10 / 16
【10】シュルラハロートの指輪
しおりを挟む正門まで歩いていくと、ロビンが静かに立っていた。
普段の送迎の場合は来ないから、何かあったのだろうかと首を傾げる。
「シュルラハロート侯爵様より、招待状を預かっております」
「ヴォルフ様から? 何かあったのかしら?」
「おおかた、先日急用で退席した謝罪でしょう」
「けれどあれは、ロビンのウソだったのよね?」
「――情報の行き違いという形式に取り繕ってございます。足はどこにもついておりません」
淡々とそう口にして、ロビンが馬車の中へと私を促した。
そのまままっすぐに、ヴォルフ様のシュルラハロート侯爵家王都本邸へと向かった。
広大な敷地の至る所に見える焔の蝶が、いつにも増して美しく思えた。
中に入ると、まだヴォルフ様はお仕事中との事で、先に着替えているようにと、ドレスを渡された。私は既にどこへ出ても問題のないドレスを身に纏っていたが――……渡されたドレスがあんまりにも素敵だったものだから、疑問を口にすることもなく、着てみることを選んだ。
緋色、朱色、赤、真紅、深紅、葡萄酒の様々な色彩で作られた、マーメードドレスだった。大胆なリボンがひとつだけある。私がこれまでの人生で着た中で、最も大人びたドレスだった。細やかな華の模様に、私は鏡を見ながら見惚れた。
こうして待っていると、仕事が終わったと侍女が告げに来て、私はヴォルフ様の私用応接間へと通された。奥はそのままヴォルフ様の私室である。何度か来たことがあるので分かる。私が顔を出すと、ヴォルフ様が息を飲んだ。目を見開いている。
「ど、どうでしょうか……? 似合いますかしら?」
「扇情的過ぎて目の毒だよ。座って。この前は、いきなりごめん」
促されたので長椅子に腰を下ろしながら、私もこのドレスは大人っぽく艶があると感じたので、扇情的だという表現は適切だろうと考えた。しかしこの前のはロビンの嘘であるそうだから、謝られても反応に困る。一応聞いてみることにした。
「この前は、どうなったのですか?」
「――情報の行き違いだったようで、特に仕事は無かったんだ。そういえば、君の所の優秀な執事は、元気にしている?」
「ロビンは元気そうですが……?」
「そう。それは何よりだね」
ただの雑談だと思うのだが、私は直感的に……ロビンは足がつかないようにしたといったが、バレている気がした。私が謝っておいたほうが良いだろうか? そう考えていた時、再びヴォルフ様が口を開いた。苦笑している。
「今日もいきなり悪かったね」
苦笑も、以前は無かった。先日まで、冷たい表情ばかりだったから、私にとってはこの表情も新鮮である。いつもは私ばかりが喋っていたから、このように話しかけられるのも嬉しい。そこでふと気がついた。
「今日はどうなさったんですか?」
「いくつか理由はある。そうだな、まずはそのドレスを贈りたかった。そのドレスは、結婚式間近の家に入る女性に贈るドレスなんだ。それとこの指輪――」
ヴォルフ様はそう言うと、暗い青のヴェルベット張りの台座をテーブルの上に置いた。
「綺麗……」
そこに輝いていたのは、光の加減で緋色から濃い赤にまで様々な色彩を見せる、巨大なルビーだった。薔薇の蕾のように削られ、磨き上げられていて、銀の指輪に咲き誇っている。大きい指輪と小さい指輪が並んでいた。
「これは、生涯愛することを決めた相手のために、特別な紅玉から削り出して作る、シュルラハロートの指輪なんだ。君にどうしても付けて欲しくて。侯爵家の一員になる者に渡すと決まっている」
優しい声音だった。私は息を飲む。
「良いのですか?」
「ああ。ただ……これはちっぽけな独占欲から、君にこの侯爵家のしきたりを押し付けたいから渡すわけじゃないんだ。俺はずっと、これらを身に付けている君を見たかった。いつ渡そうか、ずっと悩んでいたんだ。本当は、王立学院を卒業したらと思っていたんだけれどね」
王立学院は、十七歳で入学し十九歳で卒業する。私は今、二年生だ。
ヴォルフ様は私の右手を取ると、薬指にその指輪をはめてくれた。
左手の薬指は、婚約指輪や結婚指輪をはめるため、それ以外の指輪ははめない風習がある。なので恋人からの指輪をはめる位置は、通常この右手の薬指だ。
「君を呼んだ理由の一つ目は、これらの品を渡したかったからだよ。けれど、これらはただのついでだ。一番の理由、もう一つは――……襲われたと聞いた。心配で凍りついたよ。だから直接顔が見たかった。怪我はないと聞いているけど、大丈夫?」
「大丈夫ですわ……ありがとうございます」
感激して私が頷くと、ヴォルフ様が微苦笑した。そして今度は、別の台座を置き、その上にあった金色の鎖に、いくつもの真珠がついた首飾りを手に取った。よく見ると、真珠の一つ一つに、様々な色の焔が映りこんでいる。ヴォルフ様は、それを私にかけてくれた。
「この首飾りに、君を生涯守る焔の魔術を込めた。これは俺との関係に関わらず――俺は、許婚だからではなく、君が君だから大切で、今後自分とどうなるにしろ、一生イリスを大切に思うから、生涯守る火を込めたんだ。敵の急襲にあった時は、この首飾りを握って。必ず君を、シュルラハロートの焔が守るから」
その言葉に、胸が温かくなった。小さな灯火が、私の胸にも宿った気がした。
嬉しくて涙ぐみそうになる。こんなに優しいヴォルフ様を私は知らなかった。
「最後の理由だけど」
「まだあるのですか?」
「――うん、まぁ」
私の声に、ヴォルフ様がいつもの気だるそうな眼差しに戻った。
先程は、完全に、優しいイケメンになりかけていたというのに……と、心の中で思いつつ、私は言葉の続きを待った。
「今夜、夜会に行きたいと思ってる」
「夜会はお嫌いなんじゃ?」
「君を見せびらかしたいんだよ」
ヴォルフ様はそう言うと、照れくさそうな顔をしてから、用意をすると言って出ていった。このようにして、私は急遽、夜会に出席することになった。
夜会は、シュルラハロート侯爵家の親戚である、バネット伯爵家で行われた。
内輪のものだというが、私が知る夜会の中では、かなり大規模なものに思えた。
私の腰に手を添え、いつもの魔術師装束とは異なる貴族服のヴォルフ様を見たら、あんまりにも格好良すぎて、私はずっとドキドキしていた。ラヴェンデル侯爵家の令嬢として、私は多くの夜会に顔を出してきたが、いつもエスコートしてくれたのはお兄様である。今日はいちいち、腰に触れるヴォルフ様の指先にまで、私は動揺させられているから、なんだか始めてくる場所のようにすら感じられた。
挨拶を交わした後、少ししてダンスが始まった。
私は比較的ダンスが得意なのだが、ヴォルフ様はどうなのだろう?
考えていたら――思いのほか上手で……むしろ私よりもずっと上手で、繊細なリードをしてくれた。素敵だ……一度で良いから踊ってみたかったのである。幸せをかみしめながら、何曲か踊った時、バネット伯爵がヴォルフ様に話しかけてきた。
「ヴォルフ卿、素敵な未来の奥様に、ヴァイオリンの腕前を披露なさってはいかがですか?」
その言葉に、私は驚いた。ヴォルフ様が、ヴァイオリン?
全然印象に無かったので目を丸くしていると、ヴォルフ様が少し退屈そうな顔をした後、私を一瞥した。
「そうだね。それも悪くないかもしれない」
こうして、ヴォルフ様がダンスの曲を弾くことになった。
その圧倒的な技術と情熱的な音色、流麗な調べに、私は時間という概念を忘れ、ただ無心に聞き入った。演奏が終わってからも余韻が冷めず、ずっとぼんやりしていた。凄い、凄すぎて冷や汗が出てきた。なのに感動で胸は熱い。
戻ってきたヴォルフ様の腕を掴み、私は歓喜の涙を浮かべて、素晴らしさを伝えた。するとヴォルフ様が少し照れたような顔をした。それを見たら、私まで恥ずかしくなってしまった。
「少しテラスに出て、風に当たろう」
「ええ、分かりましたわ」
促されて、私達は夜空の下に出た。テラスには他に人気は無い。
私は右奥の手すりに両手を起き、遠くに見える湖を見据えた。
水面に月が浮かんでいるように見える。とても綺麗だ。
「ヴォルフ様、綺麗ですね」
「――イリスが一番綺麗だよ。ねぇ、イリス」
ヴォルフ様が私の隣に立った。そしてそっと頬に触れてきた。
「今度こそ、キスをしても良い?」
その声に、私は思わず瞳を潤ませた。そして、小さく頷いた。
すると触れるだけの優しい口づけをされた。それからギュッと両腕で抱き寄せられる。
額に唇を落としながら、長々とヴォルフ様が目を閉じている。
私はその温もりにドキドキしながら、浸っていた。
そうして夜会が終わるまでの間、私達はずっと抱き合っていた。
帰りの馬車は、ラヴェンデル家から来ていたのだが、乗り込んですぐに、私は眠ってしまった。幸せな夜である。
0
お気に入りに追加
267
あなたにおすすめの小説
政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。
克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
とりあえず天使な義弟に癒されることにした。
三谷朱花
恋愛
彼氏が浮気していた。
そして気が付けば、遊んでいた乙女ゲームの世界に悪役のモブ(つまり出番はない)として異世界転生していた。
ついでに、不要なチートな能力を付加されて、楽しむどころじゃなく、気分は最悪。
これは……天使な義弟に癒されるしかないでしょ!
※アルファポリスのみの公開です。
時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。
屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。)
私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。
婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。
レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。
一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。
話が弾み、つい地がでそうになるが…。
そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。
朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。
そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。
レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。
第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】身を引いたつもりが逆効果でした
風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。
一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。
平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません!
というか、婚約者にされそうです!
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる