことがある。優しい巫女は、『皇后様の玉飾りよりも美しいな』と話を合わせてくれたっけ。
「私の村の神が転じていたのがわかって、柚木様はそれを浄化しに山へ登ったの」
神は木々の多い場所を好む。気が満ちているからだろう。大抵、社は山に作られるし、山のないところで転じた神は森や林に逃げ込む。
「でも、柚木様は祓いに失敗した。荒ぶる神が村まで降りてきた」
血の匂いを鹿子は思い出す。今、開け放たれた戸から入る夜風に混ざっているのかと錯覚するくらい生々しく。
物の焼ける匂い。死にかけた馬の、耳をふさぎたくなるような呻き声。そして、響く悲鳴。友達の双葉が、振り返って手を伸ばせば届きそうなほと背後で炎に巻かれていた。そして猫を思わせる爪と尾を持つ、荒ぶる神の姿。
「私達は何人も集まって家に隠れてた。普通、神様の前では家なんて壊されちゃうけど、結界が張られていたんだと思う。術を使える従者がいたのかもしれない。柚木様と仲よかったけれど、従者の人のことはよく覚えていないから。とにかく、荒ぶる神は外で暴れてた」
外で神を祓っていた柚木が、傷だらけで戻ってきたのはいつだったか。
「入ってきた柚木様は一言言ったわ。『荒ぶる神は致命傷を負った。もうすぐ動けなくなるだろう。それまでここで待っていればいい』って。いつもの静かな声で。私は、その言い方が気にいらなくて。変な話よね。その凛とした態度が好きだったのに」
気がついたら、泣き叫んでいた。大声で泣きながら、柚木に駆け寄って、その胸といわず腹といわずめちゃくちゃに殴りかかっていた。
あのときは、どうしていいのかわからなかった。皆で作った畑も、大好きな人達も、全部荒ぶる神に踏みにじられた。家にも火が燃え移っているだろう。大事な物を持ち出す暇もなかった。悔しくて悲しくて、どうしたらいいかわからなくて、柚木にあたっていた。
「柚木様は『すまない』って言ってくれた。何も悪いことしていないのにね」
柚木は悪くない。それは祓いになって、荒ぶる神を清める難しさを知る前だったとしても、十分理解できていたはずなのに。
大人達に引き離された後、しばらく誰も何も言わなかった。ただ、火の爆ぜる音と、死にかけの荒ぶる神の甲高い声だけが続いていた。
「しばらくして、大きい何かが崩れ落ちる嫌な音がしたの。柚木様はそれを聞くと結界の中から飛び出した。皆、止める間もなかった」
獣の叫び。揺れをともなう程の崩れる音。
「どこか、家がつぶれたんだってわかった。それから荒ぶる神が吠えた」
長く長く尾を引いた、神の断末魔の咆哮。それが止んだとき、戸に誰かが寄りかかる気配がした。ひどく軽い音だった。
「従者があわてて戸を開けた。半分倒れこむようにして柚木様が入って来た。ひどい怪我だったわ」
髪を結んでいた紐は切れ、流れる長い髪が体の輪郭を縁取っていた。白い衣が血でまだらに染まっている。袖が少し焦げていた。
「私をみると柚木様は笑ってね。懐から小さな物を取り出したの。なんだと思う? 私が自慢した、安物の髪飾りよ。柚木様は言ったわ。『大事な物なのだろう? ちゃんと持っていろ。もう少しでくずれる家に潰される所だった。ついでに、荒ぶる神も鎮めてきた』
って。あの音は、私の家がきしんでる音だったのね」
髪飾りが母親の形見だということを言ったかどうか覚えていない。けれど普通は形見だと聞いていても、わざわざ荒ぶる神のうろつく外へ出て、燃える家へ飛び込む者などいないだろう。
「自分のつけている腕輪を見せてくれて、こう言ったの。『誰にでも、命より大事な宝物があるものだ』って」
その言葉を聞いたとき、気づいたら鹿子は泣いていた。死ぬ間際、母がまだ名前も決まらぬ娘にこれを渡すようにと言い残したと、髪飾りをもらうときに父から聞いていた。顔も見たことのない母。
その髪飾りを唯一の母との絆と思っていた事に、鹿子はそのとき初めて気がついた。柚木は鹿子自身も気づいていなかった思いをちゃんとわかってくれていたのだ。
「それからね、私が祓いの巫女になろうとしたのは」
都へ行って、祓いの試験を受けた。巫女になるには生れながらの素質がなければならない。
努力してなれるものではなかったから、大社にいる朱に資質ありと言われた時はうれしくて二、三日顔のにやけが直らなかった。
「こうやってまとめてみると、そうねえ、私は祓いになりたかったんじゃなくて、柚木様に近づきたかっただけなのかも」
「じゃあ、今は都にかえればその柚木様と一緒にいられるんだね」
木依の言葉に鹿子は首を横に振った。さやさやと髪と布の触れる音が闇に響いた。
「たしかに、少しの間は一緒にいられたけどね」
「そうなんだ」
祓いは占いによって行くべき方角と旅をするべき期間を決められる。その間、都を離れ、荒ぶる神を浄化してまわるのだ。そして柚木は旅に出たまま都に戻ることはなかった。
鹿子の言おうとしていることがわかったのだろう。木依はそれから黙りこんでしまった。
「さて、これでお話は終わり! 私はもう寝る。お休みなさい」
鹿子は口元まで布団を引き上げた。
たぶん、その巫女と出会ったのは、今の木依と同じくらいの年だったはずだ。そして、その巫女の年令は、ちょうど今の鹿子と同じくらいだった。
美しい女性だった。一つに結び、膝の辺りまで伸ばした黒く艶やかな髪。雪のように白い肌に、切れ長の目と、桜色の唇がよく映えて。
一緒になって駆け回ったりして遊んでくれるような人ではなかったから、他の子供達には人気がなかったけど、鹿子はその巫女の大人っぽい立ち居振る舞いが好きで、彼女が村にいる間、生まれたばかりのひよこのようにその巫女について歩いていたのを覚えている。
鹿子は枕元に置かれた荷物に目をやった。必要最低限の物しか入れられないような小さな布袋。その中には唯一実用性に乏しいものが入っていた。それは小さな髪飾り。鹿子を産んですぐに亡くなってしまった、顔も声も知らない母の形見。
組ヒモに通された淡い水色の玉は、見るからに安物だった。都仕えをしている鹿子が今着ている衣のほうが高価に違いない。それでも母親にとってはぜいたくな宝物だったはずだ。
子供が大好きな大人によくするように、鹿子はその宝物を柚木に見せたことがある。優しい巫女は、『皇后様の玉飾りよりも美しいな』と話を合わせてくれたっけ。
「私の村の神が転じていたのがわかって、柚木様はそれを浄化しに山へ登ったの」
神は木々の多い場所を好む。気が満ちているからだろう。大抵、社は山に作られるし、山のないところで転じた神は森や林に逃げ込む。
「でも、柚木様は祓いに失敗した。荒ぶる神が村まで降りてきた」
血の匂いを鹿子は思い出す。今、開け放たれた戸から入る夜風に混ざっているのかと錯覚するくらい生々しく。
物の焼ける匂い。死にかけた馬の、耳をふさぎたくなるような呻き声。そして、響く悲鳴。友達の双葉が、振り返って手を伸ばせば届きそうなほと背後で炎に巻かれていた。そして猫を思わせる爪と尾を持つ、荒ぶる神の姿。
「私達は何人も集まって家に隠れてた。普通、神様の前では家なんて壊されちゃうけど、結界が張られていたんだと思う。術を使える従者がいたのかもしれない。柚木様と仲よかったけれど、従者の人のことはよく覚えていないから。とにかく、荒ぶる神は外で暴れてた」
外で神を祓っていた柚木が、傷だらけで戻ってきたのはいつだったか。
「入ってきた柚木様は一言言ったわ。『荒ぶる神は致命傷を負った。もうすぐ動けなくなるだろう。それまでここで待っていればいい』って。いつもの静かな声で。私は、その言い方が気にいらなくて。変な話よね。その凛とした態度が好きだったのに」
気がついたら、泣き叫んでいた。大声で泣きながら、柚木に駆け寄って、その胸といわず腹といわずめちゃくちゃに殴りかかっていた。
あのときは、どうしていいのかわからなかった。皆で作った畑も、大好きな人達も、全部荒ぶる神に踏みにじられた。家にも火が燃え移っているだろう。大事な物を持ち出す暇もなかった。悔しくて悲しくて、どうしたらいいかわからなくて、柚木にあたっていた。
「柚木様は『すまない』って言ってくれた。何も悪いことしていないのにね」
柚木は悪くない。それは祓いになって、荒ぶる神を清める難しさを知る前だったとしても、十分理解できていたはずなのに。
大人達に引き離された後、しばらく誰も何も言わなかった。ただ、火の爆ぜる音と、死にかけの荒ぶる神の甲高い声だけが続いていた。
「しばらくして、大きい何かが崩れ落ちる嫌な音がしたの。柚木様はそれを聞くと結界の中から飛び出した。皆、止める間もなかった」
獣の叫び。揺れをともなう程の崩れる音。
「どこか、家がつぶれたんだってわかった。それから荒ぶる神が吠えた」
長く長く尾を引いた、神の断末魔の咆哮。それが止んだとき、戸に誰かが寄りかかる気配がした。ひどく軽い音だった。
「従者があわてて戸を開けた。半分倒れこむようにして柚木様が入って来た。ひどい怪我だったわ」
髪を結んでいた紐は切れ、流れる長い髪が体の輪郭を縁取っていた。白い衣が血でまだらに染まっている。袖が少し焦げていた。
「私をみると柚木様は笑ってね。懐から小さな物を取り出したの。なんだと思う? 私が自慢した、安物の髪飾りよ。柚木様は言ったわ。『大事な物なのだろう? ちゃんと持っていろ。もう少しでくずれる家に潰される所だった。ついでに、荒ぶる神も鎮めてきた』
って。あの音は、私の家がきしんでる音だったのね」
髪飾りが母親の形見だということを言ったかどうか覚えていない。けれど普通は形見だと聞いていても、わざわざ荒ぶる神のうろつく外へ出て、燃える家へ飛び込む者などいないだろう。
「自分のつけている腕輪を見せてくれて、こう言ったの。『誰にでも、命より大事な宝物があるものだ』って」
その言葉を聞いたとき、気づいたら鹿子は泣いていた。死ぬ間際、母がまだ名前も決まらぬ娘にこれを渡すようにと言い残したと、髪飾りをもらうときに父から聞いていた。顔も見たことのない母。
その髪飾りを唯一の母との絆と思っていた事に、鹿子はそのとき初めて気がついた。柚木は鹿子自身も気づいていなかった思いをちゃんとわかってくれていたのだ。
「それからね、私が祓いの巫女になろうとしたのは」
都へ行って、祓いの試験を受けた。巫女になるには生れながらの素質がなければならない。
努力してなれるものではなかったから、大社にいる朱に資質ありと言われた時はうれしくて二、三日顔のにやけが直らなかった。
「こうやってまとめてみると、そうねえ、私は祓いになりたかったんじゃなくて、柚木様に近づきたかっただけなのかも」
「じゃあ、今は都にかえればその柚木様と一緒にいられるんだね」
木依の言葉に鹿子は首を横に振った。さやさやと髪と布の触れる音が闇に響いた。
「たしかに、少しの間は一緒にいられたけどね」
「そうなんだ」
祓いは占いによって行くべき方角と旅をするべき期間を決められる。その間、都を離れ、荒ぶる神を浄化してまわるのだ。そして柚木は旅に出たまま都に戻ることはなかった。
鹿子の言おうとしていることがわかったのだろう。木依はそれから黙りこんでしまった。
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