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【10】シュルラハロートの指輪

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 正門まで歩いていくと、ロビンが静かに立っていた。
 普段の送迎の場合は来ないから、何かあったのだろうかと首を傾げる。

「シュルラハロート侯爵様より、招待状を預かっております」
「ヴォルフ様から? 何かあったのかしら?」
「おおかた、先日急用で退席した謝罪でしょう」
「けれどあれは、ロビンのウソだったのよね?」
「――情報の行き違いという形式に取り繕ってございます。足はどこにもついておりません」

 淡々とそう口にして、ロビンが馬車の中へと私を促した。
 そのまままっすぐに、ヴォルフ様のシュルラハロート侯爵家王都本邸へと向かった。
 広大な敷地の至る所に見える焔の蝶が、いつにも増して美しく思えた。

 中に入ると、まだヴォルフ様はお仕事中との事で、先に着替えているようにと、ドレスを渡された。私は既にどこへ出ても問題のないドレスを身に纏っていたが――……渡されたドレスがあんまりにも素敵だったものだから、疑問を口にすることもなく、着てみることを選んだ。

 緋色、朱色、赤、真紅、深紅、葡萄酒の様々な色彩で作られた、マーメードドレスだった。大胆なリボンがひとつだけある。私がこれまでの人生で着た中で、最も大人びたドレスだった。細やかな華の模様に、私は鏡を見ながら見惚れた。

 こうして待っていると、仕事が終わったと侍女が告げに来て、私はヴォルフ様の私用応接間へと通された。奥はそのままヴォルフ様の私室である。何度か来たことがあるので分かる。私が顔を出すと、ヴォルフ様が息を飲んだ。目を見開いている。

「ど、どうでしょうか……? 似合いますかしら?」
「扇情的過ぎて目の毒だよ。座って。この前は、いきなりごめん」

 促されたので長椅子に腰を下ろしながら、私もこのドレスは大人っぽく艶があると感じたので、扇情的だという表現は適切だろうと考えた。しかしこの前のはロビンの嘘であるそうだから、謝られても反応に困る。一応聞いてみることにした。

「この前は、どうなったのですか?」
「――情報の行き違いだったようで、特に仕事は無かったんだ。そういえば、君の所の優秀な執事は、元気にしている?」
「ロビンは元気そうですが……?」
「そう。それは何よりだね」

 ただの雑談だと思うのだが、私は直感的に……ロビンは足がつかないようにしたといったが、バレている気がした。私が謝っておいたほうが良いだろうか? そう考えていた時、再びヴォルフ様が口を開いた。苦笑している。

「今日もいきなり悪かったね」

 苦笑も、以前は無かった。先日まで、冷たい表情ばかりだったから、私にとってはこの表情も新鮮である。いつもは私ばかりが喋っていたから、このように話しかけられるのも嬉しい。そこでふと気がついた。

「今日はどうなさったんですか?」
「いくつか理由はある。そうだな、まずはそのドレスを贈りたかった。そのドレスは、結婚式間近の家に入る女性に贈るドレスなんだ。それとこの指輪――」

 ヴォルフ様はそう言うと、暗い青のヴェルベット張りの台座をテーブルの上に置いた。

「綺麗……」

 そこに輝いていたのは、光の加減で緋色から濃い赤にまで様々な色彩を見せる、巨大なルビーだった。薔薇の蕾のように削られ、磨き上げられていて、銀の指輪に咲き誇っている。大きい指輪と小さい指輪が並んでいた。

「これは、生涯愛することを決めた相手のために、特別な紅玉から削り出して作る、シュルラハロートの指輪なんだ。君にどうしても付けて欲しくて。侯爵家の一員になる者に渡すと決まっている」

 優しい声音だった。私は息を飲む。

「良いのですか?」
「ああ。ただ……これはちっぽけな独占欲から、君にこの侯爵家のしきたりを押し付けたいから渡すわけじゃないんだ。俺はずっと、これらを身に付けている君を見たかった。いつ渡そうか、ずっと悩んでいたんだ。本当は、王立学院を卒業したらと思っていたんだけれどね」

 王立学院は、十七歳で入学し十九歳で卒業する。私は今、二年生だ。
 ヴォルフ様は私の右手を取ると、薬指にその指輪をはめてくれた。
 左手の薬指は、婚約指輪や結婚指輪をはめるため、それ以外の指輪ははめない風習がある。なので恋人からの指輪をはめる位置は、通常この右手の薬指だ。

「君を呼んだ理由の一つ目は、これらの品を渡したかったからだよ。けれど、これらはただのついでだ。一番の理由、もう一つは――……襲われたと聞いた。心配で凍りついたよ。だから直接顔が見たかった。怪我はないと聞いているけど、大丈夫?」
「大丈夫ですわ……ありがとうございます」

 感激して私が頷くと、ヴォルフ様が微苦笑した。そして今度は、別の台座を置き、その上にあった金色の鎖に、いくつもの真珠がついた首飾りを手に取った。よく見ると、真珠の一つ一つに、様々な色の焔が映りこんでいる。ヴォルフ様は、それを私にかけてくれた。

「この首飾りに、君を生涯守る焔の魔術を込めた。これは俺との関係に関わらず――俺は、許婚だからではなく、君が君だから大切で、今後自分とどうなるにしろ、一生イリスを大切に思うから、生涯守る火を込めたんだ。敵の急襲にあった時は、この首飾りを握って。必ず君を、シュルラハロートの焔が守るから」

 その言葉に、胸が温かくなった。小さな灯火が、私の胸にも宿った気がした。
 嬉しくて涙ぐみそうになる。こんなに優しいヴォルフ様を私は知らなかった。

「最後の理由だけど」
「まだあるのですか?」
「――うん、まぁ」

 私の声に、ヴォルフ様がいつもの気だるそうな眼差しに戻った。
 先程は、完全に、優しいイケメンになりかけていたというのに……と、心の中で思いつつ、私は言葉の続きを待った。

「今夜、夜会に行きたいと思ってる」
「夜会はお嫌いなんじゃ?」
「君を見せびらかしたいんだよ」

 ヴォルフ様はそう言うと、照れくさそうな顔をしてから、用意をすると言って出ていった。このようにして、私は急遽、夜会に出席することになった。

 夜会は、シュルラハロート侯爵家の親戚である、バネット伯爵家で行われた。
 内輪のものだというが、私が知る夜会の中では、かなり大規模なものに思えた。

 私の腰に手を添え、いつもの魔術師装束とは異なる貴族服のヴォルフ様を見たら、あんまりにも格好良すぎて、私はずっとドキドキしていた。ラヴェンデル侯爵家の令嬢として、私は多くの夜会に顔を出してきたが、いつもエスコートしてくれたのはお兄様である。今日はいちいち、腰に触れるヴォルフ様の指先にまで、私は動揺させられているから、なんだか始めてくる場所のようにすら感じられた。

 挨拶を交わした後、少ししてダンスが始まった。
 私は比較的ダンスが得意なのだが、ヴォルフ様はどうなのだろう?

 考えていたら――思いのほか上手で……むしろ私よりもずっと上手で、繊細なリードをしてくれた。素敵だ……一度で良いから踊ってみたかったのである。幸せをかみしめながら、何曲か踊った時、バネット伯爵がヴォルフ様に話しかけてきた。

「ヴォルフ卿、素敵な未来の奥様に、ヴァイオリンの腕前を披露なさってはいかがですか?」

 その言葉に、私は驚いた。ヴォルフ様が、ヴァイオリン?
 全然印象に無かったので目を丸くしていると、ヴォルフ様が少し退屈そうな顔をした後、私を一瞥した。

「そうだね。それも悪くないかもしれない」

 こうして、ヴォルフ様がダンスの曲を弾くことになった。

 その圧倒的な技術と情熱的な音色、流麗な調べに、私は時間という概念を忘れ、ただ無心に聞き入った。演奏が終わってからも余韻が冷めず、ずっとぼんやりしていた。凄い、凄すぎて冷や汗が出てきた。なのに感動で胸は熱い。

 戻ってきたヴォルフ様の腕を掴み、私は歓喜の涙を浮かべて、素晴らしさを伝えた。するとヴォルフ様が少し照れたような顔をした。それを見たら、私まで恥ずかしくなってしまった。

「少しテラスに出て、風に当たろう」
「ええ、分かりましたわ」

 促されて、私達は夜空の下に出た。テラスには他に人気は無い。
 私は右奥の手すりに両手を起き、遠くに見える湖を見据えた。
 水面に月が浮かんでいるように見える。とても綺麗だ。

「ヴォルフ様、綺麗ですね」
「――イリスが一番綺麗だよ。ねぇ、イリス」

 ヴォルフ様が私の隣に立った。そしてそっと頬に触れてきた。

「今度こそ、キスをしても良い?」

 その声に、私は思わず瞳を潤ませた。そして、小さく頷いた。
 すると触れるだけの優しい口づけをされた。それからギュッと両腕で抱き寄せられる。
 額に唇を落としながら、長々とヴォルフ様が目を閉じている。
 私はその温もりにドキドキしながら、浸っていた。
 そうして夜会が終わるまでの間、私達はずっと抱き合っていた。


 帰りの馬車は、ラヴェンデル家から来ていたのだが、乗り込んですぐに、私は眠ってしまった。幸せな夜である。




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