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133・空けましたら、おめでとう

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『あけましたら、おめでとう』

 そうヘンテコな文句と共に、大吾は旧知の人物を訪ねていく。クリスマスが終わり、元旦はアジアカップを目前に控えた親善試合が待っている。

 天皇杯のない欧州へ渡ったら、1月1日は休めると思っていたのに、このフル稼働。
 グラン・トリノでの激戦、ワールドカップ、チャンピオンズリーグ、そしてリーグ戦、アジアカップ、そしてオリンピック。故障をするなというほうが無理だ。

 もし、イングランド・プレミアリーグに移籍することがあれば、もっと日程はタフだ。
 プレミアリーグは基本的に、他のリーグよりも2チーム多い。ということは、年間の試合が4試合増えるということだ。普通、欧州リーグはウインターブレイクと称して、年末年始は休暇になる。
 だが、イングランド・プレミアリーグだけは、通常営業で試合が行われている。このリーグはタフで、ファウルの基準が他のリーグよりも緩い。
『野蛮人が行う紳士のスポーツ』。ラグビーと比べられてそう言われることが多いが、やはり野蛮なスポーツなのだろうと大吾は思う。

『粗にして野だが、卑ではない』

 アンダー13のトレセンでの座学において、そのサッカーに対する言葉を聴いたとき、大吾は何とも思わなかった。
 だけれども、身長が止まったとき。
 その言葉をいつだったか思い出したことがある。

『粗にして野だが、卑でもある』

 当時の大吾はそうだったろう。
 野蛮人のスポーツが好きな、性根がひん曲がった少年。よくもまあ、ここまで来れたものだ。



 岡山の町は、相も変わらず鄙びた雰囲気を漂わせている。
 冬の街をニット帽とサングラス姿で歩いたが、逆に浮いているみたいだ。
 身に纏っているダウンジャケットは、妻が選別してくれたもの。悪い趣味とは思えない。
 悪いのは、その組み合わせだろう。田舎を歩くにはやや奇抜で、大吾のファッションセンスがそれほど卓越したものでないことを示している。

 以前、この道を歩いているときは、サッカーで生きていくということを考えていた。
 その目標は、まだ道半ば。
 登っていく山の頂上は、段々と下がショベルカーで削られていくかのようだ。

 いつだったか読んだ、サッカーの寄稿文。

『リュカ・バラン、ルカ・ボバン、リバウジーニョ・ジュニオール。向島大吾は7、8番手』

 まだそれだけいるのか、という弱気な想いと、あとそれだけという強い想い。
 クラブで結果を残して、日本代表をワールドカップ優勝に導いて……
 そこは、決して届かない場所ではない。

 両頬を叩く。
 冷え切った空気が、余計に痛みと気合を増したかのように思える。

 目的の場所に着いた。
 チャイムを鳴らして、持参した手土産を抱えた脇から取り出す。
 彼は、すぐにドアを開けて出て来た。


「おお、大吾。久しぶりだなあ。まあ上がっていけよ」

 そう言われて、八谷原やたがいはじめの家のリビングに通される。

 八谷の家は一軒家だ。
 移籍が伴うスポーツ選手は、それを購入せず、賃貸マンションで済ますことが多い。
 家を購入した途端、移籍やトレードなどで放出されると目も当てられないからだ。

 少し細長い廊下を経て、ソファーが鎮座するリビングへと辿り着くと、目に入って来たのは、自分のサインだった。

「持っておいてくれたんですね……」

 少し感慨深くなっていると、

「最近のサインが、メルカリで2万で売れてたからな。最初期のサインは、おまえがバロンドールを取ると100万くらいにはなるだろう。頑張ってくれよ!?」

 本気が6割という顔で、八谷は笑いかけてくる。
 まったく、この人は! どういう神経でそんな話ができるのやら!

「で、どうだ。ロイヤル・マドリーは? スペイン語には慣れたか?」

「スペイン語って、イタリア語とあんまり変わらない部分があって。文法構造とか語彙はあんまり変わらないんですよ」

「ほう。あのキャプテン翼で『スペイン語とポルトガル語の違いは標準語と関西弁くらい』って書かれてたやつか?」

「80%くらいはそんな感じですね」

 断熱材が入って、空調設備が整った家だ。さらにストーブまで焚かれている。
 立派な家だと大吾は思った。『ゲンさん』がその両足で稼いで建てた家なのだ。そしてそれは、一生をこの岡山で過ごすという決意が感じられる。


「嫁さんが相変わらず語学が優秀で。スペイン語教師にも週1でレッスンを受けているんですが、日本語が堪能な分、彼女の方がわかりやすいかな」

「ほうほう。向島家では、愛の語らいを外国語で行う……と」

 今度は本気が7割!
 下衆で下賤で世俗的。考えてみると、こういう俗っぽい人はあんまり周りにいないような気もする。
 サッカーに命を懸けて来た。
 けれども、それだけでは『向島大吾物語』に出てくる登場人物のキャラクターは全部一緒。
 彼は一種のコメディリリーフかもしれない……などと大先輩に対して思ってしまい、思わず笑ってしまう口を抑える。

「年が明けたら、アジアカップだなあ……」

「そうですねえ」

「俺も、まあ代表を目指してたんだが、この通り、よ」

 八谷原、38歳。
 引退。
 生涯成績538試合・98ゴール・38アシスト

「本当は100ゴール目指したかったんだがなあ……」

「よくやった方じゃないですか?」

「何様だよ……おまえ……」

 今度は本気が8割。
 それでも、冗談で受け流してくれる、大吾にとってありがたい先輩だ。

 一方で、大吾は繊細な割に図太いやつだと八谷は思っている。
 彼のそういう面を知っているのは、あまりに日本にはいないはずだ。

『ビッグマウスの向島大吾』

 これが、日本人の大吾に対する最大公約数だからだ。
 奴の本質が、明るい情念からかけ離れていることを知っているものは少ない。
 サッカーに対する想いはそれはそれで暑苦しいのだが……


「次、何やるんですか?」

「まあ、2~3年ぶらぶらしようかとも思ったんだけどな。ジュニアの指導をやってみないかって。子供をさ、育てるってのは楽しいことだよ」

「ジュニアの子の方が、ゲンさんよりテクニックあったりして!」

「シャレにならん……」

 本気が9割を越えようとしている。

「おまえのところはガキ、作らないのか?」

「まあ、自然に任せようと」

「ウチは4人になった。まだまだパパ稼業は稼がないとなあ……」

 9割。完全な本音である。


「鍵井はすごいよなあ」

「大輔さんですか」

「そうそう」

 話が急展開。
 八谷の話が熱を帯びて来て、挙動や動作、身振り手振りが大きくなる。

「俺、あいつと高校選抜で一緒だったのよ。ユース選抜と試合したんだっけかな。勝ち負けに異常に拘る奴でさ。結局その試合負けたんだけど、泣きそうになってて。たかが練習試合でだよ? でもそういう意識の差が、あいつを日本代表のキャプテンにして、俺は代表0キャップ」

 ふたりに共通項があったとは、大吾には意外だ。
 鍵井大輔は、早い時点で海外進出したエリートであると思っていたからだ。

「大吾。意識は選手生活を大幅に変えるぞ。これから先、おまえが何のためにサッカーをしていくかで、結果はガラッと変わる。もちろん、最終目標は知っている。だけども、それは抽象的で、チームスポーツであるサッカーにおいて、個人賞に過ぎない」

――リュカ・バランと同じことを言っている

 大吾は思った。
 サッカーに限らず、スポーツにおいて最終的に勝負の差を分けるのはメンタリティだ。
 世界一の称号を受けたリュカ、そして心の師とも言える八谷。思うところは同じなのだろう。

「鍵井はすごいよ。ひとりで日本を背負った気になっている。なっているというのは失礼かな。事実だしな。あいつが引退するのは、俺とは違って日本の国益を損なうくらいだろう。高校時代は同格だったやつが、引退した後に、どういう風にサッカー界に関わりを持つのか。興味があるな」

 そう言うと、八谷はグラスにブランデーを注ぎ始めた。
 引退した選手の特権とでもあろうかとなみなみと注がれていくそれ。
 もうひとつのグラスに大吾の分も注がれ、それに慣れていない大吾はチビチビと舐めるだけに留めておいた。

「大吾、頑張れよ……草葉の陰から、おまえをいつも見守っているぞ」

「いや、まだ死なないで下さいよ!」

 腹の底から沸き起こる笑い。
 いつだって八谷は、ムードメーカーで、下の人間のことを気遣ってくれた。
 彼が子供相手に四苦八苦しながら練習を先導するとき。楽しくて負けないサッカーが、子供の間で流行っていくのだろう。


「あ、そういや弟子取ったんだって?」

 おまえが弟子か、生意気な……という言葉を投げかけながら、八谷は続ける。

「年下から教わることは多いぞ。決して無碍にするんじゃないぞ」

 10割の本気。
 そうであろう。八谷原という人間を表現するとき、それは年下の人物、特に向島大吾を欠かすことはできないのだから。
 大吾は八谷を構成する何%かを確実に占めている。


「あ、それはそうと……」

 八谷が取り出したのは、岡山の38番、ペルージャ、グラン・トリノ、ロイヤル・マドリー、日本五輪代表、カタールワールドカップ代表、現日本代表の14番のユニフォーム!

「全部にサインくれ!」

「全部???」

「この前、ヤフオクでな。岡山時代のサイン入りユニフォームが5万で売れてたんだ。これ全部セットにすると良い値段が付くとは思わんか?」

 果たして、休日を潰してまで会いに行くほどの人だったのか?
 大吾はそう思う。

「妻を専業主婦にしているパパは、稼がなきゃならんのだよ!」

 まったくもってこの人は……格好悪さが5割増しだ。
 本気の割合が、今回に限って2割くらいに見えたのが、救いだったにせよ……





 元旦の日本代表の親善試合が始まる。

 そこには岡山出身の真吾がいて、利根がいて、器楽堂がいて、坂本がいる。
 ミラクルレフティ・葛城もいるし、日本代表魂のキャプテン・鍵井もいる。

 そして何より、敵と化した瀬棚勇也もいた。
 アジアカップ優勝を目指した、日本代表の1年が開始されようとしている。


「向島大吾か……あれから5年。サッカー人生の4分の1が終わったけど、どうなってるのかしらね」

 新国立競技場にて、そうある女性が呟いたのは、大吾には知る由もない。
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