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39 ちょっとしたシナリオ
しおりを挟む「わたくしにそんな口を利くなんて許さないわ。イスハークにお願いして酷い目に合わせてやるから……!」
なぜここで王太子殿下が出てくるのか。まるで見当違いの剣幕に、扇を開閉していたハティスの手が止まる。
「わたくしは愛らしいからイスハークはなんでも望みを聞いてくれるのよ。いつもそうだった。じっと見つめてお願いしたら、イスハークはわたくしを側に置いて、あなたを遠ざけた。わたくしを庇って、あなたを叱ったの」
「殿下は婚約解消しなかった。あなたのお願いなんて聞いていないじゃない」
ハティスが淡々と事実を示すと、痛いところを指摘されたのか、アレイナは悔しそうに唇を歪めた。
「うるさい……っ、悪役令嬢のくせに。わたくしがイスハークがほしいなら譲るべきなのに、いつまでも邪魔ばかりして……!」
婚約は家同士の取り決めだったと、つい先程説明したばかりなのに。そもそもハティスという婚約者がいるにも関わらず、王太子殿下に纏わりついていたのはそちらだ。
邪魔をしていたのは……、それ以上追求するのは無意味なのでやめた。
ハティスは激昂するアレイナを見据える。
「――だからあの日、私が死ねばいいと願ったの?」
「そうよ、そう!絶望した顔を見たくて、どうしたらいいかずっと考えてた。やはりゲームみたいに男たちに凌辱されるのが一番よ。でも面倒だから、もう死んでしまえばいいって願ったわ。なのに抵抗したあげく勝手に倒れたのに、わたくしのせいにされたじゃない。二ヵ月よ?二ヵ月もあなたのせいで謹慎を言い渡されたわ……!」
凌辱。死。
理解できない彼女の持論に、吐き気をもよおしそうになる。
また同じだ。いつもハティスが悪いと言われつづけた。その度に違うと否定したのに、王太子殿下も、騎士も、アレイナを信じた。ハティス自身も抗う気力を少しずつ奪われた。
「……教えてちょうだい」
開きかけた口は再び固く閉じられて。それを何度か繰り返す。ようやくハティスは心を決めた。
「あなたが私と同じように、ずっとその死を願っていたのは誰なの……?」
アレイナは数回瞬くと、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「まあ、そんなことが知りたいの……?いいわ、教えてあげる。堅っ苦しい境遇。冷えきった家族との関係。孤独。絶望して20歳で自死する死にたがり。ゲームにはね、名前しか出てこない男よ!」
縋るようにハティスはドレス下にある菫色の魔石を、震える指で何度もなぞる。
(……私が大切に想う人は少ない。もしエディ兄様なら、すぐに相談したはず。そうしなかったのはできなかったから。大切だったから遠ざけて、近くにいることを拒んだから……)
涙が頬を伝った。
いや……、その先は聞きたくない。
「レヴェント・シェリノールよ……っ!」
耳障りな声がハティスの頭の中に響く。
「ちょっと、わたくしの話を聞いてる……?ゲームのシナリオでは、もう死んでなきゃいけないのよ。義兄の死で、急遽公爵家を継ぐことになったイルディスを、ヒロインが励まして愛を育むの。エディだってそう。親友が死んで、虚無感に苛まれる彼をヒロインが支えて愛されるはずだったの」
20歳で絶望した……?
それはハティスが王太子殿下と婚約を結んだ年だ。
王家から婚約の打診があり、視察から戻ったレヴェントがハティスを訪ねてきた日を思い出した。婚約がハティスの意にそぐわないなら、力になると言ってくれた。
では、もしかしたらあの日が最後になっていたかもしれないということ……?
違う。違うわ、レヴィ様はずっといる。いなくなったりなんてしない。
妄言にすぎないと、わかっているのに涙が止まらない。なぜだか真実味を帯びているから。
呆然と佇むハティスを嘲るように、アレイナは妄言を吐きつづける。
「なのに、いつまでもあの男は死なない。おかげでシナリオが変わってしまったわ。しかも近衛騎士団の団長で、あなたと婚約……?こんなの、こんなのゲームと全然違うじゃない!悪役令嬢とモブのくせに、ヒロインであるわたくしの邪魔ばかりして……っ」
「……人の死は願うものではないわ」
そんなことは許されない。ハティスは零れる涙を指で払った。
「またお説教をするの?もう、うんざりだわ。あなただけ死ねばいい。エディだってわがままなあなたにうんざりして、殺したいくらい憎んでいるのよ。エディも、あなたの婚約者も、わたくしがもらうわ。レヴェント・シェリノールは攻略対象じゃないけど構わない。彼、見惚れるくらい綺麗な顔をしているのですもの」
「もらう……?あなたはそれで満足するの?人の心は自由にできるものではないでしょう」
「ぷっ、本当おかしい。なに言ってるの?わたくしにはできるのよ。皆に愛されるヒロインですもの、なんでも許されるわ」
「……――じゃあ聞いてもいいかしら?あなたのご婚約者はどちらの方?あなたの言うとおりなら、もう婚約が決まっているわよね?だって皆に愛されているヒロインなのでしょう?ねえ、どちらの方かしら?ご婚姻はいつ?是非、教えていただきたいわ」
「……っ?」
急に纏う空気が変わり、矢継ぎ早に質問を繰り返すハティスに、アレイナは言葉を失い愕然とする。
(死にたがり、ですって……?)
愛する婚約者を貶されたのだ。ハティスは静かに、けれど最高潮に怒っていた。
もらうなどと妄言まで吐かれて。彼女の口がレヴェントの名を声にするのさえ許せなくて、弱気になりかけていた自身をすぐに立て直した。
「な、なにを……」
「まあ……!もしかしてまだ、決まっていなかったかしら?ごめんなさい、不躾だったわ。失礼なことを聞いてしまったわよね?でも、愛されるヒロインのあなたに婚約者がいないなんて思いもしなくて……」
気の毒そうな眼差しを寄越すハティスに、アレイナがカッとなった。
「あなたの婚約者みたいなモブじゃなくて、わたくしに相応しいお相手は攻略対象キャラなのよ……っ」
「そうですか。その攻略対象とかいう方が、どこのどなたかは存じ上げませんが、周りをご覧になって。あなたはここに、一人きりだわ」
「わ、わたくしは……っ」
「可憐なヒロイン、なのでしょう?確かにあなたの髪と瞳は王国では希少な色で賞賛されるものかもしれない……でも気質は、これまで私が出会った人の中でも最低だわ」
「さ、最低ですって……!?」
「妄想で人を傷つけるなど、最低だと申し上げました。あなたは人の心をなんだと思っているの?」
「失礼だわ、妄想なんかじゃないもの……!わたくしがこの世界の主役で、ヒロインなの!」
髪を振り乱して叫ぶヒロイン、アレイナをハティスは見据えた。
「聞きたい事はもうありません。そうだわ、あなたに一つ教えて差し上げましょう。ここはエクシオウルという王国で、国王陛下が統治する場所です」
艶やかに微笑んで告げると、近づいてくる足音に備えてハティスは姿勢を正した。
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