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飛べない鳥
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「ペンギンみたいなものよ」
私は立ち上がって空に手を伸ばす。青い空は遠くまで続いていて、その端にも私の手は届かない。その青は水彩で塗られたような透明感がある。ポケットの中で屋上の鍵がチャリン、と小さく音を立てる。
「でも、ペンギンは泳ぐだろう?」
彼は座ったまま、不思議そうに私を見上げていた。
「ウミガラスもエトピリカも飛べるけど泳げるわ」
学校の屋上にこっそり上がっては私と彼はいつもこんな話ばかりしている。本当は入れないはずの場所、特別な空間に許された二人。そんな言葉を並べたらドキドキするが、ただの部活動だ。彼も私も首から一眼レフカメラを下げている。
それにドキドキしたい相手は彼じゃない。
「きっと飛べたら変わると思うの」
都会の中心に建てられたこの高校の屋上から見える空は、背の高いビルに四角く区切られている。雲ひとつない、隅から隅まで綺麗に塗られた、ただの青い四角。
「そういうものかい」
彼はどうでもいい、という風に投げやりに返事をした。
ガチャリ、と屋上のドアが開く。心臓が大きく跳ね上がるのがわかる。手のひらがじんわりと湿って、口の中から急激に水分が失われていく。
「やあ、二人とも。やっているかい?」
「す、須藤先生。職員会議終わったんですね」
「終わった、終わった。本当に面倒だった」
紺色のネクタイを片手で緩めながら、先生は日陰に腰を下ろした。首筋をつうっと汗が流れている。その汗の粒一つですら、眩しい。
初めて会ったときから、須藤先生は他の先生と違った。凄い先生というよりは、変な先生だ。ホームルームはだるそうに連絡事項だけ伝えたら、とっとと生物準備室に戻ってしまう。淡々とした授業はクラスの半分くらいの生徒が寝てしまうのに、全く気にしていない。
しかし、写真部の顧問としては真面目に活動をしてくれた。部員が少ないのもあるだろうが、部室である生物室に行けば、コーヒーをつくってくれることもあった。
部活のことも、授業のことも、家のことも色々と話を聞いてくれた、教室の中ではだるそうにしているだけの須藤先生が、笑ってコーヒーを飲んだり、私と話したりしている。それがなんだか特別なことみたいで、嬉しかった。
クラスのみんなが知らない須藤先生を、私が知っていることがなんだか誇らしかった。
それに写真部は校外での活動も多かった。休みの日に集まって、写真を撮りに出かける。勿論、須藤先生は顧問だから付添だ。普段学校ではスーツの上から白衣を着ている先生の、私服姿を知っている生徒は少ないだろう。私はこの休みの日の活動も毎回休まずに参加した。
やましい事を考えながら、参加し続けていた。
「須藤先生、次のテストの答え全部教えて下さい」
「無茶を言うんじゃない。ちゃんと勉強するんだな」
「意地悪ですね」
「そんな事ないさ。というか、生徒にそんな事したら俺の首が飛ぶ」
じゃあ、生徒と恋におちたら……?
なんてことを聞く度胸は私には無い。
ペンギンが空を目指さないように、私もこの恋が実ることを目指すことは出来ない。ペンギンが海へ進んだように、私も行くべきであると一般で定められているようなところを目指すほうが良いのかもしれない。
でも私は、先生の隣にいきたかった。先生の唯一になりたかった。先生への恋心を実らせたかった。
空は遠く、どんなに手を伸ばしても掴めない。
私は飛べない鳥、ペンギンだ。
私は立ち上がって空に手を伸ばす。青い空は遠くまで続いていて、その端にも私の手は届かない。その青は水彩で塗られたような透明感がある。ポケットの中で屋上の鍵がチャリン、と小さく音を立てる。
「でも、ペンギンは泳ぐだろう?」
彼は座ったまま、不思議そうに私を見上げていた。
「ウミガラスもエトピリカも飛べるけど泳げるわ」
学校の屋上にこっそり上がっては私と彼はいつもこんな話ばかりしている。本当は入れないはずの場所、特別な空間に許された二人。そんな言葉を並べたらドキドキするが、ただの部活動だ。彼も私も首から一眼レフカメラを下げている。
それにドキドキしたい相手は彼じゃない。
「きっと飛べたら変わると思うの」
都会の中心に建てられたこの高校の屋上から見える空は、背の高いビルに四角く区切られている。雲ひとつない、隅から隅まで綺麗に塗られた、ただの青い四角。
「そういうものかい」
彼はどうでもいい、という風に投げやりに返事をした。
ガチャリ、と屋上のドアが開く。心臓が大きく跳ね上がるのがわかる。手のひらがじんわりと湿って、口の中から急激に水分が失われていく。
「やあ、二人とも。やっているかい?」
「す、須藤先生。職員会議終わったんですね」
「終わった、終わった。本当に面倒だった」
紺色のネクタイを片手で緩めながら、先生は日陰に腰を下ろした。首筋をつうっと汗が流れている。その汗の粒一つですら、眩しい。
初めて会ったときから、須藤先生は他の先生と違った。凄い先生というよりは、変な先生だ。ホームルームはだるそうに連絡事項だけ伝えたら、とっとと生物準備室に戻ってしまう。淡々とした授業はクラスの半分くらいの生徒が寝てしまうのに、全く気にしていない。
しかし、写真部の顧問としては真面目に活動をしてくれた。部員が少ないのもあるだろうが、部室である生物室に行けば、コーヒーをつくってくれることもあった。
部活のことも、授業のことも、家のことも色々と話を聞いてくれた、教室の中ではだるそうにしているだけの須藤先生が、笑ってコーヒーを飲んだり、私と話したりしている。それがなんだか特別なことみたいで、嬉しかった。
クラスのみんなが知らない須藤先生を、私が知っていることがなんだか誇らしかった。
それに写真部は校外での活動も多かった。休みの日に集まって、写真を撮りに出かける。勿論、須藤先生は顧問だから付添だ。普段学校ではスーツの上から白衣を着ている先生の、私服姿を知っている生徒は少ないだろう。私はこの休みの日の活動も毎回休まずに参加した。
やましい事を考えながら、参加し続けていた。
「須藤先生、次のテストの答え全部教えて下さい」
「無茶を言うんじゃない。ちゃんと勉強するんだな」
「意地悪ですね」
「そんな事ないさ。というか、生徒にそんな事したら俺の首が飛ぶ」
じゃあ、生徒と恋におちたら……?
なんてことを聞く度胸は私には無い。
ペンギンが空を目指さないように、私もこの恋が実ることを目指すことは出来ない。ペンギンが海へ進んだように、私も行くべきであると一般で定められているようなところを目指すほうが良いのかもしれない。
でも私は、先生の隣にいきたかった。先生の唯一になりたかった。先生への恋心を実らせたかった。
空は遠く、どんなに手を伸ばしても掴めない。
私は飛べない鳥、ペンギンだ。
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