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閉めずの扉
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俺はなんで、あのリサイクルショップであの金庫を見つけてしまったのだろう。
それはかなり昔の物らしく、角はまるくてどこかかわいらしさがあった。蓋には鳳凰の浮彫{(うきぼり)がしてある。全体的に黒く塗られていて、くすんだ金色のダイヤルには、壱、弐、参……と漢字で数字が書いてあった。中を見ると、ちょうど真ん中に取り外しのできる板が水平にはめられ、上下二段になっていた。その棚をどかせば、しゃがんだ子供ぐらい入れそうな大きさだ。
ただ、蝶番に針金が巻き付けてあり、蓋が完全に閉まらないようになっているのが変わっていた。
「すごいな……」
おれは思わず呟いた。
「いいでしょう、年代物ですよ」
いつの間にか、黄色いエプロンをした店員がすぐそばにいた。
「でも、なんで針金が巻かれているんです?」
その言葉に、店員は苦笑した。
「それが、古い物ですから、金庫の暗証番号が分からなくなったんです。だから、一度閉じると鍵がかかって開かなくなってしまうんですよ。だから、お客さんが勝手に閉めないように」
「なるほど」
開かずの扉ならぬ閉めずの扉。そんなくだらない言葉が頭に浮かんだ。
「でも、ほら、戸を閉めなければ棚代わりにもなりますし」
たしかに、鉢植えや小物を入れるのに丁度いいかも知れない。
俺は小さな喫茶店を経営していた。
レトロをコンセプトにしていて、古いタイプライターやずんぐりした小型の扇風機、ライトスタンドなどがインテリアとして飾ってある。なかなか雰囲気がいいとそれなりに人気が出てきたところだ。
今回も、店に何か合うものがないか、このリサイクルショップに探しに来たというわけ。
この金庫だったら喫茶店の雰囲気にも合うだろう。俺はこの閉めずの金庫を衝動買いしてしまったのだった。
色々考えた結果、金庫はカウンターの奥に置くことにした。ここならば客が入り込んで蓋を閉めることはないだろう。そして蝶番の針金は切ってしまった。安っぽい針金がいかにもジャマで、金庫の雰囲気を台無しにしている感じがしたからだ。代わりに金庫の扉にドアストッパーをはめておいた。
棚には植木とオブジェをいくつか入れた。
あとは自分が誤って閉めてしまわないように気をつければいいだけだ。
その金庫は客にも評判がよく、ほめてくれる者もいるくらいだった。もっとも、開きっぱなしなので客に扉の彫刻が見せられないのが残念だけれど。
金庫を置いて数か月経った深夜、俺は一人で床のモップがけをしていた。そしてつい、勢いよくモップで金庫の扉を突っついてしまった。いつもは気を付けていたのに、その日は疲れていてうっかりしていたのだ。
ドアストッパーが外れる。重たい音がして扉が閉まった。慌てて取っ手を引っ張っても完全に鍵が降りたらしく扉はガタつきもしない。
「しまった……こういうのって、普通の鍵屋に電話すれば直してくれるのかなあ」
中には植木鉢が入っている。さっき見たとき土が乾いていて、あとで水をやらなければと思ったところだ。扉を開けるのにどれくらい日数がかかるか分からないが、なるべく早く扉を開けてやりたい。枯れてしまってはかわいそうだ。でももうこの時間では鍵屋もやっていないだろう、連絡は明日になる。
俺は金庫に背をむけてカウンターから離れようとした。
カリッと小さな音がした。
「ん?」
振り返ってカウンターを振り返る。
レジ、その隣の観葉植物、レジを置いてある台、その棚に置いてある、替えのレシートロールを入れた小さなかご。
何も変わったものはない。
「気のせい、か」
もう一度離れようとしたとき、また音がした。やっぱり、気のせいではない。
「金庫?」
恐る恐る金庫に歩みよる。
カリ……カリ……
かすかな、かすかな音が、閉まった扉の内側から聞こえてくる。
「ネズミかゴキブリでも閉じ込めたか?」
カリカリ、という音に混じり、今度はぺちぺちという音もし始めた。
まるで手の平で扉の内側を叩いているよな。
そう考えた途端、ゾクッと恐怖が背中をはい上がった。
まさか、中に子供を閉じ込めてしまった?
「おい、本当に中に誰か……」
言いかけて、俺は言葉を切った。
そんなはずはない。
棚や中の物を出せば子供の一人は入るだろうが、そんなことをすれば俺や他の人間が気づかないはずがない。そもそも、金庫が閉まる前、中に鉢やオブジェしか入っていないのはこの目で見ている。 じゃあ、中にいるのは一体何者だ?
物が詰まった金庫の中に入っているなんて、普通の体を持った生き物ではありえない。それに、こんな頑丈な箱に閉じ込められたとして、外まで音や声が聞こえるだろうか?
どうしていいか分からないまま、俺は立ち尽くしていた。
そのうちに、すすりなくような声が聞こえてきた。そのすすり泣きは、だんだんとはっきり、大きくなっていく。
『さい……めんなさい……』
幼い少女の声だった。
『ごめんなさい……ここから出して……』
(ここから出してって…… 誰かに閉じ込められたってことか?)
『もうしないから……ここから出して……ゆるしてください……』
何が起こったのか、その言葉で見当がついた。
昔どこかに、虐待された少女がいたのだろう。その子は何か失敗したか、あるいはただ単に親の気まぐれで、この金庫に閉じ込められた。そして密閉された空間で窒息死したか、あるいは呼吸はできても餓死するまで出してもらえなかったのか。
その魂がこの金庫にとり憑いてしまったのだろう。開かずの部屋が閉じることで何かを封じているのなら、この金庫は開けっ放しにしておくことで霊を封じ込めていたのだ。
『出して……』
扉を叩く音、すすりなく声はもう聞き間違えられないほどだった。少女の気配はどんどんと生々しくなっていく。
金庫を開けるべきだろうか。
しかし、開けたとき、何が出てくるのだろう? 少女の魂? それともゾンビのようになった少女?
そもそも、この状況をどうやって鍵屋に説明する? 声や物音をごまかすことはできないだろう。口留めしたとしても信用できない。呪われた喫茶店だなんて噂が立ったら商売あがったりだ。
開けることはできない。
『ごめんなさい……もうしないから……』
たしか、大きなスコップが家の物置があったはずだ。それを取ってこよう。そして、近くの空き地に穴を掘って、この金庫を埋めるのだ。土の中なら声も物音も聞こえないだろう。
死んでからもこの少女はこの鉄の塊に閉じ込められたままなのか。それだけでなく、俺の手で冷たい土の中に葬られるのか。永遠に死ねないままで。
そう思うと心が多少痛んだが、こっちにだって生活があるんだ。しかたないじゃないか。
それはかなり昔の物らしく、角はまるくてどこかかわいらしさがあった。蓋には鳳凰の浮彫{(うきぼり)がしてある。全体的に黒く塗られていて、くすんだ金色のダイヤルには、壱、弐、参……と漢字で数字が書いてあった。中を見ると、ちょうど真ん中に取り外しのできる板が水平にはめられ、上下二段になっていた。その棚をどかせば、しゃがんだ子供ぐらい入れそうな大きさだ。
ただ、蝶番に針金が巻き付けてあり、蓋が完全に閉まらないようになっているのが変わっていた。
「すごいな……」
おれは思わず呟いた。
「いいでしょう、年代物ですよ」
いつの間にか、黄色いエプロンをした店員がすぐそばにいた。
「でも、なんで針金が巻かれているんです?」
その言葉に、店員は苦笑した。
「それが、古い物ですから、金庫の暗証番号が分からなくなったんです。だから、一度閉じると鍵がかかって開かなくなってしまうんですよ。だから、お客さんが勝手に閉めないように」
「なるほど」
開かずの扉ならぬ閉めずの扉。そんなくだらない言葉が頭に浮かんだ。
「でも、ほら、戸を閉めなければ棚代わりにもなりますし」
たしかに、鉢植えや小物を入れるのに丁度いいかも知れない。
俺は小さな喫茶店を経営していた。
レトロをコンセプトにしていて、古いタイプライターやずんぐりした小型の扇風機、ライトスタンドなどがインテリアとして飾ってある。なかなか雰囲気がいいとそれなりに人気が出てきたところだ。
今回も、店に何か合うものがないか、このリサイクルショップに探しに来たというわけ。
この金庫だったら喫茶店の雰囲気にも合うだろう。俺はこの閉めずの金庫を衝動買いしてしまったのだった。
色々考えた結果、金庫はカウンターの奥に置くことにした。ここならば客が入り込んで蓋を閉めることはないだろう。そして蝶番の針金は切ってしまった。安っぽい針金がいかにもジャマで、金庫の雰囲気を台無しにしている感じがしたからだ。代わりに金庫の扉にドアストッパーをはめておいた。
棚には植木とオブジェをいくつか入れた。
あとは自分が誤って閉めてしまわないように気をつければいいだけだ。
その金庫は客にも評判がよく、ほめてくれる者もいるくらいだった。もっとも、開きっぱなしなので客に扉の彫刻が見せられないのが残念だけれど。
金庫を置いて数か月経った深夜、俺は一人で床のモップがけをしていた。そしてつい、勢いよくモップで金庫の扉を突っついてしまった。いつもは気を付けていたのに、その日は疲れていてうっかりしていたのだ。
ドアストッパーが外れる。重たい音がして扉が閉まった。慌てて取っ手を引っ張っても完全に鍵が降りたらしく扉はガタつきもしない。
「しまった……こういうのって、普通の鍵屋に電話すれば直してくれるのかなあ」
中には植木鉢が入っている。さっき見たとき土が乾いていて、あとで水をやらなければと思ったところだ。扉を開けるのにどれくらい日数がかかるか分からないが、なるべく早く扉を開けてやりたい。枯れてしまってはかわいそうだ。でももうこの時間では鍵屋もやっていないだろう、連絡は明日になる。
俺は金庫に背をむけてカウンターから離れようとした。
カリッと小さな音がした。
「ん?」
振り返ってカウンターを振り返る。
レジ、その隣の観葉植物、レジを置いてある台、その棚に置いてある、替えのレシートロールを入れた小さなかご。
何も変わったものはない。
「気のせい、か」
もう一度離れようとしたとき、また音がした。やっぱり、気のせいではない。
「金庫?」
恐る恐る金庫に歩みよる。
カリ……カリ……
かすかな、かすかな音が、閉まった扉の内側から聞こえてくる。
「ネズミかゴキブリでも閉じ込めたか?」
カリカリ、という音に混じり、今度はぺちぺちという音もし始めた。
まるで手の平で扉の内側を叩いているよな。
そう考えた途端、ゾクッと恐怖が背中をはい上がった。
まさか、中に子供を閉じ込めてしまった?
「おい、本当に中に誰か……」
言いかけて、俺は言葉を切った。
そんなはずはない。
棚や中の物を出せば子供の一人は入るだろうが、そんなことをすれば俺や他の人間が気づかないはずがない。そもそも、金庫が閉まる前、中に鉢やオブジェしか入っていないのはこの目で見ている。 じゃあ、中にいるのは一体何者だ?
物が詰まった金庫の中に入っているなんて、普通の体を持った生き物ではありえない。それに、こんな頑丈な箱に閉じ込められたとして、外まで音や声が聞こえるだろうか?
どうしていいか分からないまま、俺は立ち尽くしていた。
そのうちに、すすりなくような声が聞こえてきた。そのすすり泣きは、だんだんとはっきり、大きくなっていく。
『さい……めんなさい……』
幼い少女の声だった。
『ごめんなさい……ここから出して……』
(ここから出してって…… 誰かに閉じ込められたってことか?)
『もうしないから……ここから出して……ゆるしてください……』
何が起こったのか、その言葉で見当がついた。
昔どこかに、虐待された少女がいたのだろう。その子は何か失敗したか、あるいはただ単に親の気まぐれで、この金庫に閉じ込められた。そして密閉された空間で窒息死したか、あるいは呼吸はできても餓死するまで出してもらえなかったのか。
その魂がこの金庫にとり憑いてしまったのだろう。開かずの部屋が閉じることで何かを封じているのなら、この金庫は開けっ放しにしておくことで霊を封じ込めていたのだ。
『出して……』
扉を叩く音、すすりなく声はもう聞き間違えられないほどだった。少女の気配はどんどんと生々しくなっていく。
金庫を開けるべきだろうか。
しかし、開けたとき、何が出てくるのだろう? 少女の魂? それともゾンビのようになった少女?
そもそも、この状況をどうやって鍵屋に説明する? 声や物音をごまかすことはできないだろう。口留めしたとしても信用できない。呪われた喫茶店だなんて噂が立ったら商売あがったりだ。
開けることはできない。
『ごめんなさい……もうしないから……』
たしか、大きなスコップが家の物置があったはずだ。それを取ってこよう。そして、近くの空き地に穴を掘って、この金庫を埋めるのだ。土の中なら声も物音も聞こえないだろう。
死んでからもこの少女はこの鉄の塊に閉じ込められたままなのか。それだけでなく、俺の手で冷たい土の中に葬られるのか。永遠に死ねないままで。
そう思うと心が多少痛んだが、こっちにだって生活があるんだ。しかたないじゃないか。
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