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私の杖はツルハシです。
しおりを挟む「リリー! 急げ、遅い!」
「はい!!」
私は必死で走った。
これを全力疾走と言わずして何をそう呼ぶのか、少なくともこれ以上の走る概念を私は持っていない、それくらい必死に走った。
そしてツルハシそっくりの杖を振りかぶる。この『魂の髑髏杖』は、私の生家であるフェルゼン伯爵家当主に代々受け継がれているツルハシだ。違った、杖だ。
フェルゼン伯爵家は、王国内唯一の岩魔術継承家である。岩を空中に浮かべたり、砕いたりが出来る。そのため、本日も崩落事故の現場で、私は忙しなく働いているのだ。
幸い人的被害は無い。
この国では召喚獣が工事を担当するので、彼らは岩が落ちてきた場合、自分達の世界に帰る。各地で起きる崩落事故は、単純に召喚獣達が大雑把に工事をするために発生している。
なんとか完成物の上に落ちようとしていた岩を停止させて、私は肩で息をした。
それから隣に立つ上司を見上げる。
腕を組んでいるザフィア主任は、『星梳の水晶杖』と呼ばれる水魔術継承家特有の、傘そっくりの杖を手にしている。大抵召喚獣は仕事に失敗するので、私と主任で工事を完成させることになる。ザフィア主任が傘を開くと、晴れているのに雨が降ってきて、虹が出た。実に綺麗である。私も受け継ぐならば、こちらが良かった。
きっとツルハシで岩を砕いているせいだろうが、私は女扱いされないのである。
許せない話だ。職場に男しかいないせいだろうか?
私が働いている、王都付属第二騎士団召喚獣対策部隊魔術師班には、家系魔術を受け継いでいる魔術師が所属しているのだ、私以外全員男だ。本当は、魔術師という職業自体、男の仕事だ。
だけど、私の家族は運悪く亡くなってしまったので、国内で唯一岩魔術が使える私は、馬車馬より悲惨な職場に放り込まれたのである。いつも鞭打たれている気分だ。
私、可哀想……悲劇の美人!
いつかきっと王子様が迎えにきてくれるはずだ……と思ったのは確か十三歳くらいの頃であり、そう考えたまま、現在二十三歳になってしまった。王子様の乗っている馬車は十年以上目的地にたどり着かないようである。
「何をボーッとしているんだ。撤収する。右の岩を早く処理しろ」
馬車の車輪について考えていた私は、険しいザフィア主任の声で我に返った。ツルハシの柄をギュッと握って振り回す。適当に振っても魔術は発動するので、馬車の馬の品種について考えていても、岩はどんどん砕け散っていった。
こうして私達は帰還した。
馬車ではなく転移魔方陣を使用したので、三十秒弱で騎士団本部に到着した。
本部内の魔方陣に直通の、簡易設置用魔方陣を持参していたのである。
報告のために騎士団長室へと向かいながら、私はザフィア主任を見た。
濃い海のような瞳をしていて、まつ毛が長い。私の二つ歳上で、今年で二十五歳になるそうだ。彼の個人情報は、この界隈にいる女の子の多くが把握している。理由は、ちょっと目を惹く端正な顔立ちだ。
黙っている場合、憂いを帯びたように見える伏し目がちの顔が非常に美しい……というのは私も同意だが、口を開くと「早く仕事を終わらせたい」しか出てこないと私は知っている。彼は勤務時間が伸びることを憂う場合はあるが、巷で噂されるように世を儚んではいない。
また繊細だという噂を聞いたこともあるが、私はザフィア主任の繊細さを見た記憶もない。どちらかと言えば彼は、最終的に全て水魔術で押し流してなかったことにする大胆さの持ち主だ。
主任が扉を叩くと、「入れ」という声がかかったので、私達は団長室に入った。
「ザフィア・ラヴェンデル、ご報告に参りました」
「同じくリリー・フェルゼン、ご報告に参りました」
頭を下げてから、ザフィア主任が報告を始めた。私が全力疾走した部分は、『情熱を持って全力で仕事に取り組み、ある種の疾走感を覚える完璧な仕事』と表現されて、ツルハシを大きく振りかぶった箇所は、『古より伝わりし、魂の髑髏杖を華麗に操り』と換言されて報告されていく。これを聴いていると、私は自分が天才魔術師に思えてくるから不思議だ。ザフィア主任は口が上手い。
しばらく騎士団長と主任のやりとりを見ていた。すると、不意に騎士団長が私を見た。何を聞かれるのかと身構える。私には換言技能が無いからだ。
「――所で、リリー。フェルゼン伯爵家の復興のためにも、そろそろ身を固めてはどうだね?」
「え?」
「岩魔術を廃れさせるのは惜しい。国王陛下も先日気にかけていらしたよ」
「は、はぁ……」
唐突のことで、私は焦った。小さな国なのも手伝っているのか、陛下は多くの貴族を気にかけてくれる。私の家にも、三回くらい、『第三王位継承権保持者の甥と見合いしてみないか』というお手紙が来た。仕事が忙しかったので、予定日が終わってから手紙を開封して慌てたものである。
「誰か良い人がいるのかね?」
「……その」
「いないのであれば、この絵姿集を見てみるのはどうだろう?」
私の前に、騎士団長が大量のお見合い用の釣書を積んだ。息を呑みながら、私の背より高いその山を見上げる。持って帰るのは無理だろう。私は、「また今度見に来ます」と答えた。
その後いくつか質問に答えて、主任と一緒に退出した。
長い回廊を歩きながら、これで本日の仕事は終わりだと考える。
帰ったらゆっくりお風呂に入ろう。そう決意した時だった。
「リリー、この後暇だろう?」
「え」
暇である。前を向いたまま歩き続けているザフィア主任を見上げながら、私は立ち止まりそうになるのを堪えた。暇だ、それは事実だ、しかしながら主任のこの言葉は「残業しないか」という意味合いに等しい。
「予定でもあるのか?」
「じっくりゆっくり家で半身浴をする予定が詰め込まれていて」
「つまり暇なんだな」
私は言葉を探した。歩くのが遅いのか、いつも私と同じペースで進む主任を何度かチラっと見てみる。ほぼ隣、心なしか一歩先を進んでいるが、足が長い割に歩くのが遅いから私は不思議だ。何せ私は、たまに女の子と遊ぶといつも歩くのが遅いと言われる。その私と同じ速度なのだから、主任は可哀想なほどに足が遅いと思うのである。
「実は話があるんだ」
「何ですか?」
「二人きりで話したい。俺の家に来ないか?」
「主任……一応私は女なので、騎士団寄宿舎に入る事はできません」
「一応も何もお前を男だと誤解した記憶は一度も無い――違う、ラヴェンデル侯爵家の王都本邸に来ないかと聞いているんだ」
「――へ? 侯爵家に? そんなに重要なお話なんですか?」
「そうだな。俺にとっては人生がかかっている。事と次第によっては、再起不能になるだろう」
「え!? 行きます。すぐに行きます。あんまり関わりたくないし、聞きたくないけど、主任にはお世話になってますから、私に出来ることがあるならば!」
こうして、私達は再び魔方陣に乗る事になった。
床の溝から無作為に光が溢れ、瞬きをした瞬間には、ラヴェンデル侯爵家の地下にいた。自分の敷地に転移魔方陣を設置可能というのは、非常に裕福でなければ無理だ。
やはり侯爵家は格が違う。伯爵家の場合は、上位と下位で、同じ伯爵家でも格差があるのだが、侯爵家は王家に次ぐ資産家ばかりだという。大抵王族は侯爵家の人間と結婚している。
階段を上りながら、半地下の窓を見る。緑の葉が見え、一階についた時には、正面の大きな窓から咲き誇るラベンダーが見えた。季節は違うが、いつも魔術で花畑を維持していると聞いた事がある。
私達の姿に、使用人をしている召喚獣達が、一斉に立ち止まり頭を下げた。皆、クマのぬいぐるみのような容姿をしていて、白いエプロンドレスを身につけている。人間の気配は無い。
「主任、ご家族の方にご挨拶などは、した方が……?」
「両親はこの時期、領地の邸宅で過ごしているんだ。執事や家令も今はそちらにいる。俺も寄宿舎にいて屋敷はほぼ無人だ。召喚獣に任せきりだ――から、その、ここに住む場合は、何一つやらなくて大丈夫だ。気の良い召喚獣が全てを手伝ってくれる。必要があれば、侍女を呼び寄せる事も簡単だ。世の中には嫁姑問題という諍いがあるそうだが、別れて暮らすという選択肢が、ラヴェンデル侯爵家では可能なんだ」
「へぇ。じゃあ気兼ねなく主任の人生の大問題のお話ができますね。私、聞くのは比較的得意です」
「本当か? 今、俺の話を全く聞いていなかったように思うが、聞いていなかったのではなくて、流したのか?」
「え? クマが全部やってくれるってちゃんと聞いてましたよ? 理想的な二世帯住宅だというお話も」
そんなやりとりをしながら、私は主任に、応接間らしき場所へと促された。断言できないのは、巨大な寝台が置いてあったからである。
二部屋がつながっている作りで、片側は完全に応接間だが、奥が寝室だった。こういう配置の場合は、私用の自室である可能性が高い。あんまりにも調度品が豪奢すぎて、私から見ると応接間に思えるだけなのかもしれない。
本棚が壁にあるのだが、それらも私の生家の父の書斎より高級感が溢れている。何より広い。さすがは侯爵家、緋色の絨毯もふかふかである。
「座ってくれ。すぐに茶を」
「ありがとうございます」
促されて私は、私の寄宿舎の寝台よりも巨大な長椅子に腰を下ろした。座り心地が良すぎて、ぐっと体を預けてしまった。包み込まれるような感覚だ。
ザフィア主任は、ネリア茶を陶器に注いで、私の前に置いた。さらっと出現魔術を杖無しで主任は使ったのだが、これは非常に高難易度であり、私は遠い目をした。顔良し、才能有り、お金持ち……この人物には、何か足りないものはあるのだろうか? いいや、無いだろう。羨ましい話である。
温かいネリア茶を飲みながら、考えてみる。
その主任を再起不能にする問題とは何なのだろう。
「それでザフィア主任、一体どうしたの?」
私は声を潜めた。二人の時、私の口調は少し砕ける。理由は、働き始めたのが私の方がちょっと先だからだ。私が十四歳になった勤務開始後一年目で、十六歳の主任が才能を買われて配属されたのである。
有り余る才能故に、高貴な立場だが、いやだからこそ貴族の勤めとして云々という名目で魔術師班にやって来たのだ。歳が近かったので私達は頻繁に話すようになったのである。
「好きな相手がいるんだ。告白しようと思って、もう暫く経つ」
「え」
「――その相手に結婚話が持ち上がっていると知った」
「早く告白しないと!」
「ああ。俺もそう考えている。しかし脈が感じられない」
「当たって砕けないと!」
「砕けたくない。できれば砕けたくないんだ。だが告白した姿を想像してみると、フラれてその結果、お前のツルハシで俺の心が粉砕されている光景しか浮かばない。できれば俺としては、当たってそのまま抱きしめたい」
主任が唸った。私は茶器を置いてから、顎に手を沿え、もう一方の手を肘に添えた。難しい。いくら完璧な主任であっても、人の気持ちばかりはどうにもならないだろう。
世界は厳しい。恋心は、条件で変わるわけではないと私は思う。恋愛対象にされる幅は条件で変わるかもしれないが、主任の口を開くと実は駄目な部分を知っても、私は変わらず主任が好きである。
実は私は、主任の事が好きなのだ。いつからかと言われると困るが、毎日一緒に仕事をする内に、とても好きになってしまった。
「そこでまず外堀を埋めようと検討した。公的に見合いの話を持っていった。他の結婚話を潰す意図もあった」
だから、見ようによっては現在失恋中なのだが、私としては好きな人には幸せになってもらいたい。全力で話を聞き、私は応援しなければ。
「お見合いしたんですか? どうでした? そこで脈が無かったんですか?」
「――無視された」
「え?」
「送った手紙を見なかったと聞いたが、見ても無視された可能性がある。俺が相手だと分からないようにしたが、少し調べれば分かる事だからな」
「忙しかったのかも! 気を落とさないで! 一度ダメでも二度目が!」
「二度目も無視された」
「三度目の正直! 古の言葉です」
「仏の顔も三度まで――古の言葉だ。三回目も返事がなく、俺は心が折れかけた。可愛さ余って憎さ百倍、時代を問わずによく分かる言葉だ。会えば能天気に笑っているから、その分俺は怒鳴りたくなったが、相手にしてみれば理不尽だろうからと堪えた」
「堪えて正解です。どんな女の子なの? 私の知り合いなら、話を聞いてみるけど」
「リリーがこの世界で一番よく知っている女性だ」
「キララちゃんかな?」
「誰だそれは?」
「いつもザフィア主任情報収集に勤しんでいる、たまに私が遊びに行く女の子です。もしもそうなら、脈しかありません!」
私が断言すると、何故なのか遠い目をして主任が肩を落とした。
それから一度大きく息を吐くと、じっと私を見た。
「好きだ、付き合ってくれ」
「!!」
ポカンとした。右手の指を持ち上げて、二回自分を指さしてみる。主任がそれを見て、大きく頷いた。カッと頬が熱くなる。嬉しすぎて顔がにやけた。
だが、今、絶対これは良い雰囲気だろうから、緩みきった表情はまずい。私は必死で真顔を取り繕うとした――だが失敗した。
まずい、嬉しい、何これ。
一人だったら両手のこぶしを握って、絶対に飛び跳ねていた。嘘嘘嘘、真面目に? 大歓喜しながら私は主任を見た。すると主任が怪訝そうな顔をしていた。
「――何か言ってくれ。その反応は、どういう意味合いだ?」
「今死んだら、死因は喜びだと思います」
「喜び?」
「はい! 私も主任が好きです」
「リリーは本当に意味が分かっているのか? 俺は、お前の事が好きだ。結婚したいという意味合いだ」
「分かります。ただ、私と主任では身分が……」
「にやけきった笑顔で身分と言い出す心境が俺にはよく分からないんだが、俺とリリーの結婚に関しては、国王陛下にも応援していただいているから何の問題もない」
「へ?」
「国王陛下は俺の伯父でな」
「――第三王位継承権保持者の甥?」
「それは俺だ」
「主任本当に私の事が好きなんですか!? 先程の話に心当たりが無さすぎて、冗談かと思って……」
「本気だ。お前の返事は、冗談か?」
主任が真剣な目をした。ドキリとしてしまう。ゆっくりと唾を飲み込んでから、私は瞬きをした。言わなければ。真剣に言わなければ。
「……私も本当に主任が好きです」
決意して口にした後、あんまりにも小さな声になってしまったので、私は言いなおすべきか悩んだ。しかし自分が発した言葉が恥ずかしすぎて、俯いたら顔自体を上げられなくなってしまった。顔が熱い。自分でもそれが分かる。恐らく今の私は真っ赤だ。
そして――沈黙が訪れた。
あんまりにもそれが長かったので、ちらっと私は視線を上げてみた。
すると――主任がにやけきっていた。先程の私と同じだろう。緩みきった顔をしていて、楽しそうな顔で、満面の笑みで私を見ていた。視線が合う。そうしあら慌てたように主任が右手で唇を覆った。だが目が笑っている。それを見ていたら、再び私も笑ってしまった。
二人でずっとニヤニヤしていた。両思い、幸せである。
主任が立ち上がり、私の方に歩み寄ってきた。抱き上げられたので、私は腕を回す。そのまま触れるだけの口付けをされて、私は胸が温かくなった。寝台まで姫抱きで連れて行かれて――その時ふと思った。
「主任って早く歩く事もできるんですね」
「いつもはリリーに合わせていただけだ」
「!!」
どさりとシーツの上に下ろされると、体が柔らかな寝台に沈んだ。ラベンダーが刺繍されていた。速度の真実に驚いていた。
「もっと抱きしめても良いか?」
「ダメって言ったら、ツルハシで粉砕されている気分になる?」
「リリーが許可を出すまで、押し流す」
そう言って笑うと主任が寝台の上にあがってきた。やはり大雑把な水魔術の使い手だ。そこが愛おしい。私は主任の首に腕を回した。
その後深く口付けをした。舌が絡み合い、私の知らない感覚が体を支配していく。初めてのキスだ。片手で顎を軽く持ち上げられ、何度も啄むように唇を重ねられた。
こうして――私は、主任と結婚する事に決まった。
騎士団長に取り敢えず報告する事になったのだが、主任は、私達のニヤニヤした表情を『目と目があった瞬間、お互いに運命を感じ、決して視線を話すことができず微笑し合った』と言い換えて、いかに私達が大恋愛の末に結ばれたかを語ったが、その顔がいつもと違って緩みきっていたから、今回は『ニヤニヤしあった』で十分だっただろうと思う。私も隣でずっと笑顔だった。
その後祝福され、結婚式をし、フェルゼン伯爵家は私達の次男があとを継ぐのだが、それはまた別のお話である。
【完】
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