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二十、耳たぶおかっぱ同盟

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少し興奮していたのか、翌朝はちょっとだけ早く目が覚めた。シャワーを浴び、ヘアブローをする。簡単に乾くけど、カットラインを美しく見せたくて時間をかけた。今日はこのおかっぱ姿で、初めて論理先生の目の前に立つ日。おめかししていこう。丁寧にメイクして顔を作り、何着かロリ服も選ぶ。
「やっぱ、ローザミスティカかな」
先生に「こんなきれいな子」と言ってもらったこの服を、おかっぱに合わせる。そういえば千恵美や浩くんにも、着てきてって言われているしな。背中ファスナーを少し下ろし、ローザを頭からかぶる。かぶった後、長い髪をぱあっと襟口から外に引き出すのが好きだったけれど、今はもうそれもできない。ちょっと寂しい。でもいいんだ。後ろ手にファスナーを上げてホックをはめる。ローザの後ろ姿、これからは髪に隠れることもないんだな…。そして私は論理先生のヘアブラシをおかっぱに通した。ストンと抜け落ちる手応えはまだ不慣れだけどいい。姿見で前姿と後ろ姿をチェックする。眉上三センチでかっちり揃う前髪、耳たぶを八ミリ出したサイド。襟元のずっと上で揃えられた襟足。剃り跡が広がるうなじは、まだちょっとすーすーする。私はもう一度前と後をチェックすると、この前もローザに合わせたピンクリボン付きの、白くて華やかなヘッドドレスを付ける。ぐっと下を向いて、うなじにシャネル・ガブリエルの香水も振る。私の、精確に揃えられた襟足のカットラインに香水が振りかかっていく様子を想像する。学生鞄から中身を引き出し、「うさくみゃちゃん」のポシェットに移し替えた。これで準備万端。少し奥歯を噛みしめて、私は外に出た。風雨は止んだけれど、相変わらず空はどんよりと重く曇っている。でも、私の気持ちは晴れやかだった。

「ふ、文香⁉︎文香かよ⁉︎」
地下鉄に一歩踏み込んだ瞬間、遥の頓狂なソプラノに私は迎えられた。呆然とする遥と秀馬くん。
「お前…、か、髪…」
「うん。切っちゃった。どうかな?」
照れ臭くて微笑む私。
「思い切ったな文香。見違えたぞ」
そう言って秀馬くんは席を立ち、私の後ろに回り込んだ。遥もその後に続く。襟足に二人の視線を感じて、ちょっと熱くなってくる。
「きれいに揃ってる…。文香かわいいね、秀馬」
「ああ。それにしても文香、どうしてここまで?」
二人は席に戻った。いつもの通り、その隣に座らせてもらう。
「やっぱ、論理か?」
遥にそう聞かれて、私は小さくうなずく。
「うん…。真美に、負けていられないもの。昨日、智世と一緒に切った」
遥が、大きな黒い瞳を一層大きく見開く。
「え⁉︎智世も切ったのか…。んじゃあ智世も論理のことを?」
「うん、そうらしい。なんか智世と、どっちが短いおかっぱにできるか競争みたいになった」
「それで…、そんな短くなったのか…」
遥が嘆息する。私たち三人はしばらく言葉もない。地下鉄の大きな走行音だけが響いた。
「文香。文香って、論理のこと好きだったのか」
「そうだよ秀馬くん。そういえば知らなかったよね。もう始業式のときくらいから意識してたよ」
「でも論理さぁ…」
遥が口を開いた。
「昨日の朝のツイート、真美にもう夢中みたいな書きっぷりだったじゃねぇか」
「だから…」
私は一度唇を引き結んでから、大きな口を開けて、ローザミスティカの胸に「すはあっ」と息を吸い込んだ。
「論理先生に、このおかっぱを見てもらう。真美よりも智世よりも、きっとかわいくなってるはずだから」
「確かになぁ」
遥が私のサイドから後ろをのぞき込む。
「普通の姿勢取ってるときも襟足が見えるくらいがちょうどいいとか言ってたからな。今の文香、襟足ずっと短くて、もう見えるくらいどころじゃねぇ。きっと論理、びっくりして、今度は文香に夢中になるぞ」
「文香、男の俺の目から見ても、そのおかっぱはすごく清楚でかわいい。文香の顔立ちもよく引き立っている。論理も魅力を感じると思う」
二人の言葉が、私の背中を優しく後押しした。あったかいな。真美、これが友だちというものだよ。そんな関係すらめんどくさいと言うの?
「ありがとう二人とも。私、学校着いたら真っ先に論理先生にこの髪見せにいくね」

職員室の入り口に着いた。ローザの胸がドキドキと高鳴る。先生、私のおかっぱ見て、何て言ってくれるだろう。先生のヘアブラシを取り出して、おかっぱを何度もとかす。そうするうち、背後に人の気配がした。振り向く私。
「智世!」
私より一センチ長いおかっぱにした智世がそこにいた。智世も私服だ。灰色のギャザーワンピを着ている。Aラインのシルエットと、胸元の大きなリボンが愛らしい。これも多分アンクルージュだろう。
「お、おはよう智世」
「……………」
智世は返事をしない。眼鏡の向こうの細い瞳が、私を睨んでいる。そして、プイッと横を向くと、入り口のドアノブに手を掛け、職員室に入る。その後に続いた。中には論理先生、その脇に真美がいる。真美と会話する先生、楽しげだ。
「論理…」
「論理先生…」
二人して先生に声をかける。先生が気づいて振り向いた。その瞬間、先生の顔が驚愕に満ちる。
「なっ、何っ⁉︎」
大きな瞳を見開けるだけ見開いて、言葉もない論理先生。智世と私は、そんな先生の前に進み出た。その脇では「二人ともやっちゃったのか」と言わんばかりに苦笑いしている真美。
「お…、おい。どうした、文香も智世も…」
先生は、私たちのおかっぱから視線を動かせない。
「切った。ばっさり」
相変わらず、か細いけれど発音ははっきりしている智世。
「切ったって…。二人とも、一メートル以上じゃないか。どうしてそんなに」
「ろ、論理先生に!」
私は思わず声を上げた。
「俺に…?」
顔から火が出る。心臓が飛び出そうだ。でも…、でも、言わなきゃ。
「かわいいって…、言って、ほしくて…。服も…、きれいなの、着て…きました」
「そうか。そうかそうか」
先生は席から立ち上がって、私たちの前やサイドや後ろを、しげしげと見つめた。
「二人ともずいぶん短くしたな。文香なんて、耳たぶ出てるじゃないか」
「論理、あたし、どう?」
智世が、論理先生に詰め寄るようなしぐさを見せながら聞く。
「そうだな…」
先生は、私たちの襟足を眺める。後ろからの視線が熱い。
「襟足、ほんと短いよな。すごく揃ってるし、きれいに剃ってあってかわいいぞ。でも…」
え?でも…?先生、何を言うの?
「智世も文香も、もう少し長めのほうがよかったな。真美くらいの」
その瞬間、先生のその言葉が、電撃になって私を貫いた!先生っ、何…っ?何っ?そ、そんな…。そんなのって、そんなのって!先生に…先生に、気に入ってもらえなかった!真美のおかっぱのほうが、いいって!私、私、せっかくがんばって短いおかっぱにしたのに。あの髪にさよならしたのに。どうして?どうして先生、どうしてっ‼︎私は床を蹴って駆け出した。論理先生が後ろから何か声をかけてくるけど耳に入らない。私は職員室の外に飛び出した。背後から誰か一緒になって駆けてくる気配がしたけど、そんなことどうでもいい。
「うっ、うううっ…」
泣きながら私は走り、トイレの個室に駆け込む。隣の個室にも誰か飛び込んだみたいだ。
「先生っ、どうしてっ…、どうしてぇっ…!すはあああっ!うえええええええんっ…え、ええん…すはあああっ‼︎えええええええええんっ…」
短すぎるおかっぱのローザミスティカが、背中ファスナーを膨らませて、全力で泣く。「真美くらいの」という先生の言葉が、心に突き刺さって離れない。
「嫌っ、嫌あっ…、あひいいいっ!ひいいいいいいいいん‼︎あひいいいっ!ひいいいいいいいんっ‼︎」
隣の誰かも、声を限りに泣いている。その泣き声に誘われるように、私はさらに息を吸い込んだ。ローザの肩がぐうっと上がる。
「すはあああっ‼︎ええええええええんっ…、え、ええん…ええ…」
また泣き過ぎで息が吸い込めない。苦しいっ。むちゃくちゃ苦しいよ論理先生っ。
「あひいいいっ‼︎ひいいいいいいいん…いいい…いい、いい…」
隣も息が吸えないみたいだ。
「すはあああっ‼︎」
「あひいいいっ‼︎」
吐けない息を吐くだけ吐ききってから、二人して激しく息を吸い込む。
「えええええええええんっ‼︎…え…ええ、…え…す、すはあああっ、えええええええええんっ‼︎」
「ひいいいいいいいいんっ‼︎いい…い…いい…あ、あひいいっ、ひいいいいいいいいんっ‼︎」
トイレは長いこと、私と誰かの大号泣で満ちた。私、最近、大泣きしてばかりだな。おかっぱにした真美に夢中になった論理先生を見ては泣き、髪を切り落としては泣き、そして今泣いている。いったいどれだけ泣いたらいいんだろう。論理先生のために、どれだけ涙を流したらいいんだろう…。そう思うと、また余計に泣けてくる。
「うえええええええんっ‼︎…え、ええん、え…ええ…っ、すはあああっ、ええええええええんっ‼︎」
「ひいいいいいいいいんっ‼︎あひっ、あひいいいっ、ひいいいいいいいいいんっ‼︎」
隣の子もずっと泣いている。泣くのに夢中ながら、何か気になってきた。「ひいいいん」という泣き方が、どことなくかわいい。二人して声を揃えて泣いているうちに、私の悲しみが、隣の子の泣き声に寄り添われているような気持ちになってくる。
「う…うぐぅ…ええん、ひっく…」
「ひいいん…ひっく、ぐ、ぐう…」
泣くだけ泣いた。顔は汗だく、ローザミスティカも汗でしとど湿っている。この服、悲しい思い出がついちゃたな。泣きじゃくりながら、私は個室の扉を開けた。それと同時に、隣の扉も開く。出てきたのは…、なんと智世だった。眼鏡の、涙で汚れたレンズの向こうに、パンパンに腫れた一重瞼が見える。「ひいいいん」という泣き声、智世だったのか。
「……………」
「……………」
黙って見つめあう私たち。でもやがて、智世が口を開く。「ひいいっ」と泣きじゃくった呼吸。智世の肩が上がる。
「泣き声、聞かれちゃったわね。あたし、ひいいっ、学校で泣いたこと一度も…ひいいっ、なかった…のに」
「智世…」
「あたしの泣き声…、ひいいっ、お兄ちゃんに…ひいいっ、『ぶりっ子だ』って言われたから、…ひ、ひいっ、人に聞かせたくなかったんだけど、ひいいっ、よりによって…ひいっ、文香に…ひいっ、聞かれるとはね」
乱れた息をしつつ、泣き疲れてかすれた声でそう言う智世。泣きじゃくる様子が、かわいく見えた。そんな智世が私のローザミスティカを見遣る。
「せっかくお互い、ひいっ、勝負服着てきたのにね」
「うん…」
そして智世は言葉を継いだ。
「一限目、ひ…、古文ね」
智世の呼吸もやっと落ち着いてきたようだ。
「うん…」
「見たくない顔ね、今いちばん」
先生の顔、見たくないわけじゃないけど、こんな泣き尽くした直後の顔、先生に見せたくはなかった。
「うん…」
そして智世はこう言った。
「ねえ。サボってカフェいかない?」
「うん、そうだね…」
私たちはトイレから出た。もう一限目は始まっているのだろう、廊下に人影はない。そして私たちはカフェテリアに来る。智世と隣り合わせに座った。
「智世…、おかっぱ、きれいだね」
おずおずと言う私。でも智世は、ツンと鼻を上げた。
「そうかしら」
智世の、サイドから後ろにかけてのカットラインが、ほんのちょっとのギザつきもなく、美しく揃っている。小麦色の智世のうなじ。黒い点々になって広がる襟足の剃り跡もかわいらしかった。
「こんなことなら文香、髪、返してほしいって思わない?」
智世の口元が、悔しげに歪む。髪…、こんなだったら、確かに切らなきゃよかったかもしれない。でも…。
「ううん、先生のために切ったんだから後悔はしてないよ」
その私の言葉を聞いた智世の細い瞳が、軽く見開かれる。しばらくの沈黙。
「さすがね文香」
少しうつむく智世。揃った襟足が眩しかった。
「文香は…、いつ頃から論理のこと好きになったの?」
「私?私はね…」
記憶をたどる私。
「そうだね、多分、始業式のときからだと思う。誰とも友だちになれなくて、寂しくて『あー、つらい』ってつぶやいたら、『何がつらいんだ?』って先生が話しかけてくれたの。それが論理先生との始まりだった」
「そう…」
智世は、遠い目をした。
「智世は、いつ頃からなの?」
私にそう問われて、智世はこっちを見た。口元に、微かな微笑みが浮かんでいる。細く口を開いて、智世は軽く息を吸った。
「あたしの『論理歴』?文香より、ちょっとだけ先輩ね。中三の、二学期の始めからよ」
「何がきっかけだった?」
「そのときあたし、台湾から編入してきたのよ。あたしも性格がこうでしょう、誰とも話ができずに寂しくしていた。そしたら論理が話しかけてくれた」
「私と似てるね…」
「論理、あたしが台湾から来たって言ったら、『台北、暑くて活気があって、元気な街だよな。食べ物もうまいし』って、まるで住んでた経験あるように話すから、思わず笑っちゃったわ」
私の知る限り、論理先生に海外経験は無い。それでも、相手に合わせて気さくに話をしてくれるのが、先生のいいところだった。
「ねえ、文香も髪、褒められたでしょう?」
「うん。智世も?」
「褒められたわ。『智世、髪、しっとりしていて真っ黒で美しいぞ』って、いきなり撫でられた。それまであたし、お兄ちゃん以外の男には絶対髪触らせなかったのに、論理には不思議に嫌と感じなかったわ。たぶん、もう好きだったんでしょうね」
そうなんだ…。智世も、一人で寂しくしているところを先生に話しかけてもらえて、髪も撫でてもらえて、好きになっていったんだね。智世と私、顔も性格も髪型も似てるから、似たような経緯で先生に恋したのかな。
「それからあたし、論理とよく話をするようになった。クラスには溶け込めなかったけど、論理と話ができれば寂しくなかった。職員室にもよく遊びにいったわ。論理のおかっぱ姿を見るたびに、胸が高鳴ったものよ」
智世の色濃い頬に、赤みがさしたように見えた。
「告白しようとか、思わなかったの智世」
「そう言う文香も、告白できなかったんでしょう?」
また智世は、かすかに微笑んだ。
「わ、私は…。遥にも盛んに告白勧めれたんだけど、そんなの、できなくて…。私は論理先生のこと…好きでも、先生にとっての私は…、大勢いる生徒のうちの一人なんだろうって思った」
「確かにね」
「智世も…、告白、できなかったの?」
そのとき智世の顔に、苦しげな色が浮かんだ。言葉を絞り出そうとするかのように、殊更に口を大きく開けて息を吸い込む智世。「はああっ」という音が聞こえた。
「あたしね、気づいたの」
「気づいた?何に?」
智世が、ぎゅっとうつむく。サイドのカットラインから見える丸い顎が動いて、言葉を紡いだ。
「論理、あたしと話をするときの様子が、微妙に不自然なの。時折どもるし、あまり目を合わせようともしてくれない」
え?そ、そうかな。私は、智世と一緒にいるときの論理先生の素振りを思い返した。別にそんなことないような気がする。でも智世、先生のこと好きなだけに、細かいところも分かっちゃうのかもしれないな。智世の顎がさらに動く。
「論理、あたしと一緒にいるとき、緊張してる」
智世の無表情な顔で見つめられると、私も緊張した。論理先生も、それと同じだったのだろうか。
「お兄ちゃんにもよく言われるの。『お前と話をしてると疲れる』って。すごく悲しいけれど、あたしが人を緊張させやすいって、事実みたいね。だからあたし、孤立しやすいんだわ」
「そんなことないよ智世」
でも智世は私の気休めに、顔を上げて寂しげな表情を見せた。
「文香も緊張したでしょう、あたしと目が合うと」
「そ、それは…。私が論理先生のこと考えてるときに限って、智世と目が合うから…」
智世は、クスリと笑った。
「文香ったら、論理のこと、どうしようもない目で見つめているんですもの。誰だって分かるわ、文香が論理のこと好きだなんて。あれで文香、押し隠してるつもりだった?」
遥以外には、秘密にしていたつもりだったけど…。
「それでも…、きっと論理、あたしとは違って、文香の前ではのびのび接してるんだろうって思った。そう考えたら、文香が羨ましかったわ」
「智世…」
「そんな事情があったから、あたしは論理に告白なんてできなかったの。緊張させられる相手にイエスの返事をくれるなんて思えなかったし。文香、告白するならさっさとしちゃえばよかったわ」
「できるわけないよ。真美だっているし…」
真美という名前が、私たちに重苦しい沈黙を呼んだ。でも智世が、やがて口を開く。
「あの子…、人懐っこいわよね」
そう言って智世は、眉間に少しシワを寄せた。
「中三の冬にソルトレイクから編入してすぐに、あちこちに馴れ馴れしく話しかけて、あたしにも声かけてきて…。『何、この子』って最初思ったけれど、知らない間に仲良くなって、一緒に同人誌まで作るようになってた。ヘンな魅力がある」
「そうだね…」
いきなり私に、「呼び捨てでいい?」と言ってきた真美。何なんだろうあの人懐っこさ。
「あの魅力に…、論理先生も、やられ…ちゃったのかな…っ」
ぎゅっと目を閉じ、私はうつむいた。「真美くらいの」という先生の言葉の棘がよみがえってきた。身体がまた汗ばんで、ローザミスティカがきしむ。
「文香。顔を上げなさい」
智世の手の、少し硬い感触を、背中ファスナーのあたりに感じた。
「…ひっく」
「泣かないの」
智世が優しく、私の背中をさする。
「文香。真美に負かされたと認めるわけじゃないけれど、あたしの『論理歴』はここまでだと思う。文香、あたしの分まで、これからも論理を好きでいて」
智世…。何を言うの?私は思わず顔を上げた。
「論理を緊張させてばかりのあたしが、真美を差し置いて、論理を振り向かせられるはずもない。でも、文香は文香らしくしていれば、きっと論理はいつか文香のこと見ると思う」
銀縁眼鏡の向こうから、智世の細い瞳が、いつもの暗い煌めきを帯びながら私を見つめる。不思議と、緊張感はなかった。
「私…らしく…?」
大きく口を開けて、智世は「はああっ」と息を吸った。ギャザーワンピの肩がすーっと上がる。
「そう。文香らしく、よ。文香、その耳たぶおかっぱ、ほんとにかわいいわ。誰が何と言っても、かわいい。あたしには、その、あと一センチができなかった。耳たぶの分、あたしは文香に負けてたのよ。その耳たぶおかっぱが、文香の新しい文香らしさよ。どうかそのままの姿で、論理を好きでいつづけてほしい」
かわいらしく何度も息を継ぎながら、そう言ってくれる智世。相変わらずのか細いソプラノだけど、明瞭な滑舌だった。智世の温かみが伝わってくる。智世って、こんな温かい子だったんだ…。
「あーあ、そうね、あたしも今日もう一度美容室行ってこようかしら。文香の耳たぶおかっぱ見てたら、あたしも真似したくなってきちゃったわ。その姿、いさぎいいんですもの」
「智世…」
「がんばるのよ文香。応援しているから」
そう言って智世は、右手を私に差し出した。
「文香とは今まであまり関係結べなかったけれど、お互い、論理に満たされない者どうし、仲良くしましょう」
「う、うん…。ありがと智世。よろしくね」
私は、智世の浅黒い手を握り返す。やっぱり、ちょっと硬い感触だった。爽やかに微笑みかけてくれる智世の顔が、愛くるしかった。

その翌日朝、改めて髪を切ってきた智世と会う。私と同じく、智世は耳たぶを八ミリ見せていた。前髪もさらに短くなって、眉上三センチで揃え直されている。そんな智世と、もう一度手を握り合った。
「文香。あたしたち『耳たぶおかっぱ同盟』よ」
「うん。支え合っていこうね」
そう言って私は、自分より頭半分小さい智世の身体を抱き寄せた。手と同じように、ちょっと硬めの、筋肉質な智世の質感を、その温もりとともに感じる。もうかつてのような緊張感はない。この子とも、いい友だちでいたい──。そう私は願った。その智世とは「同盟の誓い」を結ぶ。ヘアカットは三週間に一度、誘い合って一緒に切る。襟足は三日に一度剃る。ヘアブローは毎朝毎晩、手抜きせずにやる。そんな約束を交わした。論理先生には「真美くらいの長さがいい」と言われた私だけど、智世に言われて、今の私がいちばん私らしいんだと思い直す。真美のこと、気にならないと言ったら嘘になるけど、もう意識しない。真美は真美、私たちは私たちだ。私たちは、この耳たぶおかっぱで、私たちらしくするんだ。だからもう、無理に食べて太るのもやめた。論理先生、以前私に「文香には、文香にしか送れない学校生活というのもあるはずだ」 って言ったよね。そういう学校生活を、今、見つけた気がします。論理先生、いつか真美の夢から覚めて、そんな私を見出してくれますか。
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