マッチ売りと騎士

ぬい

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【1】マッチだけでなくお花を。

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 冬が来た。

 舞い散る初雪の中で、ルナは体を震わせていた。正確な年齢は分からないが、幼い頃から家に訪れる聖職者が最初にやってきた春に、『五歳くらいかな』と判断されて、十年が経つ。その為、現在十五歳だと自分について考えている彼女は、しかしながら十三歳前後の少女と比較しても変わらないくらい細身で背が低い。身長が伸びる気配が無いのも、痩身な体躯も、二次性徴が終わったからであるのか、満足に食事が出来ていないからなのかは誰にも分からない。

 ルナは、王都の外れにある小屋で、一人で暮らしてきた。物心ついた時から両親の姿は無く、一番古い記憶は、聖職者が家に訪れた時のものである。王都から孤児が十五歳になるまでの間、生活費として銀貨が三枚支給される事になり、聖職者は毎月それを届けにくるのだ。その聖職者も、今年の春からは来なくなった。ルナが十五歳になったからだ。

 それでも春から秋までは、庭に作った畑で採れる作物を食べて、何とか飢えを凌いだ。
 しかし――冬が来てしまった。
 働かなければ食べる事が出来無い。

 大陸魔導戦争が勃発したのは十二年前で、三ヶ月ほど続いたらしい。ルナは自分の家族も戦争で亡くなったか、それを契機に自分を捨てたのだろうと考えている。小屋を残してくれただけでも有難い。貧民街の外れの小屋は、誰が元々の持ち主だったのかも登録されていないそうだった。

 現在は戦争もなく落ち着いているが、王都にはルナと同じような孤児も多い。
 皆、十五歳になると仕事を探す。
 ルナが見つけた仕事は、マッチの売り子だった。

「寒い……」

 くすんだ赤い外套の首元を、彼女は握り締めた。冬の風で紐リボンが揺れている。雪の中で過ごすには薄手すぎるが、ルナは他に上着を持っていない。ガリガリの白い手の指先には既に感覚が無い。粗末な靴の中の足の指先も、冷え切っている。

 フードが何度も風に煽られて脱げてしまった。その度に、暗い金色の彼女の髪の上には雪が積もる。霙に近い、湿った雪だ。濃い緑色の大きな瞳を揺らし、少女は街行く人々を見る。街角に立っている彼女の前を、何人もの人が通り過ぎるのに、誰ひとりとして足を止めない。それもそのはずだ。現在王都には、魔道具製のライターが広まっている。マッチを使う人間は非常に少ない。マッチを使うのは貧乏人ばかりであり、貧乏人は冬、ルナ同様お金に困っている事が多いから、毛布に包まってばかりだ。

 カゴを腕に下げて、指先を擦り合わせる。しかしあまり暖かくはならない。ガクガクと震えていると、骨の髄まで寒さが染み込んできて、全身が凍りつきそうな気分になった。

「誰もマッチなんか買わないよね……」

 漸く見つけた仕事ではあるが、仕方が無い。これが、現実だ。それでも夜更けまで街角に立っていた彼女は、通行人がゼロになった頃、諦めて帰宅した。

 貧民街の小屋の中には――冬だというのに、花が溢れていた。不思議な事に、ルナの家には、枯れない花の鉢植えがいくつもあるのだ。物心ついた頃からそうだった。聖職者は、『魔法植物だね』と話していた。これもあるいは、家族が残したものなのかもしれない。ルナは甘い香りが漂う室内でそう考えた。

 薬缶に水を入れて、お湯を沸かす。マッチの入ったカゴはテーブルに置いた。ゴツゴツした木製のテーブルで、簡素な椅子が二脚ある。一階建ての小屋の中は、竈とテーブル、椅子が二脚と、浴室とトイレに通じる扉、ギシギシと軋む粗末な寝台があるだけだ。暖炉は無い。それでも冬の外よりは随分とマシだ。

「マッチ……今日も売れなかったなぁ……」

 呟いた彼女は、その後、バルハナ茶を淹れた。夏の間に摘んで、乾燥させて作ったお茶だ。濃い茶色のお茶を飲みながら、空っぽの食料庫の方を見る。中には、秋の終わりに作ったジャムの瓶がいくつかある以外は、固いチーズの欠片と食べかけのパンがあるだけだ。これは、マッチ売りをする事に決めた日に、マッチの商人が恵んでくれた品である。

「大体、売れないマッチじゃダメなんじゃないかな……」

 カップを片手にルナは呟いた。長い睫毛を揺らしながら、静かに瞬きをする。痩けた頬を小さく膨らませて、情けない気持ちになりながらルナは室内を見渡した。何か売れる物は無いだろうか……? そう考えた時、魔法植物である花々を見て、ハッとした。

「冬のお花は珍しいし、お花なら売れるかも!」

 明日からは、マッチの他に花を売ってみようとルナは決意した。
 ――翌日。
 パンにジャムをつけて食べたルナは、今日こそは頑張ろうと気合いを入れた。
 本日は綿雪が降っている。カゴにマッチの他に、茎から切った青や薄緑の薔薇に似た花を入れて、ルナは赤い外套を身に纏った。

 フードの上に雪が積もるのも気にせず、ルナは本日も街角に立った。
 すると今日は、時折物珍しそうな視線が飛んでくる。
 ――やはりお花は成功なんだ!
  ルナは喜んで頬を緩めた。微笑しながら、客を待つ。しかし視線が飛んでくるだけで、通行人達は相変わらず足を止めないまま、夕暮れが訪れた。日が落ちるのが早く、次第に周囲が暗くなっていく。寒さも増していき、本日もルナの手足の指先は、感覚を失っていく。売れない……その事実に、俯いた時だった。

「花売りか?」

 唐突に声をかけられた。驚いて顔を上げたルナは、正面に立っている青年を見た。見ればそこには、王国騎士団の正装姿の青年が立っていたのだ。厚手の外套を身につけていて、赤いリボンが首元で揺れている。リボンの留め具は、ルビーで出来ている。その肩の部分に、王国騎士団の紋章が刺繍されていた。双頭の獅子と月で出来た模様だ。

「は、い」

 初めてのお客様であったから、ルナは一気に緊張した。声が上手く出てこない。

「いくらだ?」
「三百ガルドです」

 ガルドはこの国の通貨の単位だ。銅貨三枚分である。それを聴くと、腐葉土色の髪をした青年がスッと瞳を細めた。碧い瞳は鋭い眼光を放っている。彫りが深い青年の顔立ちを見て、ルナは緊張した。十代後半くらいに見える。そこまで年齢は変わらないはずだとルナは判断したが、背が高いためなのか青年は非常に大きな存在感を抱かせた。

「安いな。値切る用意があったんだが、その気が失せる額だ。病気でも持っているのか? 痩せすぎているようだしな」
「確かにお腹は減っていますが、私は元気です! 是非、このお花を買って下さい。何色が良いですか?」
「淡い緑の薔薇は珍しいな。それを貰おうか。それで、場所は何処だ?」
「え?」

 場所、と、聞いてルナは困惑した。魔法植物の薔薇は、薄緑色は一本しかないが、家に帰ればもっと咲いている。もしかして数が足りないのだろうかと判断し、ルナは小首を傾げながらも答えた。

「私の家ですが……お値段が代わります!」
「ほう。いくらだ?」
「う、うーん。全部だと三千ガルドくらい、ですかね……?」
「なるほど。内容によって金額が変わるのか。まぁ良い。報奨金が出たばかりだからな。連れて行け」
「は、はい!」

 ルナは勢い良く頷いた。それを見た青年騎士は、嘆息した。それから己の外套を脱ぐと――ルナをそれで包んだ。

「?」
「震えている」
「け、けど、お客様がこれじゃあ寒くなっちゃうんじゃ……?」
「騎士の正装には、温度調節をする魔術糸が縫い込まれている。俺は平気だ」

 暖かい外套を両手で握り、ルナは両頬を持ち上げた。青年は、優しい。良い人そうだと嬉しくなる。すると青年が目を瞠った。そしてするりと視線を逸らすと、ルナの背に触れた。

「早く案内してくれ」

 促すようにその手に青年が力を込めたから、首を縦に振って、ルナは歩き始めた。
 暗い街路を二人で歩く。雪はどんどん酷くなっていく。
 貧民街の入口に到着した頃には、すっかり周囲は闇が包んでいた。
 ルナの小屋は、入口からすぐの場所にある。林の手前だ。

「このボロ屋か」
「どうぞ!」

 青年は、ルナが立ち止まった小屋を見て目を細めていたが、ルナは気にせず扉を開けた。そして中には入り、魔法植物の鉢植えを見渡す。幸い、薄緑の薔薇は沢山ある。

「お好きなだけどうぞ!」
「――ああ。遠慮なく」

 青年はそう言うと、ルナの腕を引いた。

「わ!」

 体勢を崩したルナは、カゴを取り落とした。凸凹した木の床に、マッチと花が散乱する。青年は強い力でルナを抱きしめると、その頬に口づけた。突然の事に、ルナは状況が飲み込めない。狼狽えて目を見開く。

「あ、あの……?」
「何だ?」
「い、今……私に、キスを……」
「キスは嫌なのか?」
「だって、キスはその……恋人同士がするものです……!」
「なるほど。唇は提供しないというわけか。面倒な娼婦だな」

 その言葉に、ルナは驚愕した。
 ――娼婦?
 始めは、何を言われたのか、上手く理解出来なかった。
 ルナにも知識はある。娼婦というのは、体を男性に売る仕事だ。十五歳になると、孤児の女子の幾人かは娼婦になる。それは決して珍しい事では無かった。しかし貧弱で胸も無く、凡庸な容姿をしているルナには、娼婦の誘いが来た事は無い。娼婦は娼館に所属する事が多いのだ。個人で商売をしている人もいると聞いた事はあったが、それには場所代を払わなければならないらしい――等と、つらつらと考えたが、その間にも、青年はルナの外套を脱がせにかかった。続いて、下に着ていた赤い外套のリボンにも手をかける。

「ま、待って! 違うの! 私は娼婦じゃないです。ど、どうして?」
「――花売りをしていると言ったのは、お前だろう?」

 青年が、顕になったルナの首筋に唇を落とす。軽く吸われると、その箇所がツキンとした。

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