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第二章 失って得たもの
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気を失った僕が目覚めたのは、それから数日経ってからのことだった。飛び起きて真っ先にクリストフについて尋ねたが、命に別条はなく今はシュヴァリエの屋敷で療養しているとのことだった。酒場は全壊でさすがに営業できなくなっていたが、宿屋部分は無事だったので多くの冒険者が変わらず出入りしており、親切な彼らから僕が寝ていた間のことを教えてもらった。
あの後、駆けつけた騎士団や自警団らの救援部隊によって傷付いた人々は手当てされ、そのほとんどが治癒の加護の力で傷一つなく回復したという。ただ、魔術を多く身に受けたクリストフは傷の治りが遅い為、しばらくは安静が必要らしい。僕はほっと胸を撫で下ろしたが、客達は治癒の力をいくら施しても何日も目覚めない僕の方がずっと心配だったと、皆一様に元気になった僕の姿を喜んでくれた。
魔物討伐により国民の平和を守ったとして、この戦闘に関わった全ての人にモディア王家から報奨金が与えられ、クリストフには勲章が贈られる予定だそうだ。宿屋にも修繕費を遥かに上回る金銭が与えられたらしく、亭主は毎日上機嫌で大工と酒場の再建について打ち合わせをしている。
しかし、誰に聞いてもあの大怪我を負った三人組については知らないと言っていた。この騒動の原因を作り、僕を狙っていた人達ではあるが、重傷の体で僕を助けようと必死になっていた彼の姿が記憶に残っている。それに、彼は最後何と言おうとしたのだろうか。
『何言ってんだ、忌人ってのは――』
彼は僕の知らない忌人の真実について、何か知っているとしか思えなかった。
僕の胸にはそれからずっと、複雑な思いが渦巻いていた。
半月が経った。艶やかな緑は少しずつ紅葉を始め、早くも秋の気配が迫って来ている。
金に物を言わせて急ピッチで作り直された酒場は、まだ完成はしていないものの飲食に問題はないとしてせっかちな亭主によって早々に営業を開始した。まだ剥き出しの柱や梁が覗いている中で、僕は忙しく働いていた。机や椅子はすっかり新品に変わったが、顔ぶれは以前と変わらない。いつもの常連客達で宵の口の酒場は賑やかだった。
次から次へと注文が入る酒を、ようやく一通り運び終えた時のことだった。酒場の出入り口でどよめきが起こった。振り返ると、そこに立っていたのは見慣れたローブ姿の長身だ。
「クリストフ! 傷はもう大丈夫なの!?」
あれからクリストフと一度も会えていなかった僕は、そう言いながら駆け寄った。しかし、近寄るにつれ違和感が増す。にこりともしない覗く口元、纏った近寄り難い空気。駆ける速度を緩めながら僕が彼の前に立った時、その人は目深に被ったローブのフードを外した。
「お前がアンリか。私はサミュエル・ド・シュヴァリエ。シュヴァリエ家の当主にしてクリストフの義父だ。お前に話がある」
長い髪も瞳の色もクリストフと全く同じ赤で、ローブ越しでは違いが分からないほど背格好も同じ。顔立ちも、クリストフが年を経たらこうなるのだろうと思える程に似ている。
ただ、僕を蔑み見下すその視線だけは全く異なっていた。
僕達は酒場の一番奥の席に、向かい合わせで座った。
王都民なら誰もが知っている近衛騎士団長と、一介の酒場の従業員である僕が、一体何を話すのだろうと客達の好奇心旺盛な視線が向けられている。会話までは彼らに聞こえないだろうが居心地は悪く、知らず背を丸めてしまう。
しかも、僕が忌人だと知っているのだろうサミュエルは嫌悪感を隠そうともせず、僕は益々身を小さくするしかなかった。クリストフの怪我の様子についてなど、とても聞ける雰囲気ではない。僕はただサミュエルが何事か話し始めるのを待っていた。
サミュエルは目が合うことすら不快と言わんばかりに、顎を逸らしてしばらく僕を見下ろし、やっと重い口を開いた。
「クリストフを誑かすな」
短く発されたその言葉に、僕は「やっぱり」と心中で呟いた。
クリストフは僕をシュヴァリエ家に引き取ろうとして一族と揉め、最終的には了承を得たと言っていたが、実際はそれほど単純な話ではないだろうと思っていた。忌人の面倒を見るなど、まともな貴族であればとても許容できるものではない。ましてやシュヴァリエ家ほどの名門であれば尚更だ。
クリストフが僕との関係をどこまで話したのかは分からないが、善人で正義感に篤いクリストフが、悪計巡らす忌人の口車に乗せられているのではと家族が心配するのも当然だ。
僕は慌てて首を振った。
「いえ、僕は……。クリストフからは僕の処遇についてありがたいお話を頂きましたが、辞退致しました。ですから、シュヴァリエ家の皆様がご心配なさるようなことは何も……」
僕の言葉を遮るようにして、サミュエルが再び口を開く。その口調は多分に嘲りと非難を含んだものだった。
「忌人とは聞きしに勝る醜悪な思考を持つ生き物だな。思い上がり甚だしい。忌人の分際でシュヴァリエに縁付けると本気で思っていたのか」
サミュエルは汚い物を見るように眉を顰め、言い捨てた。
「私は、クリストフに近付くことを今後一切許さない、と言っているのだ。醜い忌人め。クリストフの世界から消えろ」
あの後、駆けつけた騎士団や自警団らの救援部隊によって傷付いた人々は手当てされ、そのほとんどが治癒の加護の力で傷一つなく回復したという。ただ、魔術を多く身に受けたクリストフは傷の治りが遅い為、しばらくは安静が必要らしい。僕はほっと胸を撫で下ろしたが、客達は治癒の力をいくら施しても何日も目覚めない僕の方がずっと心配だったと、皆一様に元気になった僕の姿を喜んでくれた。
魔物討伐により国民の平和を守ったとして、この戦闘に関わった全ての人にモディア王家から報奨金が与えられ、クリストフには勲章が贈られる予定だそうだ。宿屋にも修繕費を遥かに上回る金銭が与えられたらしく、亭主は毎日上機嫌で大工と酒場の再建について打ち合わせをしている。
しかし、誰に聞いてもあの大怪我を負った三人組については知らないと言っていた。この騒動の原因を作り、僕を狙っていた人達ではあるが、重傷の体で僕を助けようと必死になっていた彼の姿が記憶に残っている。それに、彼は最後何と言おうとしたのだろうか。
『何言ってんだ、忌人ってのは――』
彼は僕の知らない忌人の真実について、何か知っているとしか思えなかった。
僕の胸にはそれからずっと、複雑な思いが渦巻いていた。
半月が経った。艶やかな緑は少しずつ紅葉を始め、早くも秋の気配が迫って来ている。
金に物を言わせて急ピッチで作り直された酒場は、まだ完成はしていないものの飲食に問題はないとしてせっかちな亭主によって早々に営業を開始した。まだ剥き出しの柱や梁が覗いている中で、僕は忙しく働いていた。机や椅子はすっかり新品に変わったが、顔ぶれは以前と変わらない。いつもの常連客達で宵の口の酒場は賑やかだった。
次から次へと注文が入る酒を、ようやく一通り運び終えた時のことだった。酒場の出入り口でどよめきが起こった。振り返ると、そこに立っていたのは見慣れたローブ姿の長身だ。
「クリストフ! 傷はもう大丈夫なの!?」
あれからクリストフと一度も会えていなかった僕は、そう言いながら駆け寄った。しかし、近寄るにつれ違和感が増す。にこりともしない覗く口元、纏った近寄り難い空気。駆ける速度を緩めながら僕が彼の前に立った時、その人は目深に被ったローブのフードを外した。
「お前がアンリか。私はサミュエル・ド・シュヴァリエ。シュヴァリエ家の当主にしてクリストフの義父だ。お前に話がある」
長い髪も瞳の色もクリストフと全く同じ赤で、ローブ越しでは違いが分からないほど背格好も同じ。顔立ちも、クリストフが年を経たらこうなるのだろうと思える程に似ている。
ただ、僕を蔑み見下すその視線だけは全く異なっていた。
僕達は酒場の一番奥の席に、向かい合わせで座った。
王都民なら誰もが知っている近衛騎士団長と、一介の酒場の従業員である僕が、一体何を話すのだろうと客達の好奇心旺盛な視線が向けられている。会話までは彼らに聞こえないだろうが居心地は悪く、知らず背を丸めてしまう。
しかも、僕が忌人だと知っているのだろうサミュエルは嫌悪感を隠そうともせず、僕は益々身を小さくするしかなかった。クリストフの怪我の様子についてなど、とても聞ける雰囲気ではない。僕はただサミュエルが何事か話し始めるのを待っていた。
サミュエルは目が合うことすら不快と言わんばかりに、顎を逸らしてしばらく僕を見下ろし、やっと重い口を開いた。
「クリストフを誑かすな」
短く発されたその言葉に、僕は「やっぱり」と心中で呟いた。
クリストフは僕をシュヴァリエ家に引き取ろうとして一族と揉め、最終的には了承を得たと言っていたが、実際はそれほど単純な話ではないだろうと思っていた。忌人の面倒を見るなど、まともな貴族であればとても許容できるものではない。ましてやシュヴァリエ家ほどの名門であれば尚更だ。
クリストフが僕との関係をどこまで話したのかは分からないが、善人で正義感に篤いクリストフが、悪計巡らす忌人の口車に乗せられているのではと家族が心配するのも当然だ。
僕は慌てて首を振った。
「いえ、僕は……。クリストフからは僕の処遇についてありがたいお話を頂きましたが、辞退致しました。ですから、シュヴァリエ家の皆様がご心配なさるようなことは何も……」
僕の言葉を遮るようにして、サミュエルが再び口を開く。その口調は多分に嘲りと非難を含んだものだった。
「忌人とは聞きしに勝る醜悪な思考を持つ生き物だな。思い上がり甚だしい。忌人の分際でシュヴァリエに縁付けると本気で思っていたのか」
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