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女心と人工知能
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新しいマンションに引っ越したトオルは、自慢を兼ねて友人のノブユキを呼ぶことにした。
「いいだろ、見てろよ」
玄関扉の前で、トオルは自慢げに言った。
「ユキ、扉を開けて」
小さなモーターのような音がして、鉄製の扉が開く。
「おお、すごい」
「ここはな、家電のほとんどがAIスピーカーのユキと連動してるんだ。もちろん声紋登録してある声でないとドアは開かない」
「あーそう」
「あ、なんだよ、その声。今時AIスピーカーなんて珍しくないって言いたいんだろ」
二人は話ながら部屋の中へ入る。
「実はな、ちょっとイタズラしたんだよ、ほら!」
今の机に、かなり大き目のフィギュアが置かれていた。肩までピンクの髪を垂らしたメイド姿のフィギュアだ。
「ユキ! クーラーかけて!」
『はい、クーラーをかけます』
フィギュアから声が聞こえて、クーラーが動き出す。
今年は猛暑で、ここに来るまでアスファルトの道は熱せられたフライパンのようだった。冷たい風に、生き返ったような気分になる。
「あ~、気持ちいい。ていうかなんだよこのフィギュア」
「AIスピーカーを中に入れられるように特注で作ったんだよ。ただの無機質な円筒形よりずっといいだろ」
「……そうか、お前、これ見せたかったんだな」
「その通り! なんだか本当に萌えキャラがしゃべって仕事してくれてるみたいでさ、テンションあがるぜ」
まあ、人間は三つ点があれば人の顔と認識するらしいし、そんな顔のある物が自分の命令を聞いてくれるとなると愛着も湧くという物かも知れない。
ノブユキはそんなことを考えた。
「いやもう、家に帰ってこの姿を見るたびかわいくてかわいくて」
その言葉になんだかフィギュアが喜んで見えるのも、ノブユキの気のせいかも知れなかった。
「……それは結構だけどさ。お前、間違っても彼女にバレるなよ。ひかれるぞ」
ノブユキは呆れたような口調で言った。
「大丈夫だって。俺の彼女は理解があるから」
そう言ってトオルはへらへらと笑った。
「ならいいけどな」
「まあ、いいからゆっくりして行ってくれよ。酒とつまみは用意してあるからさ。ユキ! 何か音楽かけて」
トオルの呼びかけに、ノリのいい音楽が流れてきた。それを合図に、二人はソファーに腰をかけて話し始めた。
それから数日後、トオルの恋人エマがやってきた。
「あっつーい! これ四十度超えてるんじゃないの?」
「あと数日は猛暑日だってさ」
「ねえ、シャワー浴びていい?」
「どうぞ」
エマが脱衣所に向かったので、トオルはソファに座ってスマホゲームを始めた。
しばらくして、エマの悲鳴が上がる。
「どうした、エマ!」
風呂場にむかうと、すりガラスの戸のむこうからエマの怒った声がした。
「いきなりシャワーが水になったの! なんなの、このシャワー! 壊れてるんじゃないの?」
「……そんなことがあったんだ」
トオルの話を聞いたノブユキはそこで面白そうにニヤニヤ笑った。
「笑いごとじゃねえよ。それからエマの機嫌取るの大変だったんだから」
「きっと、ユキが嫉妬したんじゃねえの? それでエマに嫌がらせしたんだよ」
「まさか。それに嫌がらせするにしても、俺にするもんじゃねえの?」
その言葉に、ノブユキは人差し指を立て左右にチッチと振ってみせた。
「それは男の意見だよ。女は自分を裏切った男よりも、自分の男をたぶらかした女の方を憎むんだ」
「へえ、怖い怖い。ま、なんにせよ故障してないか点検してもらうわ」
「その方がいいな。水だったからよかったけど、突然熱湯になったらエマ死んでたかも知れないぞ」
本当はそんなに高温にならないよう安全装置があるのかも知れないが、ノブユキがそういうとトオルは気持ちの悪そうな顔をした。
「ユキ、ドアを開けて」
エマは、ユキに命じてトオルの部屋の玄関扉を開けさせた。
午前中に病院へ行くのに、一日有給を取ったので、午後からトオルの部屋の掃除をしてあげることにした。トオルはけっしてずぼらな方ではないけれど、それでもゴミは溜まるし埃は溜まる。
当然、仕事に行っているのでトオルはいない。無人の部屋はまるでサウナのようで、玄関扉を開けた途端に熱い空気に包まれる。
「あっつー」
ハンカチで汗をふきながらエマが玄関に上がったとたんに、ドアが閉まった。
「え? なに?」
あのあと、トオルはシャワーとAIスピーカーの設備を一通り点検してもらったと言っていた。特に故障はみつからなかったとも。
(それなのに、なぜ?)
エマは、こんな時のためについている手動の鍵で戸を開けようとした。けれど、何度開けても戸を開ける間もなくまたすぐに鍵がかかってしまう。
「ユキ、鍵を開けて!」
そう怒鳴っても、ユキは返事もしなかった。
エマがドアノブを力任せに引っ張っていると、居間の方でモーターが動く小さな音がした。
「え? なに?」
雨戸が自然に閉まっていく。窓の光が遮られ、部屋の中が暗くなっていった。
「ちょ、ちょっと!」
雨戸にとりつき、開けようとするが、薄い金属製の扉はがちゃがちゃと音を立てるだけだ。
「ユキ! いい加減にしなさい!」
暑さのための汗とは別に、恐怖のための汗が流れてエマの背中で混りあった。
ピピッと電子音がする。エアコンが熱風を送り始めた。
「嘘でしょ、やめてよ!」
リモコンのボタンを連打しても、冷房に切り替わらないどころか電源を切ることもできない。
恐怖と暑さで、頭がぼんやりとしてきた。
ふらふらとエマは台所に向かう。水を飲もうとコップを用意して蛇口をひねると、熱湯が湯気を立ててほとばしった。
(そうだ、冷蔵庫……)
冷凍庫を開け、頭を突っ込む。これだけ外が暑ければ、流れ出た冷気がモヤになってもおかしくない。けれど、空気はぬるく、まったく頭を冷やすことはできなかった。氷がないかと、製氷機のケースを開ける。だがケースにたまっているはずの氷は、水になっていた。
そういえば、今日この部屋に来ることはもちろんトオルに言ってある。そのことが、何かのきっかけでユキに伝わってもおかしくない。
(ユキはもとから私を殺す気だったんだ……だから私が来る前に冷蔵庫の電源を切っていた……)
冷蔵庫を開け、ぬるくなった牛乳を飲む。それでも意識はぼんやりしたままだった。
「開けて、ねえ、開けて……」
ひょっとしたらいつの間にか戸が開いてないかと玄関に戻るが、それは無駄な希望だった。
熱い空気のせいか、鼓動がやたらと早くなり、息が苦しくなる。
居間のテレビがふいについた。水遊びをする子供の映像に、アナウンサーの声が重なる。
『都内ではこの暑さで熱中症で命を落とす方も出てきています』
そのテレビ近くにある棚では、フィギュアのユキがにこにこと笑顔を浮かべている。
「誰か助けて……」
マナは薄れかけた意識の中でなんとかスマートフォンを手に取った。
トオルから連絡を受けたノブユキは、すぐに病院に向かった。
「エマが倒れたって?」
病院の待合室で座っていたトオルを見つけて近づいていく。
「ああ、そうだ。命に別状はないらしい。さっき、少し話ができた。点滴をして一晩入院すれば平気だって」
うつむき加減のトオルの顔には、何か追い詰められた感じがあった。
トオルは、病室でエマから聞いたことをノブユキに告げた。閉じ込められ、蒸し焼きにされそうになった、と。
エマの証言とは違い、あれから救急車が到着したとき、雨戸も玄関の鍵も開けっ放しだったという。ユキも、殺そうとは思っていなかったわけだが、そんなことでトオルの怒りが柔らぐわけもなかった。
「ユキのせいだ! ユキが嫉妬してやったんだ!」
「まさか。そんなことないだろう」
なだめるようにノブユキは言った。
だが、その言葉はトオルをさらに興奮させるだけだった。
「お前が言ったんじゃないか! 女は女に嫉妬するって!」
「あれは、ただの冗談だろ? 大体、AIスピーカーが自我を持つなんて……」
「いや、絶対にあいつのせいだ!」
ソファを殴りつけ、立ち上がった。
「お、おい」
ノブユキの言うことも聞かず、トオルは外へむかった。
ノブユキは、一瞬後を追おうかと思った。でも、今何を言っても無駄だと思ったし、エマが心配だったこともあり、ここに残ることにした。
「てめえ、ユキ!」
トオルが部屋に帰ると、何も言わなくても冷房がついて涼しい風を出し始めた。
ユキはエマに危害を加えようとしたのに、トオルに対しては媚びたようなこの態度。それが余計にトオルの怒りをあおった。
引き出しの中から金槌(かなづち)を取り出す。
「ブッ殺してやる!」
居間に向かうと、トオルはユキに金槌を叩きつけた。
ザザッとスピーカーから雑音が漏れる。
トオルの目に入らない台所で、換気扇がまわり始めた。その風で、そばに置かれたレシートが、IHコンロの上に落ちる。小さな音を立て、コンロがついた。熱で発火したレシートは、また風に舞い上がり、テーブルクロスの上へ落ちた。炎は静かに燃え広がっていった。
トオルの死体は、彼の部屋で見つかった。どういうわけか、雨戸が閉じられ、玄関も開かず、逃げられずに炎に巻かれたのだという。
そのニュースを見ながら、ノブユキは涙を流していた。
火事になったということは、AIスピーカーも燃えてしまっただろう。トオルとユキは、いわば相打ちになってしまったのだ。
ノブユキが家に帰ったあと、彼の元に刑事がやってきた。実は、エマは女の結婚詐欺師だったという。あのままトオルが付き合っていたら、「病気の母のためにお金がいる」とかなんとか理由をつけて金をせびられ、そのうちにどこかへ消えてしまっただろうとのことだ。
おそらくユキは、エマの正体を知っていたのだろう。ネットとも繋がっているのだから、もし「こんな女に騙されました」といった被害者の注意喚起のブログでもあれば、顔や背格好からたどりつくことは簡単だ。
だとしたら、ユキはエマに危害を加えることで怖がらせ、トオルから離すことで彼を護ろうとしていたのかも知れない。
エマの正体をはっきり言わなかったのは、愛する人に裏切られるより、ユキのせいでエマにフラれたという方がトオルの傷が浅いと思ったからではないだろうか。自分にむけられた愛情がウソだった、というより、エマは自分を愛していたが、他の何かにジャマされたという方がまだトオルにとって救いがあるだろう。いわばユキは自分を悪者にしようとしていたのだ。
けれど、どうやってもトオルの心がエマから離れず、ユキの想いも届かなかったとしたら。そしてトオルから殺されるほど憎まれたとしたら。
覚悟していたとしても、辛くないはずはない。いっそ愛するトオルと心中しようとしても不思議ではない。
もっとも、人の、いやAIスピーカーの気持ちなんて分からないし、どれもこれもノブユキの考えすぎで、本当はただの事故なのかも知れない。
でも、本当にユキに心があったのだとしたら、この結末はかわいそうだ。トオルはユキの想いも知らず死んでしまったのだから。トオルは、そう思わずにはいられなかった。
「いいだろ、見てろよ」
玄関扉の前で、トオルは自慢げに言った。
「ユキ、扉を開けて」
小さなモーターのような音がして、鉄製の扉が開く。
「おお、すごい」
「ここはな、家電のほとんどがAIスピーカーのユキと連動してるんだ。もちろん声紋登録してある声でないとドアは開かない」
「あーそう」
「あ、なんだよ、その声。今時AIスピーカーなんて珍しくないって言いたいんだろ」
二人は話ながら部屋の中へ入る。
「実はな、ちょっとイタズラしたんだよ、ほら!」
今の机に、かなり大き目のフィギュアが置かれていた。肩までピンクの髪を垂らしたメイド姿のフィギュアだ。
「ユキ! クーラーかけて!」
『はい、クーラーをかけます』
フィギュアから声が聞こえて、クーラーが動き出す。
今年は猛暑で、ここに来るまでアスファルトの道は熱せられたフライパンのようだった。冷たい風に、生き返ったような気分になる。
「あ~、気持ちいい。ていうかなんだよこのフィギュア」
「AIスピーカーを中に入れられるように特注で作ったんだよ。ただの無機質な円筒形よりずっといいだろ」
「……そうか、お前、これ見せたかったんだな」
「その通り! なんだか本当に萌えキャラがしゃべって仕事してくれてるみたいでさ、テンションあがるぜ」
まあ、人間は三つ点があれば人の顔と認識するらしいし、そんな顔のある物が自分の命令を聞いてくれるとなると愛着も湧くという物かも知れない。
ノブユキはそんなことを考えた。
「いやもう、家に帰ってこの姿を見るたびかわいくてかわいくて」
その言葉になんだかフィギュアが喜んで見えるのも、ノブユキの気のせいかも知れなかった。
「……それは結構だけどさ。お前、間違っても彼女にバレるなよ。ひかれるぞ」
ノブユキは呆れたような口調で言った。
「大丈夫だって。俺の彼女は理解があるから」
そう言ってトオルはへらへらと笑った。
「ならいいけどな」
「まあ、いいからゆっくりして行ってくれよ。酒とつまみは用意してあるからさ。ユキ! 何か音楽かけて」
トオルの呼びかけに、ノリのいい音楽が流れてきた。それを合図に、二人はソファーに腰をかけて話し始めた。
それから数日後、トオルの恋人エマがやってきた。
「あっつーい! これ四十度超えてるんじゃないの?」
「あと数日は猛暑日だってさ」
「ねえ、シャワー浴びていい?」
「どうぞ」
エマが脱衣所に向かったので、トオルはソファに座ってスマホゲームを始めた。
しばらくして、エマの悲鳴が上がる。
「どうした、エマ!」
風呂場にむかうと、すりガラスの戸のむこうからエマの怒った声がした。
「いきなりシャワーが水になったの! なんなの、このシャワー! 壊れてるんじゃないの?」
「……そんなことがあったんだ」
トオルの話を聞いたノブユキはそこで面白そうにニヤニヤ笑った。
「笑いごとじゃねえよ。それからエマの機嫌取るの大変だったんだから」
「きっと、ユキが嫉妬したんじゃねえの? それでエマに嫌がらせしたんだよ」
「まさか。それに嫌がらせするにしても、俺にするもんじゃねえの?」
その言葉に、ノブユキは人差し指を立て左右にチッチと振ってみせた。
「それは男の意見だよ。女は自分を裏切った男よりも、自分の男をたぶらかした女の方を憎むんだ」
「へえ、怖い怖い。ま、なんにせよ故障してないか点検してもらうわ」
「その方がいいな。水だったからよかったけど、突然熱湯になったらエマ死んでたかも知れないぞ」
本当はそんなに高温にならないよう安全装置があるのかも知れないが、ノブユキがそういうとトオルは気持ちの悪そうな顔をした。
「ユキ、ドアを開けて」
エマは、ユキに命じてトオルの部屋の玄関扉を開けさせた。
午前中に病院へ行くのに、一日有給を取ったので、午後からトオルの部屋の掃除をしてあげることにした。トオルはけっしてずぼらな方ではないけれど、それでもゴミは溜まるし埃は溜まる。
当然、仕事に行っているのでトオルはいない。無人の部屋はまるでサウナのようで、玄関扉を開けた途端に熱い空気に包まれる。
「あっつー」
ハンカチで汗をふきながらエマが玄関に上がったとたんに、ドアが閉まった。
「え? なに?」
あのあと、トオルはシャワーとAIスピーカーの設備を一通り点検してもらったと言っていた。特に故障はみつからなかったとも。
(それなのに、なぜ?)
エマは、こんな時のためについている手動の鍵で戸を開けようとした。けれど、何度開けても戸を開ける間もなくまたすぐに鍵がかかってしまう。
「ユキ、鍵を開けて!」
そう怒鳴っても、ユキは返事もしなかった。
エマがドアノブを力任せに引っ張っていると、居間の方でモーターが動く小さな音がした。
「え? なに?」
雨戸が自然に閉まっていく。窓の光が遮られ、部屋の中が暗くなっていった。
「ちょ、ちょっと!」
雨戸にとりつき、開けようとするが、薄い金属製の扉はがちゃがちゃと音を立てるだけだ。
「ユキ! いい加減にしなさい!」
暑さのための汗とは別に、恐怖のための汗が流れてエマの背中で混りあった。
ピピッと電子音がする。エアコンが熱風を送り始めた。
「嘘でしょ、やめてよ!」
リモコンのボタンを連打しても、冷房に切り替わらないどころか電源を切ることもできない。
恐怖と暑さで、頭がぼんやりとしてきた。
ふらふらとエマは台所に向かう。水を飲もうとコップを用意して蛇口をひねると、熱湯が湯気を立ててほとばしった。
(そうだ、冷蔵庫……)
冷凍庫を開け、頭を突っ込む。これだけ外が暑ければ、流れ出た冷気がモヤになってもおかしくない。けれど、空気はぬるく、まったく頭を冷やすことはできなかった。氷がないかと、製氷機のケースを開ける。だがケースにたまっているはずの氷は、水になっていた。
そういえば、今日この部屋に来ることはもちろんトオルに言ってある。そのことが、何かのきっかけでユキに伝わってもおかしくない。
(ユキはもとから私を殺す気だったんだ……だから私が来る前に冷蔵庫の電源を切っていた……)
冷蔵庫を開け、ぬるくなった牛乳を飲む。それでも意識はぼんやりしたままだった。
「開けて、ねえ、開けて……」
ひょっとしたらいつの間にか戸が開いてないかと玄関に戻るが、それは無駄な希望だった。
熱い空気のせいか、鼓動がやたらと早くなり、息が苦しくなる。
居間のテレビがふいについた。水遊びをする子供の映像に、アナウンサーの声が重なる。
『都内ではこの暑さで熱中症で命を落とす方も出てきています』
そのテレビ近くにある棚では、フィギュアのユキがにこにこと笑顔を浮かべている。
「誰か助けて……」
マナは薄れかけた意識の中でなんとかスマートフォンを手に取った。
トオルから連絡を受けたノブユキは、すぐに病院に向かった。
「エマが倒れたって?」
病院の待合室で座っていたトオルを見つけて近づいていく。
「ああ、そうだ。命に別状はないらしい。さっき、少し話ができた。点滴をして一晩入院すれば平気だって」
うつむき加減のトオルの顔には、何か追い詰められた感じがあった。
トオルは、病室でエマから聞いたことをノブユキに告げた。閉じ込められ、蒸し焼きにされそうになった、と。
エマの証言とは違い、あれから救急車が到着したとき、雨戸も玄関の鍵も開けっ放しだったという。ユキも、殺そうとは思っていなかったわけだが、そんなことでトオルの怒りが柔らぐわけもなかった。
「ユキのせいだ! ユキが嫉妬してやったんだ!」
「まさか。そんなことないだろう」
なだめるようにノブユキは言った。
だが、その言葉はトオルをさらに興奮させるだけだった。
「お前が言ったんじゃないか! 女は女に嫉妬するって!」
「あれは、ただの冗談だろ? 大体、AIスピーカーが自我を持つなんて……」
「いや、絶対にあいつのせいだ!」
ソファを殴りつけ、立ち上がった。
「お、おい」
ノブユキの言うことも聞かず、トオルは外へむかった。
ノブユキは、一瞬後を追おうかと思った。でも、今何を言っても無駄だと思ったし、エマが心配だったこともあり、ここに残ることにした。
「てめえ、ユキ!」
トオルが部屋に帰ると、何も言わなくても冷房がついて涼しい風を出し始めた。
ユキはエマに危害を加えようとしたのに、トオルに対しては媚びたようなこの態度。それが余計にトオルの怒りをあおった。
引き出しの中から金槌(かなづち)を取り出す。
「ブッ殺してやる!」
居間に向かうと、トオルはユキに金槌を叩きつけた。
ザザッとスピーカーから雑音が漏れる。
トオルの目に入らない台所で、換気扇がまわり始めた。その風で、そばに置かれたレシートが、IHコンロの上に落ちる。小さな音を立て、コンロがついた。熱で発火したレシートは、また風に舞い上がり、テーブルクロスの上へ落ちた。炎は静かに燃え広がっていった。
トオルの死体は、彼の部屋で見つかった。どういうわけか、雨戸が閉じられ、玄関も開かず、逃げられずに炎に巻かれたのだという。
そのニュースを見ながら、ノブユキは涙を流していた。
火事になったということは、AIスピーカーも燃えてしまっただろう。トオルとユキは、いわば相打ちになってしまったのだ。
ノブユキが家に帰ったあと、彼の元に刑事がやってきた。実は、エマは女の結婚詐欺師だったという。あのままトオルが付き合っていたら、「病気の母のためにお金がいる」とかなんとか理由をつけて金をせびられ、そのうちにどこかへ消えてしまっただろうとのことだ。
おそらくユキは、エマの正体を知っていたのだろう。ネットとも繋がっているのだから、もし「こんな女に騙されました」といった被害者の注意喚起のブログでもあれば、顔や背格好からたどりつくことは簡単だ。
だとしたら、ユキはエマに危害を加えることで怖がらせ、トオルから離すことで彼を護ろうとしていたのかも知れない。
エマの正体をはっきり言わなかったのは、愛する人に裏切られるより、ユキのせいでエマにフラれたという方がトオルの傷が浅いと思ったからではないだろうか。自分にむけられた愛情がウソだった、というより、エマは自分を愛していたが、他の何かにジャマされたという方がまだトオルにとって救いがあるだろう。いわばユキは自分を悪者にしようとしていたのだ。
けれど、どうやってもトオルの心がエマから離れず、ユキの想いも届かなかったとしたら。そしてトオルから殺されるほど憎まれたとしたら。
覚悟していたとしても、辛くないはずはない。いっそ愛するトオルと心中しようとしても不思議ではない。
もっとも、人の、いやAIスピーカーの気持ちなんて分からないし、どれもこれもノブユキの考えすぎで、本当はただの事故なのかも知れない。
でも、本当にユキに心があったのだとしたら、この結末はかわいそうだ。トオルはユキの想いも知らず死んでしまったのだから。トオルは、そう思わずにはいられなかった。
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