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九、ミルキークロスワンピース

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北海国際の、濃紺のダブルボタンブレザーに青と緑の斜め縞のネクタイ、深緑ベースのチェックスカートの制服は「標準服」と呼ばれていて、着ることを強制はされていない。私服で登校しても構わない。生徒の中には、私服を着回して、ネタ切れになったら制服を着るという子もかなりいる。そう言う私も私服はたくさん持っていて、特にAngelic PrettyやBaby, the Stars Shine Bright、イノセントワールドなどのロリータブランドが好き。私みたいに地味な子が着ても似合わないのはわかっているけど、それでもそんな、かわいいの道を極めたような服を着てみたくてしかたなかった。でも、さすがにそれで私服登校をする勇気は出ない。そんな服着て行ったら、論理先生きっと驚いて私を見てくれるよね、と思いつつも、たくさんの人から好奇の目で見られるのも恥ずかしい。そうやって思いあぐねているうち、ある朝、論理先生のところへ行こうと職員室に入ると、先生の脇には真美と智世がいた。
「え…?」
思わず、入り口で立ち止まってしまう。私は背後から真美と智世を見つめた。いつも制服姿のはずの二人が、今日は私服を着ている。ど、どうしたのいきなり。
「お、文香じゃないか。おはよう」
論理先生が私に気づいて、手を振ってくれる。
「あ…。お、おはよう、ござい…ます…」
私はようやく、真美たちに歩み寄る。
「文香、今日は朝からびっくりだな。見ろよ、真美も智世も私服だぞ。初めて見た」
そんなことを言う先生が、私の目には、どことなく嬉しそうに見えた。改めて真美と智世を見る。
「二人とも…、服…」
うんうんと真美がうなずく。
「昨日智世と電話してるうちに、一度学校に私服着てこうって話になったんだよ。どう?文香。真美ねー、アベイルで買ったんだ。智世はアンクルージュだよ」
そう言う真美のいで立ちは、灰色の細かいチェック柄のワンピースだった。腰に引きしめられたベルトが、プロポーションを際立たせている。黒い一本ラインで縁取られた白い大きな襟が、真美のセミロングレイヤーがかかる肩から胸を覆っていた。オタクな女の子がよくする格好だと思う。確かにアベイルでこういう服、ときどき見かけるな。そしてその隣の智世は、薄紫の清楚なジャンスカに、襟の縁にフリルの入った白いセーラーブラウス。スーパーロングが流れ落ちる胸元に細いリボンがあるのが愛らしい。このブランドらしい、かわいい姿だ。だけど智世の小麦色の肌には、あまり合っていないようにも思う。
「うん…、かわいいね…。似合ってる」
「そーでしょー。アベイルって安くてかわいい服がいっぱいあるんだよー。論理にも褒められちゃったんだよ。ねー論理」
そう言って真美は、論理先生に擦り寄るような仕草を見せる。先生はにこにこ顔。そんなに嬉しいの、論理先生。
「いやぁ、女の子はやっぱり着る服で全然違って見えるもんだな。二人とも見違えるよなあ文香。このアベイルのワンピも真美らしくていいし、智世のアンクルージュもすごくいい。智世、そんな着こなしもできるんだな」
先生に見つめられて、智世はちょっと恥ずかしげに顔をそむけた。
「着こなしだなんて…。たまたま家にあったから、着てきただけよ」
嘘だ。たまたまあったから着てきただけで、そんなコーディネートができるわけがない。真美も智世も、選んで着てるんだ。きっと論理先生に見せるために。悔しくなってきた。私だって…。うつむく私に、先生が声をかける。
「文香もどうだ。制服姿もかわいいが、たまには思いっきりかわいい私服もいいぞ。明日あたり着てきたらどうだ。俺、文香の私服も見てみたい」
「はい…。わかり…ました…」
先生に直々にそう言ってもらえて、私の気持ちは決まった。その夜のツイッターにこう書く。
『M美たちが私服であの人の気を引くならいい。私だって明日、選び抜いたロリータ服を着て登校する。そしてあの人に、かわいいって言ってもらう。M美よりも、T世よりも、かわいいって』

翌朝。いつもより二時間早起きした。クローゼットにずらりと並んだロリータ服を一着一着試着していく。十分に時間はとったつもりだったけれど、あれでもない、これでもないと悩むうちに時間が経つ。考えに考えて選び抜いた一着は、Angelic Prettyの「ミルキークロスワンピース」という服だった。クマさんや猫さんや十字架がかわいらしくプリントされた生地の、全体的にとても鮮やかな空色のワンピ。襟周りにも袖口にも胸元にも、豊かなフリルがあしらわれている。お腹には長くて大きなリボン。背中のファスナーの両脇には、天使の羽が描かれている。そのファスナーの持ち手には小さな十字架がある。生地の十字架とともに、「クロス」という名前の所以だろう。
「ちょっと…、派手かな」
スカート部分を膨らませるためにパニエもはく。そしてワンピを頭からかぶり、後ろ手にファスナーを上げて、髪に丁寧にブラシを入れた。服に合わせた空色の、これもフリルが豊かなヘッドドレスもつける。先生に見せるばかりの姿になって、鏡を見る。前姿も、手鏡越しに後ろ姿も見る。
「目立つだろうなぁ」
この服も、プライベートでは何回か着たけど、いざ学校に着ていくとなると勇気が要った。行き帰りの道で、そして学校で、好奇の目に晒される自分が思い浮かぶ。
「ううん、やっぱ着ていく」
地味な私の顔立ちが、この服に負けている感じがする。でもいい、昨日の真美や智世以上にかわいい服を着て、論理先生に見てもらうんだ。声をかけられるのを待ってはいられない。目を引こうとしなきゃダメなんだ。そう。いつか遥が「お前が変わらなきゃどうしようもないんだよ」と言ってたけど、その通りだと思う。私、論理先生のためなら、変われる!そうだ、メイクもしなきゃ。アイラインも引き、カラコンも入れて、コンプレックスだった細くて小さい目を少しでもぱっちりさせる。口紅も、ちょっと思い切った赤さのものにした。香水も振る。ここぞというとき──そんなときなんて今までの私には無いに等しかったけど──にしか使わない、シャネルのガブリエルだ。髪を束ねて持って下を向き、うなじに振りかけた。そして鞄の中身も、いつもの学生鞄から、この格好に似合ったかわいい鞄に移し替える。ここで時間が来た。私は、奥歯を噛みしめ、もう一度髪にブラシを入れて、家を出た。

「うぅぅ…」
行きの地下鉄の中。私は思わずぎゅっとうつむく。ロリータ服を着ているときには大なり小なり感じる視線の痛さだけど、周りが学生服ばかりのこの通学時間帯でこの格好は、あまりに目立った。ヒソヒソ声も聞こえてくるような気さえする。下社までが長かった。まともに顔を上げられないままスクールバス乗り場に行く。そんな私に、頓狂なソプラノ声がかかった。
「おい!文香⁉︎文香かよ!」
遥だ。私はやっと顔を上げる。大きな瞳を一層見開いた遥と、驚きを隠せない坂口くんがそこにいた。
「池田さん…」
「ちょ…、どした、そのカッコ…」
二人が、私の頭から爪先までを、まじまじと見る。
「た、たまには、私服もいいかなと思って」
「私服ってったって、お前さぁ…。いきなりドロリータかよ。そりゃ文香がロリ好きだって、わかってはいたけどさ」
「髪は長いが、遥が声をかけるまで別人だろうと思っていたぞ。こんなに変わるものなんだな」
普段はクールな坂口くんもさすがに驚いたのか、口調には熱がある。そして、二人とそんな会話を交わすうちにも、私にあちこちから視線が刺さる。
「見りゃあ、メイクもバッチリじゃねぇか」
「うん。この服だから、すっぴんは変だし」
「すげぇよ。ガッコくるのにそこまで気合い入れるやつもいねぇ。なんでまた今日に限ってそんな盛大に…」
と、そこまで言ったとき、遥はニヤリと笑った。そして、坂口くんに聞こえないように気をつけながら、私の耳元に口を近づける。
「論理だな?」
「う…」
「正直に言え。お見通しだぜ、くくく…」
笑みを満面にたたえて、遥は含み笑いをした。遥、私の恋が絡むと、いつもそうやって嬉しそうな顔するよね。
「昨日…、真美と智世が、先生に私服褒めてもらってたの。だから…」
「そうかそうか。負けてられねぇもんなー」
遥はそう言って私の腕をぽんぽんと叩くと、背後に回った。
「あ、見てよ秀馬、背中に天使の羽が描いてあるじゃん。かわいい」
坂口くんも私の背中を見る。
「おぉそうだな。なかなか凝ったデザインだ」
「ありがとう」
「それにしてもこの背中ファスナー、普通に服についてるファスナーじゃなくて、金属のジッパーじゃねぇか」
「それもね、この服のワンポイントかなって思って」
こんな会話を交わしながら私たちはバスに乗り、学校への道を辿る。バスを降りると私は一旦遥たちと別れ、職員室へまっすぐに向かった。ミルキークロスワンピースの中で、私の胸がドキドキと高鳴った。

やっぱり何度も髪にブラシを入れてから、汗ばんだ手で、私は職員室の扉を開ける。先生のもとに進み出る。論理先生は今朝もノートパソコンを打っていた。少し後ろ上がりに切り揃えられた先生の襟足は、今日もかっちりしていて眩しい。
「先生、おはよう、ございます」
私にしてはすらりと挨拶できた。先生が気づいて顔を上げる。天使の輪が揺らめく。そして先生は振り向いた。
「えっ⁉︎文香…、文香か⁉︎」
目を見開く論理先生。顔は驚きに満ちている。驚愕、という大袈裟な言葉を使ってもいいかもしれない。
「どうした…、その姿…」
私から視線を動かせない論理先生。思わず私の口元が緩んだ。
「思いっきり、かわいい私服…、着てきました」
「うーむ、これは驚いた」
先生がうなる。
「文香、こういう着こなしができるんだな。見違えるかわいらしさだぞ」
「先生…、私、かわいくなってますか」
大きくうなずいてくれる論理先生。
「ああ。すごくかわいい。昨日『思いっきりかわいい私服』って言ったけれど、思いっきりどころじゃない。こんなかわいい文香を見れて、今日は朝イチで嬉しいぞ!」
そう言って先生は、その大きな温かい手で、また私の頭をポンポンと撫でてくれた。嫌だよ、先生…。先生のその顔が、子どものように輝いている。先生、ほんとうに嬉しそうだ。
「それに文香、なんか、いい香りがしないか?柑橘系か…。清楚な味わいのする香りでいい」
やった!香水にまで気づいてもらえたよ。昨日、真美や智世を見たときよりも先生、喜んでくれている!思いきってこの格好してきてよかった…。

教室に入ると、一気にクラス中の注目を浴びた。「何それー、むちゃかわいいじゃん!」「どうしたの、何かあったのー?」「いいなぁ、私もロリータ着てみたい~」とか、口々に言われる。私がこんなにちやほやされるなんて…。とてもじゃないけど、遠足の班ぎめのとき「まあいい」人にされて大泣きした私と、同じ私だとは思えない。思えばわずか二ヶ月足らず。そんな短い間に、私もずいぶん変わることができた。それも論理先生と出会えたおかげだと思うと、また口元が緩む。

その論理先生の授業が今日もある。
「よし、じゃあ今日も始める。出席取るぞ。一番、池田文香!」
「はい」
私は胸を張って返事した。先生が褒めてくれたミルキークロスワンピースが、猫背の私の背中をしゃんと伸ばしてくれる。いつか、遥の合唱部で見たみんなのように。先生はそんな私を見て微笑んだ。
「うん、かわいいぞ文香」
「ありがとうございます」
そんな受け答えができるのが嬉しい。そして出席取りが終わる。
「よーし、それじゃあ今日も『竹取物語』を読んでいく。まずは教科書十五ページの三行目から、文香、音読してみろ」
え?私、当たった。しかも音読?どうしよ、みんなの前で声出すなんて…。でも…、今の私ならできる。先生、きっとそう思って私を当ててくれたんだ。
「はい」
私は返事をすると立ち上がって、教科書を前に構えた。口を大きく開け、肩を上げて胸いっぱいに「すはああっ」と息を吸い込む。そして私は音読を始めた。
「『八月十五日ばかりの月に出で居て、かぐや姫、いといたく泣き給ふ』…」
私の声は低い。電話口で男の子に間違えられそうになることもあるくらいだ。そんな私の声が、いつもながらうるさい教室に流れていく。かき消されそうだ。でもそれに負けずに、また懸命に肩を上げて息を吸って、精一杯声を出した。そんな私を論理先生が、教壇の上からじっと見つめてくれる。
「はい、そこまで。よし、文香、よく読めたな」
先生にまた褒めてもらえた。私は、ノートを取るのもそこそこに、先生を熱く見守ったまま、四十五分の授業時間を過ごした。

ミルキークロスワンピースを着て、家に帰ってきた。なんか脱ぐのが惜しくて、お風呂に入るまでそのままでいた。そして、先生に褒めてもらったこの姿で、ツイッターを書く。
『やったぁー!ミルキークロスワンピ、すごくかわいいって褒めてもらったぁ!M美たちの量産型よりもあの人喜んでくれてる。ちょっと差をつけたよね』

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