1 / 12
【1】マッチだけでなくお花を。
しおりを挟む冬が来た。
舞い散る初雪の中で、ルナは体を震わせていた。正確な年齢は分からないが、幼い頃から家に訪れる聖職者が最初にやってきた春に、『五歳くらいかな』と判断されて、十年が経つ。その為、現在十五歳だと自分について考えている彼女は、しかしながら十三歳前後の少女と比較しても変わらないくらい細身で背が低い。身長が伸びる気配が無いのも、痩身な体躯も、二次性徴が終わったからであるのか、満足に食事が出来ていないからなのかは誰にも分からない。
ルナは、王都の外れにある小屋で、一人で暮らしてきた。物心ついた時から両親の姿は無く、一番古い記憶は、聖職者が家に訪れた時のものである。王都から孤児が十五歳になるまでの間、生活費として銀貨が三枚支給される事になり、聖職者は毎月それを届けにくるのだ。その聖職者も、今年の春からは来なくなった。ルナが十五歳になったからだ。
それでも春から秋までは、庭に作った畑で採れる作物を食べて、何とか飢えを凌いだ。
しかし――冬が来てしまった。
働かなければ食べる事が出来無い。
大陸魔導戦争が勃発したのは十二年前で、三ヶ月ほど続いたらしい。ルナは自分の家族も戦争で亡くなったか、それを契機に自分を捨てたのだろうと考えている。小屋を残してくれただけでも有難い。貧民街の外れの小屋は、誰が元々の持ち主だったのかも登録されていないそうだった。
現在は戦争もなく落ち着いているが、王都にはルナと同じような孤児も多い。
皆、十五歳になると仕事を探す。
ルナが見つけた仕事は、マッチの売り子だった。
「寒い……」
くすんだ赤い外套の首元を、彼女は握り締めた。冬の風で紐リボンが揺れている。雪の中で過ごすには薄手すぎるが、ルナは他に上着を持っていない。ガリガリの白い手の指先には既に感覚が無い。粗末な靴の中の足の指先も、冷え切っている。
フードが何度も風に煽られて脱げてしまった。その度に、暗い金色の彼女の髪の上には雪が積もる。霙に近い、湿った雪だ。濃い緑色の大きな瞳を揺らし、少女は街行く人々を見る。街角に立っている彼女の前を、何人もの人が通り過ぎるのに、誰ひとりとして足を止めない。それもそのはずだ。現在王都には、魔道具製のライターが広まっている。マッチを使う人間は非常に少ない。マッチを使うのは貧乏人ばかりであり、貧乏人は冬、ルナ同様お金に困っている事が多いから、毛布に包まってばかりだ。
カゴを腕に下げて、指先を擦り合わせる。しかしあまり暖かくはならない。ガクガクと震えていると、骨の髄まで寒さが染み込んできて、全身が凍りつきそうな気分になった。
「誰もマッチなんか買わないよね……」
漸く見つけた仕事ではあるが、仕方が無い。これが、現実だ。それでも夜更けまで街角に立っていた彼女は、通行人がゼロになった頃、諦めて帰宅した。
貧民街の小屋の中には――冬だというのに、花が溢れていた。不思議な事に、ルナの家には、枯れない花の鉢植えがいくつもあるのだ。物心ついた頃からそうだった。聖職者は、『魔法植物だね』と話していた。これもあるいは、家族が残したものなのかもしれない。ルナは甘い香りが漂う室内でそう考えた。
薬缶に水を入れて、お湯を沸かす。マッチの入ったカゴはテーブルに置いた。ゴツゴツした木製のテーブルで、簡素な椅子が二脚ある。一階建ての小屋の中は、竈とテーブル、椅子が二脚と、浴室とトイレに通じる扉、ギシギシと軋む粗末な寝台があるだけだ。暖炉は無い。それでも冬の外よりは随分とマシだ。
「マッチ……今日も売れなかったなぁ……」
呟いた彼女は、その後、バルハナ茶を淹れた。夏の間に摘んで、乾燥させて作ったお茶だ。濃い茶色のお茶を飲みながら、空っぽの食料庫の方を見る。中には、秋の終わりに作ったジャムの瓶がいくつかある以外は、固いチーズの欠片と食べかけのパンがあるだけだ。これは、マッチ売りをする事に決めた日に、マッチの商人が恵んでくれた品である。
「大体、売れないマッチじゃダメなんじゃないかな……」
カップを片手にルナは呟いた。長い睫毛を揺らしながら、静かに瞬きをする。痩けた頬を小さく膨らませて、情けない気持ちになりながらルナは室内を見渡した。何か売れる物は無いだろうか……? そう考えた時、魔法植物である花々を見て、ハッとした。
「冬のお花は珍しいし、お花なら売れるかも!」
明日からは、マッチの他に花を売ってみようとルナは決意した。
――翌日。
パンにジャムをつけて食べたルナは、今日こそは頑張ろうと気合いを入れた。
本日は綿雪が降っている。カゴにマッチの他に、茎から切った青や薄緑の薔薇に似た花を入れて、ルナは赤い外套を身に纏った。
フードの上に雪が積もるのも気にせず、ルナは本日も街角に立った。
すると今日は、時折物珍しそうな視線が飛んでくる。
――やはりお花は成功なんだ!
ルナは喜んで頬を緩めた。微笑しながら、客を待つ。しかし視線が飛んでくるだけで、通行人達は相変わらず足を止めないまま、夕暮れが訪れた。日が落ちるのが早く、次第に周囲が暗くなっていく。寒さも増していき、本日もルナの手足の指先は、感覚を失っていく。売れない……その事実に、俯いた時だった。
「花売りか?」
唐突に声をかけられた。驚いて顔を上げたルナは、正面に立っている青年を見た。見ればそこには、王国騎士団の正装姿の青年が立っていたのだ。厚手の外套を身につけていて、赤いリボンが首元で揺れている。リボンの留め具は、ルビーで出来ている。その肩の部分に、王国騎士団の紋章が刺繍されていた。双頭の獅子と月で出来た模様だ。
「は、い」
初めてのお客様であったから、ルナは一気に緊張した。声が上手く出てこない。
「いくらだ?」
「三百ガルドです」
ガルドはこの国の通貨の単位だ。銅貨三枚分である。それを聴くと、腐葉土色の髪をした青年がスッと瞳を細めた。碧い瞳は鋭い眼光を放っている。彫りが深い青年の顔立ちを見て、ルナは緊張した。十代後半くらいに見える。そこまで年齢は変わらないはずだとルナは判断したが、背が高いためなのか青年は非常に大きな存在感を抱かせた。
「安いな。値切る用意があったんだが、その気が失せる額だ。病気でも持っているのか? 痩せすぎているようだしな」
「確かにお腹は減っていますが、私は元気です! 是非、このお花を買って下さい。何色が良いですか?」
「淡い緑の薔薇は珍しいな。それを貰おうか。それで、場所は何処だ?」
「え?」
場所、と、聞いてルナは困惑した。魔法植物の薔薇は、薄緑色は一本しかないが、家に帰ればもっと咲いている。もしかして数が足りないのだろうかと判断し、ルナは小首を傾げながらも答えた。
「私の家ですが……お値段が代わります!」
「ほう。いくらだ?」
「う、うーん。全部だと三千ガルドくらい、ですかね……?」
「なるほど。内容によって金額が変わるのか。まぁ良い。報奨金が出たばかりだからな。連れて行け」
「は、はい!」
ルナは勢い良く頷いた。それを見た青年騎士は、嘆息した。それから己の外套を脱ぐと――ルナをそれで包んだ。
「?」
「震えている」
「け、けど、お客様がこれじゃあ寒くなっちゃうんじゃ……?」
「騎士の正装には、温度調節をする魔術糸が縫い込まれている。俺は平気だ」
暖かい外套を両手で握り、ルナは両頬を持ち上げた。青年は、優しい。良い人そうだと嬉しくなる。すると青年が目を瞠った。そしてするりと視線を逸らすと、ルナの背に触れた。
「早く案内してくれ」
促すようにその手に青年が力を込めたから、首を縦に振って、ルナは歩き始めた。
暗い街路を二人で歩く。雪はどんどん酷くなっていく。
貧民街の入口に到着した頃には、すっかり周囲は闇が包んでいた。
ルナの小屋は、入口からすぐの場所にある。林の手前だ。
「このボロ屋か」
「どうぞ!」
青年は、ルナが立ち止まった小屋を見て目を細めていたが、ルナは気にせず扉を開けた。そして中には入り、魔法植物の鉢植えを見渡す。幸い、薄緑の薔薇は沢山ある。
「お好きなだけどうぞ!」
「――ああ。遠慮なく」
青年はそう言うと、ルナの腕を引いた。
「わ!」
体勢を崩したルナは、カゴを取り落とした。凸凹した木の床に、マッチと花が散乱する。青年は強い力でルナを抱きしめると、その頬に口づけた。突然の事に、ルナは状況が飲み込めない。狼狽えて目を見開く。
「あ、あの……?」
「何だ?」
「い、今……私に、キスを……」
「キスは嫌なのか?」
「だって、キスはその……恋人同士がするものです……!」
「なるほど。唇は提供しないというわけか。面倒な娼婦だな」
その言葉に、ルナは驚愕した。
――娼婦?
始めは、何を言われたのか、上手く理解出来なかった。
ルナにも知識はある。娼婦というのは、体を男性に売る仕事だ。十五歳になると、孤児の女子の幾人かは娼婦になる。それは決して珍しい事では無かった。しかし貧弱で胸も無く、凡庸な容姿をしているルナには、娼婦の誘いが来た事は無い。娼婦は娼館に所属する事が多いのだ。個人で商売をしている人もいると聞いた事はあったが、それには場所代を払わなければならないらしい――等と、つらつらと考えたが、その間にも、青年はルナの外套を脱がせにかかった。続いて、下に着ていた赤い外套のリボンにも手をかける。
「ま、待って! 違うの! 私は娼婦じゃないです。ど、どうして?」
「――花売りをしていると言ったのは、お前だろう?」
青年が、顕になったルナの首筋に唇を落とす。軽く吸われると、その箇所がツキンとした。
10
お気に入りに追加
197
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
貴方の子どもじゃありません
初瀬 叶
恋愛
あぁ……どうしてこんなことになってしまったんだろう。
私は眠っている男性を起こさない様に、そっと寝台を降りた。
私が着ていたお仕着せは、乱暴に脱がされたせいでボタンは千切れ、エプロンも破れていた。
私は仕方なくそのお仕着せに袖を通すと、止められなくなったシャツの前を握りしめる様にした。
そして、部屋の扉にそっと手を掛ける。
ドアノブは回る。いつの間にか
鍵は開いていたみたいだ。
私は最後に後ろを振り返った。そこには裸で眠っている男性の胸が上下している事が確認出来る。深い眠りについている様だ。
外はまだ夜中。月明かりだけが差し込むこの部屋は薄暗い。男性の顔ははっきりとは確認出来なかった。
※ 私の頭の中の異世界のお話です
※相変わらずのゆるゆるふわふわ設定です。ご了承下さい
※直接的な性描写等はありませんが、その行為を匂わせる言葉を使う場合があります。苦手な方はそっと閉じて下さると、自衛になるかと思います
※誤字脱字がちりばめられている可能性を否定出来ません。広い心で読んでいただけるとありがたいです
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる